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瞑仙庵崩壊

(な、に、を……)


 言っているのだこいつは。美闇が思考できたのはそこまでだった。

安心しきっていたところに突如現れた暴漢、それ自体の恐怖に加え過去に味わった種々の恐怖体験によるトラウマが一気に噴出し、彼女の頭は思考機能を完全に失った。

恥ずかしい場所を隠すことすら失念し、天敵を前にした小動物のように恐怖に打ち震える。


「姉ちゃん初めてだろ? 安心しろって、そんな痛くねーからよ。多分」


 友達を遊びに誘う小学生のような無邪気さで忌島は美闇に近づく。そこに悪意はなかった。ただ純粋に、自分が楽しいことをしようとしているだけだった。


(た……)


 恐怖に凍り付いた頭の片隅で美闇が思ったのは、たった四文字の言葉。凡そ人間が抱く感情のうち、最も痛切で悲痛な四文字。


(たすけて……)


 思いつつ、美闇は諦めていた。最悪の黒歴史時代、彼女はそれを叫んで叫んで叫んで叫んで、しかし誰一人として応えてはくれなかった。今度もそうだ。そうに決まっている。いつもそうなのだ。


「美闇ちゃん!」


 しかし今回は違った。

利根川が息を切らせて浴室に駆け込んできたのだ。


「ん? 何で忌島君がいるんだ? ……いやそんなことはどうでもいい。今すぐこの建物を捨てて別のアジトに移動する。40秒で支度するんだ!」


「チッ、いいトコだったのによ」


 水を差された忌島はあからさまに不貞腐れた顔を利根川に向け、しかし歯向かったりはせずそそくさと浴室から出て行った。どうやら危機は去ったらしい。安堵してその場にへたり込みそうになった美闇の身体を利根川が抱きとめた。


「あ、ありがと……」


「腰を抜かしている時間はない。とりあえずマントだけ羽織って。すぐ出るよ」


「え? え?」


 急すぎる展開に解凍途中の頭がついていかない。

この建物を捨てる? 別のアジトに移動? 40秒で支度?


「このアジトが敵にばれたんだ」


 脱衣所の籠に入っていた黒マントを美闇に羽織らせながら利根川が言う。


「台所の地下に脱出用のトンネルがある。滑り台になってるから入るだけでいい。さぁ行くよ。もうあと15秒でこの建物は崩壊する」


「え……ええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


「……すまない、文句なら後で聞くから」


 言うが早いか、利根川は美闇をお姫様抱っこすると猛然と台所へ向かって駆けた。


(ちょ、ちょっとちょっと何なのよ! 自爆とか脱出トンネルとか聞いてないんだけど? 荷物も上に置きっぱだし、それに……)


「裸マントで外に出ろっていうの?」


「だから文句は後で聞くよ。それとも瓦礫の下敷きになるかい?」


 利根川が言い終わるのと、二人がトンネルに滑り込むのと、美闇の頭上で爆発音が鳴り響いたのは同時だった。


「ひにゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 不思議の国のアリスのように二人は真っ暗闇の中を落ちていく。

利根川の腕の中で絶叫する美闇は、越えても越えても終わらない災難に憤慨しつつも、そこから救い出してくれた存在に胸が温かくなるのをほんのちょっぴりとだけ感じていた。



 ☆



「驚いたね」


 瞑仙庵崩壊の五分前。背後に現れた人物を振り返った霧中は、言葉とは裏腹にさして驚いた風もなく呟いた。


「この状態の俺を発見できた奴は、もう何年もいなかったんだが」


「このじょうたい? 何が違うのかにゃ?」


 可愛らしく小首をかしげるつぐらは、挑発しているわけではなく本当に分からないという顔をしていた。目の前の男・霧中掟の気配を消す技術が世の工作員の中でも最高レベルであるということを。


「ニンゲンを欺くなら、それでもいいかも知れないにゃ。でもー、つぐらは猫だから、そんなんじゃ何もしてないのと一緒にゃよ?」


「成程な……お前のおかげで自分の甘さを実感することができた。礼を言う」


 ドスッ。


 正に、目にも止まらぬ速さで繰り出された霧中の苦無がつぐらの左胸を穿った。

つぐらは声もなくその場に昏倒する。


「まずは一人。残りは九人」


 言いつつも、しかし霧中はつぐらが絶命したことを確認に向かう。

何せ常識外れの化物連中だ。どんな手段で生き残るか分かったものではない。最善を尽くすなら脈拍が無いことを確認した上で、首を切り落とすくらいはするべきだろう。闇社会に明るい霧中も、首を落とされて尚生きている者は寡聞にして知らない。


「……生きているな。下手な芝居は止めろ」


 だが、急所を確実に撃ち抜いた筈が生存していたという者なら、何人も見てきた。

ゆえに分かる。目の前の少女が絶命を偽り、逆にこちらに致命傷を与えんと機会を伺っていることを。

鼻と口から漏れ出る息による空気の微細な動き、力強く脈打つ心臓の音、そして何よりも抑えようとしても隠しきれない獰猛極まりない捕食者のオーラがつぐらの全身から、


「あーあ、ばかなおにーさん」


 その声は、つぐらの動きよりも遅れて霧中の耳に届いた。

人体の構造を完全に無視した速度でつぐらは霧中の懐へと飛び込み、鋭く伸びた爪を急所に突き立てようとした。霧中のような戦闘の玄人でなければ、何が起きたかも分らぬまま命を刈り取られていただろう。その霧中でさえ、一秒以下のギリギリのタイミングで何とか回避を成功させたに過ぎない。


「よけいなことしなければ、らくにしねたのに」


 必殺の一撃を外したつぐらは、しかし飄々とした様子で次なる攻撃の体勢に入る。

その容姿は、先程までの可憐な美少女から半獣人のような怪異なものへと変貌していた。恐らく何らかの秘術によって一時的に細胞の活動を急変させたのだろうと霧中は当たりをつける。世間の常識ではありえないことだが、裏社会にはこういった連中がしばしばいる。


(さて、どうしたものか……)


 半獣人モードとなったつぐらは通常時に比べてパワーもスピードも格段に上昇している。それでも霧中からすれば倒せない相手ではなかったが、戦闘に絶対はない。その上ここは相手の前線基地、いつどこから援護の手が入るか分からない。

自分の役割は、あくまでアンジュ・デ・ポームから砦栗夢を奪還すること。十宗使徒の打倒は付帯的な任務でしかない。


(十宗使徒の概要が把握できただけでこの場は良しとするか。となれば早々に離脱してしまうに限るが、こいつについてこられると厄介だ。……あれを使うか)


 霧中はウエストポーチに手を忍ばせ、目的の物を手にする。相手に猫神教の者がいると知り冗談半分に準備した物だったが、まさか本当に使う時が来るとは。

武器を警戒したつぐらが一瞬身体を強張らせる。その一瞬だけで霧中には十分だった。


「今日のところはこれで失礼する」


 霧中が投擲した煙玉が破裂し、瞬時に煙幕が拡散する。

つぐらは嫌そうな顔をしながら、それでも戦闘を継続しようとしたのだが、


「にゃにゃ! これは……またたび! やばいにゃ、よっぱらうにゃ……」


 つぐらが怯んだ隙に一息に霧中は山を駆け下りた。その最中、音と気配によって背後で建物が崩れたことが分かった。自分とのエンカウント時、つぐらは仲間に非常事態を報せていたのだと霧中は結論付ける。やはりあの場で深入りしなかったのは正解だった。


 完全に山から下り、集落に辿り着いても霧中は気を緩めない。もはや村全体が戦場といっていい。気を抜いたその瞬間、背後からブスリとやられるのが戦場だ。そうして散っていった者を、敵味方問わず数えきれないほど霧中は知っていた。


 廃屋の陰に身を潜め、そこでようやく霧中は息を吐いた。敵につけられていないことを確認すると、彼は桜たちが一晩を明かす宿へと歩を進めた。伝えなければならない。十宗使徒の詳細と、彼らがいかに危険であるかということを。

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