ヨシ子の手紙
手紙、というものは時として面白いものである。
今、私が手にしているそれも、例によって手紙であった。
実はこの手紙、ほんの昨日から来ているものなのだが、その内容がまたよくわからないものであった。
「明日の午前0時、パンダ公園で待っているわ。 ヨシ子」
パンダ公園とは、私の家のすぐ目の前にある、パンダの形をした遊具がある公園の事だ。
しかし、私にはヨシ子なんて言う名前の付いた知り合いは30歳年上の母以外は居ないのだ。
もちろん、母親が今更私にこんな文章をしたためる筈がない。もっとも今、私と一緒に暮らしているのだし。
仕方がなしに、午前0時に例のパンダ公園に行ってみると、やはりいない。
はて、不思議だなと思い一晩過ごした、その後にまたやって来たのだ。この手紙が。
その手紙には、やはり内容がよくわからなかったが、
「なんで、昨日は来なかったの?まぁ、いいわ、今日の午前0時、また待ってるわ。 ヨシ子」
どうやら、このヨシ子さんとやら、昨日律儀に待っていたらしい。私も待っていたはずなんだが。
と、言うわけで、今日も待ってみることにした。
「やはり来ない・・・」
やはりというか、何というか、その例のヨシ子さんは来なかったのである。
すると、その翌朝、また郵便受けをチェックすると、
「二度あることは、三度あるってか。」
また、あのヨシ子さんからの手紙が入っていた。
なんとまあ、また不思議なことに、
「なんで来ないのよ、今日の午前0時、待ってるから、来てね。 ヨシ子」
また、同じような誘い文句で僕を待っているらしい、
「このヨシ子さんも結構我慢強いな、三日も待ち続けるなんて。」
と、言うわけで、私も三日連続で待ってみることにした。
「来ない・・・」
やはり結果は同じようだった。二度あることは三度あるものだ。
もしかしたら、どこかに隠れて私を待っているんじゃないかと思って、探してはみたものの、やはりいない様であった。
ところが4日目、その日の手紙はどうやら様相が大分違うようであった。
「もう、あんたなんて知らない!もう待たないからね! ヨシ子」
突然怒られても、こちらだって探したのだ。さすがにそれはないだろう、と例のヨシ子さんに言いたかったが、未だ会ったこともないので何とも言えない。
と、ふと、切手を見てみると、
「あれ、これ旧デザインじゃないのか?」
そう確信を持った私は郵便局にその手紙を持っていき、
「これ、だいぶ前に送られてきたやつですか?」
尋ねてみた。
「ええ、そうですねぇ、これちょうど30年前のものです。」
30年前、その言葉にピンときた。
そして、駆け出す、パンダ公園に。
「ねえ、お母さん。この手紙。」
パンダ公園には、ちょうど30歳の時に私を生んだ、母が居た。
この手紙・・・そう言って突き出した。
「あっ・・・」
母親は驚いているようであった。
「この手紙・・・どうして?」
「そりゃ、私のもとに届いたからね。」
30年かかって、と私は心の中で付け加える。
「あらあら、じゃあ、この手紙・・・」
「届いていなかったみたいだね。」
私は付け加えるように言う。
どうやらその手紙は、慕っていた後輩への手紙だったらしい。
告白するつもりでこの手紙を書いていたらしい。
しかし、4日たってもこの公園に来ないので、母は諦めて、そして今の私のお父さんと結婚し、今の私がいるらしい。
「じゃあ、この手紙が届いていたら・・・?」
「さあ、知らないわよ。そんなの。」
きっと、この手紙が届いていたら、私は居なかったのだろう。
そう思うと、この手紙が届かなかったことや、私が無為に過ごした3日間も、面白い。
届かぬ想いもあっていいものだなと、そう思ったのだった。