ヘルメット男の脅迫
前夜祭の開演まで六時間余り。それまでは何事も起こらない。
……そのはずだった。
だが、あろうことか透たちの目の前で七導師の一人が照明の下敷きになって殺され、間髪入れずに出現した襲撃者の放った銃弾が辺りを血の海に変えた。
目立たないように。細心の周囲を払いながら。透は舞台の上へと視線を移す。
さっきまで白壁時音が演奏をしていたそこに、この殺戮を行った悪魔がいる。
(……一人、だと?)
悪魔はたった一人だった。
声からして男性であろうその者は、フルフェイスのヘルメットを被り、服装は上下共に黒の長袖、両手にはマシンガンを携えて透たちを見下ろしていた。
たった一人で。
(この広場にはざっと百人くらいいたはずだ。それにここは園のほぼ中央だから、すぐに駆け付けられる範囲に二倍三倍の人間がいる。そんな場所に単騎で乗り込んできたっていうのか?)
透の驚愕など知る由もないヘルメットの男は、銃撃を生き延びた者たちに語り掛けようとする。
「では、貴様らに……」
「調子に乗るんじゃない! 人殺しめ!」
舞台の下から初めて上がった意味のある言葉が、ヘルメット男の言葉を遮った。
法衣を纏った準導師の男性(ADPの信徒にはランクがあり、準導師とは七導師の補佐等を行う他、一般信徒のまとめ役も務める上から二番目の役職である)がいきり立って叫ぶ。
「神と天使の加護を湛えしこの聖域にどれだけの守護者がいると思っておるのか! お前のような人殺しの一匹や二匹、ものの数分で……うぎゃあああああっ!」
今度はヘルメット男が準導師の言葉を遮った。その手に持ったマシンガンを無言で掃射し相手の両足を粉々にするという方法で。
「分かっていないのは貴様らの方だ。そうだな……口で説明するより実際に味わってもらった方がいいだろう」
言うとヘルメット男は、何を思ったか舞台上で座り込んでしまった。
理解不能な行動に、生存者たちの間で困惑が広がっていく。しかし行動を起こす者はいない。相手が圧倒的な殺傷力を有している以上、下手に動けば蜂の巣になるだけだ。
「性格悪いなー、あいつ」
日常そのもののトーンで影羅がつぶやいた。その響きと彼女の表情には、絶望感はおろか恐怖の色さえ微塵も浮かんでいない。それこそサバイバルゲームの最中であるかのように一種楽しげですらあった。裏世界人とんでもねーなと思いながら透は彼女に耳打ちする。
「影羅、あいつもしかして、ただ時間を浪費することで『救けが来ない』ことを証明しようとしてるのか?」
「ぴんぽーん。透くんも気づいてるでしょ? こんな大騒ぎが起きたって言うのに、よそから人がやってくる気配が全然ない。あり得ないことだよ。それが起こっているというなら、考えられることはただひとつ」
『同時多発テロ』
影羅とヘルメット男の声が透の耳に重なった。
「我々十宗使徒は園内十か所で同時に行動を開始した。方々で火の手が上がれば、其々が其々の対応で手一杯。他所への救援に回す人員など到底なくなるというわけだ。現に、私がこれだけ派手に銃を撃っているにも関わらず鎮圧のための部隊が全くやってこないではないか」
完膚なきまでの絶望が、生存者たちを打ちのめす。
目の前には、両手に武器を持ち躊躇なく人を殺害するテロリスト。頼みの綱のセキュリティは機能不全。もはや己の生命がヘルメット男の手の内に収められてしまったことを否定できる者はいなかった。
「さーてどうしよっかなー。相手が行動を開始しちゃったとなるとちまちま入城許可証を集めてる場合じゃないよねー。とはいえ、テロがどこまで計画通りに進むかも未知数だし、やっぱここは基本当初の計画をなぞりつつ……」
但し、己のサバイバルスキルに絶対の自信を持つ者を除いては。
潜在能力があるといっても絶対的に場数の足りない透にとって、筋金入りで百戦錬磨の影羅はただひたすらに頼もしい存在だった。もし単独で行動していたら、最初の銃撃で既にアウトだった可能性が高い。
(くるみ、桜、みんなは無事なのか……安否を確認したいけど、あいつの目の前で端末なんかいじったら怪しまれて射殺されかねない……)
透のいる位置は舞台から近すぎず遠すぎずの絶妙にして微妙なポジションだった。
ヘルメット男の挙動はそれなりに細かく見えるが、裏を返せばあちらからも自分の動きが丸見えということだ。
「自分がどういう状況に置かれているか、理解はできたな。さてここで、銃殺を免れた幸運な貴様らに、生還のチャンスをやろう」
生存者たちの目の色が一斉に変わる。目の前に餌を垂らされた魚のようにヘルメット男の言葉に食らいつく。
「先程言ったように、我々の標的は諸悪の根源である七導師のみだ。もう六人になったがな。その抹殺の邪魔さえしなければ命まで取りはしない。……あの扉から逃げたまえ」
そう言ってヘルメット男は客席のはるか後方を指さした。そこには、入国管理エリアに繋がる職員用通路の扉があった。今しがた透と影羅が出てきた扉である。
「入国管理エリアを抜けて園の外に出るんだ。懸命に走れば昼過ぎには村の外に出られるだろう……おっと失礼、トンネルは我々が爆破してしまったのだったな。訂正しよう、山を越えれば運が良ければ明日の昼には村の外に出られるだろう……さて、話はこれで終わりだ。立て。立たなければ殺す」
唐突な脅迫に慌てて立ち上がる生存者たち。
その数、わずか13人。準導師のように負傷で立ち上がれない者を加えれば多少は多くなるだろうが、それでも百人以上いた人間が短時間にこれだけ命を落としたという事実が、改めて透の胸にのしかかる。
「ひいふうみい……13人か。私は記憶力が良い方でな、もし貴様らの顔を再び見ることがあれば、その時は問答無用で殺す。さぁ走れ。生きたければ一分以内にその扉から出ろ」
言い終わるや、ヘルメット男は徒競走の号砲のように拳銃を空高く発砲した。
生存者たちも徒競走の走者のように一斉に走り出す。徒競走と違うのは、彼らの表情が死への恐怖と生への執着の二色で塗り潰されていることだった。
透と影羅も扉へと急ぐ。その間にも男は動けない生存者を次々と射殺していった。
いつ背後から銃弾を受けるかもしれないという恐怖に耐えながら、透は無事扉へとたどり着く。三度足を踏み入れた建物の壁に背中を預けた瞬間、全身が弛緩して思わず嘔吐しそうになるほどの安堵が湧き上がった。要求通り、ここまで来ればひとまず大丈夫なはずだ。
「……ちょっと、あの子やばくない?」
だが透に安寧は訪れなかった。
もう動くもののなくなった血みどろの広場で、ただ一人立ち尽くしている少女がいた。
生存者たちの位置からだと後ろ姿しか見えないが、しかし透はそれが誰だか瞬時に理解した。見間違うわけがない。たった三か月ちょっとの間だが、一方的に因縁をつけられ散々追い回されたのだ。その、同級生の湯川雫という少女に。
「湯川! 何やってるんだ! 早くこっちに来い!」
考えるより先に透の身体は動いていた。声を張り上げ、救出のためもと来た道を走り出す。
だが、その勇敢な行動は建物を出る前に阻止された。
「氷神くん、すまないがあの男を刺激するような行動はやめてくれ」
昨日道中を共にした画家、踊場廻が透を羽交い絞めにしたのだ。
「あの男がこっちに来たらどうするのよ! 周りの迷惑を考えなさいよ!」
ヒステリーおばさん、押附良子ががなり立てる。
「その時はあんたが盾になってやれよ。初めて人の役に立てるぜ」
平時のように毒を吐く不動依だが、流石に昨日のような勢いは影を潜めている。
「皆さん! 今は自分の身の安全が最優先です! とにかくあの男から少しでも遠ざかって距離を稼いでください!」
フリーライター、中須田珠が誘導役を買って出て、生存者たちに避難を促す。
「こんなことあるわけない……こんなことあるわけない……こんなこと……」
狂信者、美原桃絵は現実を受け止められない様子でうわごとのようにぶつぶつと繰り返している。
奇しくも、昨日透が道中で出会った面々が揃っていた。
しかし雫のことで頭が一杯になった透の目に彼らの姿は映らない。
(何で……何で逃げないんだよ。怖くて動けないのか? それとも、まさか一人で立ち向かってるのか? あいつそんな奴だったか? そうだったとしても、あの男に交渉の余地なんか無いって湯川なら分かるはずだろ……)
死屍累々の地獄のような空間で雫はヘルメット男と対峙している。目に見える場所にいるのに、あれほど近くにいた雫はもはや二度と手の届かない存在となりかけていた。
堪えきれず、透は叫んだ。
「雫!」
雫の身体がぴくりと動いた、ように透の目に映った。直後。
乾いた銃声が、ひとつ。
それで雫の身体は力を失い、その場に崩れ落ちた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
透の頭の中で、一切の思考が弾け飛んだ。この場にとどまっていた生存者たちも、火が点いたように建物の奥へと駆けだしていく。中須田が扉を閉め、透の鳩尾にアッパーを見舞った。雫同様崩れ落ちた透の身体を踊場が背負う。
逃げろ。とにかく逃げろ。
惨劇を生き延びた生存者12人は、おぼろげな希望を頼りに入国管理エリアを出口目指してひた走っていった。
(どっちが多くテロリストを見つけるか、勝負だぞ)
混濁した意識の中で、透は雫の幻影を見ていた。銃弾など受けていない元気な雫は、あれやこれやとやかましくしゃべっている。まるで、今生の別れを告げているかのように。




