狂気の人形葬
どこまでも続いているかのような真っ暗な階段を、頼りない懐中電灯だけで透たちは進む。
奥から聞こえる賛美歌の声が次第に大きくなる。
三十段ほど降りたところで階段は左に折れていた。そこを曲がると、下方向にぼんやりと明りが漏れている。
そして更に三十段ほど降りていくと、学校の教室ほどの広さの空間が広がっていた。
神殿。
そこを一言で表すなら、それ以上に適切な言葉はないだろう。
コンクリート打ちっぱなしの寒々しさが、却って無駄を省いた清々しい印象を与える。
前方には祭壇があり、その前に7人ほどの信者が立っていた。彼らは皆修道服姿で、一心不乱に賛美歌を唱えている。
祭壇には高さ2メートル、幅1メートルほどの箱が鎮座していた。全体を覆い隠す布が被せられており、不気味な印象を透に与えた。
照明といえるものは、壁にかかっている薄いオレンジ色のナイトランプのみ。
そんな薄闇で行われている怪しげな儀式に、透は言葉を詰まらせた。
(これは……何をやっているんだ? 俺が読んだ資料には、こんな儀式の記述はなかった。公式資料はもちろん、桜が叢雲を使って暴いた内部情報にも……)
透が目の前の光景を呆然と見つめていると、左手から階段を下りてくる足音が聞こえた。
この神殿には、三つの出入り口があった。
一つは、透が黒服に連れられ降りてきた階段。
この他に、透から見て左側と、真正面にもどこかへ通じる廊下が伸びていた。
位置関係から考えて、左側の通路は洋館に通じているのか……という透の推測通り、やってきたのは鬼頭だった。栗夢の姿もある。
「よーし、んじゃさっさと終わらせちまうか」
鬼頭は司祭の格好をしていた。栗夢も車内のよそゆきから更にひらひらふりふりのロリータ服に着替えている。その表情は相変わらず虚ろなままだった。
鬼頭が栗夢を伴って祭壇へと進み出ていく。信者たちの賛美歌が止んだ。
(何だ……一体何を始める気なんだ……)
透には全く想像がつかない。だが、これだけは確信していた。
途方もないほど最悪なことが行われようとしている。
教団施設の地下にある秘密の神殿。真夜中に歌われる賛美歌。
そして、祭壇に置かれている謎の物体。
「なぁ、これは何の儀式なんだ?」
恐る恐る、透は黒服に問いかける。
「見れば分かる……感謝するんだな。この儀式は信徒の内でもごく限られた者しか立ち会うことのできないものだ。この場に居合わせたことを光栄に思うがいい」
(そんなにやばいのか……?)
祭壇に立った鬼頭が、信者たちを見渡して言う。
「親愛なる信徒諸君。いよいよ我が教団の悲願である理想郷の完成が三日後に迫った。式典ではここにいる浄化術師の『正式な即位』も行われる。理想郷の完成と新たな導師の誕生は教団の更なる繁栄を促し、それに比して諸君に与えられる加護も益々強固なものとなるだろう」
「メルシー、アンフィニモン! メルシー、アンフィニモン!」
信者たちは跪き、声を揃えて感謝の言葉を口にする。一糸乱れぬその唱和を聞いて、透は彼らが上級信者だということに得心がいった。
(けど、「正式な即位」って? 栗夢はまだ浄化術師じゃないのか?)
透は疑問を抱くと同時に、彼女が浄化術師になった経緯に思いを至らせた。
栗夢の両親は彼女を浄化術師にするため、先代の少女を失脚させた。では、その少女は一体どうなってしまったのか?
その答えを、透はすぐに知ることになる。
「しかし、知っての通り新たな導師を誕生させるには、現職の導師を消さなければならない。導師は一度襲名すれば退くことはできず、そして同時に二人以上存在してはならないからだ。天界から授かる力が分散し、信徒諸君に充分な加護を分け与えることができなくなってしまうからな……そこで」
鬼頭は祭壇上の箱にかかっている布に手を伸ばし、一息に振り払った。
そこに現れたものを見て、透は言葉を失う。
「人形葬だ。壊れた人形はきちんと終わらせてやらないとなぁ」
その箱は棺桶だった。
中には可憐な花が敷き詰められており、それに埋もれるように少女が眠っていた。
その顔に透は見覚えがある。
栗夢の前に浄化術師を務めていた少女だった。
「では、諸君に一人一本ずつこの杭を配ろう。じゃあ、右端のお前からいってみようか」
指名された信者は感謝の言葉と共に立ち上がり、鬼頭の元へと向かう。そして鬼頭から杭とハンマーを受け取ると、少女の前に立った。
(嘘だろ……)
透が何か言う前に、信者はハンマーで思い切り少女の胸に杭を打ち込んだ。
小鳥の断末魔のような声と共に、血飛沫と血反吐が飛ぶ。
棺桶の中の少女は、まだ生きていた。
しかし栗夢にしたように薬品で体の自由を奪っているのか、それとも神経を損傷させて動けなくさせているのか、いずれにせよ少女はおなかの上で手を組んだ姿勢のまま微動だにしない。
透がその光景に圧倒されている間に、二人目が少女の前に立っていた。
そして一人目と同様に、一辺の躊躇もなくハンマーを振り下ろして少女の胸を貫く。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そこでようやく透は声を上げた。
目の前で、幼い少女が惨殺されようとしている。それも、同じ導師は二人存在してはならないなどという理解不能な理由によって。
「神聖なる葬儀の邪魔をするな!」
手錠をかけられた上両脇をロックされている透は抵抗らしい抵抗もできず、取り押さえられる。その間に三人目がハンマーを振り下ろした。少女はまだ生きているようで、カエルが潰れたような声が聞こえた。
(何でだよ……)
信者たちが鎮魂歌を歌っている。
その歌声を聴きながら、透はこの狂気の儀式に憤っていた。
(こういう連中を取り締まるために、危険宗教規制法ってのはあるんじゃないのか? こんな奴らを野放しにしておいて、何が法だ。あれだけの犠牲を払って作った法律は、ただの政治家の実績アピールでしかなかったってことかよ……)
危険宗教規制法に基づく宗教団体の活動停止や解散措置は、法律施行後数年こそ苛烈だったものの、宗教浄化の終結に合わせるように沈静化し、近年では年に一つの団体が指定されるかされないかという状況だった。
初回審査が特別に厳しかった、過激な団体の地下化が進んだなどの要因が挙げられているが、ともかく同法が機能不全に陥りつつあることだけは確かだった。
四本目、五本目と杭が打ち込まれていく。
少女はもう、声を発しなくなっていた。
透の脳裏に、この哀れな少女のあれこれが浮かんだ。
緑川咲、8歳。東京都稲城市出身の小学三年生。両親と姉、弟の五人家族。好きな花はたんぽぽ。好きな動物はハムスター。好きな食べ物はいちごパフェ。行ってみたい国はイタリア。好きなことは、姉弟と遊ぶこと。
ページの片隅に収まるようなプロフィールでは語り尽くせない、たくさんの「好き」が彼女にはあったはずだった。そしてその未来には、それ以上の感動が彼女を待っていたのだ。色々な勉強をして、友達と遊び時には喧嘩もして、恋愛をして、進路に悩んで、仕事をして、結婚して、子育てをして……そんな当たり前の人生を、緑川咲も歩んでいくはずだった。
(それをこいつらは……一方的に奪い去った)
全員が少女の胸に杭を打ち込むと、鬼頭は祭壇の中央に立って宣言した。
「人形葬は無事に執り行われた。これで天からの加護は全て新しい浄化術師に集まる。己の役目を全うできて、このボロ人形もまぁ本望だろう」
「鬼頭ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
自分が殺した少女を冒涜する鬼頭の言い草に、頭が真っ白になった透のリミッターが外れた。突然の咆哮に怯んだ黒服の拘束を振り払い、信者を突き飛ばして祭壇へと駆ける。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
思考など何もなかった。
ただ、この悪魔をブチのめしたかった。こいつさえ倒せれば、その後どうなろうがそんなのは頭になかった。
「奴隷の分際で図が高いんだよ」
爪先が鳩尾に入った、そう認識できた時には、透の身体は祭壇の前に転がっていた。
司祭への狼藉に怒った信者たちが透に群がり、次々と暴行を加える。
「お前さぁ、状況分かってんのか? 教団施設内の地下室、いるのは全員信徒、そこで行われた殺人。普通だったら、下手すりゃ自分も殺されるってビビるトコだろうが。それをまぁ懲りずにヒーロー気取り発動しちまって、挙句がこのザマだ」
もういいよと言って鬼頭が信者たちに暴行をやめさせる。
彼らはまだ気が収まらないようだったが、司祭の命令とあって素直に矛を収めた。
「いい加減気付け。お前はヒーローでも王子でもない。どこにでもいるただのガキだ。お前なんかが身体を張ったところで、クソの意味もねぇんだよ」
自宅での戦いから今に至るまで、攻撃を受け続けてきた透の身体は物理的な限界を迎えていた。目はかすみ、頭は働かず、手は震え、身体中を引き裂かれるような痛みが駆け巡っている。それでも、透の口から出た言葉は命乞いでも降伏でもなかった。
「栗夢も……いつか、殺すのか……その子みたいに……自分たちの、都合で……」
「人聞きの悪いこと言うなよ。俺たちは敬虔な信徒だぞ? 入信した段階で、命なんざとっくに捧げてるんだよ。なぁ?」
鬼頭の呼びかけに、感謝の言葉を叫ぶ信者たち。しかし透の心は揺るがない。
「栗夢は俺に言ったんだよ……『いかないで』って、『いっしょにいて』って……お前ら、そんなこと言われたことあるか? 『いっしょにいられて幸せでした』って、言ってもらったことあるか?」
「は、それがどうした……」
「支配することしかできないお前らが、栗夢を笑顔にできるもんか……自分が笑顔になれないで、人を幸せになんかできるもんか……何よりも……幸せに群がって、人を食い物にするような奴らが、幸せになんかなれるもんか!」
「喋り過ぎだ」
鬼頭の本気の蹴りが透の胸を撃ち抜き、彼は壁際まで吹き飛ばされた。
「そんなに死にてぇなら、望み通りここで殺してやるよ」
軽薄な笑みを消して真顔になった鬼頭が歩み寄ってくる。
蹴られたダメージが心臓に及んだらしく、透は立ち上がるどころか、上半身を上げることさえできない。
ここまでか……
そう思われたその時。透は胸にチクリと何かが刺さったような痛みを覚えた。手を当ててみると、胸ポケットの中で小瓶が割れていた。しかし透には、そんなものをポケットに入れた記憶などない。
瓶の中には液体が入っていたらしく、漏れ出したそれが透の服を濡らしていた。何かの薬なのか、皮膚に付着したところがびりびりと痺れている。
(何だよこれ……)
痺れは急速に全身に広がった。それは脳にまで及び、遂に透は意識を失って頭を垂らした。
動かなくなった透の前で、鬼頭が告げる。
「あばよ、ヒーロー気取り」
司祭の格好をした悪魔は、その血に塗れた両手をゆっくりと透に伸ばした。




