交渉
☆
進めども進めども蓬生を見つけることができない。もどかしさばかりが巽の胸中にじわじわと広がってゆく。
この巨大迷路「NO EXIT」の無駄なクオリティの高さが忌々しかった。完成したばかりということもあり、床や壁には汚れの一つもなく、まさに無限回廊とでもいうべき空間がどこまでも広がっていた。
元々気を失うほどのダメージを受けていた身で叫びながら走り続けたことで、巽の体力は限界に近づいていた。それでも命より大事なお嬢様のため、気力で身体を動かし巽は歩みを続けようとする。
そんな彼の耳に、絶望的な音が轟き渡った。
銃声。
無機質な空間を乾いた音が駆け抜け、巽の心は思い切り揺さぶられる。
(今の音……まさか……まさか!)
「蓬生! 平気か? 返事しろ!」
ほとんど懇願のような叫びは、しかし最愛の少女からの返事をもたらしはしなかった。
巽の脳裏に最悪の光景が浮かぶ。無駄にクリアに、意に反してリアルに、血を吐いて倒れる蓬生の姿がスローモーションで再生される。
(落ち着け、焦るな、銃声が一発聞こえただけだ。今最も考えられるのは青空と忌島の戦闘でどちらかが発砲したというケース。蓬生は青空からは逃げ出してるから、返事をしないのは息を潜めているからと考えるのが妥当。そうだ、普通に考えりゃそうだろうが)
気を取り直し、巽は最悪の想像を打ち払う。自分は執事だ。いついかなる時も、主人のためにただ最善を尽くすのみ。絶望している暇などない。
「蓬生! そのまま隠れてろ! もうすぐ見つける!」
返事などは期待せず、ただ蓬生を安心させるためだけに叫ぶと、巽は再び無限回廊を走り出した。
☆
銃口からゆっくりと煙が立ち上る。
その向こうに青空の姿が見える。手にした西洋人形を、そっと地面に置いた。弾丸の貫通した肩口から流れ出る血が、白いワイシャツを赤黒く染めていた。
「……ちっ!」
忌島は顔を歪める。しくじった。充分すぎるほどに場数を踏んでいる忌島だったが、銃を使ったことはなかったのだ。武器を使うより素手の方が早いし楽だからだ。しかし、それが仇となった。
忌島の放った弾丸は狙いである脳天から大きく外れ、更に青空がその卓越した運動能力を駆使して致命傷を避けたのだった。
忌島は二発目を撃ちにいくが、しかし青空がそれを待ってくれないことなどは分かり切っていた。一瞬で距離を詰めた青空が右足を一閃、忌島が鈍い痛みを感じるのと同時に指や手首がおかしな方向へと曲がり、拳銃は遠くへ弾け飛んでいた。
こうなると再び打撃戦となるが、先手を取った時点で青空の優勢は不動だった。忌島が次の行動を起こすより早く、鳩尾に最大級の一撃。とても回復など望めない損傷が骨と内臓に加わったことを双方が理解する。
「残念だ……瞬毅」
二度目のダウンを喫し崩れ落ちている忌島を見下ろし、青空が呟く。その表情に、相対した当初のような憎しみはもはやなかった。忌島が青空に並々ならぬ思慕を募らせていたように、青空も忌島に浅からぬ友愛の念を抱いていたのだ。
「初めて会った時から、俺はお前の純粋さが眩しかった。俺も、お前みたいにバカになれたらよかったのにとも思う。田舎の町で、二人でバカをやりながら取り留めもない日常を過ごす。そんな人生も……アリだっただろうな」
それは同情や虚飾などではない、嘘偽りない青空の本音だった。誰よりも教えにのめり込み、誰よりも深く信心していたはずの男が口にする、別の人生の可能性。
だが、しかし、それでも、
「けど、俺は耐えられなかった。この世界の醜さが。人間の悪意が。どうしても、どうしても許すことができなかった。だから俺は、真に純粋で一切の穢れの無い神の奇跡の力を以て楽園を作ることにしたんだ。決して醜い悪意が立ち入ることのない楽園を」
我に返って尚、違う人生の可能性を認めて尚、青空爽という男はもうどうしようもなく取り返しのつかない狂信者なのだった。
「瞬毅、お前には才能がある。世界に名を馳せる使い手にだってなれただろう。できることならその姿を俺も見てみたかった。だが……俺は七導師として、教団に仇なすお前を殺す」
青空は静かに構えを取る。この虫の息の忌島に、更なる切り札や奇策などあるはずもない。この一撃で本当に、終わりだ。
「安らかに眠れ」
纏わりつく雑念を振り払い、青空が必殺の一撃を繰り出そうとした、その瞬間。
☆
曲がり角を折れると同時、巽の目に衝撃の光景が飛び込んだ。
まさに今、青空が崩れ落ちた忌島にとどめを与えようとしていたのだ。
同時、足先に何か硬いものが当たった感触を覚える。
拳銃だった。
青空の肩口から流れる血を踏まえ、巽は理解した。劣勢になった忌島が拳銃を持ち出したが、初撃で致命傷を与えることはできず、追撃を与える前に逆襲を食らったのだろう。
そして、この場に蓬生の姿はない。その事実に巽はここが修羅場だということも忘れて脱力しかけてしまった。
(とりあえず蓬生は無事らしいな……ったく心配させやがって。やっぱ俺がつかず離れず見ててやらなきゃだめだなあのお嬢様は)
巽と青空の目が合う。どちらも動かず、言葉も発しない。牽制し合いながら、お互いの出方をうかがう。
先に動いたのは青空だった。巽から視線を外し、忌島の顔を思い切り蹴り飛ばした。かろうじて残っていた忌島の意識は、それで完全に刈られた。
「君も往生際の悪い男だな」
忌々しげな顔で青空は巽を睨む。忌島との戦いを終え、完全に七導師としての自分に戻っていた。
「こっちの台詞だお人形マニアが。俺は執事として主人を守ってるだけだ」
全然守れてねぇけどなと巽は胸中で自嘲する。だからこれは、青空と、そして自分自身に向けた改めての決意表明だった。
「はぁ……連戦か。困るなぁ、僕は早くクロエを見つけにいかないといけないというのに」
「安心しろ、それは俺の仕事だ。手前は他のテロリストの相手でもやってろ」
二人の間の空気が一気に緊張感を増す。青空は肩に被弾しているが、巽もリンチを受けて満身創痍。どちらも深手を負っている以上、先手を取った方が攻勢をかけられる可能性が高い。
(戦闘は不可避か……ま、こいつが蓬生を狙ってる以上どっかで決着はつけなきゃならねーわな。待ってろよ蓬生、こいつを秒で片づけたらすぐ迎えに行くから……)
今度こそぶっ潰してやると巽が両脚に力を込めたその時、ザザザ……というノイズ音が張りつめた空気を破った。音は気絶した忌島のジャージの内ポケットから鳴っている。巽はこの音に聞き覚えがあった。仲間内で連絡を取り合うための無線機だ。
青空は巽への警戒を維持したまま一旦臨戦態勢を解き、忌島の体から無線機を取った。音量を上げてしばらくすると、男の声が聞こえた。
「今しがた銃声が聞こえましたが……」
若干のノイズに混じって聞こえてくる声は、若くもないが年老いてもいない雰囲気で、四十代くらいと想像された。
「一発だけということは、決着ないしそれに等しい結果がもたらされた、そう捉えてもよろしいでしょうか?」
穏やかな口調に、青空と巽の緊張感が増す。最初の敵である忌島は戦闘能力こそ高いものの単純バカで、こちらにも戦闘の心得があれば与しやすい相手ではあった。
だが、おそらくこの無線機の向こうにいるのは真逆の頭脳派タイプ。何らかの心理戦を仕掛けてくることが予想された。何よりも、最も危惧されるのは、そんな厄介な敵の手に蓬生が落ちていたら……
「どうしました? もしや取り逃がしてしまったとか? ははは、構いませんよ。失敗は誰にでもあるものです。例えそれが大口を叩いていたあなたのような人であったとしても、馬鹿になんかしません。最初から期待してませんでしたから」
男は飄々と話す。この余裕、テロリストのリーダー格か、と巽が推測するのと同時、
「まぁそれはともかく……これを聞いているあなたは、一体どなたでしょうか?」
不意に仕掛けてきた男の問いに、場の空気が更に緊張の度合いを増した。
「考えられるのは、忌島さん本人という可能性と、その標的である青空爽氏の可能性。それから……ここにいる可憐な女の子の連れであろうたつにぃ君という可能性」
「蓬生! そこにいるのか?」
思わず叫んでしまい、すぐに巽は後悔した。蓬生と一緒にいるであろう何者かに、無線機で話している相手が自分だと知られてしまった。これだけで、今後の交渉は確実に不利になる。
「なるほど、君がたつにぃ君だね。安心したまえ、蓬生ちゃんは無事だよ。そして今そこには青空氏もいるのでしょう。初めまして、あなた方を抹殺しにまいりました利根川と申します」
ヒュウ、と青空が口笛を飛ばす。
利根川は構わずに続けた。
「やはりそうでしたか。無線を取ったのが忌島で青空氏を打倒していたのであれば、自らの武勇をベラベラと喋り出しているはずですからね。そしてたつにぃ君の声は少し離れて聞こえました。ここから導き出される結論は、青空氏が打倒した忌島から無線機を取り、近くにいるたつにぃ君と二人で私の話を聞いているという状況です。そうでしょう」
「ご名答、野蛮な侵略者の中にも少しは頭の働く人間がいるようだな。警戒レベルを引き上げねば」
「いやぁ、無駄だと思いますよ。今更どう動いたところでね」
二人のやりとりを、巽は固唾を飲んで見つめていた。
できることなら今すぐにでも無線機をひったくって自ら利根川と交渉をしたいところだが、利根川はもちろん青空に対しても下手をうつことはできない。巽にとって、二人とも理解の追いつかない存在だ。何が機嫌を損ねるスイッチになりうるか分からない。そのスイッチを押してしまったが最後、蓬生が二度と戻ってこない結末もありうる。
「それで、何が望みだ」
青空の声のトーンが変わる。如何なる揺さぶりも無駄と思わせる、怜悧冷徹な声音。
「それは勿論、あなた方七導師全員の死亡ですよ」
「とぼけるな。べらべらと御託を並べたが、貴様は忌島が敗北したことを最初から知っていただろう。貴様が無線を寄越したのは銃声から一分以上経ってからだ。もし忌島が僕を倒していたのなら、それこそ得意げにそう連絡するだろう。それがなかった時点で、貴様は忌島が負けたと確信していた。その上で、手の内にあるクロエを使って取引をしようという腹積もりだろう」
「そこまで分かっているなら話は早い」
利根川は愉快そうに笑って、言った。
「青空爽。三分以内に投降しろ」
これまでの穏やかな口調とは明確に違う、有無を言わさぬ命令。
「あなたにとって、この少女は特別な存在なのでしょう。最初に私があなたの姿を認めた時、あなたはこの子を抱っこしていましたね。そして私の銃撃から逃れる際、そのままこの子を抱いてこの迷路へと入った。……考えてみればおかしな話です。このテロの標的はあくまであなた方七人。まぁもう六人になりましたが。つまりその他の人間はあくまで標的外であり、作戦遂行上やむなく排除しなければならないといった場合にのみ、標的となるのです」
あんな派手に無差別銃撃をしておいて何を白々しいと巽は思ったが、今はただ利根川の言葉を聞くことしかできない。
「青空氏、それはあなただって重々承知していたでしょう。ならば分かるはずだ。自ら保護するよりも、どこか適当な場所に隠れるよう指示して放り出したほうがこの子にとって余程安全だったということはね。つまりこの子は単なる一般信徒ではない。それ以上の、危険に晒すことになったとしても手放すわけにはいかない存在だということです」
ADPの教義にある「救いの掌姫」。
楽園の創造に必要とされる三人の天使。栗夢と蓬生は七導師からその天使として見初められていた。見初められるのは、神が起こした奇跡と呼ぶに等しいレベルの美少女のみ。一度見逃せば、次はいつ出会えるか分からない。
そんな存在をその辺に隠したり、黒服ごときに預けるなどできるわけがない。
「あなたの身柄が私の手に落ち、私が自らの手であなたの命を終わらせた後に、この子は解放しましょう。制限時間はこの通信が終了してから三分間。七導師であるあなたなら迷路のどこにいたとしても何らかの方法で出口に到達することは可能でしょう」
三分。思った以上に厳しい時間制限を課してきたと巽は歯ぎしりする。
一方の青空は涼しい顔。利根川の言う通り、出口に辿り着く術を持っているのは明らかだった。
「異論、異存は一切認めません。制限時間を一秒でも過ぎれば蓬生ちゃん、青空氏に言わせればクロエちゃんか、彼女の命はありません。……では、出口で待っていますよ」
そして通信は切れた。利根川が喋っている間、青空は遂に一言も発さなかった。観念した、とでもいうように。




