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ミヤちゃんはこじらせている



 3



「お姉ちゃん、自殺しようってんなら別に構わないが、それならそうと言ってくれないか。あんなに暴れられたら、いくら俺が重いっつっても危うく巻き添え食って落ちるところだったぜ」


 崖の上に引き上げられた美闇はお説教を受けていた。

くどくどと語っているのは真っ黒い熊……ではなく、熊の毛皮をまとった大男。

ツキノワグマをまるごと一頭被っているのだから相当な体格の持ち主だ。

彼はひとしきり美闇に小言を浴びせると、気が済んだとばかりに息を吐いた。


「まぁいい、こんなところで長話していても仕様がない。お前たちで最後だからな、集合場所へ向かうとするか」


 大男は立ち上がり、どすどすと歩き始める。その様は、後ろから見るともう完全に熊そのものだ。もしも不意に出くわしていたら死んだふり確定だったわねと美闇は想像する。


 いや、そんなことよりも。


「私たちで最後?どういう意味よ、あなた一体……」

「無用な問答はよそうぜ」


 美闇の問いかけに、振り返ることなく大男が答える。

「俗世を遠く離れたこんな山奥に珍妙な格好の娘が二人、考えられることは一つだ。『十宗使徒』だろう。お前たちも」

「も、ってことはおじさんも?」

つぐらが大男の横に並んでついていく。人見知りというものを全くしないようだ。

美闇からしたらその精神構造が理解できない。というか同じ人間だと思えない。


 つぐらの問いかけに、大男が足を止めた。つぐらも立ち止まる。

彼らの後方10メートルで美闇も立ち止まった。よもや、美闇が追いつくのを待っているというわけではあるまい。


 動かない三人の間を、風が吹き抜けていった。

蝉のヘビーローテーションに、木々のざわめきが加わる。

山にいる。大自然に抱かれて、いや、吞み込まれている。

そんな当たり前のことを、わけもなく美闇は再認識していた。

公共交通が網の目のように張り巡らされていて、そうでなくても電話やインターネットでいつでも他者と繋がれる「人間社会」から、随分遠く離れてしまったのだということを。

何でそんなことを考えたのだろうと思った瞬間、大男がつぐらの鼻先に小振りのナイフを突きつけた。


「一度に二人とは、手間が省けた」


 淡々と告げる大男の顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。

獲物を前にした山賊の表情だった。


「この山に潜んで一週間、合計八人狩ってきた。そう、『お前たちで最後』なんだよ」


 その言葉で、目の前で起こっていることがどういうことなのか理解し、美闇は愕然とした。


 この大男は、美闇たちが襲う予定だった宗教団体が放った刺客だったのだ。


 あるいは、政府系の戦闘員か、はたまたブラックリスト専門の賞金稼ぎかもしれない。もっとも、美闇は自分に賞金が懸かっているのか、それ以前に自分が計画に参加していることが知られているのかすら把握していなかったが、ともかく。


(うそでしょ? 私、こんなところで死んじゃうの?)


 この大男は今の短いやりとりで美闇たちの正体を確信し、そしてここで消すつもりでいる。

「お前たちで最後」の「最後」とは、そういう意味なのだ。

今回のテロに参加するメンバーは、十の団体から一名ずつの代表者で構成された十人。

名付けて「十宗使徒」。

今まで八人狩ったと言っているから、残りは美闇とつぐらだけ。この二人を始末すればテログループは跡形もなく壊滅し、事件は未然に防がれる。アンジュ・デ・ポーム側の完全勝利であり、テログループ側の完全敗北だ。


(つ、つぐらのバカあっ! 純粋で裏表がないのはいいけど、少しは頭使うってことをしなさいよ! こんなにあっけなく正体ばれちゃって、どーするのよこの状況っ!)


 もちろん自分だったらこの状況を回避できたと断言することはできないが、それでも美闇はつぐらに一言二言言ってやりたくて仕方なかった。

だが、そんなことをしたところで、それも仕方のないこと。

今は、いかにしてこの危機的状況を脱するかだ。


(十宗使徒であることを否定する。もしくは、まだ行動を起こしていないから許してくれと泣きつく……だめね。どちらも、今までにやられた八人が既にやっていそう。逃げる……っていうのも無理ね。つぐらはともかく、私もう体力限界だし、体調万全だったとしてもこの明らかに体育会系のオヤジから逃げ切れるなんて思えない。となると、残る可能性は……)


「大丈夫だよ、ミヤちゃん」


 吐きそうなほどのプレッシャーの中、身じろぎひとつできない美闇をつぐらの一言が優しく撫でた。


「全部やっつけるから。つぐらたちの前に立ち塞がる敵はみんな、つぐらの仲間を傷つける奴はまとめて、つぐらが……斬り捨ててやるから」


 その言葉が終わるか終らないかという瞬間、硬いものが折れるパキンという音がしたかと思うと、美闇の左耳すれすれを何かがひゅんとかすめていった。

次いで、どすっという音がする。飛んでいった何かが木に突き刺さったのだろう。

という美闇の予想は果たして正解で、恐る恐る音のした方を見ると木の幹にナイフが突き刺さっていた。

視線をつぐらたちの方に戻すと、大男が持っていたナイフの柄の部分から上、つまり刃にあたる箇所がきれいさっぱり消失していた。


(え……ま、まさか、つぐらがやったの?あの大男のナイフの刃を折っちゃったってわけ?すごっ……完全に少年漫画じゃない。ていうか……)


「あっぶないじゃない!ナイフの刃、私の顔すれすれをかすめてったんだけど?守るどころか殺しかけてどうすんのよ!」

「えへへ……ごめーん。つぐら、まだうまく力を制御できないの」

「だったらその熊を殺っちゃえばよかったでしょ!制御できないほど強力な力なら……」


 初めて目にした常人を超越した力。


 興奮冷めやらぬままにまくし立てた美闇だったが、しかし大男が自分を睨んでいるのに気づいてすごすごと口をつぐんだ。そんな彼女につぐらは告げた。この状況からは、想像し難い真実を。


「その必要はないにゃ、だって……」


 つぐらが大男を見上げる。その瞳に敵意はない。

見つめ返す大男の表情も、また同様だった。


「このおじさん、敵じゃないもん」



 4



「俺は『山奥正宗(さんのうまさむね)』頭領の奥州熊伍郎(おうしゅうくまごろう)。一族を代表してやってきた」

先程と同じように、奥州とつぐらが並んで歩き、その十メートルばかり後方を美闇がついていく。

奥州もまた、美闇やつぐらと同じテログループ「十宗使徒」の一人。

彼が攻撃の構えを見せたのは、まるで緊張感や危機感のない美闇とつぐらをたしなめるためであり、実際に攻撃するつもりもなければ、これまでに八人葬ったというのも当然でまかせだった。


 山奥正宗。岩手県岩泉町の山奥を本拠地としていた教団だ。その歴史は「新興」宗教というのが憚られるほど長く、テロに参加する十の団体では猫神教と並んで古い部類に入る。

最大の特徴は、可能な限り近代文明を排した古代の生活を実践していることだ。

山奥正宗の村では狩猟や採集、農耕を基調とした二千年前の生活スタイルを当たり前に目にすることができ、まるでその一帯だけが弥生時代のまま取り残されてしまったかのような印象を見る者に与える。


 但し、実際に彼らの生活を見たものはほとんどといっていいほど存在しない。

それは、彼らの営みがとても現代人に見せられるものではなかったからだ。

未成年の飲酒や喫煙、十代前半での子作りや乱婚、愛護動物の捕獲・食用など、現代の法律に照らしてみれば存在自体が重罪という有様だったのだ。そんな教団がなぜほんの十数年前までは規制も介入もされることなく存在していたのかといえば、それは長きにわたり培ってきた政治力の賜物だ。

山奥正宗は岩手県知事や岩泉町長、地元選出国会議員などと太いパイプを持っていて、彼らに種々の「見返り」を提供することで実質的な自治区扱いを受け、放任されてきたのだった。


 しかしそれも危険宗教規制法が制定されるまでの話。

そのような教団に活動認可が下りるはずもなく、余裕で解散処分となる第四種団体指定を食らうことになる。知事や町長、国会議員とのパイプもこうなってしまえば何の意味もない。

散々おいしい思いをしてきたとはいえ、彼らにカルト認定を食らった宗教団体と心中する気などあるわけがなく、むしろ自分たちが受けてきた「接待」の痕跡を躍起になって消しにかかったのだった。


 宗教浄化の中で山奥正宗の村は跡形もなく破壊され、剰え火をつけられ焼野原にさせられたが、それでも弾圧の手を逃れた若干の構成員が、今も東北地方の人里離れた山奥で変わらぬ暮しを続けているという。

奥州こそ、まさにそのうちの一人だった。


「さんのうまさむね!つぐら知ってる!猫神教と仲良しの団体さんだよね!あ、そういえば、つぐらのお婿さん候補にもさんのうまさむねの人がいたっけ。よく覚えてないけど!」

(お、お婿さんですって?)

何気ない風にこぼれたつぐらの一言に、美闇の顔は引きつった。

(まだ十歳のくせに許嫁とか、さっきの攻撃といいあんた本当にこの世界の人間なの?あどけない顔しといて、とんだメス猫だこと!)


 美闇は独身だ。


 彼氏はいない。いたこともない。

男友達すら、これといった顔が浮かばない。

およそ色恋沙汰とは縁のない人生を歩み続けて、たどり着いた先が黒魔術の新興宗教、その代表としてテロに参加するとか、ある意味何かを極めていると言えなくもない。


(ま、まぁ? こんなへんてこ猫娘に許嫁がいたからといって? 別に私が引け目とか劣等感とか? 感じる必要なんか全くないんだけどね? 第一? この子教団トップの孫娘で? 最高位継承者なわけでしょ? 言ってみれば? 名家だとか旧家だとかの跡取りみたいなもんなわけで? つまり結婚相手とか最初から用意されてる特別な環境の特別な人間なわけで? イコール私みたいな善良な一般人のつつましい大和撫子と同列に考えることが? そもそも最初からおかしいって話なわけよ! はい完全弁護)


 くどいくらいに「?」を乱用しながら美闇は脳内自己弁護を完了させた。

しかし、弁護が完了しても心のもやもやはなくならない。

むしろ、弁護すればするほど深みにはまっていく感すらあるが、上等だとばかりに美闇は鬱屈に満ちた呪詛の言葉を唱えていく。脳内で。


(彼氏? 旦那?

結婚? 出産?

リア充? 勝ち組?

ママ友付き合い? 親戚付き合い?

幸せな家庭生活? 充実した仕事人生?


別に欲しくないんだけど?


「人生において最も価値のあるもの」を勝手に決めないでくれる?

百歩譲って決めてもいいけど何で自己満足にとどめておけないかな?

あんたのその何の役にも立たないゴミみたいな妄想を私に押し付けないでね?


ことわざでもあるよね?

猫に小判。豚に真珠。馬の耳に念仏。

これを私にあてはまると、「黒曜院美闇にツナガリ」ってとこかしら?


何人友達いるとか?

何回告白されたとか?

何人と付き合ったとか?

どれだけ貢いでもらったとか?


くっだらな(笑)

数、数、数、数って、何あんた数字教の信者ですか?

あー哀れね。数ばっかり追い求めて、今目の前にいる一人を思いやるっていうことを忘れているんじゃない?それこそが、人生で一番大切なことなんじゃないの?

それを捨ててまで得た「すてーたす」に、一体どれだけの価値があるのかしらね?


ま、あなたたちはその大好きな自慢合戦に全エネルギーを注ぎ込み続けていればいいんじゃない?

それでも失敗して不完全燃焼する様を、私は指さして笑わせてもらうからね?

くくく、くくくく……

あーっははははは!)


 美闇はこじらせていた。


 何だか色々なものを、もはや手遅れなレベルで。


 代表的な症状が、このような脳内で作り上げた敵に対する一方的な攻撃だ。

敵は美闇を頭ごなしに全否定してくる最高にむかつく奴という設定だが、しかしスカッと倒せるように強さは最低レベルに設定されている。そいつをタコ殴りにすることで美闇は自己を肯定することができ、心の平穏を維持しているのだ。

……不憫だ。不憫すぎる。大体「あんた」ってどこの誰だよ。


「で、お姉ちゃんはどこのどなたなんだ?」

奥州のぶっきらぼうな声が美闇の妄想を寸断した。

(あぶないあぶない。また妄想特急で十駅くらい乗り過ごすところだったわ)

誰しもそうだろうが、美闇はこじらせているだけに一度妄想にどっぷりつかると何も見えなく、何も聞こえなくなてしまう。実家や教団施設のパーソナルスペースで引きこもっている分には一向問題ないが、しかし少なくとも作戦中は自重すべきだろう。命に係わるから。

現実に戻った美闇はキャラを作り、気取った仕草で語り出す。


「くくく、成程ね。運命に抗う旅路に於いて、志を同じくする殉教者との交差は必然。なれば我の高貴なる真名を教示し、確固たる信託の顕在に寄与することは道理……いいわ、心して聞きなさい。我は黒曜院……」

「あ?聞こえねーよ。御託はいいから、名前と所属だ!」

「……ネクロドルーグ所属、暮地美闇です」


 頬を張るような奥州の言葉に、美闇は思わず本名を言ってしまった。

これでこの先会う七人にも本名を言う流れになってしまった。

キャラというのは、第一印象が命だ。本名も、素のキャラも知れた状態で「我は黒曜院美闇。我にひれ伏すがいい!」とか言っても失笑を買うだけだ。

知られていない状態でなら一目置かれるかというと、それも怪しいのだが、まぁとにかく美闇はいつも通りコミュニケーションでつまずいた。


 山歩きで体力を消耗し、人間関係では受けに回り、スタートダッシュは完全に失敗。

どうしていつもこうなのか。

美闇の心を塗り潰す鬱憤は重さにして百トンの錘となり、彼女は今度こそ暗黒面の底の底へと沈み込んでいった。


(……死ね死ね死ね死ねっ! この腐れ木偶の坊! あんたみたいな図体ばっかの能無し脳筋が威張り散らしてるから繊細だけど本当は有能な人間が消えていくことになるのよ!  私の言葉が御託なら、あんたのはただの威圧よ! 言葉でさえないわ! 威圧なんて猿でもできるんだけど? 猿なら猿らしく、バナナ食ってればいいのよ! このド畜生!)


 脳内で生み出される、これでもかという罵詈雑言誹謗中傷。

彼女は面と向かって言えない分、こうして脳内で総スカンを食らわせることにかけては達人レベルの腕前を誇っていた。誇るようなことかどうかは疑問だが。

ここまでくると、もう本人にも止めることはできない。

思う存分ブチ切れて(但し脳内で)、暴れ疲れて(脳内で)、もう十分発散した(くどいようだが脳内で)と満足できてはじめて、この妄想特急狂乱号は停車するのだ。


 怨みの籠った目で奥州を眼差しながら、美闇は歩を進める。

夏雲浮かぶ青空も、山々の煌めく緑も、美闇の心を落ち着かせてはくれない。

夏らしい風景は全て、物理面で苛んでくる暑さへの苛立ちに直結するだけだ。

精神的にも肉体的にも、美闇は作戦の前段階に向かう途中でリタイア寸前だった。

それでも、進む。なけなしの精神力と申し訳程度の根性を振り絞って、前へ、更に前へと。

この苦行は自分のためではない。大切な人のため。ここで歩みを止めてしまったら、もうあの子を救うことができなくなってしまう。それだけは、それだけはだめ。


 妄想特急の速度が落ち始める。

反比例して、踏み出す足に力が戻ってくる。

あの子が受けている苦しみや痛みに比べれば、こんなもの。

こゆりを救うため、憎き相手に鉄槌を下すため、まずは自分に勝つ。

折れそうになった心を奮い立たせ、美闇は必死で食らいついていった。


 しかし目的の場所に辿り着くまでには、まだまだ一山も二山も越えなければならないのだった。

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