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俺が生きる意味



 ☆



 それは今から十三年前の冬、クリスマスイブの日のことだった。

危険宗教規制法に基づく宗教団体への弾圧が本格化し、一部地域では治安の深刻な悪化などの影響が出ていたが、それ以外の場所は例年と変わらない暮れを迎えていた。

岩手県の山奥深くで生活を営む山奥正宗にしても、外界と隔絶しているという理由からガサ入れの順番はずっと後の方であり、信者たちは平穏な年末を過ごしていたのだった。


 その日、奥州は役人との会合に出席するため最寄りの町である岩泉町を訪れていた。変わりのない日常が続いているように思えても、見えないところで最悪のシナリオが着々と進行しているのは事実であり、だからこそ奥州は仲間たちがいつまでも変わらない日常を送れるよう、精力的に役人や役所への根回しを行っていたのだった。


 役人との会合が無事に終了し、帰路に就こうとした奥州を事務員の女性が呼び止めた。

東京の息子から電話がかかってきている、と。


 奥州は首を傾げた。

確かに東京には奥州の一人息子である虎太郎(とらたろう)がいる。だが彼は棟梁を継ぐどころか山奥正宗自体を拒絶し、三年前に無断で里を出て行ったきり音信不通だったのだ。

里には電話がないためここにかけてくること自体はおかしくないが、そんな出奔の息子が丁度父親が町にいるタイミングで電話をするというのは、不可解な話だ。


「俺だ。虎太郎か?」


 腰の引けた様子の事務員から受話器をひったくると、奥州はぶっきらぼうに訊ねた。

虎太郎は里を出る前、散々山奥正宗を罵倒していた。奥州がそれを咎め、叱ったことは数えきれないが、虎太郎は全く意に介さず、出て行くときには捨て台詞のような書置きまで残していったほどだ。ゆえに、金に困るなどの窮状に陥ったとしても、地元に連絡を寄越すことなど考えられなかったのだ。


「おい、返事くらいしたらどうだ。用があってかけたんだろう」


 どういうわけか、虎太郎はうんともすんとも言わない。

質の悪いイタズラと断じ、奥州が受話器を置こうとした時だった。


「……まだ生きてたのか。しぶてぇ野郎だな」


 とても息子のものとは思えない、しかし息子のものに違いない声が受話器から届いた。

奥州が二の句を継ぐ前に虎太郎は続ける。


「いよいよそっちの方にも本格的なガサ入れが始まるっつーから、もしかしたらもうぶっ殺されてんじゃねーかと思ったが、期待外れだったぜ」


「おいテメェ、自分が何言ってっか分かってんのか……」


 事務員の女性が思わず逃げ出すほどの威圧感を滲ませた奥州だったが、しかし受話器の向こうの虎太郎は飄々と嘯く。


「ああ分かってるぜ。俺は里を永久追放処分になってて、親父とはもう親でも子でもないってことはな。だから遠慮なく言わせてもらうぜ。無駄な根回しなんかしてねーで、一生山ん中に閉じこもってろバーーーカ」


「……それが、お前の本音か」


「俺はいつだって本気だよ。俺が親父に嘘ついたことあったか? ねーだろ。これが俺の本音なんだよ。そんじゃーな、俺は俺で楽しくやらせてもらうぜ」


 勝ち誇った虎太郎の笑い声の余韻は、通話が切れた後も奥州の耳朶から消えることはなかった。その後のことを奥州はよく覚えていないが、里に戻った彼は虎太郎に縁のあるものを片っ端から壊し尽くした。自分の人生のすべてといっていいこの里にあらん限りの罵声を浴びせてのけたのが他ならぬ血を分けた息子だという事実が、発狂しそうなまでに奥州を苛んだ。


(何がいけなかった? 俺はどこで間違えた? 分からない……分からないが、ただひたすらにあいつが憎い。あんな屑は、断じて俺の息子ではない!)



 ☆



 しかし、真実は真逆だった。

虎太郎は、父親を、山奥正宗を守ろうとしていたのだ。それも、命を賭して。


 宗教浄化が順調に進展し、公安は次なる標的に山奥正宗を選んだ。

だが、山の奥深くに息づく彼らの足取りを追うことは困難が予想された。

そこで公安は恐ろしい作戦を実行する。頭領である奥州熊伍郎の一人息子である虎太郎を人質に取り、その身柄と引き換えに教団の解体を要求しようとしたのだ。虎太郎の身柄を拘束した彼らは、奥州が来訪しているとのリークがあった岩泉町役場へと電話をかけさせた。後は虎太郎が奥州に泣きつくのを待つだけだった。


 その最終段階で、虎太郎は反逆した。


「まだ生きてたのか。しぶてぇ野郎だな」とは、殺されていなくてよかったという安堵。


「いよいよそっちの方にも本格的なガサ入れが始まる」とは、捜査の手が近くまで及んでいるから気をつけろという助言。


「里を永久追放処分になってて、親父とはもう親でも子でもない」とは、自分をどうこうしたところで山奥正宗は動かないという公安に対する宣言。


「無駄な根回しなんかしてねーで、一生山ん中に閉じこもってろ」とは、無暗に動き回ると危ないから、安全なところにいてほしいという懇願。


「俺はいつだって本気だよ。俺が親父に嘘ついたことあったか?」とは、奥州の無事を、心から願っているという別れの言葉。


 クリスマスの朝、奥州虎太郎は道端で死亡しているところを発見されたが、事件性なしの自殺と処理され、連絡手段がないという理由でそれが奥州に知らされることもなかった。

そして月日は流れ、今年の春、奥州の元に送られてきた虎太郎の死の真相を告発する文書とビデオテープによって、彼は十三年越しに息子の真意を知った。虎太郎を公安に売ったのが現在のアンジュ・デ・ポームだということも。

奥州は決意した。最愛の息子を破滅へと突き落とした連中に、自らの手で裁きを与えてやるということを。



 ☆



 筋肉が裂け、血管が破れるのを感じながら、しかし奥州は望むところとばかりにリミッターの外れた左拳を裂刀南瓜の鳩尾に叩き込んだ。


「げほあぁっっ!」


 彼女は自動車にはね飛ばされた幼児のように血飛沫を吐き散らして吹っ飛び、シャッターに激突して床に崩れ落ちた。


「ひっ、ひいぃぃぃっ!」


 恐怖のあまり失禁した可憐毒花の足首を鷲掴み、ふわりと浮かせたかと思うと大木槌の要領で振り下ろし叩きつけた。固いものが衝突した振動が奥州の手に伝わる。可憐毒花は糸の切れたマリオネットのように四肢を投げ出して転がり、ぴくりとも動かなくなった。


 瞬く間に悪夢の手引書のふたりを屠った奥州だが、彼はそれには目もくれず歩み始める。ほどなくしてシャッターが立ち塞がる。彼の標的である鬼頭紫紅の元へとたどり着くには、このシャッターを突破しなければならない。


「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 奥州は咆哮すると、一心不乱にシャッターを殴り始めた。

両腕ともに肉体の限界を超越しており、筋肉が裂けたり血管が破れるどころか、このまま殴り続ければ胴体からもげてしまいかねないという段階にまで達していた。

それでも彼は止まらない。命を賭してまで救ってくれた息子に報いることができなければ、自分という存在に何の価値があるだろう。何の意味があるだろう。息子を死なせてしまった罪悪感はあまりにも重く、復讐という目的を追っていなければ奥州の精神は崩壊してしまいそうだった。復讐だけが、奥州の生きる意味だった。


 遂に分厚いシャッターの表面にひびが入った。奥州はそこを狙い撃ちにして穴を貫通させると、瞬く間に押し広げて密室からの脱出を果たした。

この建物は七階建てで、鬼頭のオフィスは最上階にある。事前に見取り図を確認していた奥州は、ひとつ大きく息を吸い、そして目的地へと走り出した。

自分の命がもう幾ばくも無いことは理解している。その前に、何としても鬼頭だけは仕留めなければならなかった。実質的に教団を支配しているあの男だけは。


 四階、五階、六階と駆け抜け、とうとう奥州は最上階に到達した。階段の場所から社長室の扉が見える。逃走されてしまっていなければ、鬼頭はそこにいる。


 その扉の前に、一人の女が立ち塞がっていた。


(自動人形……徒花の言っていた、裏世界最強のボディーガード……)


 赤いスカジャンにデニムのショートパンツ、セミロングの髪に無表情な顔。見てくれは街をぶらついている女子大生か専門学校生そのものだが、裏の世界では外見で実力を測ろうとするなど愚の骨頂であると当然奥州は知っている。


(奴が敵の戦闘員を束ねるリーダー。さっきの南瓜女とは別格と思った方がよさそうだ。だが、俺にはもう時間がねぇ……)


 奥州は胸元に忍ばせた虎太郎の位牌をそっと握った。


(もうじき俺もお前のとこに行くからよ……とりあえず酒飲んで、お互い気が済むまでとことん語り明かそうや……けどその前にもう少しだけ、ほんの数分でいい……暴れさせてくれ)


 奥州が位牌を逆さまにすると、中から真っ赤な錠剤が五粒ほど出てきた。奥州はそれをまとめて口に放り込み、がりがりと噛んで飲み下す。

服用後数分で死に至る代わりに、身体能力を1000%強化する劇薬「魔神」。山奥正宗が古来より保ってきた独自の文化の中でも、最大の禁忌とされている秘薬である。

その効果はすぐに現れた。まるで風船のように奥州の身体が膨張していく。


「ハァ……ハァ……さぁ奥州熊伍郎最期の宴だ。ド派手な花火を打ち上げてやるぜ……行くぞ、小娘ぇえええええええええええええええええええええええええええええ!」


 その突進を表すには砲弾という表現では足りず、弾丸という表現でも足りない。

隕石。それはもはや隕石の直撃だった。食らったが最後、原形を留めるどころか、跡形も残らないだろう。しかもこの攻撃は発動から僅か一秒で自動人形に到達しうるのである。


「何それ」


 だが、それほどの脅威を目の当たりにして尚、自動人形はそのつまらなそうな表情を筋一つ変えることがなかった。

発動から到達まで一秒もかかる攻撃など、彼女にしてみればそれしきの脅威でしかなかった。


「せいぜい、線香花火ね」


 懐に潜り込んだ自動人形がロケットのような右ストレートを放つ。それは奥州の膨張した筋肉と骨の鎧を易々と突き破り、軽々と心臓を粉砕した。それで、今度こそ正真正銘の終わりだった。落下した奥州の身体が泥人形のように砕け散る。そこにはもう、怒りも、絶望も、何の感情も残ってはいなかった。


 そんな奥州の屍など、自動人形は見もしない。

彼女が今見据えるのはただ一人。それは十宗使徒どころか裏社会の人間ですらない、一介の高校生だった。三日前の夜、彼女が凡そ喫するはずのない敗北を味わった少年。


「氷神透。今度こそあなたを倒す」


 それが、今の自動人形の生きる理由だった。

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