変人、変人、また変人
5
「あーもう!いつまで歩けばいいのよ!私別に山歩きしに来たわけじゃないんだけど?」
「嫌なら帰れ。帰れるもんならな」
美闇たちが奥州と合流して三十分。
最初こそ大人しくしていた美闇だったが、いい加減我慢の限界だった。
美闇は元いじめられっ子で引きこもり気味でオタクではあるが、しかし自己主張のできないタイプというわけではない。むしろその逆で、納得いかないことや不条理にはガンガン噛みついていく性分だった。
それが災いして高校時代に攻撃の的となってしまい、順調な人生のレールから脱落してしまったのだが、それでも気の強さは未だ健在だった。
「帰れ? はぁ? もしかしてそれ本気で言ってんの?」
奥州と会ってこのかたエンジンがフルスロットルで回りっぱなしの美闇は、二メートルを超す大男を相手に全く怯みも竦みもせずに罵倒の雨あられを降らせまくった。
「か弱い乙女をこんな山奥に置き去りにしたらどうなるか、それすら分からないほど想像力に乏しいってわけ? 馬なの? 鹿なの? 足して二で割って馬鹿なの? いかにあんたが体格と体力を武器にしてるっていっても、そっちにステータス全振りしちゃって脳味噌の程度が小学生レベルにも達していないんじゃまるでお話にもならないわね」
奥州は答えない。答える価値も意味もないとばかりに、淡々と歩を進める。
つぐらは美闇の罵詈雑言が珍しいのか、「ミヤちゃん早口言葉じょうずだにゃ~」と笑っている。
こっちは大真面目だっていうのに。
二人のその反応で、美闇は更にヒートアップしていく。
「まぁでも? 馬鹿に過大な期待をかけるのもまた馬鹿のすることだし? とりあえず三十分くらい休憩しましょうよ? いくらなんでも、それすらできないほど目的地が遠いってことはないでしょ?」
「その辺にしといた方がいいんじゃねえのか?」
奥州が立ち止まり、顔だけ美闇の方に向ける。ギャアギャアやかましい黒装束女なぞ見るのも嫌だと言わんばかりの態度だったが、しかしその眼光は美闇程度の相手であれば一瞬で黙らせてしまうほどの圧力を秘めていた。
「日本は法治国家だが、しかし俺たちはコンピュータのプログラムじゃない。意思ってやつを持っている。管理の行き届かない場所では法を無視して我を通すことができるんだ。そう、まるで役に立ちそうにないが口ばかり達者な小娘を縊り殺して谷底に捨てたり、とかな」
嘘ではない。脅しやはったりというわけでも。
奥州の胆力が、その事実を強引に美闇の頭にねじ込んだ。
この大男は、その気になりさえすれば美闇の息の根など一瞬で止め、永遠に黙らせてしまうだろう。
そして死体を崖下に捨てるか、もしかしたらそのまま放置して何事もなかったかのように先へ進むかもしれない。
残された美闇は虫や動物や鳥の餌となり、数日のうちに先程の白骨死体とそっくりの躯となり果てる。
何の意味も成果も伴わない死。言い逃れの余地の全くない無駄死に。
そうなるわけには、いかない。死ぬにしても、目的を果たしてからだ。
「……じゃ、じゃあ、目的地まであとどれくらいかだけでも教えてよ。残りの距離も分からずに歩きっぱなしじゃ、ペース配分もできないじゃない」
精一杯の虚勢を込めて放った美闇の言葉に、しかし奥州はため息をひとつ吐いただけで再び顔を背け歩き出してしまった。
奥州にとっては、こんな数時間の山歩きなど散歩のようなものだ。都会人の感覚でいえば、運動のために一駅歩こうとか、その程度のものでしかない。彼はその気になれば、青森から山口まで本州を一睡もせずに歩き通すことだってできる。
それはつぐらにしても同じ。彼女は猫神教の拠点がある長野県栄村の山奥で、猫に育てられた経歴を持つ。
猫の母親に猫の兄妹。狩りに喧嘩に木登り。猫の運動能力を持ち、それを身につける過程で人間としての体力も増幅され、結果として五宝木つぐらは十歳にしてオリンピックアスリートに匹敵する身体能力を有していた。そんな彼女の真骨頂はまた別にあるのだが、それは大事な切り札。「使う時」までとっておく。
「まぁまぁ、仲良くするにゃ。あ、そうだ! おじさんがミヤちゃんをだっこしてあげればいいんだにゃ!」
悪気はないのだが、それゆえに神経を逆撫でするつぐらの言葉に、美闇と奥州は「絶対イヤ!」「あり得ん」と同時に切って捨てた。
「にゃあ……いい案だと思ったのに……あ、みてみて!あそこに誰かいるにゃ!」
前方に何かを発見したらしいつぐら。その明るい声に、しかし美闇は先程の白骨を思い出してしまい顔をしかめた。
(今度は正体を聞いたうえで見よう。そしてさっきみたいなのだったら見ない)
警戒を強める美闇を尻目に、つぐらと奥州は歩を早め、目標に近づいてゆく。
つぐらが見つけたのは、今度は生きている人間だった。若い男性だ。
つぐらたちの姿に気づいた彼は、両手を広げて馴れ馴れしく話しかけてきた。
「やぁやぁこれはこれは、随分と時間がかかったじゃあないか」
鼻にかかった喋り方。溢れ出す自己愛とナルシシズム。
自分大好き人間だと美闇が判定を下すのに、一秒もかからなかった。
そんな男の態度など特に気にした様子もなく、言葉を受け取った奥州が前に出る。
「誰かと思えば宝生か。こんなところで何油売っている? とっくに集合場所に着いている頃だろう」
宝生は苦笑いすると、肩まで届くサラサラの長髪を撫でつけながら答えた。
「いや、何。そこに、崖の向こう側へ渡るためのリフトがあるが、いつワイヤーが切れてもおかしくない状態だったのさ。己が乗った直後に切れてしまったら、後から来る君たちが乗れなくなってしまうだろう? そこで寛大な己は、こうして君たちが到着するのを待っていたというわけさ」
宝生はさも得意そうに両手を広げて笑った。
宝生十色。九龍PSI研究所の代表者だ。
九龍PSI研究所はその名の通り、サイキックなどの超能力を修業や学問によって身につけることを売り文句にしていた団体だった。そのあまりの胡散臭さゆえに世間からは完全にインチキ扱いされていたが、しかし信者数は多く、東北・関東を中心に二十以上の拠点を持つ新興宗教界の成長株だった。
しかし派手に動き回った分、資金集めの方法などで槍玉にあげられることも多く、最後は詐欺師集団の烙印を押され解散処分となった。現在は僅かな残党が地下活動をしているのみだ。
溢れる俺様オーラに顔を引きつらせつつも、美闇は宝生という男を観察する。
この男もまた、珍妙ないでたちだ。トリートメントのCMに出演できそうなほどサラサラな長髪は、美闇から見て左半分の前髪が特に長く、顔の半分を覆い隠していた。
ゴーグルのようにごついサングラスを装着し、スリムな身体は白と赤のバイクスーツでびしっと締めている。本人はかっこよさを極めたつもりなのだろうが、しかし特撮だかSFの宇宙警備隊のコスプレにしか見えなかった。
(また暑そうな格好の奴が出てきた……何? これって我慢大会?)
これが正装なのか、本人の趣味なのかは美闇の知るところではないが、しかし服のことは話題にしないでおこうと彼女は決心した。うっかりスイッチを押してしまい、どうでもいいこだわりの話を延々とされてはたまらない。
「さぁ、それではリフトに乗ろうじゃあないか」
オーバーな仕草で美闇たちを促す宝生。そんな彼の態度に、美闇は違和感を覚える。
その正体に気付く前に、つぐらが短刀を直入した。
「なーに言ってるにゃ。つまり一人で乗るのが怖いから、つぐらたちが来るのを待ってただけにゃん?」
宝生が、笑顔のまま固まった。図星だった。
そんな彼の心情など全く無視し、つぐらはとどめの一言を放つ。
「こわがりなおにーさん! かっこわるーい!」
鼻で笑うつぐらを見て、この子こんな意地悪な顔もするのねと美闇は感心した。そりゃまープレイヤーに都合よく作られたゲームのキャラではないのだから、毒も吐けば辛辣な言葉だって吐くだろう。
けれどそれは裏を返せば、心が通った時に温かい言葉を交わすこともあるということだ。あの事故(美闇は断じて事故ではなく事件だと確信しているが)が起こる前の美闇とこゆりのように。
(そんな相手が、こいつらにもいるのかしら……)
猫娘に、熊男に、宇宙警備隊。そしてまだ見ぬ六人の同志。
こんな学芸会みたいな、というか学芸会にしか見えない集団だが、やろうとしていることはテロという重大犯罪で、それだけに一人ひとりが強い気持ちを持っているはずだ。
(全然そんな風には見えないけどねー)
冷や汗を流して詭弁を弄する宝生に、それをばっさばっさと斬り捨てるつぐら、脇で黙っている奥州。
彼らを見て、ここ本当に十宗使徒で合ってるわよね?と美闇は若干不安になった。
「舐められたものだな」
今まで黙っていた奥州が笑みを含みつつ口を開く。
「リフトが切れたら? 何の問題もない。歩いて谷を越えるだけだ。多少到着が遅れることにはなるが、ペースを上げれば集合時刻くらいは問題なく守れるさ」
美闇はずっこけた。何を言ってるんだこの熊は。
「待った待った待ちなさい! それは聞き捨てならないんだけど? あんた私がこれだけ疲れ切ってるのを見て何とも思わないわけ? それとも何? あんたの村はいついかなる状況でも女が男に合わせる超男尊女卑社会なの?」
「安心しろ。山奥正宗にはお前のような軟弱な女はいない」
「何だとこらぁ~~~!」
瞬間湯沸かし器のように真っ赤に沸騰する美闇だったが、しかしあながち間違いでもないだけに堂々とした反論ができない。痛いところを突かれた。ここは切り口を変える。
「ふ、ふんっ! 生憎文明社会ではね、熊やゴリラは動物園にしかいないのよ! 今あんたの目の前にいるのは熊でもゴリラでもない、人間の女性なの。それも華奢で繊細で聡明なレディなんだからね! 熊が普段何してようが勝手だけど、人の言葉を話す人間としてレディに接するんならそれなりのマナーを持つのが礼儀! 覚えときなさい!」
「ああ覚えとくぜ。最近のレディは不満があればギャアギャア喚き、しかもその内容は聞くに堪えない罵詈雑言、おまけにメンタルは弱くちょっとしたことですぐ死のうとする。ありがとよ勉強になったぜ」
「くっ……くぉの……むっきぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
びしっと決めた台詞を大人の余裕で軽くあしらわれ、美闇は自分が猿になってしまった。
それをつぐらが優しくなだめる。もう本当にどっちが姉貴分だか分からない。
「まぁまぁミヤちゃん。リフトはおんぼろみたいだけど、でもまだ使えそうだって話だにゃ。回り道する必要はないにゃあよ」
その優しさが荒んだ心に染み入る。美闇はごしごしと目許を拭い、顔を上げた。断じて泣いてなんかいない。
「そ、そうね……リフトはあるんだもんね。たらればの話をしたって意味がないわ。さっさと渡っちゃうわよ!」
空元気のモーターを回し、リフトがあるという方向へ歩き出す。
奥州はやっぱりムカつくが、しかし今の会話の中にはポジティブな内容もあった。
奥州は宝生に、「とっくに集合場所に着いている頃だろう」と言った。
(この熊はきっと案内役で、他の代表者が通過していくのもあそこで確認していたはず。「最後」の私たちが来る前に会ったのが、この警備隊だった。それが具体的にどれくらい前かは分からないけど、でもそんなに前ってことはないはず。なら……)
いよいよ、目的地は、「集合場所」は近い。
それならさっさと進むに限る。リフトに乗っている間は休んでいられるし……
「って、うそ……冗談でしょ? リフトって、これ?」
リフトを見た美闇は、もう本日何回目かも分からない驚愕に襲われた。
リフトは本当にぼろかった。
宝生がビビるのも当然だ。美闇だって、一人でここに来たら後から誰かが追いついてくるまで待っているだろう。
呆然と立ち尽くす美闇の後ろにつぐらたちが集まってくる。さっさと渡ろうと呼びかけた手前ばつが悪いが、けれどそんな面子よりも安全の方が余程大事だ。美闇は苦笑いで提案する。
「ね、ねぇ。まだ時間に余裕はあるんでしょ? とりあえず、彼に先行ってもらわない?」
宝生を顎でしゃくって指す。途端に宝生はそれまでの余裕ぶった態度をかなぐり捨て、美闇に食って掛かった。
「ちょ、ちょっと待ちたまえよ君! せっかく己が待っていてやったんじゃないか! 四人で、せめて二人ずつで乗るべきではないか? なぁ諸君?」
老朽化したリフトは、当然重量が増えればワイヤーが切れるリスクが増す。数字の上では一人で乗った方が危険は少ないのだが、しかし恐怖に直面した人間の心理はリスクを共有する仲間を求める。
リフトやワイヤーに負荷をかけてでも一蓮托生の相手を、もしくは黄泉への道連れを欲する宝生の心境は、不思議なものではない。
しかしそれだけに、彼の人間としての器が、作戦に対する覚悟の程が知れてしまうというのもまた、事実だった。
四人でも二人でも一人でも、別にどうでもいい。つぐらと奥州はさほど興味がないといったスタンスだった。崖の高さは先程美闇が転落しかけた場所に比べれば格段に低い。もちろん落下すれば高い確率で致命傷を負うだろうが、常人離れした身体能力を持つ二人にしてみれば、生還するのはさほど難しくないことなのだった。
(まずいわね……)
このままでは宝生の意見が通ってしまう。そうはさせじと、美闇はつぐらたちが答える前に割り込んで畳みかけにかかった。
「待っていてやった? それが何だっていうの? あんたが勝手に待ってたんじゃない。こっちは別にそんなこと頼んでないっつーの。問題は、今ここで一番大切なことは何かということ。それは、リフトにかける負荷を少なくすることよ! つまり、分散乗車は不可避!」
コミュニケーションスキルという言葉が大嫌いな美闇だったが、しかし口論にはそれなりの自信を持っていた。なぜなら、脳内で仮想の敵としょっちゅう戦っているからであり、しかも連戦連勝歴戦無敗だったからだ。無論、美闇が仮想敵のレベルを低く設定していて、且つそれらは想像の産物であるだけに予想外の論理を展開してこないことなどから、その質に疑問符のつく「勝利」ばかりだったのだが、とにかく彼女は自分の論理武装でこの場を切り抜けられると確信していた。少なくとも、宝生ごときに言い負けるわけがない。
「文句ある? ないわね! はいじゃあさっさと乗りなさい!」
「い、いやいや、これはおかしい! さっきから君が一方的にまくし立てるばかりで、己も彼らも全く意見を言っていないじゃないか! それにこういう時こそ君たちの大好きなレディファーストじゃないのか?」
「ええそうね。安全を確かめるために女を先に行かせる。レディファーストの『本来の意味』として実に適切……ってんなわけあるか!」
「じゃあくじびきで決めるにゃ!」
お互い一歩も引かない美闇と宝生のやりとりを見かねて、つぐらが割って入る。
猫の形をしたポシェットをごそごそと探り、白い紐を四本ばかり取り出した。そのうちの一本だけ、先端が赤く塗られている。つぐらお手製の、くじびき用の紐だ。
「みんなで順番に引いて、アタリの人から乗っていくにゃ!今はだんじょびょうどうの時代だから、公平にしなきゃいけないんだにゃあ!」
得意気に胸を張るつぐら。一週間前の社会の授業の受け売りだが。
「俺もそれで構わん」
奥州が同意を表明する。とにかく、早く進みたいというのが表情に現れていた。
「いっぺんに乗った方が早いんだが、お姉ちゃんは無理そうだからな。ここは年長者として合わせてやるよ。宝生、お前は男なんだから我慢しな」
(年上風吹かせちゃって、ウザっ……ま、まぁ? 私についてくれたのは、どっちかといえば、ありがたくなくもないけど?)
紆余曲折あったが、結果的に事は美闇にとって都合の良い方向に推移した。
あとは、二番目か三番目を引けばベストだ。
最初はどうなるか分からないから怖いし、最後も何かが起きそうで怖い。
(引き当てるわ……二番か三番! これまでの人生、運に見放され続けてきたんだもの。いい加減リターンが来なきゃ割に合わないのよ!)
ハズレを引いて安堵している宝生を押しのけ、くじを持っているつぐらと向き合う。
精神を集中し、気の流れを呼び込む(というつもり)。
「今こそ我が命運を決する審判の刻! 黒き波動の命脈よ、忌まわしき破滅の運命を反転せしめ、我を翻弄の渦から解放せよ!」
さっさと引けと急かす奥州を黙殺し、美闇は全霊を籠めて紐を引き抜いた。