1話: 幸せの影
(ベルベットはリノアを受け入れてくれるだろうか? どうやって言い訳すればいいんだろう。偶然みつけて、連れて帰った? それじゃ誘拐だ!)
エルノは横に並んでついてくるリノアをどうすべきか、真剣に考えていた。こういうことについては疎いエルノだったが、今さら引き下がるわけにもいかない。
リノアが言うには、旅路に迷い込んで気がつけばガルデ公国にいたと言う。ほかの仲間とははぐれたそうだが、到底信じられる話でもなかった。とりあえずエルノは、雨に濡れるといけないと半ば強引に引っ張ってきた。それで今に至る。
道中、エルノは殺到する視線にも耐えなければならなかった。
あのエルノがさっきまで駆け抜けていったと思えば、今度は美少女を連れて歩き回っているのだ。問題児というレッテルをはられているエルノを、このときばかりは誰もが羨ましいと感じただろう。肩を叩いてヒソヒソ言ったり、指を指されたりされたが、エルノは心を無にした。
リノアにも変化があった。
あんなにエルノを警戒していたのに、急におどおどしだしたのだ。いざというときには本人を置いて逃げようかとも考えたが、すぐにそれはできないと思い知らされた。つまり、手を繋いで歩いた経験がなかったのだ。
二人は一言も喋らずに城下町を出た。
頭はだいぶ回ってきたみたいだ。それでも扉を叩く手は震えていた。
門番には事情を説明できたが、あのがんこおやじには通用しないだろう。エルノはそんなことを考えながら横目でリノアを見た。
顔や体よりも、胸元のペンダントに気を惹かれたのだ。しばらく見つめているうちに扉が開いた。そのときエルノは飛び上がっていた。
「エルノ!」
第一声を最後に、ベルベットは言葉を失った。隣の少女を見つめたまま、固まっていた。なんだかおかしくなってきたエルノは、口早に事情を説明した。
予想は外れ、その返事はすぐに帰ってきた。
「承知した」
エルノとリノアはすぐに仲良くなった(少なくともエルノはそう思っている)。共通点が一つ、二人とも親がいないことだった。
エルノは自分の昔話をかいつまんで伝え、リノアはときどき頷きながら、笑ったりしてくれた。
リノアの話はこうだ。
「あたしはガルデ公国でそれなりの身分の家に生まれたわ。でも伝染病にかかって両親はふたりとも死んでしまった。親戚に引き取られはしたものの、問題を起こして追い出されてしまった。それからは住む場所を求めて家の執事たちと旅に出るようになったのよ」
やがて月日が経った。
十四歳を迎えたあたりから、エルノは盗みをしなくなった。町ではエルノが死んだという噂が流れつつあったが、エルノにはそんなことはどうでもよかった。屋敷に引きこもるようになったのも事実だ。
エルノはベルベットの言うことをよく聞くようにもなった。はじめベルベットや使用人は気味悪がったが、すぐに気にしなくなって、これを良い兆候だと思うことにした。エルノが習得した剣技を披露するとリノアは手を叩いた。彼女はエルノに学問を教え、エルノはどんどんそれを吸収していった。
そのうちエルノはリノアがいつになってもあのペンダントと宝石をさげているのに気づいた。彼女はそれについてはいつも曖昧な答えを返したが。
(ああ、ぼくはなんて幸せなんだろう! こんなお屋敷に住まわせてもらっているし、まわりには何でも言うことをきいてくれる使用人がいる。ベルベットは厳しいけれど、人から学ぶことがこんなに楽しかっただなんて。何よりも良いのはリノアだ! あんなにきれいな女の子を、ほかに誰が持っているだろう?)
ある日、ベルベットがこう口にしているのを耳にはさんだ。
「用事でヴェクト帝国に行ってきた。このごろ帝国の動きは悪くなる一方だ。最近は軍事の強化に専念しているようで、民衆の顔色は優れていないように思えた。労力は軒並み工業に回しているらしい。国内で暴動が相次ぎ、日々死人が出ている」
「ベルベットさん、ぼくの知るところでは、ヴェクトは世界一美しい都として有名だったはずですが」
「まるで死にゆく様を眺めているようだったよ。あの姿は既に過去のものだった。底辺階級の住宅街では、道ばたに死体がころがっているのをよく見かけた。どうかしてしまいそうになった」
エルノがこの話をリノアに聞かせると、彼女はとても悲しそうな顔をしてみせた。
「ヴェクトが? あたしがいない間に......」
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同年の夏、ヴェクト帝国はついに隣国のワセロ王国に宣戦布告をした。始まりは、ワセロの商船が自国の商船を攻撃したという言いがかりをつけてのことだった。ヴェクトはいつのまにか強国と謳われるサンドレアやガスバールと手を結んでいたし、先日、ワセロの使いがガルデ公国にやってきた。その誘いは断られたが。
結果、勃発した戦争は二ヶ月ほどで終結し、ワセロは敗れた。このことはすぐに世界中に広まり、ヴェクトは恐れの都へと一晩にして姿を変えた。
ベルベットはこのことをあまりよく思っていなかった。
ワセロが潰れたならば、ヴェクトはこちらにも手をかけてくるだろう。それは絶対に避けなければならないことだった。