それぞれの秋田路
今に始まったことではありませんが、やはり日常パートは難産です。
バトルパートや事件パートだと物語の中に「流れ」のようなものが発生してそれが追い風のように後押ししてくれるものですが(たまに明後日の方向に飛ばされることも)、日常パートは無風の中自分でオールを漕いでボートを進めていくような「重さ」があり、これにはなかなか慣れません。
早くまたドンパチパートに入りたいです笑
9
20XX(回生十七)年7月16日。
6時35分。
目を覚ました透は列車の走行音でここが曙号の車内なのだと思い出した。
カーテンの外が明るい。もう夜が明けたのかと寝床から起き出した彼の目に、真っ青な海の水平線と雲一つない快晴の空が飛び込んできた。
日本海だ。
(海、行こう……これが終わったら、栗夢を連れて海に)
完全稼働には程遠い頭でぼんやりと考えた透の耳に、聞き慣れた声が飛んでくる。
「や、早いじゃないか。もしかして眠れなかった?」
ショートパンツを履いた部屋着姿の雫が、通路の壁に身を預けながら透の方を見ていた。
「湯川、おはよう。睡眠は充分だよ。……ここはもう秋田なのか?」
「とっくにね。あと十分そこらで秋田駅だよ。そこから奥羽本線に入って、約一時間半で鷹ノ巣に到着」
準備万端の余裕綽々といった表情ですらすらと語る雫。
気持ちの昂ぶりを含んだその声に、透の鼓動もまた呼応するように高く鳴った。
10
8時21分。
寝台特急曙号は定刻通りに鷹ノ巣駅に到着。
秋田内陸縦貫鉄道との乗換駅ということもあり、多くの乗客がここで下車した。皆、一様に大荷物を抱えている。
「下車したのは、合計30人」
全ての乗客が改札口を抜けていったのを見送って、透たちもホームを後にした。
透たちは予め改札口正面の扉の前で待機し、扉が開くと同時にホームに降り、下車した人間の数と顔をくまなくチェックした。その中に、透が昨晩遭遇した怪しい女・暮地美闇の姿はなかった。
「あの女、降りなかったのか」
待合室の隅に集まった透たちは、その結果を踏まえて今後の行動指針の策定に取り掛かる。
「まだ白黒の断定はできないけれどね。今は泳がせましょう。彼女の動向は私たちの手の中にあるのだからね」
桜は不敵に笑って、タブレット端末の画面を晒してみせた。
そこには秋田県の広域マップと、ゆっくりと移動する赤い点が表示されている。
赤い点は、暮地美闇の現在位置だった。
昨晩、透からの指示で美闇の部屋番号を突き止めた桜は、再び美闇が部屋を出た隙を見はからい彼女の荷物に位置情報発信機と盗聴器を仕込んでいた。
曙号の個室には電子ロックが備え付けられているが、叢雲謹製の解除ツールがあるのでそんなものは何でもない。
かくして、容疑者002号・暮地美闇はその動向を透たちに完全に把握されてしまう運びとなった。ちなみに001号は湯川雫である。
「さて、夜汽車の旅も終わったところでそろそろ朝食にしましょうか。何せ、秋田内陸線の発車までまだ二時間以上あるのだからね」
☆
鷹ノ巣駅を出た一行は、駅前から伸びる通りを歩く。
一応メインストリートのはずなのだが、まばらな人通りにシャッターの閉まった店舗ばかりで、全く静かなものだった。
駅を出て十分、ようやくコンビニを発見したところで美闇に動きがあった。
「002号が大館駅で下車したわ」
桜が示したタブレットの画面では、確かに赤い点が大館駅の地点に表示されていた。
列車の大館駅発車時刻は過ぎており、曙号が遅延しているといった情報も確認されていない。暮地美闇が大館駅で下車したと判断して妥当である。
「ビミョーなところで降りたな」
透は苦笑いを浮かべた。
大館駅は秋田県北部の交通の要衝であり、花輪線、花岡電鉄、小坂電鉄が分岐している。
花輪線で二つ先の扇田まで行き、そこから竜ヶ森山麓鉄道で南下していけば、そのルートでも地図上では緋斗潟村に近づくことはできる。無論、実際は山あり谷ありの獣道で、到底現実的なルートとは言い難いのだが。
「引き続き、監視を続けましょう。上り列車で折り返してくるという可能性もあるしね」
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10時40分。
一両のみの編成に40人の乗客を詰め込んだ秋田内陸縦貫鉄道阿仁合線は、定刻通りに鷹巣駅を発車した。
首都圏の通勤電車のように混雑する車内の後方で透たちは身を寄せ合い、声を潜めて言葉を交わす。
「002号は未だ動きなし、か。これはもう、この後11時04分発の花輪線を待ってるとしか思えないな」
「そうね……これで本当に花輪線に乗って、その上扇田で下車することになれば、もう九分九厘黒と言っていいでしょうね」
真面目な顔で画面を見つめる透と桜だったが、その一方で車窓に興味津々な者もいた。
「この列車、ずっと森や田んぼの中を走っていますけれど、観光客以外に利用者はいるのかしら?」
初めて見るローカル線の景色に、蓬生は面食らっている様子だった。
そんな箱入り娘に、元道民であるくるみが丁寧に教えてあげる。
「通学の学生が多いと思うよ。地方は学校が少ないから、中学生や小学生でも列車で通学することが珍しくないの。裏を返せば、通学客の増減がローカル線にとっての死活問題とも言えるかな」
「地方は色々と大変ですのね……」
ふたりの会話の通り、駅周辺こそ小さな町が開けているものの、沿線の大半は緑あふれる農村風景だった。
そんなのどかな風景の中を走って、二十五分が過ぎた時だった。
「ビンゴ! 思った通りだ」
タブレットの画面上で、美闇を示す点が移動を開始した。それは花輪線の上をきれいに沿いながら動いていく。
「これは決まりだね」
くるみもタブレットを覗き込んで言った。
普通に話すときは皆、直接的な表現を避けている。この車両の中にもテログループに通ずる者がいる可能性があるからだ。透たちが美闇の動向を把握していることを勘付かれれば、彼女に連絡されて発信機や盗聴器を捨てられてしまう恐れがある。
「お、例の容疑者やっぱり黒だったんだ」
そんな暗黙の了解を悠々と破ったのは雫。
彼女はくるみと透の間に割って入ると、値踏みするようにタブレットの画面を見下ろした。
「ちょ、ちょっと湯川さん!」
むっとした顔でくるみが注意する。
しかしそれは雫が迂闊な発言をしたことよりも、透との間に割って入られたことへの抗議の色合いが濃いものだった。
そんな妹を制して、透は雫に挑み返すように言う。
「これで俺の一点先取、ってことになるのか?」
「君へのハンデさ」
即答された。ドヤ顔で。
「これでも私、この一連の騒動には結構造詣が深くてね。論文を書けるくらいの知識はあると自負しているね。まともにやったら勝負にならないだろうから、先手を取らせてあげたのさ」
「そりゃどーも」
「それよりも……彼女をどうするつもり?」
今度は、本気で値踏みされていると透は感じた。
そりゃそうだ。いくら状況証拠で容疑者を挙げようとも、倒すなり拘束するなりして無力化できなければ意味がない。
桜の手駒には砦家特殊部隊「叢雲」のメンバーが二人いるが、一人は予めロワイヨム・エトワーレに潜入しており、もう一人の霧中掟は透たちと別行程で緋斗潟村へ向かっている最中だ。このたった二人の戦闘要員を、極力無駄を省き効率的に運用しなければならない。今回まず発見した最初の容疑者をどう料理するか。今後の動きにも大きく関わってくる重要な問題だった。
「さぁ、どうするかな。ま、適当にうまくやるさ」
言いながら、透は自分が浮き足立っていることに気付いた。
詰将棋のような、悪手の許されない判断の連続。それがどこまで続くか分からないというプレッシャーは、確実に透の精神に影響を与えていた。それが吉と出るか凶と出るかは、実際に事が起こるまで分からない。
そんな透の胸中を知ってか知らずか、雫は小さく笑みをこぼした。
(やっぱ、持ってるなぁ……もしかしたら本当に、あのひとを助けられるかも)
☆
11時14分。
暮地美闇、扇田駅下車。
11時25分。
透たち一行、前田南駅下車。
緋斗潟村到着まで、残るステップはあと三つ。




