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一夜明け

白桃女学園パートが終わり、本筋に戻ってきました。

敵本拠地に向けて、なるたけサクサク進めます。




 3



 20XX(回生十七)年7月15日。6時30分。


 目を覚ました透の視界に最初に映ったものは、木目の天井だった。障子戸の隙間から差し込む陽の光が、世界を優しく照らしている。

六畳ほどの和室だった。掛け軸と生花があるだけの空間は、あまりに質素すぎて人間が生活している気配が感じられない。そしてもちろん透はこんな場所に見覚えはない。


(あれ……俺、なんでこんなところにいるんだ?)


 睡眠から覚醒し、その疑問が浮かんだ次の瞬間、透の頭を昨晩の出来事が一瞬で駆け抜けていった。


「そうだ……栗夢は!」


 寝ている場合じゃない。ここがどこなのかも関係ない。

栗夢だ。まずは栗夢の安否を確認しなくては。ほとんどばね仕掛けのように起き上がった透の全身を、その瞬間鈍い痛みが貫いた。


「うっ……痛ぇ……」


 まるで予期していなかった痛みに、透はたまらずうずくまってしまう。頭が、首が、胸が、両腕が、腹が、腰が、両足が、全身に今まで味わったことのない筋肉痛がこだましていて、それは気を抜けばその瞬間に身体がばらばらになっても不思議ではないほどのものだった。

栗夢の無事を確かめたい。栗夢の笑顔を見て安心したい。

心は必死にそう訴えているのに、しかし身体は全く言う事を聞かず、透はもどかしさで気が狂いそうになる。


 そんな彼の様子を察し、一人の男が障子戸を開けて現れた。


「無理に動くな。その身体にどれほどの負荷をかけたのか、自分が一番分かっているだろう」


 その男が敵か味方か、咄嗟に透には判断がつかなかった。

目深に被ったキャップに、上はTシャツ、下はジーンズ。和室にはまるで相応しくない格好の男は障子戸を開け切ると、透の枕元に立った。


「あ、あんたは……」


「そう身構えなくていい。俺は叢雲の隊長、霧中掟(むちゅうおきて)だ。昨日の晩、崖下へ突き落とされたお前の身柄を保護し、ここへ運んできた。この茶室は叢雲専用の隠れ家のようなものだ。場所はADP東京本部の目と鼻の先だが、叢雲と砦本家の人間にしか知られていない。誰も来ないから警戒を解いて問題ない」


 自分が鬼頭の手下に捕らえられていた可能性を考慮していた透は、一先ず安堵を零した。しかし、それはほんの一瞬のこと。一番大切なことをまだ聞いていない。


「栗夢は、どうなったんですか?」


 思わず声が震えた。

自分などがこうして助かっているということは、当然栗夢も救出されているだろうとは思ったが、しかし万一ということもある。霧中が返答するまでの間が、透には果てしなく長く感じられた。


 霧中は言った。


「既にADPのチャーター便で、秋田へと発った」


「……は?」


 希望を粉微塵にする無情の宣告を突きつけられた透は、笑みとも怒りともつかない表情で霧中を見返すことしかできない。

チャーター便で秋田へと発った。それはつまり、栗夢の奪還に失敗したということだ。いや、失敗と言っていいのかも分からない。今透を見下ろしている男は、砦家が誇る特殊部隊・叢雲の隊長だ。そんな大物がいながら、どうして栗夢を取り戻すことができなかったのか。


「……なんだよ、それ」


 透の中で感情が爆発した。


「ふざけてんのか? 俺なんかを助けて、栗夢は連れていかれただと? 助ける相手が違うだろ! 優先順位考えろよ! どう考えたってあの場面では栗夢の元に向かうべきだっただろ? 黒服は全員やられて、自動人形も虫の息。あんたは……あれほどのチャンスをむざむざ見逃したっていうのか?」


 電流のように全身を駆け回る痛みも忘れて、透は吠えた。

しかしそれに対する霧中の返答は、最低限のものでしかなかった。


「そうだ」


「そうだ、って……あんた特殊部隊だろ? しかもそのトップなんだろ? こういう時に働かないでいつ働くんだよ!」


 言いながら、透は気づいた。

叢雲は、砦本家が所有する部隊。砦本家の利益のために動く集団。

今回は本家の人間である桜が分家の人間である栗夢の救出を「一依頼人として依頼」したわけだが、もしやそれが土壇場になって無効化されてしまったのか。依頼人の依頼程度では、分家の人間のためになど動けないということか。


「落ち着いて、透さん」


 透ははっと息を呑んだ。いつの間にか、戸口に桜が立っていた。白桃女学園の制服姿である。


「今は身体を戻すことに専念して頂戴。私たちも、今夜予定通り出発するから」


「ちょっと待ってくれ……桜は疑問に思わないのか? あの場面、上手くすれば栗夢を取り戻せた。そうしたら、敵本拠地に行く必要だってなかった」


「それは、貴方の判断よね。私はプロである叢雲の判断を尊重するわ」


 正面から全否定され、透は言葉を失ってしまう。

桜は軽蔑するでも同情するでもなく、淡々と事実だけを述べていった。


「理由は三つ。一つ、栗夢を人質にとった鬼頭は半狂乱状態にあり、下手に刺激を与えると本人の意思に関係なく栗夢の殺害に至る可能性があった。透さん、これは貴方も確認しているわよね?」


 桜の言う通りだった。透は思い出す。狂った笑みを浮かべ、栗夢の喉元にナイフを突きつける鬼頭の姿を。実際、ナイフは栗夢の喉に食い込んで真っ赤な血が流れていた。確かに、そんな状態の人間を下手に刺激すれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。


「あとの二つは俺から話そう。昨晩、東京本部には自動人形の他にもう一人、それに匹敵する実力の持ち主がいたんだ」


「丁度私が車で正門前に乗り付けようとした時にね、立ちはだかったのがその人物だったの。株式会社星屑遊園地社長室秘書、鬼灯焔(ほおずきほむら)という男よ」


「奴も裏社会の人間でな、俺も何度か対面したことがある。純粋なパワーやスピードでは自動人形には及ばないだろうが、奴の恐ろしいところは常人を超えた頭の回転と知識量だ。咄嗟の状況判断や戦略構築など、総合的な厄介さでは鬼灯の方が上だろう」


 つまりあの場には、透が肉体を限界以上に酷使してようやく倒した自動人形に匹敵する相手がまだいて、そのような状況で錯乱した鬼頭から栗夢を奪い返すのはリスクが大きすぎるということだった。


「俺の判断に納得がいかなければそれでいい。だが氷神透、俺を責めても自分は責めるな。お前が昨晩やってのけたことは、裏社会の人間が一生涯を賭けても到達できないほどの奇跡的な活躍だったんだ」


「……そんなの、意味ないですよ。栗夢を取り返せなければ」


「いいえ、意味はあるわ。私たちは確信しているの。透さん、貴方こそが栗夢奪還を実現するための最後のピース、私たちの切り札なのよ」


「……俺が?」


「それが三つめの理由だ。お前は、どういう原理かは分からないが裏社会最強の戦闘員である自動人形を打ち倒した。その力を自在に使うことができれば、作戦成功の確率は大幅に上がることになるだろう」


 そうだ。今でも信じられなかったが、透は昨晩自動人形に勝った。とはいえ、地下神殿で意識を失い、気が付いたらほぼ終わっていたので、それが実力だなんて全く思えなかったが。


「透さんは、その力について何も知らなかったのよね?」


「ああ、そうだ。ただ昨日の出来事が発生した要因は察しがついている。あの瓶に入っていた液体に何らかの作用があったんだ」


 透は一連の流れを説明した。

父親である氷神聡馬から「お守り」の場所を教える電話があったこと、それを記したメモを見た栗夢がその場所に逃げ込んだこと、彼女が別れ際にこっそり透の胸ポケットに瓶を入れていたであろうこと。


「可愛い顔して大胆なことするよな。凄い子だよ、栗夢は」


「それは当然として、透さんの家を調べればまだ手がかりになるものが出てきそうね。今は何の手がかりもない状況なのだから、どんな些細な情報でも手に入れたいところだわ」


 そう、昨日透が謎の力によって自動人形を撃退できたのは全くの偶然、奇跡だった。

もう一度同じ状況に陥ったとして、また都合よく「もう一人の自分」が現れて解決してくれるとは限らない。というか、そんな不確定要素に頼ってはならない。


「情報を手に入れるとしたら、当たる価値のある場所が二つあるな。一つは俺の家、もう一つは陵家の連中だ」


 透は、陵が特殊な事情を抱えた島にルーツを持っていること、そして自分にも繋がりを見出していることを話した。もし透の祖先も同じ島の出身であるならば、陵家の人間が力の正体を知っている可能性は充分にある。


「陵陽に当たるのは難しい注文ね……もう知っているでしょうけど、私昨日陽の派閥と戦争をしていたの。昨日の今日で知りたいことがあるから教えてくださいだなんて、ね」


「俺の家にしたってそうだぜ。おそらく、警察や野次馬に混ざってADPの人間が俺を待ち構えているはずだ。今や、奴らにとって俺は十宗使徒に匹敵する脅威だろうからな」


「叢雲を貸してあげたいところだけれど……残念ながら今日は動かせる駒がいないのよね……」


 もどかしさが重苦しい空気となって三人にのしかかる。

ものにすれば戦況を根本から覆す可能性のある力がこの手の中にあるにも関わらず、それを使いこなす鍵は幾重もの障壁に阻まれて形もつかめない。


「まぁ、こっちの方は期待しないで待っていて頂戴。状況次第では、交渉の余地がないとも限らないから。ただ、今夜の出発前にごたごたは起こせないから、リスクが大きいと判断したらその瞬間に接触は中止するわね」


「ああ、できる範囲で構わない。けど、まさか家に帰れないことになるなんてな……正直、出発する準備もほとんど終わってないんだ」


 言いながら、透の思考は徐々に日常へと戻っていった。そういえば今日は終業式だったなとか、鞄一式リビングに置きっぱなしだとか、学校の奴らは多分ネットで事件のこと知ってるんだろうなとか……


「あ」


 そこで透は思い出した。

「彼女」は明日には日本を発ってしまうと聞いていたが、それまでの間であれば家の捜索を行うための人員を借り受けることができるのではないか。

透のクラスメイトである留学生、ザミルザーニ社会主義国次期総統候補、リューシカことリュボーフィ・ヴラヂェーチェリから。

リューシカの周りには、常に数人のSPがいた。しかしSPといっても、透は彼らが遊びに行く足や荷物持ちとして使われている姿しか見たことがない。頼めば何とかなるのではと透は当たりをつけた。


「俺の方も、当てはある。何とかして手がかりを探ってみるよ」


「そう、分かったわ。さて透さん、現在時刻は午前七時過ぎ。学校に行くのならそろそろ準備をするべき時刻だけれど」


「いや無理だろ。学校周辺にも監視の目があるだろうし、制服も鞄も家の中だ。とりあえずSNSを通じて当てには接触してみるけど」


「不良ね。それじゃあ私はこれから車で学校に行くから、霧中、後のことは任せたわよ」


「承知しました。氷神透、俺はもうしばらく庭にいるから何かあったら声をかけてくれ」


 行動指針が決まった。テロ予告日まであと二日。出発は今夜。昨晩のイレギュラーは、いわば前哨戦。本当の闘いは、今この瞬間から始まるのだ。


「あ、霧中さん」


 部屋から出て行こうとした霧中に透は声をかける。

正直、全てを聞いた今となっても、それでも栗夢を助けてほしかったという思いは消えない。それでも、これから先の戦いで背を預ける仲間として、透は霧中を信じることにした。そしてできれば、霧中にも信じてほしいと思った。


「ありがとうございます。助けてくれて」


「礼には及ばない。俺は、自分のなすべきことをしただけだ」


 優しい光が差し込む茶室で、二人の男は今、「仲間」となった。

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