標的
今回より、序・破・急の「破」に入ります!
1
「もっとだ……もっと俺に獲物を寄越せ」
ぼやけた意識の中で、その声だけがやけにはっきりと聞こえた。
視界が鮮明になる。資料でしか見たことがなかったが、ここがロワイヨム・エトワーレの園内だと透はすぐに気が付いた。この特徴的な建物の並びは間違いない。
そしてそこに広がっている光景が、透を打ちのめした。
「こんなんじゃ全然狩り足んねえんだよ」
そこら中に転がる血塗れの人間。その数は十や二十ではきかない。打ち捨てられたマネキンのような数百の人間が透の視界を埋め尽くしていた。
絶句する透に構わず、「透」は歩を進める。「透」が新たな獲物を探しているのだと、透は直感する。何せ、一心同体。欲求も高揚も渇望も全て、自分の感情であるかのように強く胸をうつ。
(自動人形戦の時と同じだ。俺の身体の支配権がこいつに移っている)
透がそう判断したのは、視点こそ自分のものだったが、身体を動かすことが全くできなかったからだ。瞬き一つ、指一本動かすことさえできない。今の透にできるのは、ただ「透」の見ている景色を追っていくことだけだった。
(……うそだろ)
「透」の視界に動くものはない。あるのは破壊された建物と道端に転がる人間のみ。その中には鬼頭や陵といった七導師や、見るからにテロリストとわかる迷彩服の男の姿もあった。不動依や今村柚、押附良子や踊場廻といった一般来園者もいたが、皆一様にぴくりとも動かない。
(こいつが、やったのか? 七導師も十宗使徒も一般客も……区別なく殺したっていうのか?)
「透」は早足で進んでいくが、動く人間は現れない。道端で倒れている者も、建物に隠れている者も、誰も彼も皆、死んでいた。
透の焦燥が絶望へと変わっていく。一緒にここに来たはずの仲間たちの安否は? どうか無事でいてほしいという願いと、もはや生存者などいないという絶望的観測が渦となって透の脳内をかき乱す。
園の象徴であるホワイトローズ城、その門前広場に辿り着いたところで透の絶望は現実のものとなった。全滅だった。くるみ、桜、蓬生、巽、雫、一緒にここへ来た仲間たちは全員惨たらしい有様で絶命していた。
(どうして……どうしてこんなことに)
叫ぶことさえできない透の耳に、かすかな足音が届いた。
栗夢がいた。城の入口に、生きた栗夢が立っていた。
透の姿を認めた栗夢は泣きながら駆け寄ってくる。
それを待ち受ける「透」の顔に、邪悪な笑みが浮かんだ。考えるまでもなく、透はこいつが何をするつもりなのか理解する。
(やめろ……)
栗夢の姿が近くなる。
「透」はただ、舌なめずりをしてそれを待ち受ける。
(やめろ……やめてくれ……)
神社で再会を果たした時のように、栗夢が透の胸に飛び込んだ。その瞬間に、全ては終わった。「透」の右手が栗夢の胸を深々と抉り貫き通した。何が起こったのか分からない栗夢の口から血飛沫が零れ、直後シャワーのように鮮血が噴き上がる。
栗夢の死体を高々と掲げ笑い転げる「透」の声を聞きながら透は、謎の別人格に頼るという安易な策に飛びついた自分をただひたすらに呪うことしかできなかった。
2
20XX(回生十七)年7月17日、6時25分。
「なんつー夢だよ……」
民宿ながすみ204号室。透の7月17日はこの最悪な夢見によって幕を開けた。ロワイヨム・エトワーレのプレオープン日にして、開園前夜祭が行われる日であり、七導師抹殺の予告日である。
精神がだいぶ落ち着いたところで室内を見渡すと、一夜を共にした巽の姿は既になかった。布団が芸術的なまでの綺麗さで押し入れに仕舞われている。普段は野良犬のような空気をまとっているが、こういうところはさすが執事だなと透は苦笑した。
朝食の時間まではまだ少しあるが、色々と準備もあるので起きることにした透のもとにくるみがやってきた。
「お兄ちゃん、起きてる?」
浴衣姿に、結っていない髪。お互い寝起き同士だった。
ついさっきまで絶望的な夢を見ていた透は、元気なくるみの姿に安堵する。
「おはよう、今起きたところだよ」
「なーんだ、わたしが起こしてあげようと思ったのに」
本当に残念そうなその様子を微笑ましく思った透だったが、妹の姿をよくよく見てその笑みはすぐに引きつった。
浴衣の胸元が思いっきりはだけていて、ちょっと動いただけでも先端が見えてしまいそうな状態だったのだ!
「くるみ、浴衣はだけてるぞ」
「やだっ……もう、お兄ちゃんてばこういうトコばっかり見てるんだから」
わざとらしく胸元を直すくるみに、いやお前絶対自分でその形にしてきただろと透が呆れたその時、新たな来客がやってきた。
よりにもよって、このシチュエーションで一番面倒臭い人物が。
「き、君たちは朝から一体何をしているんだ! 二人そろって破廉恥だなんて、何て兄妹だ!」
雫が顔を真っ赤にして叫ぶ。彼女も浴衣姿だったが、くるみと違って胸元をぴしっと締め切っていた。むしろ帯がきつそうなくらいである。
「変なこと言いますね湯川さん。兄妹だったらラフな格好で会っても普通ですよ? というか今は兄妹の時間なので部外者は外していただけますか?」
にこやかに口撃するくるみの姿に、透は背筋に冷たいものを感じる。しかし雫も簡単には引き下がらない。
「そっちこそ引っ込んでいてもらおうか。兄と妹の話なんてどうせ大したものじゃないだろう? 私は氷神透に好敵手として会いに来ているんだ。時間の価値が違う」
「好敵手? 一方的につけ回しているだけって聞いていますけど? こちらこそ、関係の価値が違うとお返しします」
朝一番からこれか、と透は溜息をつく。
(けど、この何でもないやりとりこそが平和なんだ。栗夢も、早くこっちに連れ戻してやらないとな)
窓の外へ向けた透の目に、ホワイトローズ城が映る。待ってろよと、透はそこにいるはずの栗夢へ向けてつぶやいた。
運命の一日が始まる。
3
20XX(回生十七)年7月17日、6時25分。
「先輩、ようやくここまで来ました」
視線の先にはっきりとホワイトローズ城を見据え、真記は決意とともに語りかける。15年前、4.9事件で凶弾に倒れ帰らぬ人となった先輩・桂岡由加へと向けて。
「先輩、痛かったですよね、辛かったですよね、悔しかったですよね。世界をまたにかけるジャーナリストになって、誰よりも刺激的な人生を送りたいって言ってましたもんね。それが、あんな形で絶たれることになって……」
真記の心は、15年が経った今でもあの事件現場に囚われたままだった。恐怖に我を忘れ逃げ惑う人々、顔色一つ変えずに命を刈り取っていく老人、変わり果てた由加の姿、それをただ見ているしかできない自分自身。
だがそれも、今日で終わりだ。
「先輩、今日あなたの無念を晴らします。この手で標無鏡一を殺して」
真記は右手に持った紙切れに視線を落とす。
そこには、あるリストが記入されていた。
・十宗使徒構成員其々の標的
御人形様 → 六芒星悠夜
暮地美闇 → 陵眠
忌島瞬毅 → 青空爽
五宝木つぐら → 陵眠
宝生十色 → 鬼頭紫紅
奥州熊伍郎 → 鬼頭紫紅
玉那覇カマエル → 白塔秀一郎
徒花千呪 → (遊撃要員)
利根川暁 → 白壁時音
標無鏡一 → 砦栗夢
昨晩、瞑仙庵にて行われた十宗使徒会合で決定された、誰が誰を狙うかの一覧だった。十宗使徒内部にいる協力者から極秘に入手したものである。これを入手したことが明るみになれば自分はもちろん協力者も即刻処刑だろうが、この橋を渡らないわけにはいかなかった。標的である標無を確実に仕留めるため、彼の行動を読んでおく必要があったからだ。
標無の標的は、七導師最年少の砦栗夢。真記が予想していた通りだ。この15年、真記は標無の情報を徹底的に調べ上げ、生い立ちや経歴、弱点に至るまで闇に包まれていた素性を暴き出し手中に収めていた。
ただ殺すだけでは済まない。絶望の底に突き落とした上で駆除する。そのための切り札も用意してある。今日が標無鏡一の命日だ。
真記は再びホワイトローズ城を見据え、由加の姿を思い浮かべながらつぶやいた。
「見ていてください先輩……あいつが、地獄に堕ちるところを」




