第一話 「怠惰な男」
目を開くと、土屋佳はぼんやりとした薄暗い小さな部屋に、一人椅子に腰かけていた。そこには土屋が座っている椅子と、その対面にある椅子、古い電球があるだけだ。部屋の異常な雰囲気に背筋が泡立つ。
「どこだ、ここ・・・・・・」
土屋は辺りを見回しながら、思わず独り言ちた。自分の声だけが響く。再び部屋には静寂が訪れる。
「くそっ、どうしてこんなことになってるんだっけか?」
土屋は必死に思い出す。思い出す。思い出す。思い出す――――!
* * *
土屋佳は怠惰な人間だった。『だった』というのには、理由がある。ただただ純粋な理由だ。土屋は自殺したのだ。それも、『生きるのが面倒になった』という酷く怠惰な理由からだ。
土屋の人生を語るのに、彼の生きた20年の歳月も必要ないだろう。なぜなら、何も起こらなかったからだ。青春も、情熱も、恋愛も。何かに必死になって生きてこなかった。毎日が退屈の繰り返しだった。当然、親にも迷惑をかけまくった。だから、死んだ。自分がいなくなった方がましだと思った。
近所にある、8階建てのマンションから飛び降りた。意外にもすんなり飛び降りられた。特に、走馬灯は見えなかった。「まあ、そうだろうな」という諦めの気持ちが、土屋の生前最後の感情だった。グシャッ。そんな音が最後に聞こえた気がする。
* * *
「・・・・・・あー、そっか。俺死んだんだったな。ってことは、ここがあの世か? 思ってたより狭いな・・・・・・」
土屋は改めて自分の置かれている状況を確認した。想像していたよりも、あの世というものは狭いらしい。「にしても、誰かいないのか」と小声で呟き、何となく天井を見上げる。思わず、「ヒッ」と悲鳴を漏らした。長身の男が天井にへばりついていた。土屋と目が合い、ニヤニヤと笑っている。心臓が破裂するほどバクバク鳴っているのが、自分の耳にもはっきり聞こえる。恐怖で全身から汗が噴き出す。
「いやぁー、すみませんねぇ。こうやって、死んだ人間を上から見るのが僕の趣味なんですよ」
その男は、目を瞑っているのでないかと疑うほどの糸目で、ニヤニヤ笑っていた。人を見下しているような、嫌な笑みだ。男は器用に天井から降り、土屋の前にある椅子にゆっくりと腰かけた。そして、おもむろにスーツの内ポケットから手帳のような物を取り出して問いかけた。
「えー、土屋佳さん、で間違いないですよねぇ?」
男は笑みを崩さず、それでいて、人の心を見透かすような目で土屋を見た。
「ああ・・・・・・そうだ」
土屋は波打つ心臓を抑えて平静を装い、声を振り絞って答えた。その土屋と相対し、男は七三分けの真っ黒な髪をポリポリと掻きながら口を開く。
「ふふふふっ、いいんですよ、そんなに畏まらなくても」
言動とは裏腹に、男の冷たい鬼気が土屋に伝播する。その背中を撫で付けるような圧力に負けじと疑問を唱える。
「ここは一体どこなんだ? 俺は死んでなかったのか? あんたは誰なんだ?」
「質問が多いですねぇ。先ずはここはどこか、について答えましょうか」
そう言うと、男は語り始めた。
「ここはですねぇ、あの世とこの世の中間地点なんですよ」
「中間地点?」
「ええ、死んだからといって全員が全員、あの世に行けるわけじゃないですからねぇ。もし全員行けたら、あっという間にあの世はキャパオーバーですよ」
男はふふふふっと不気味に笑いながら、続けた。
「だから、死者を選別するんです。本当にあの世に行ける価値の人間かどうか、をねぇ」
「選別? 何を根拠に決めるんだ?」
「それは『人間らしく勤勉に生きてきたか』ですよ。少なくとも私の担当は、ですけどもねぇ」
(担当? ・・・)
「そして、3つ目の質問に繋がりますが、あなたは間違いなく死んでいます。マンションの上から落ちて、頭を強打して死にましたよ」
男は淡々と、平然と話す。
「・・・・・・なるほど、そうか、今俺は選別されている最中ということか」
土屋はようやく合点がいった、というように頷いた。
「理解が早くて助かりますねぇ。そこはあなたの長所ですよ。大切にしてください」
男は満足そうに頷く。そして、何か思い出したかのように「あっ」っと短く声を上げた。
「そういえばぁ、まだあなたに名前を名乗っていなかったですねぇ。ふふふふっ、言って下されば良かったのにぃ」
「別に興味はない」
土屋はそっけなく返した。。
「短気は損気ですよ。ふふふふっ。まあ、それはいいでしょう。私の名は倫道といいます。倫理の倫に、道徳の道です。」
「・・・・・・結局、俺はどうなる? あの世に行けるのか、行けないのか。行けなかった場合、俺はどうなる?」
土屋は倫道に問いかける。
「単刀直入に言いますと、あなたはあの世には行けません。そして、あの世に行けない死者は・・・・・・死ぬ瞬間を永遠にループし続けます。永遠に苦しみ続けます。ただ、それだけです」
目の前が真っ暗になった。死ぬ瞬間を永遠に繰り返す。その事実に思わず体が震える。グシャッ。死ぬ瞬間に聞こえた、肉が潰れ、骨が折れる音を思い出す。
「そこでぇ、あなたに朗報です。1つだけあの世に行ける方法があります」
土屋はすっと顔を上げた。
「えっ・・・・・・」
倫道は笑みを浮かべたまま、続ける。
「ある世界を救ってもらいます。つまりぃ、異世界転生ですねぇ」
「異世界転生って、よくラノベとかで出てくる、あの異世界転生か? 魔王とかが出てくる」
倫道は土屋の反応に満足したようにニッコリ笑いながら続ける
「ええ。魔王は出てきませんが、いますよ、厄介な敵がねぇ。そいつらは『七福神』と名乗り、2年前にその異世界を支配して以来、我が物顔に蔓延っています」
「七福神・・・・・・ってことは敵は7人なのか」
「いえ、正確に言えば7人でした。数ヶ月前、『七福神』の1人が『強欲』に倒されたと聞きました」
「七福神に、強欲。いよいよ、よく分からなくなってきたな・・・・・・」
漫画のような世界観についていけず、頭を抱え込む土屋。
「ふふふふっ、まあ簡単に言うと、あの世に行けない死者の中から有望な者を異世界に送って、七福神を倒させようということです」
倫道は簡潔に説明し直した。
「まあ、確かに死者を利用した方がリスクはないだろうな」
「あなたにもメリットはありますよ。先程「あの世に行ける方法がある」と言いましたが、七福神を見事倒せることができれば、報酬としてこの世に戻ることもできます。死ぬ1日前に戻り、人生をやり直すことができます」
「あの世に行くか、この世に戻るか。二つに一つか」
倫道は補足する。
「ちなみに、私たちはあなたみたいに選別された人間のことを『シナー』と呼んでいます。英語で罪人、という意味です。あなたは5番目のシナーということになります」
「罪人とまで言われるのか・・・・・・普通の人間らしく生きてきたつもりなんだが・・・・・・」
土屋は溜め息を吐いて異を唱えてみる。
「いえ、大罪ですよ。あなたは『怠惰』の罪を背負った人間です。あなたの自堕落な人生を振り返ってみてくださいよ」
自堕落な人生。そう言われて土屋は思わず反論しようとしたが、口は開かなかった。
「あっ、そろそろ時間ですねぇ」
倫道はそう言うと、後ろを振り向いた。すると、先程までは壁しかなかったところに空洞ができていた。見ているだけで飲み込まれてしまいそうだ。そんな禍々しさを感じるほどの暗闇だった。
「ここから異世界に飛ばされるのか?」
「ええ。異世界についての詳しいことはあなたの前に飛ばされた4人のシナーに聞いてみて下さい」
「ちょっ、待ってくれ! このまま飛ばされても俺は何の役にも立てないぞ!」
「大丈夫ですよ。あなたには『怠惰』が付与されますので」
「だから何なんだよ、『怠惰』って!?」
土屋にがそう言い終わる前に、空洞へと物凄い力で吸い寄せられる。まるで超強力な掃除機に吸われているみたいだ。視界が歪む。異空間に体が飲み込まれ、前後左右が分からなくなる。眩暈で吐き気が襲ってくる。もがこうと体を動かすが、抵抗むなしく奥に吸い込まれる。どんどん外の光が薄まっていく。
「では、健闘を祈ります」
その平坦な声だけが頭に響いた。