絶望のあとに
黒服によって完全に両腕をロックされた透は、自室に連行されながら早鐘を鳴らす心臓の鼓動に苛まれていた。
(なぜだ……なぜ分かった?)
陵のしたことといえば、透の右手を取って質問をひとつしただけ。たったそれだけで、陵は栗夢が透の部屋に隠されていることを看破した。
まぐれだ。まぐれに決まっている……透は無理矢理に結論づけた。
例えば、相手の表情から真偽を見抜く技術を陵が身につけているとしたら。
とりあえずそれっぽい場所を言ってみればいい。答えは相手が教えてくれる。表情や鼓動で核心を突いたと分かればそこが正解だし、外れたとしても当たるまで回答し続ければいい。
今回は、たまたま一回で当たっただけ。陵が超能力者だとか、そんなことは断じてありえない。透は必死でそう思い込もうとする。だが隣を歩く陵の口ずさむ鼻歌が、その精神をまともな思考ができないほどにかき乱していた。
一行が透の部屋に到着すると、鬼頭は必要最低限の人員のみ残して黒服に撤退命令を下した。残すところは発見した栗夢を連行するだけ。鬼頭の中では、事態はあとワンナウツでコールドという段階まで到達していた。
「さーて、ここが少年の部屋か……つっても、もう粗方探した後みたいだが」
「ちっちっち、それがまだあるんだなー。黒服君たちが探してない場所がね」
陵は部屋に入ると、廊下と部屋を隔てる壁に沿うように転がっている物体を指さした。
(馬鹿な……)
透の全身から一切の力が抜けた。ぐうの音も出ないとはこのことだった。陵が指さした先、透はまさにそこへ栗夢を隠したのだから。
「ほーう、そう来たか」
「栗夢ちゃんは、ここにいるんだよね? この『ものモザ』抱き枕の中に」
TVアニメ「ものくろモザイク」キャラクター抱き枕。
先程、携帯に肝尾からのメッセージが届いたことで透はこの抱き枕カバーの存在を思い出し、ここに栗夢を隠すことを思いついたのだ。
以前、透は肝尾にちょっとした借りを作ってしまったことがあり、その清算としてこの抱き枕カバーを押し付けられていた。
肝尾はかつて「ものモザ難民」と呼ばれる同作品の熱烈なファンだった。しかし、推しキャラの中の人の熱愛が発覚し、その様子を記録した動画までもが流出するという事件が発生。脳内で「ものモザ=推しキャラ=中の人」という図式のできていた肝尾は作品そのものに興醒めし、ものモザのファンを辞めることを決意する。
ブルーレイ、OP、ED、キャラソン、ラジオドラマ……
俺が青春の総てを費やして追い続けてきた御声はどこぞのDQNのアレをアレしたのと同じ口から出ていたのかふざけんな死ねくたばれ地獄に堕ちろと、肝尾は雄叫びも高らかに音源という音源を破壊した。
その勢いでフィギュアなど音源以外のグッズも一掃しようとしたが、しかし、できなかった。
中の人がどれほど憎かろうと、推しキャラそのものに罪はない。
肝尾は愛によって怒り狂い、そして愛によって闇堕ちを回避したのだ。
それでも、グッズを目にするとどうしてもあの胸糞悪い騒動を思い出してしまう。そこで肝尾は周囲の人間に手あたり次第グッズを押し付け始めたのだ。ものモザグッズは市場に溢れ、値段がつかなくなっていた。
そして透の元に回ってきたのがよりにもよって抱き枕カバーだったというわけだ。未使用だったのが、透にとってせめてもの救いであった。
借りは借りなのでもらうだけはもらった透だったが、しかしこれが意外な形で役に立った。
栗夢は小柄なので、抱き枕カバーの中に充分入ることができる。
隙間に布団を詰めておけば、どこから見ても抱き枕だ。
それを無造作に転がしておけば、まさかこんなあからさまに目に入る物体の中に隠れているとは思わないだろうと透は考えたのだ。
黒服たちがサーモグラフィーを所持していたらアウトだったが、幸運なことに持っていなかったようなので何とか乗り切れるはずだった。
だが、思いもよらない形で透の目論見は瓦解してしまった。
(何なんだよこれ……意味分かんねぇ)
陵が抱き枕の傍らにしゃがみ、その手を伸ばす。鬼頭はもう事は終わったとばかりに、大きな欠伸をしていた。透はそれを、床に手をついた無様な姿でただ見ているばかり。
(……お兄さま)
その時、透の脳裏に涙を流す栗夢の姿が過った。
「行かないで……いっしょに、いて」
「怖かった……寂しかった……こんなのもうやだよ……」
透は思い出す。
泣きながら訴える栗夢を見て、「この子を守る」と自分は誓ったはずではなかったか。
姿は見えないが、抱き枕カバーの中で栗夢は絶望に打ちひしがれているだろう。恐怖に震えているだろう。自由を渇望しているだろう。そしてその渇望は、他ならぬ透に託されているのだ。
(……足掻いてやる)
警察がここへ向かっている。叢雲もここへ向かっている。桜もここへ向かっている。
但し、いつになるかは分からない。それでも、最後の最後まで諦めず可能性にしがみついていれば、繋がるかもしれない。奇跡が起こるかもしれない。
(男になれ氷神透! 己の総てを賭けて、助けを求める少女を救え!)
「それに触ってみろ……」
もはや戦意喪失したと思われた透が発した声に、陵の手が止まる。
陵と鬼頭の視線が、一瞬だが透の方を向いた。この瞬間に、透は残った気力全てを注ぎ込む。
「お前らを……殺す」
陵が憐れみの表情を浮かべ、そして鬼頭が無表情のまま透の腹を思い切り蹴り上げた。
「がはっ……」
ヒットポイントゲージがあるとしたらとっくにマイナスに割り込んでいる透は、もはや転がることさえできず、その場にうずくまる。瀕死の透に、鬼頭は無言で追撃を加えていく。
「どうした、やられっぱなしじゃねえか。そんなザマのお前に、俺らは一体どうやって殺されればいいんだろうなあ? 教えてくれよ氷神! 東大出た俺でも、さすがにこの難問は分っかんねぇわ!」
鬼頭の攻撃が止む。飛びそうな意識をぎりぎりで保ち、透は敵を見据える。陵はまだ抱き枕を開けていない。これが最後だ。最大級のハッタリをくれてやれ。
(栗夢、すまない……でも俺に残された手は、もうこれしかないんだ)
これを言えば、栗夢までも傷つけることになる。それでも透は迷わなかった。震える手で携帯を掲げ、鬼頭に見せつける。
「砦家特殊部隊、叢雲がここに向かっている。もういつ到着してもおかしくない」
鬼頭の顔色が変わった。
手ごたえを感じた透は、一気に畳みかける。
「国内有数の資産家、砦家が擁する特殊部隊。しかも来るのは、その隊長だ。お前らみたいなヤクザ崩れやインチキ超能力者なんて、文字通り瞬殺だろうな」
鬼頭らが叢雲の存在を知っているかの確証はなかったが、どちらにしても少なくない衝撃を与えられると透は踏んでいた。栗夢の両親はADPと深く繋がっている。そのADPの幹部である鬼頭らが、砦家の権力を知らないわけがない。叢雲についてよく知っていれば尚良しだ。狙う側が一転、狙われる側へ転落した衝撃はより大きくなる。
叢雲の名前を出すことには、栗夢にもショックを与えてしまうという副作用があった。だがもはや、この窮地を乗り切る術を透はこれ以外に見つけられなかった。
「さぁ、もう終わりだ……いい加減、俺の家から出ていけ!」
ぐっ、と言葉を詰まらせた鬼頭が苦渋の顔を浮かべる。陵は顔を伏せていて、透からは感情を読み取れなかった。
しかし、さすがは砦家といったところだ。
あれほど傲岸不遜に振る舞っていた鬼頭と陵が、一分前とは打って変わってしおらしくなってしまった。権力を行使する者ほど、権力の恐ろしさを理解しているということか。
(勝った……)
信じられなかった。
他力とはいえ、まさか本当にこの絶望的状況を覆してしまえたとは。
ともかく、これでどうにか栗夢の無事は繋がったわけだと透が安堵の息を零したその時、
ぱりん、と窓ガラスの割れる音が響いた。
透の心臓が跳ねあがる。廊下から、誰かが歩いてくる足音が聞こえる。
(叢雲か? それとも……)
足音は真っ直ぐ透たちのいる部屋に向かってくる。透は恐ろしくて鬼頭たちを見ることができない。もし味方の合流を確信した笑みなど浮かべていたら、透の心はもう完膚なきまでにブチ折れてしまう。
足音が透の背後で立ち止まった。叢雲だ。絶対に叢雲だ。だって桜はあと十分で到着すると言ったじゃないか。叢雲に決まっている。叢雲でしかありえない。我を忘れ祈り狂う透の眼前に、球体が転がされた。
切断された人間の頭部だった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
その瞬間、透は全身に木霊していた痛みも、鬼頭や陵、栗夢のことさえ忘れて後ろへ飛びのき、そしてその人物にぶつかった。
透の背後にいたのは、若く美しい女だった。
前髪を揃えたこげ茶のセミロングが程よく調和する端正な顔に、深い知性を感じさせる黒く澄んだ瞳。デニムのショートパンツから伸びる脚は健康美に溢れ、深紅のスカジャンがおっとりとした雰囲気の中に強烈なアクセントを生んでいる。年は二十歳くらい、バンドのボーカルでもやったら人気の出そうな雰囲気を持っている。
「叢雲って、これ?」
女が興味なさそうに言う。反応がなかったので、女は透を軽く蹴った。それだけで透は殺虫剤を撒かれた虫のように飛び上がり、ようやく自分が話しかけられていることを理解した。
「さっきね、屋根の上を伝って現れたんだ。怪しかったし、一般人でもなさそうだから殺っといたけど、まさか特殊部隊だとは思わなかった。弱すぎて。これなら多分、鬼頭さんの方が強い」
透は、もう返す言葉を持っていなかった。
万策尽きた。頼みの叢雲がこんなにもあっさり倒されてしまっては、どうしようもない。
「っは……ははははは! さっすがオートマちゃん! 強い上におべっかまで使える! まさにボディーガードの鑑だぜ」
「おつかれさまー。いつもありがとねー」
鬼頭と陵がすっかり元の調子を取り戻す。
いや、こいつらは最初から分かっていたんだと透は途切れかけた思考の中で結論づけた。叢雲なんて、最初から何とも思っちゃいなかった。自分たちの方で、圧倒的に強い戦力を保持していたんだから。全てを知った上で、俺をおちょくっていたんだ……
「ホントは内緒なんだけどよ、お前の健闘を称えて特別に教えてやるよ。こいつは自動人形、ウチの工作部隊・悪夢の手引書のリーダーだ」
「オートマタ? ……ナイトメア、テールズ?」
「私のコードネーム。悪夢の手引書は存在しない部隊。だから所有者もいない。持ち主のいない人形に、名前は必要ない」
自動人形は必要最低限のことしか喋らない。今の透には、そんな些細なパーソナリティでさえ脅威に感じられた。映画や漫画でも、感情の希薄な敵はラスボス級と相場が決まっている。
「私は監視に戻る。こいつの仲間が来ないとも限らないから。まぁ、何人来ようが末路は見えてるけど」
「なーんかオートマちゃんが頼もしすぎてダメになりそうだねー」
「既にダメな奴が何言ってんだ。お前はオートマの爪の垢でも飲んでろ」
自動人形は叢雲の生首を持って去っていった。
鬼頭たちはしばし軽口を叩き合っていたが、ほどなくその視線は抱き枕に戻る。
今度こそ、その中身が暴かれる。
「またどこぞの特殊部隊がどうとか抜かされると鬱陶しいからな。しばらく黙っててもらうぜ」
鬼頭は勝手にタンスを開けてハンカチを取り出すと、強引に透の口に押し込んだ。透は声が出ないどころか、呼吸すら満足にできなくなってしまう。
更に身体は鬼頭に押さえつけられ、完全に行動の自由を失ってしまった。
「この茶番もいい加減に終了だ。陵、栗夢を引きずり出せ!」
「御意~」
布の裂ける音が部屋に響き渡る。
透の耳元で「おら、敗北の瞬間を目に焼き付けろ!」と鬼頭が煽る。透は我慢できず、まぶたを重ね、懺悔した。
(すまない……君を守ることができなかった……本当にすまない……)
だが、
「あれ……」
聞こえてきたのは、栗夢の悲鳴でもなく、鬼頭の高笑いでもなく、陵の困惑した声だった。
恐る恐る、透は目を開く。
そしてその視界に、信じられないものが映った。
「どゆこと……?」
困ったように笑う陵が右手に持っている抱き枕カバー。
その中身は、空っぽだった。透が確かに隠したはずの栗夢は、影も形も残さず、抱き枕の中から忽然と姿を消してしまっていたのだ。




