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共闘瓦解



 9



 みしみしと軋む階段を上り、美闇たちは二階へと向かう。

木の床はところどころ腐ったりひび割れていたりして、次の一歩で踏み抜いて床下へ落下してしまうのではないかという不安がつきまとう。

しかし床下で済めばいいほうだ。せいぜい泥と埃まみれになるくらいだからだ。

(もしこの下が崖とかだったら……本日三度目のダイビングってことになるわね……そしたら今度こそお陀仏間違いなしだわ……)

計画実行前に負傷したり、死んでしまっては元も子もない。

こういう細部のサポートもしっかりしておいてほしかったと思う美闇だったが、同時にいい加減そんな「向こう」の考え方とは決別しなければとも考えていた。


 計画立案者はサービス業ではないし、美闇がその客というわけでもない。

ここに集まった十人(一人来ていないようだが)は、同じ目的のために集まった同志ではあるが、しかしそれだけの関係だ。上も下も、権利も義務もない。

アンジュ・デ・ポーム幹部七人の抹殺という唯一にして絶対の目的。

それ以外の一切は些事であり、考慮する必要など存在しないのだ。


(きっとこの先で待つ計画立案者も、それ以外の参加者も、みんなこの熊みたいに「ちょっとのことで使えなくなる者など不必要」っていうスタンスなのね。さすが行きつくとこまで行った連中、徹底した合理主義だわ)


 訪問者の識別をするため異様に手の込んだ鍵を設置する。

明かりで存在を気取られないように照明を撤去する。

一方で壁や床、階段の補修などは全くしていない。

フォローする部分としない部分の差が、断固として明白だった。


 それはきっと、テロの実行の最中においても同じなのだろう。

美闇が負傷したり、相手側に拘束されたとしても、さっきみたいに助けてくれることはない。

それより優先すべきことなど、いくらでもあるのだから。

逃走経路の確保、迅速にして確実なポイントへの移動、周囲の警戒、罠の有無の看取、武器の状態の確認、標的の位置や状態の把握、護衛や遮蔽物の排除。


 標的の元に辿り着き、標的を殺害し、そして撤退もしくは他の戦線の支援という一連の流れの中で、それを行う数時間の内に、一体どれほどのタスクをこなさなければならないのか。

それを考えれば合理主義などは当然で、むしろそれでさえ足りず、結論として機械のような無感情が最も相応しいということになるのだろう。


(さぁ、気合い入れなおすわよ黒曜院美闇! まずはこれから始まる打ち合わせ、何としても陵を仕留める役を手に入れる!)


 先程宝生が自分をライバルと言っていたがまさにその通り。自分の手で葬りたい標的がいる者にとって、この作戦は十人で七人を奪い合うハンティングバトルの側面もあるのだ。

美闇にとってここまで辿り着くことはいわば第一ラウンドであり、各々の標的を決定する打ち合わせは第二ラウンドといえる。ここを超えないことには、本番である第三ラウンドには進めない。作戦どうこうの前に、美闇にとっての戦いとは陵を殺すことだけなのだから。


 絶対に勝つ。

ぐっと拳を握り、きりっとした瞳で階段を上っていく美闇。

先を見据え、前を見通す美闇は、しかしそれゆえに後方に潜んでいる者に気付かなかった。

昏い殺意の色を宿した瞳が二つ、暗闇の中で音もなく美闇たちを追いかけていた。



 10



 階段を上り切ると、二階は個室が並んでいた。

この建物も先程のリフト同様、山中に数多く放置されている作業所の遺構のひとつだ。作業所が閉鎖したのち、どこぞの世捨て人の手に渡り「瞑仙庵」という名が冠されたが、しかしその人物もこの世を去ってしまい、以降朽ちるに任せたまま現在に至る。

世捨て人は改修や改装を一切行わなかったので、間取りは作業員の詰め所時代のまま、一階が共用スペース、二階が個人スペースとして分けられている。


 薄暗い廊下の奥から、ぼんやりと明かりが漏れていた。

電灯の眩しさとは明確に異なる儚さがあり、蝋燭の炎だということが分かる。

「あそこが会合の場というわけか。大丈夫かお姉ちゃん、緊張してないか?」

奥州の軽口を美闇は鼻を鳴らして弾く。

美闇には通じていなかったが、これは奥州なりの気遣いだった。つまり、この短時間で彼がその程度には美闇を認めたということなのだが、しかしそんな男心の分かる美闇ではないし、分かったとしても素直に受け取りはしなかっただろう。


「女の子いるかにゃ? いたら仲良くなれるといいにゃ~」

(つぐら、これサークルのオフ会じゃないから)


「闇の猛者共の集まりだ、果たして会合になればいいがな……まぁ、いざとなったら己が黙らせてやるさ。安心したまえ」

(あんたのその自信はどこから出てくるわけ? それとも突っ込み待ち?)


 もうすっかりこの空気にも慣れ、心の中で淡々と突っ込みを入れていく美闇だったが、しかしここで重大な事実に気が付いてしまう。

扉の向こうには残りの五人の「同志」がいる。つぐらたち、これまでに出会った代表者を見る限り、彼らも奇人変人である可能性はかなり高いだろう。そしてそれは、美闇の突っ込み量が三倍になるということを意味している。

一人の突っ込みに対してボケが八人。お笑い界に労働基準法を当てはめるのはナンセンスだが、もし自分が事務所命令でそんなユニットを組ませられた芸人だとしたら確実に労働基準監督署に駆け込んでいるなと美闇は思った。


(あー、うん。やめよう。もういちいち律儀に突っ込みいれるのやめよう)


 そんなこんなで四人はとうとう、「遊戯室」という表札のかかっている扉の前に立った。

代表して奥州が扉を叩く。

「山奥正宗の奥州だ。猫神教、九龍PSI研究所、あとネクロドルーグの代表者も一緒だ」

(何で私だけついでみたいな言い方なのよ!)

突っ込みはしないと決めたわずか十秒後にしっかり突っ込みをしている美闇。

だがそれに抗議をする前に扉の向こうから返答があった。

「どうぞ」


 瞬間、美闇の胸中を一陣の風が吹き抜ける。


 静かな早朝の上高地で、思いっきり深呼吸をしたかのような、爽快感が胸いっぱいに広がる。

(え、何この声……)

落ち着いた声だった。例えるならば、京都や鎌倉の観光地からは少し外れた古寺で、俗世の喧騒を嫌って逗留している俳人が庭の小鳥に語りかけているような、静謐さを感じる声だった。


「どうぞ」の一言だけでそこまで想像できてしまうものなのかと人は思うだろう。

できてしまうのが暮地美闇だ。


(やば……超ドストライクだわ……こんなボイスの持ち主が現実に存在しているの? まぁ事実こうしてここにいらっしゃるわけだけど……でも……でもさぁ……出会うなら、もっとまともなシチュエーションで出会いたかったあっ!)


 妄想ならば十八番。彼女はかつてネットで出会った同好の士と、本編で一コマしか出番のなかったモブキャラの同人誌を作ったことがある(全く売れなかったが、しかし描けただけで大満足だった)。ひとかけらの材料から、無限に夢幻を生み出していくことができる。


(いや待って! こんなシチュエーションだからこそのドラマがあるのかも? 激しい戦いの末、遂に全ての敵を掃討した私たち。生き残ったふたりは星空の下見つめ合い、そしてくちびるを合わせ……)


 美闇はネガティブな妄想に陥るととことんまで堕ちていくが、逆にときめいたり嬉しくなったりした時の振り切れ方も激しかった。特に今日は獣道を四時間かけて歩き、猫耳少女や熊男やナルシストに振り回され、二回ほど死にかけ、精神的に疲弊しきっていたこともあり、普段肌身離さず携帯している常人の三倍の猜疑心と五倍の警戒心はすっかり脇に放り出されてしまっている。

扉の向こうから聞こえた声が、彼女の今年上半期ナンバーワン乙女ゲームキャラクターである眼鏡家庭教師のそれに似ていたことも相まって、今や美闇の脳内は桃色パーリーナイツと化していた。


 しかし、アクシデントというものはそんな時を狙いすまして起こるもの。

完全に精神がノーガードとなっていた美闇の前で奥州が扉を開け、そして、

そいつは現れた。


「はぁ~い☆ よぉこそ~☆☆ いらっしゃあ~いっ☆☆☆」


 美闇の思考が完全に飛んだ。

彼女だけではない。奥州も、つぐらも、宝生も、ただただ言葉を失う。

まがりなりにもテロに送り出された代表者だ、彼らは不測の事態に対処できるような柔軟な思考と、窮地に陥っても決して起死回生を諦めない精神力を有している。

そんな彼らをも黙らせる破壊力だった。


 至近距離で目にする、オカマというのは。


「あらやだっ! 可愛いわね~貴女たちっ!」

女の子走りで駆け寄ってきたオカマが美闇とつぐらを見比べる。

美闇をトリップさせていた桃色妄想は残滓も残らす消し飛び、彼女はもはやまともに思考することさえできずにいる。そんな中、なけなしの意識を視力に全振りして室内の様子を探ると、オカマ以外には三人の人間がいた。ぱっと見る限り全員男性のようだ。


「レディに対する無礼を許してね? お嬢ちゃん、おいくつかしら?」

「つぐらはね、十歳!」

「うっそ、十歳~? でもでも~、これに選ばれたってことはそれなりの使い手ってことでしょ? いや~んギャップ萌えだわ~!」


 オカマと速攻打ち解けるつぐら。子供ゆえの適応力の高さもあるが、どこまでも純粋でまっすぐなつぐらだからこそできたことだといえる。そしてその一途さこそ、この作戦に命を賭す者に最も求められる要素だった。


 三人の男性、上下紫ジャージのヤンキー風の男と、ぼさぼさ頭が野暮ったいサマーセーターの男性、そしてパーカーに短パンの少年は美闇たちを完全に傍観者の表情で笑いながら見ていた。

新しいスケープゴートが現れた!

これでオカマの相手から解放される!

……と歓喜しているのが一目瞭然だ。


(……ん?)


 部屋の中にいたのは四人。しかし残りのリングの数から察するにもうひとりメンバーがいるはずだ。

ようやく思考を取り戻した美闇がその疑問に突き当たった時、オカマは新たな標的に狙いを定めていた。

「可愛い女のコもいいけどぉ~、イチバン気になるのは、ア、ナ、タ☆」

宝生の厚い胸板に頬をこすりつけたオカマは、乳首のあたりを人差し指でトントンと叩く。

真っ白になった宝生の口からプラズマが漏れていくのが美闇にははっきりと見えた。

「こ、この己に目をつけるとは、き、貴様、只者ではないらしいな……だ、だがな、お、己は孤高の戦士なのだ……こ、このような無意味な接触は、ご、御免被るぞ」

「も~この子ったら~、声裏返っちゃって可愛い~! 心配しなくても大丈夫よ? アタシが骨の髄までとろけさせてあげるから」


「その辺にしておけ」


 弛緩した空気が、殺気によって叩き潰された。

腕を組み、瞑目した奥州が不快感を、怒りを露わにして言った。

「慎め倒錯者。俺も貴様も、男として生を享けたということは、そこに意味が、意義があるものだ。神が、男として生き、為すべきを成せと云っているのだ。それをまぁ……よくもそこまで堕落できたものだ」

オカマに向ける奥州の目は、汚物でも見ているようなものだった。

本気で怒っているというのが、美闇にも分かった。

「俺の目が黒いうちは、神から賜った肉体を蔑ろにする愚行は許さん」

山で生きる者たちをまとめあげる頭領の言葉には、有無を言わせぬ迫力と圧力があった。美闇や宝生などは人生の邪道を歩んでいる自覚があるだけに、オカマでもないのに変なうしろめたさを感じてしまった。


 だが、そんな怒気を正面からまともに受けていながら、オカマはどこ吹く風で飄々としていた。そして薄ら笑いとともに反論を吐いてみせる。

「自分の肉体の性別に基づき、模範的な人生を送らなければいけない……そぉね~、まぁ、分からないでもないけどぉ~、でもアナタ一つ忘れているわよ」


 言葉が一旦切れた時、オカマの表情からは笑みが消えていた。


 美闇は息を呑む。

本気の顔だ。本気で言い返しにいっている。

主義主張の異なる二つの宗教の真っ向対立。

まさかこんなに早く目にすることになるなんて。美闇はごくりと生唾を飲み込み、事態の推移を見つめる。


「神様からもらうのは、肉体だけじゃない……もうひとつ、それと同じか、それ以上に大切なものがある。そう、心よ。アタシはアタシとして、他の誰でもないアタシの人生を生きてる。自分を偽ることなく、正直にね。この人生に、アタシは誇りを持っているわ」


 奥州はただ黙って聞いている。何を思っているのか、美闇には読み取れない。

ただ、あれだけ真っ向から否定されたにも関わらず、一歩も引かず半歩も譲らず、自分の人生に誇りを持っていると宣言できるオカマのことは素直にすごいと思った。


「男の『肉体』には意義があって、女の『心』には意義がないですって? あっりえな~い! なにその差別? アナタ目に見えるものしか信じないってタイプの人? だったら何で宗教やってるの? マジウケる~」


 笑い声こそ上げるオカマだったが、しかし彼、いや彼女が纏う空気は冗談ではなかった。

完全に殺しにいっている。折りにいっている。

奥州の、山奥正宗の信条を。

そしてオカマは、トドメの言葉を繰り出した。


「てゆーか、肉体を蔑ろにしているのはアナタたちの方じゃない? 乱婚とか一夫多妻とか、極めつけは幼婚なんかもあるそうじゃないの? いつだったかニュースになったわよねぇ? 初潮前の子を……ってやつ」


 そのネットニュースなら美闇も見たことがあった。

どこからか圧力がかかったらしくすぐに記事は削除されたが、しかしネットで魚拓を探せば今でも当時の記事の原文をそのまま読むことができる。


「アタシたちはさぁ、肉体の性別だとか、国籍だとか、社会的身分だとか……そういったツマラナイものからの脱却を目指してはいるけど、でも一つだけ守らなきゃいけない聖域があると考えているの。それは、年齢よ。対等な恋愛ができるようになるには、ある程度の肉体的成熟と社会経験が必要。だからアタシたちは、ロリコンとショタコンに対しては厳しくいくことにしているの」

演説を終えたオカマは、奥州の前に右腕を突き出すと、思いっきり中指を突き立ててみせた。


「倒錯者はアナタよ。ここから、いいえ、地球から出ていってくれない?」

「対等な恋愛など幻想に過ぎん」


 今度は奥州がオカマを笑った。まるで、愛を説けば戦争はなくなると主張する小学生を嘲笑するスレた大人のような目だった。


「女を守ってこその男だ。それを忘れた軟弱な芋虫が代を重ねた結果が貴様のような似非人権主義者の登場というわけだ。ロリコン? ショタコン? 下らん造語を連発して勝ち誇るなよ単為生殖が」


 平凡な一般人があてられれば失禁の末失神しかねない胆力を今ここで使い果たさんとばかりに奥州は責め立てる。結末がどのようなものになるのか、美闇には全く想像がつかない。


「良い女に、年齢など関係ない! それを家族にして何が悪い! 男でも女でもない半端ものが、愛を語るなおこがましい!」

「まーなんにせよ」

奥州の怒号は、かったるそうなオカマの笑いで相殺された。

「こーいう事を聞いちゃうと、宗教浄化も全てが間違いだったわけじゃなかったのかも……なーんて思っちゃうわよね~。少なくとも、卑劣で愚劣で汚らわしいロリコン村がこの世から消えてくれたことだけは、評価してあげてもよさそうよね。それによって何人かの女の子が救われたってことは事実なんだから」

「救われたんじゃねえよ奪われたんだ。あいつらは幸せだった。これから妻にする女も幸せにしてやるつもりだった」

「盛るなよ生殖怪獣。というか今ここで殺しちゃっていいかしらいいわよね? だってさぁ、百害あって一利なしってこいつのためにあるような言葉だものねぇ?」


「そうか……」

そこで奥州が腕組みを解いた。開かれた両の手には、目の前の敵を抹殺するという意思が誰の目にも明らかに宿っていた。


「残念だ。よもや、こんなに早く同志を失うことになろうとは」

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