普通に普通のお願い
普通に、普通でいいと思う。
結婚8年目、結婚して初めて夫が単身赴任で家にいない。ここ2ヶ月、息子と二人きりの生活だった。
普通に結婚して、普通に主婦して、普通に子供産んで、自分としては、そこそこ普通に幸せな日々を送っていた。
普通な日々に、普通に息子が謎の卵を拾って来た。
「隼人~!帰るよ~!」
「ママ~!卵~!」
卵~!?
公園から帰ろうと、息子の隼人を呼ぶと、小さな両手に大事そうに卵を包んで走って来た。その卵は、鶏の卵と同じくらいの大きさの白い卵だった。
これ、何の卵?
「まだ暖かいよ?」
「鶏の卵?スズメかな?」
「持って帰る。」
えぇ!持って帰るの?!
「卵はこの子のお母さんに返してあげた方がいいんじゃない?元にあった場所に返そう?これ、どこにあったの?」
「こっち!」
隼人に案内されて着いたのは、公園のトイレの裏側で…………
土や草でできたツバメの巣が、無惨にも崩れ落ちていた。
きっと天敵に襲われて、巣が壊されたんだ。きっとこの卵1つだけがかろうじて残ったんだ……。他に卵は1つもない。周りに鳥もいない。可哀想だけど、卵を孵す方法なんて知らない。
「隼人、その卵はここに置いて帰ろう。残念だけど、多分この卵はもうかえらないよ……。」
「……でも……。」
そう言って隼人の手から卵を受け取ろうとすると、パキッと音がして、卵が少し割れた。
「嘘…………。」
その卵の割れた隙間から、強い光が出て来た。殻をやぶり、光を放ちながら卵から出て来たのは…………トカゲ?ヘビ?え?鳥じゃないの?
「これ、何?」
その生き物は、30センチくらいの長さの、細長いトカゲのような、ヘビのような、何の生き物なのかよくわからない生き物だった。
その生き物は、完全に殻から出ると、宙に浮いていた。
宙に…………浮いてる?
「わ~!凄い!」
「ありがとう!」
ん?今の何?
「僕を拾ってくれてありがとう!」
「うわっ!喋った!」
これが喋ったの?!気持ち悪っ!それでも、その生き物は喋り続けた。
「拾ってくれてありがとう!」
いや、別に拾ってないし。
トカゲのような生き物は、隼人を見て言った。
「ママ……。」
「ママ?ママはこっちだよ?」
「こっちはママのママだからおばあちゃんかな~?」
やめて!まだアラサーだから!おばあちゃんとか呼ばれる年じゃないから!!
トカゲのような生き物は、隼人の後ろをついてまわっていた。
「ママ~!」
「僕ママじゃないよ~!」
あれ、なんて言うんだっけ?生まれて初めて見た物を親と認識するあれ。多分、あれなのかな~?
「ママ~!この子連れて帰ってもいい?」
「え…………でも、この生き物何の生き物かわからないから、どうやって飼えばいいかわからないよ!」
カブトムシの幼虫だってグロテスクなのに……爬虫類なんて……。
「大丈夫です!僕、普通の龍ですから。」
「は?」
「普通で大丈夫です!」
いやいやいや、どこが大丈夫なの?普通って何?何なの!?龍って普通にいる?あれ?普通にいたっけ?架空の生き物かと思ってたんだけど!
どうしよう…………龍って何食べるの?トイレは?予防接種は?
「龍って何?」
「龍って……ドラゴン?」
「ドラゴン?火吹く?」
自分を龍だと言うその生き物は、するどい指の爪を横に振って言った。
「それは西洋の架空の生き物ですよ。僕は正真正銘、madeinJAPANの現実の生き物です。」
madeinJAPAN……?何故そこ英語?ノリが若干、カモンベイビー的なのは何故?madeinJAPANどこ?どこJAPAN?
「…………。」
口がふさがらなかった。
「それって凄いの?」
「めっちゃ凄いっす!」
なんか…………なんだろう…………
「ママ~!僕、この子飼いたい!」
「これ、飼うの!?」
「飼ってくれるの?」
龍が目を潤ませてこっちを見て来た。全っ然可愛くない……。どうせ飼うなら普通に犬とか飼いたいんだけど……。
私が迷っていると、隼人はその小さな龍と話しながら、家に向かって先に歩き始めていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
私は迷いながら隼人の後を追って帰宅した。
家に帰って夫に相談した。携帯を片手に、夕飯を何にするか冷蔵庫の中身を眺めながら電話した。
「だから、本当に龍って言ったんだって!」
「大丈夫か?1人で頑張り過ぎて幻聴が聞こえたとか?」
「そんな訳ないよ!ちゃんと聞こえて…………ちょっと待ってて。」
何だか隼人の笑い声で、電話の会話がよく聞き取れない。
「隼人、今パパと電話してるから少し静かにしてて。」
「あ、いいよ。こっちもそろそろ仕事に戻るから。まぁ、生き物をどうするかは、紗智に任せるよ。隼人~またな~!」
「パパ、バイバ~イ!」
そう言って電話を切られてしまった。
「何して遊んでたの?」
「ボール遊びだよ!」
何…………?このオレンジの玉?龍がオレンジの玉?!もしかしてこれ、ドラゴ◯ボール!?
いやいや、そんな事あるわけない。それ、完全に漫画の見すぎ。現実を見よう。きっと疲れてるんだ。きっとそう。落ち着いてもう一度ちゃんと見てみよう。
隼人は龍にボールを投げて、取って来させる遊びをしていた。
「取って来~い!」
いやいや、それ逆。あんたがボール集めて来るんだって。
「ママもやる~?」
そう言って手渡された玉は、意外と硬い。ボールって言ったってこんな硬いボールで遊んだら床が凹んじゃう…………
「隼人これ…………」
隼人にボール遊びを止めるように言おうとすると、ふと気がついた。
やだ…………!これ、全部で7個ある!中に星の印…………は、ないか。いや、だから私は一体何を確認してんの!?
すると、龍がこんな事を言い出した。
「ママ~!僕に名前をつけてよ!」
「だって。ママ、何がいいかな?」
「ややこしいからまず、ママと呼ばせるのはやめようか?」
すると、隼人はまず龍に、自分の名前を覚えさせた。
「うーん。龍に名前って言ったらやっぱり…………シェ◯ロンだよね?」
思わずそう口にすると…………
「シェロ?いいね!シェロ!!シェロ!!」
あ、いや、シェ◯ロンだって……。まぁ、隼人がいいなら……いっか。
名前が、シェロになりました。
「シェロ!取って来~い!」
そう言って隼人は勢いよくボールを投げた。
ガッチャーン!
棚に飾ってあったシーサーの置物の片方に、ボールが当たって割れた。
「シィーーーサァアアーーーーー!!」
私はシーサーの崩壊に思わず叫んだ。新婚旅行の思い出の品なのに!!普通当てる!?ピンポイントでシーサー狙う?!だからダメだって!!
くそ!!シーサーが負けた…………!!
「もう、家の中ではボール遊び禁止!!」
「うえぇええええん!ごめんなさいぃ~!!」
シーサーの亡骸を片付けて、ボールを全部没収して、ジップつきポリ袋につめてテーブルに置いた。こうしてみると、大きな飴玉みたいだった。
浮遊した蛇のような龍が隼人に耳打ちしていた。
「隼人、実はこの玉で願いが叶えられるんだ!何か叶えたい願いある?」
全部聞こえてるから。
「うーん。夕御飯はハンバーグがいいな。」
確か冷蔵庫にひき肉あったな…………って何で私が叶えようとしてんの!?
「喉乾いた~!」
「あ、じゃあ、おばあちゃんジュースください。」
「おばあちゃん言うな!あんたが用意するんじゃないの?!」
願いを叶えるとか言っといて、全然働かないじゃん。どこが正真正銘madeinJAPANの龍だよ!この怠け者!!
「他には?他に願いある?」
隼人はテレビの戦隊ヒーローに夢中だった。
「僕、今日もお米戦隊スイハンジャーに勝って欲しい!」
はい、その願いは龍が何もしなくても絶対叶います!!
「他には?」
「お風呂入りたくない。」
「他には?」
「明日もお友達と鬼ごっこしたいな~!」
龍はあからさまに落胆した態度だった。なんか…………逆にごめんね?
「他には?」
「ここ、ハサミで切って。」
そう言われると、龍は隼人の工作していた作品の端を…………パチン……パチン……悲しそうに切っていた。もはや雑用!!
「じゃ、じゃあ隼人のママは!?」
お、やっと順番が回って来た。ここは大人として、一攫千金とか誰もが羨む美貌~!とか…………とか…………とてもじゃないけど恥ずかしくて言えない。何浮かれてんだ?アホか?
「明日の朝、8時半までにゴミ出しして欲しいなー。」
龍がこっちもかよ。という顔をして、悪態をつき始めた。
「どいつもこいつも……。」
「あ、なんかごめんね。龍がいるとか願いが叶うとか信じてる自分が逆に怖いって言うか……。」
「疑ってる!?いいんだよ!!もっと骨のあるお願いしていいんだよ!!」
龍がもっと来いよと手を扇いだ。
骨のあるお願い……?何だろう?と悩んでいたら隼人が言った。
「じゃあ、み~んなが幸せになれますようには?」
「隼人……。」
優しい子に育ってくれてて母は嬉しいよ!!
それを聞いた龍は、少し震えて、目から光を放った。
「その願い、聞き入れた!」
え…………どうなるの?今からどうなるんだろう?
半信半疑で待っていると、龍が言った。
「今までお世話になりました。」
いや、今の今まで何って何も世話してないけど……。
「僕は今から東大を目指します!!」
「はぁ?」
「東大に行き、総理大臣になります!」
あ、うん、意外と現実的……。
「つきましては、修行の旅に出たいと思います。おばあさん、きび団子を用意してください。」
「それ無理だから。」
時代錯誤もいいとこ。きびなんか家にないよ。てか、それ鬼退治。
「じゃあ、修行の旅に出られないぃい~!願いが叶えられないぃいいい~!」
泣くな!うっとおしい!!
「ドラゴ◯ボールが、ただの玉になっちゃうよ~!」
「わかった!わかったから!」
きび団子の代わりって何だろう?
「お握りは~?」
「あ~そう思ったんだけど、お米切らしてたから今日は麺にしようかと思ってたの。パスタとハンバーグ。」
「わ~い!ハンバーグ~!」
はい、完全にきび団子の代わりとか、どうでもよくなりました。
ふと、コーンフレークが目に入ったけど……。
「コーンフレークならすぐ腐らないからいいですね!」
それを見ていた龍が言った。
いや、確かに日持ちするけど……。龍にコーンフレークを持たせて旅立たせるってどうなの?
「じゃ、お世話になりました。」
龍はコーンフレークの箱を抱えて出て行こうとした。
「いやいや、玉忘れてるから!」
「…………く……悔しい……全部持てない……。」
泣くな!うっとおしい!
「何か袋に入れてあげる。袋……袋……。」
袋になりそうなバッグを探していると、龍に注文をつけられた。
「できれば軽量防水がいいです。」
「そんなのないよ~!」
「ビニール袋は?」
「それ……レジ袋って事?」
結局、レジ袋を2重にして、7つの玉とコーンフレークと、隼人の選別のスイハンブルーの指人形を入れた。そのレジ袋をしっぽの先にぶら下げて、龍は言った。
「願いが叶うその日まで、しばらく待っていてください。」
「いつ戻って来るの?明日?」
「1日で受験は制覇できません。」
そこ真面目だね……。
「お元気で!」
そう言って龍は、ベランダから空へ飛んで行った。
「頑張れ~!」
隼人と二人で龍を見送った。
何だったんだろう……。
本当はわかってた。そんな願い不可能だよ。みんなが幸せになる日を待っていたら、私達はこの世にいられるかわからない。それくらい待つと思う。
叶えられない願いは龍に任せて、私達は私達の叶えられる願いを叶えていけばいい。
「隼人、龍は誰かの願いを叶えるために努力しに行ったんだね。私達も、龍が帰って来た時に、幸せだねって言えるようにしようね。」
「うん!シェロが帰って来た時、僕、手伝うよ!」
何を?と、思ったけど、別にいっかと思った。
夫から電話が来た。
「どうしたの?」
「思ったより仕事が早く終わりそうで、そっちに戻るのが早まりそうなんだ!」
「本当に!?やったね隼人!パパがもうすぐ帰って来るって!」
それを聞いて隼人は大喜びしていた。
「やった~!お願い叶ったね~!」
「そういえば、生き物は?どうなった?」
「あ~、気持ち悪いからコーンフレーク持たせて追い出したよ~」
「コーンフレーク?」
隼人と私の本当の願いが叶った。あーあ、本当に願いが叶うなら、やっぱり一攫千金とか妖艶な美貌とかお願いすれば良かったかな~?…………ま、いっか。
それからというもの、龍は毎年写真つきの年賀状を送ってくるようになった。龍は少しずつ大きくなって、龍らしくなっていた。
「え…………これ、あの龍?」
年賀状にはこう書いてあった。
目にゴミが入って、こすったら目つきが悪くなってしまいました。今では、玉を世界中に投げて、様々な人達に取って来~い!をして遊んでいます。
それはそれでなんか…………複雑な気分……。