私の王子様
☆
「お前、青森だろ」
昨晩、眠れなさにアジトの周囲をぶらついていた宝生は、月明かりの下で酒をあおっている奥州に出くわした。宝生が何か答える前に奥州は上機嫌で言葉を継いだ。
「都会人っぽく振る舞ってたけどよ、生まれ故郷の響きは言葉の端々に出ちまうもんだ。それに宝生家って言やぁ、野辺地のあたりじゃ名の通った商家だ。そんないいとこの坊ちゃんが、何でまたこんなトコに来ちまった?」
「昼間にも言ったが、捨てた過去だ。宝生家など、もう己には関係のないものだ」
そう切り捨てながらも、宝生は奥州の前に腰を下ろした。話し相手を探していたわけではないが、他にすることがあるわけでもない。それに奥州は鬼頭の討伐で共同戦線を張る相棒だ。何か有用な話ができるかもしれない。
だが、酔っ払い相手にそんな打算は早々通用しなかった。
「そうかそうか、お前もそのクチか。実は俺の息子もな……」
宝生が腰を下ろして十秒も経たない内に始まったのは奥州の昔話。息子を次期棟梁にしたかったこと、反抗した息子が里を出て行ったこと、宗教浄化の渦中で息子が命を落としたこと、そしてその時のことを未だに悔やんでいること。
「覆水盆に返らず。今更何をどうやったってあいつは戻って来ねぇ。けど、あいつみてぇな奴を助けることはできる。それが宝生、お前だ」
「助ける? それはどういう意味だ? 己たちは明日、命を投げ捨てて聖戦に臨むのだ。その瀬戸際になって、一体今更何をしてくれるというのか?」
「死にたくねぇんだろ」
その一言は砲弾のようにズドンと宝生の胸の一番深いところに着弾した。思ってはいた、しかし幾重にも蓋をして心の奥底にしまい込んでいた純粋な感情。
生きたい。終わりたくない。奥州のたった一言で、その感情は熱を持ち瞬く間にせり上がってきた。
「初めてお前に会った時から、何か無理してんなと思ってたんだ。強くあろう、勇敢であろうと虚勢を張ってるみてぇでな。俺の息子そっくりだ。あの時、電話口であいつは本当は助けを求めたかったはずだ。けど、しなかった。生意気にも俺を守ろうとしやがった。自分を貫き通して、あいつは死んだ」
「立派なことじゃないか。それこそ、男の生き様だ」
「何が立派だ!」
大嵐がプレハブ小屋を吹き飛ばすように、宝生のちっぽけなポーズは奥州の一喝で粉砕された。二の句が継げない宝生に、畳みかけるように奥州は言う。
「死んじまったんだぞ! 未来がなくなったんだぞ! せっかく自由になって、これからやりたい事が一杯あっただろうよ。それはな、こんな俺なんかのために投げ捨てていいもんじゃねぇんだよ!」
奥州の身を案じて死を決意した虎太郎。教団の代表として、命を賭して戦おうとしている宝生。何かのために命を差し出している若者二人が、奥州にはダブっているのだろうと宝生は思った。
正直、逃げ出せるものなら今からでも逃げ出したい。けれど、この腕輪によって自分は生殺与奪を御人形様に握られてしまっている。助かるにはもう、七導師を皆殺しにして任務を完了させるしかない。
「宝生。戦いの先輩として一つ、教えておいてやる。戦場では、時折全く予期せぬ事態に出くわすことがある。もしも……」
息子によく似た青年に向けて、奥州は心からのメッセージを送った。この語らいが後、戦いの最終局面において絶大な意味を持つことになるのだが、無論二人はそんなこと知る由もない。
☆
(考えろ、考えろ、考えろ……!)
籠絡女豹を殴り飛ばした宝生は、未だかつて経験したことのない狂熱に荒い息を吐きながらも、この状況を切り抜けるための思考を懸命に積み重ねていた。
(今己が見ていた入広瀬の姿は恐らく奴が生み出した幻……つまり奴は催眠系の能力者。敵を眠らせてその隙に攻撃するような奴なら、基礎戦闘能力はそれほど高くないはずだ。ならば己にも勝機はあるという道理……!)
宝生の中には二つの選択肢があった。一つは目の前の女を打倒すること。もう一つは、この建物から脱出し、態勢を立て直すこと。
籠絡女豹の狼狽した様子から、自分程度の戦闘員でも十分に勝ち目はあると宝生は踏んでいた。無論、相手もそれなりの修羅場を潜っている人間であるから、この狼狽すら罠という可能性もあるが、そんなことを考えていても堂々巡りだ。
だが、この女を倒したところで、この先には更なる強敵が待ち構えていることだろう。中でも、十宗使徒最強の実力者である徒花と互角に渡り合った自動人形と出くわしてしまったら完全に詰みである。
今、宝生の目的は、鬼頭を始めとする七導師の討伐から「己の生存」へと完全にシフトしていた。それを達成するために、今この場でするべきことは何か。思考のエンジンをフルスロットルで回し、彼が辿り着いた答えは第三の選択肢だった。
(この女を今ここで倒し、その上でビルから脱出する!)
機をうかがっているのか、間合いを測っているのか、籠絡女豹は未だ攻撃してくる気配を見せない。罠である可能性は充分承知した上で、このような消極的な相手は撃破可能と宝生は断定した。高を括るのではなく、腹を括った。
いつしか上の階からの音は止んでいた。それが何を意味するか、宝生には痛い程分かっていた。奥州は負けた。そして、彼を打倒した敵が間もなくここにもやってくる。猶予はほぼない。目の前の女を秒で倒して、生存への道を走り出すのだ。
「ふふっ……ふふふっ……」
意を決して攻撃に転じようとした宝生の耳に、不気味な笑い声が響いた。
それは顔を歪めて笑う籠絡女豹の口から漏れ出ていた。まるで死霊の呼び声のような気味の悪さが全身を包み、思わず宝生は立ち止まる。
「やっと……やっと見つけた……」
今や狼狽の色など欠片も残っていない笑みを宝生に向ける籠絡女豹の素顔は、お世辞にも美人とは言い難いものだった。そんな彼女の顔が、次の瞬間には宝生の目と鼻の先にあった。
(なっ……瞬間移動?)
攻守逆転、一気に青ざめた宝生の頬を籠絡女豹は優しく撫でた。
「ねぇ、あなた今私を倒せると思ったでしょ? それとも隙を突いて逃げようとしたのかしら? それは無理よ。私は籠絡女『豹』。スピードには自信があるの」
恍惚の表情で籠絡女豹は宝生の顔を撫でまわす。昨日のオカマといい、何故己はこんなのとばかり出くわすのだと宝生は歯噛みした。
「逃がさないわよ……だってあなたは、私の王子様だもの」
「……は?」
「あなたがさっき見ていた幻は私の能力なのだけど、恨めしいことに常時発動状態でコントロール不可なの。だからみんな私の虜になるのだけど、でも誰も私を見てくれなかった。退屈で、寂しかったわ」
唐突に始まった自分語りに困惑しつつも、宝生はどうにか隙を伺おうとする。が、籠絡女豹の全身から発せられるヤンデレ女というか、地雷女オーラの悪寒が邪魔をして思考がまとまらない。
「そんな呪われた運命を背負った私を、あなたは見つけてくれた。あなたに殴られた瞬間、私は恋に落ちたの。あなたは私の王子様。死ぬまで、死んでも離さないわ……」
全身を悪寒に包まれながら、宝生は昨晩の奥州の言葉を思い出していた。「戦場では、時折全く予期せぬ事態に出くわすことがある。もしもそうした事態に出くわして、それが生存に繋がると思ったなら、乗れ。流れに乗れ。例えそれがどんなに不本意なことであったとしてもだ」。考えるまでもなく、今この状況のことだった。
「結婚しましょう」
宝生の目の前で、籠絡女豹の満面の笑みが咲き誇る。気色悪い。正直、吐きそうなほど気色悪い。だがこれは紛れもない生存のチャンス。この絶望的な戦場では、巡ってきたチャンスを吟味している余裕などない。掴む、一択だ。
「ああ、宜しく頼む」
かくして、十宗使徒・宝生十色は悪夢の手引書・籠絡女豹からのプロポーズを受け入れた。直後、濃密なキスが彼の口を塞ぐ。激しい眩暈に襲われながら、宝生は奥州を思った。
(奥州氏……己、何とか生き延びたぞ。けど、別の意味で死にそうだ……)
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オフィスエリア事務所ビルにおける鬼頭紫紅討伐戦。
戦闘員1・奥州熊伍郎、自動人形に敗れ死亡。
戦闘員2・宝生十色、籠絡女豹の捕虜となる。生存。
標的・鬼頭紫紅、無傷で生存。
作戦失敗。




