師弟激突
(本物の、十宗使徒……!)
遂に自分の目の前に現れた正真正銘のテロリストの姿に、蓬生は慄いた。
殺意にぎらついた表情、全身から迸る殺気、何よりも「殺しに来た」という宣言。
紛れもなく疑う余地のない殺し屋がそこにいた。
「やっとテメーをブチ殺せる……この時をずっと待ってたぜ」
さっさと攻撃に移れば良いものを、忌島は高揚した気分に引きずられるように自分語りを開始した。
「あの日から、俺はずっとテメーを殺すことだけ考えてきた。24時間365日寝ても覚めてもずうっとなぁ。ようやく……今日ようやくそれが果たされる。覚悟しとけ青空ぁ、テメー楽には死ねねぇぞ」
(この男、青空爽との間に相当な因縁があるようですわね)
青空の背後から恐る恐る忌島の姿を覗き見つつ蓬生は思考する。一般的なテロリストというものは「集団の目的の迅速かつ的確な遂行」を最優先にするものだ。今回のケースに当てはめれば、七導師の抹殺を一分一秒でも早く成し遂げることがそれに該当する。
にも関わらず忌島は私怨も露骨な自分語りに落ちている。おまけに楽には殺さないときた。忌島が集団の目的よりも己の目的を優先させていることは明らかだった。
そんな忌島を前にして、青空の第一声は蓬生が予想だにしないものだった。
「すまない」
ぽつりと呟くような青空の声。
(もしかして……命乞いでもする気ですの? どう見てもそんな交渉が通じる相手には見えませんわよ?)
蓬生の考えた通り、青空の意外な態度に忌島はむしろ苛立った様子でがなり立てた。
「テメーふざけてんのか? 今更そんな安い詫びでどーにかなるわけねーだろ! テメーに選択権なんかねーんだよ。テメーにできんのは、俺に嬲り殺しにされ……」
「勘違いしないでくれ」
額に青筋を立てた忌島の怨嗟になどまるで興味がないという風に、青空は相手の言葉を遮った。
「すまないと言ったのは、君の顔に心当たりがまるでないということに対してだ。知っての通り僕は敬虔な宗教者でね、信仰生活に不要なものは極力排除するようにしているんだ。君の言う通り、僕らが過去に出会っていたとしても、思い出せないということはきっとその記憶は捨ててしまったのだろう」
忌島の顔から表情が消えた。構わずに青空は続ける。トドメの一言を。
「まぁ僕としては全く惜しくはないけどね。本人を前にしても思い出せないなんて、きっと取るに足らないゴミ同然の出来事……」
「◆ω\§÷※〒☆℃√≠∞!!!!!」
腹の底から奇声を咆哮した忌島が思い切り壁を殴りつけた。
その威力は凄まじく、辺り一帯を震撼させた上に壁には蜘蛛の巣状のヒビが刻み込まれた。
「心配いらないよ」
そんな人間離れした化物を目の前にして、そればかりか圧倒的な憎悪を向けられて尚、青空は飄々とした表情を崩さない。忌島から完全に目を離し、背後の蓬生に振り向いた。
「これは結末の決まっている物語なんだ。主人公は君で、あの男はやられ役の悪者さ。どちらが勝つかなんて、考えるまでもないだろう?」
またそんなことを言って忌島の怒りが更に爆発するのではと危惧した蓬生だったが、しかしそうはならなかった。波が引いていくように、忌島の身体が虚脱していく。そして不気味な笑い声をあげ始めた。
「ひひひ……そーかいそーかい、分かったよ」
蓬生の中で、本能的恐怖の数値が加速度的に上昇していく。忌島と出くわして一分かそこらだったが、この男の危険度は今が一番高いと蓬生は悟った。
憎しみ、怒り、苛立ち。忌島の中でばらばらだった負の感情が取り付く島もない青空の態度によって一つに収斂され、集約され、純度を増して途方もない破壊衝動の源泉へと昇華していくのを感じる。
「実はよぉ、俺、迷ってたんだよ。仮にもあんたは俺の恩人だ。あんたが心の底から詫びるってんなら、まぁボコボコにするくらいで許してやろうと思ってたんだわ。けど、吹っ切れたぜ……殺す。テメーは今ここで、最悪に殺してやる!」
忌島が臨戦態勢に入る。純度100%となった殺意は、青空の命を奪うまでもう止まることはない。その過程で周囲の人間を巻き添えにしたとしても、その死体は彼の視界にすら入らない。忌島は、破壊衝動の権化となった。
そして、その境地に至った忌島を目の当たりにして、それでも青空は眉一つ動かすことなく悠然と佇んでいた。
☆
忌島は高校に入学して間もない頃、地元である広島県北部の田舎町の寂れた歓楽街で青空と出会った。ゴロツキに絡まれていた仲間を助けようとしたところ返り討ちに遭い、袋叩きにされていたのを青空に助けられたのだった。
青空の力は圧倒的だった。ゴロツキは十人以上おり、それぞれがかなり喧嘩慣れしている様子だったが、全員がものの数秒の内に叩きのめされた。
五歳児並みの単純さを誇る忌島にとって、そんな青空の姿はヒーローそのものだった。
その場で忌島は青空に弟子入りを志願し、青空が所属している宗教団体に入信した。ついでに入ったばかりの県下有数不良校も退学した。
二年後、事件は起きた。教団内でクーデターが発生したのだ。近年、徳を積むことを目的に武道の修業を行う「敬虔派」と武道の修業で得た力を金儲けに利用しようとする「現世利益派」の軋轢が深刻化していたのだが、とうとう現世利益派が一斉蜂起し敬虔派は一人残らず教団を追放された。その中には青空も含まれていた。
新体制となってからも、忌島は教団に残った。青空との別れは残念だったが、その時の忌島は師への忠誠心よりも自身の力への陶酔が勝っており、新体制の教団でその拳を振るう道を選んだのだった。
だが、拳一つで生きていけるほど権力闘争の世界は生易しくはなかった。己の力に酔い、尊大に振る舞う忌島は教団内で厄介者扱いされるようになった。そんな時、教団に届いたロワイヨム・エトワーレ襲撃作戦への参加要請。渡りに船だと、幹部連中はほくそ笑んだ。十宗使徒とかいう寄せ集めの集団など、準備万端で待ち構える相手に歯が立たず惨敗するに決まっている。ならば忌島を送り込み、討ち死にしてきてもらおう。丁度、青空爽がブログで自分たちをくそみそにこき下ろしていたので忌島にそれを見せる。宗教浄化から年月が経ったとはいえ、宗教界への厳しい風当たりは今も続いている。俺たちに吹き付ける風は青空が起こしている。あいつは俺たちを売ってのし上がったんだと幹部連中は忌島に吹き込んだ。狙い通り忌島は憤慨し十宗使徒に志願。そして今に至る。
☆
前触れなく、忌島は地面を蹴った。
予備動作のないその跳躍は彼を一秒に満たない速さで青空の懐へと到達させる。修練に次ぐ修練によって、極限まで肉体を磨き抜いた者のみに可能となる駆動だ。
そこから更に青空の下顎めがけて爆速のアッパーを繰り出す。この一連の動作に対応できた人間は教団内はおろか、今までに対戦してきた敵の中にもいなかった。
それを、青空爽は難なくいなす。
「うん、狙いとしては悪くない。下手に死角を狙いに行くよりも、敢えて真正面から飛び込み意表を突いた方が攻撃がヒットする確率は高いからね。けどまぁ、50点かな」
忌島の放った渾身の右は、飛んできたゴムボールを掴むような柔らかさで青空の左手に吸い込まれ、完全に力を殺がれた。
(マジかよ……踏み込み、跳躍、突進、侵入、殴打、一連の俺の動作は完璧だった。段位で言やぁ文句なしの十段級。それを……。まぁいいや、むしろこのくらいじゃねーと張り合いがねぇってもんだ)
「50点だ? そんな高得点初めて貰ったぜ。ありがとよ!」
喧嘩は勢い。一気呵成。それを信条としている忌島は初撃の不発を打ち消すように二発目の左を青空の顔面めがけ打ち込む。
だがそれよりも早く、青空の蹴撃が忌島の身体を間合いの外へと吹き飛ばした。
「褒めたつもりは全くないんだけどね。やはり異教徒の考えは理解できない」
やれやれといった調子で青空は大袈裟に肩をすくめてみせる。忌島の繰り出した初撃、二撃は間違いなく達人級のものだったが、しかしそれは青空の余裕さえ崩すには至らなかった。
しかし対照的に、青空の後ろにいる蓬生の心中は狂乱状態である。
(な、何ですの今の出来事は……とても現実とは思えませんわ……)
忌島の人間離れした身体能力は、もはや人間を殺傷する兵器の領域だ。それを軽くいなす青空も同等かそれ以上の戦闘能力を有していることは間違いない。もしも彼らの攻撃が自分に当たることがあれば、命の保証などありはしないだろう。
(けれど、これはチャンスですわ。青空の注意が戦闘に向いている今なら……今、なら……)
全力で走れば逃げられるかもしれない。
分かっていても、蓬生の足は動かなかった。このたった数分間で、蓬生の精神は青空に蝕まれ、支配されてしまっていた。確かに青空は蓬生に対しては優しい態度を取っているが、それは蓬生が表面上従順に振る舞っているからであり、もし反旗を翻したならばどういったことになるか。考えただけで身体が震えてしまう。
「大丈夫だよ」
青空が振り返り、爽やかな笑顔をくれる。蓬生に絶望と恐怖を植え付ける笑顔を。
「クロエは僕が守るから。だから、決して僕の後ろから動いたりしちゃあだめだよ。いいね?」
蓬生の足をその場に縫い付けるのは恐怖。心を苛むのは、悔しさともどかしさと、そして情けなさ。
(あたくしは何と惨めなのかしら……こんなところで油を売っている暇などありませんのに、どうして……どうしてあたくしの身体は動いてはくれませんの!)
蓬生が自分の非力を呪い唇をかみしめた、その時だった。
「蓬生! どこだ!」
どこかから、巽の声が聞こえた。
声は遠かった。決して近くはなかった。
それでも、その声は蓬生に絶大なる勇気を与えた。恐怖に凍り付いた心に、希望の灯をともした。
「ここですわ! あたくし、ここにいますわ!」
気がついた時には、蓬生は駆け出していた。今の今まで微動だにしなかったのが嘘のように、両足は軽やかに地面を蹴ってその身を運んでいく。
「待て! 行ってはだめだ! 僕から離れて生き延びられると思っているのか!」
青空の声が追いかけてきた。焦りと苛立ちでささくれまくっている。忌島の攻撃は平気で受け止めるくせに、大事なお人形が逃げ出すことは耐えられないようだ。
蓬生は立ち止まる。青空の言葉に翻意したから、などではもちろんあるわけがない。
「あおいにくさま! あたくし、あなたのお人形になんかこれっぽっちもなるつもりはなくってよ! 上枝家長女・上枝蓬生に対する無礼の数々、いずれきっちり質しますので、覚悟していらして!」
びしっと人差し指まで突きつけ、今度こそ蓬生は青空の前から走り去った。
取り残された青空は、戦闘中なのも忘れて蓬生が去った方向を呆然と見つめていた。




