心暴き
堅気とヤクザの違い。プロとアマチュアの差。
それは経験や技術、度胸や覚悟など様々挙げることができるが、こと暴力沙汰に関してその筋の人間の最も恐ろしいところは、目的のためなら法に触れる行為も容赦なく実行するということだろう。
闇の世界で生きる血も涙もない化け物共は、相手の口を割らせる方法などいくらでも持っている。
脅迫、拷問、自白剤……型にはめられてしまえば一巻の終わりだ。透はどうにか時間を稼がなければと考えたが、鬼頭がそんな真似を許すはずもなく、黒服たちによって敢無く床に組み伏せられてしまった。
(警察が通せんぼを食らっていたとしても、叢雲の方はあと七、八分ほどで到着するはず……せめてそれまで耐えられれば活路が開けるかもしれない。なのに……)
有無を言わさず自白させられてしまえば、ものの二分で栗夢を見つけ、ここから逃走するところまで許してしまうだろう。教団施設に戻された栗夢は、当然最大級の監視下に置かれるはずだ。そうなってしまえば救出どころか、会う事すらできなくなってしまう。
(何か、何かないのか……)
この状況を、逆転とまではいかなくても、最悪を回避しうるような妙手が……
極度の緊張と恐怖、そして身体へのダメージでふらつく頭を最大限稼働させる透だったが、しかし奇跡のアイデアは降りてはこなかった。
口惜しさに奥歯を噛みしめる透の耳に、扉が開いて新たな人間が入ってくる音が届く。
陵眠、その人だった。
七導師が一人、信者の精神状態を司る精神掌握術師。
桜から渡された資料に載っていた写真とも一致する。
だが、陵の姿を見た透は自分の正気を疑った。
彼女が、パジャマ姿だったからだ。
薄ピンク色のフリフリワンピースにお揃いのナイトキャップとソックス。
名は体を表すというが、ここまで徹底しなくてもいいだろうという圧倒的なビジュアルに透は面を食らった。
そして服装も大概だったが、それ以上に彼女には決定的におかしいところがあった。
そもそも起きてさえいなかったのだ。
黒服が二人がかりで運んできた彼女は、彼らが手を放した瞬間崩れるように床に突っ伏した。
(……こ、こいつは一体?)
呆気にとられる透の脇で、鬼頭が頭をガシガシと掻きながら忌々しげに吐き捨てた。
「お前らはあれか、言われたことしかやらないタイプか」
指示を忠実に実行したにも関わらずなぜか詰られて、黒服二人は縮み上がる。
その様子を見て更に不機嫌になった鬼頭は、八つ当たりのように怒鳴り散らした。
「いいか、連れてこいってのは、すぐに動ける状態のそいつを用意しろって意味だ。お前は上司にお茶持ってこいって言われて急須と葉っぱを持っていくのか違うよなぁ? すぐ飲める状態で持っていくよなぁ? ならこいつはおかしいだろ。寝てるよな? どこからどう見たって寝てるよなぁ? このおねむちゃんは俺が起こすのか? 自分で起こしてから連れて行こうとかよぉ、その程度の気遣いもできねぇからお前らはクズなんだよ!」
申し訳ございませんでしたぁ! と黒服二人が息を合わせたようなシンクロ率で土下座する。ああ、最近問題になっているブラック企業というのはこういう感じなのかと透はうんざりした。
「い、言い訳になってしまいますが、私共も一応、その、精神掌握術師を起こそうと試みたのでございます。ですが、いくら呼びかけても、お身体を揺さぶってみても、全く起きる気配がないものですから……」
「ならぶん殴るなり髪引っこ抜くなりすりゃあいい」
「め、滅相もございません! 私共のような下々がそのようなことを……そもそも、触れるどころか、近寄ることさえ畏れ多いくらいで……」
「あーあー分かった、もういいよ」
鬼頭は黒服たちを追い払うように手のひらを振ると、陵の傍らに座り込んだ。
「ったく、栗夢といい陵といい、ウチの女共は手がかかりすぎていけねぇな……おい陵、起きろ。起きて働け!」
「んにゅ……あと八時間……」
透の目の前で陵が初めて喋った。しかし直後にはすぴーという寝息が聞こえてくる。
透はまた鬼頭の怒りが大噴火するのではと身構えたが、しかしオールバックのヤクザ崩れはむしろ優しい口調になって囁きかけた。
「お前の好きな『心暴き』の時間だぞ」
それを聞いた陵の両目が、スイッチが入ったようにゆっくりと開く。
彼女は上半身を起こすと、眠い目をこすりながら辺りを見回した。
「この家のどこかに栗夢が隠れている。さっきこいつらが総出で探したんだが見つからなくてな。警察は妨害してはいるが、いつ来てもおかしくはない。そこでお前の出番がやってきたってわけだ」
「へーえ、このおうちそんなに広いんだぁ」
んしょっ、と陵が立ち上がる。
彼女の立ち姿を見て、透はいよいよ困惑の度合いを深めた。
クールビズの鬼頭とスーツの黒服たちの中でただ一人パジャマ姿の彼女は、彼らの仲間というより拉致された側といったほうがしっくりくる。微粒子レベルで、極道一家の娘という可能性も存在するだろうか。
背丈は透と同じくらいだが、胸はかなり大きかった。
陵がんーっと伸びをすると、それらはボールのように大きく弾んだ。
(パジャマということは、やはり胸の下着はつけていないのだろうか……けどそれだと、色々恥ずかしいと思うのだが……)
口調こそ幼いが、身体の成熟具合とどことなく大物っぽい雰囲気から、少なくとも成人はしている、二十三前後かと透は当たりをつけた。
陵はひとしきり周囲を観察して状況把握を済ませると、透のもとにぽてぽてと歩いてきた。
「やーどもども、初めましてだねー。わたしはアンジュ・デ・ポームの眠り姫こと、陵眠ちゃんというものだよー。えーっと、以後お見知りおき?」
「しなくていい。どうせこれっきりだ」
鬼頭が煙草に火を点ける。見た目と態度からこいつの辞書に受動喫煙なんて言葉はないんだろうなと思っていた透だが、それ見たことかである。
無断で侵入してきて、家中滅茶苦茶にされて今更だが、透は一応苦言を呈しておく。
「栗夢の傍でもそうやって吸ってるのか? いくら社長だからって、何しても許されるって思わない方がいいぞ」
「うん? 許されるぞ。何故なら俺は社長だからだ」
ふーっと大きく煙を吐き出す鬼頭。「お前の方こそ、権利さえ主張してればいつでも守られると思わない方がいいぞ」と返し、再び煙を吸い込む。
「まーまーそういきり立たないで。えーっと、君は何君と呼べばいいでしょう?」
「氷神透だ。好きに呼べよ」
「うん、じゃあ透くんって呼んじゃうよー。お姉さんのことはねむちゃんでいいからねー」
どこまでも緊張感のない女である。
まるで、初めて会う兄の彼女と自己紹介をしているかのようだ。まぁ、鬼頭のような兄など透としては断固お断りだが。
「でさー、透くん。そりゃあ栗夢ちゃんは可愛いよ。手放したくないっていう透くんの気持ちも分かる。だけどね、栗夢ちゃんは皆のお姫様なのだよ。透くんじゃなくても、誰かが独占していいものではないのです」
「栗夢はモノじゃない! 意志を持った一人の人間だ! だから自由を奪っちゃいけないって、それだけのことが……たったそれだけのことがどうして分からないんだよ!」
皮肉にも敵の言葉によって、透は自分が何に怒りを覚えているのかを完全に理解した。
栗夢をモノ扱いするな。透の思いは、そのたった一つに集約される。
栗夢の命を狙う十宗使徒。教団の都合のために連れ戻そうとする鬼頭や陵。一方的な愛を押し付けようとする桜だってそうだ。どいつもこいつも、自分勝手だ。
確かに栗夢は可愛い。桜の言う通り、世界一可愛いのかもしれない。
だが、栗夢の可愛さは、栗夢自身のものだ。独占するとか、皆で分け合うとか、他人が勝手に決めることではない。そんな権利は誰にだってない。
「透くん、それは甘いよ」
そんな透の叫びを、陵はたった一言で切って捨てた。
世間を知らない子供を窘めるように、陵は透に諭す。
「確かに自由は大切だよ。わたしだって自由は大好き。特にお昼寝の自由とかー、お寝坊の自由とかー、二度寝三度寝の自由とかねー。でもね、自由の結果が常に幸福とは限らないわけですよ。自由に遊ばせてた子供が車道に出ちゃって車に轢かれたら、悔やんでも悔やみきれないよね。透くんにはまだ先の話かもだけど、わたしたち大人は子供に対して、どこかで鬼にならなきゃいけないときがあるものなのです」
認めたくない。しかし、透は言葉に詰まった。
確かに、誰だって不自由より自由の方がいい。だが、それだけじゃ世界は回らない。どこかで線引きをしなければならない。それがここだと、陵は言っているのだ。
栗夢は、殺害を予告されている。
ここにいることも、遠くない内に嗅ぎつけられるだろう。
そうなった時に、透に栗夢を守ることができるのか。ADPに渡すより生存率が高いと、断言することができるのか。
たった今、鬼頭一人相手にズタボロにされているというのに。
「大人になろうよ、透くん。君がわたしたちと仲直りして、素直に栗夢ちゃんを出してくれさえすれば、もうこんなのはおしまい。逆に悪あがきをすればするだけ家の中は荒らされて、そこのお兄さんも煙草すぱすぱ吸っちゃうんだよー。だからさ」
「あーもうお前ら話長えよ! そんなに人生について語り合いたいなら陵の電話番号とアドレスとSNSアカウント教えっから後でやってくんねーか」
「すごーい! 本人の目の前で個人情報の意図的流出を予告しちゃった!」
透は携帯を見る。もう、警察も叢雲もいつ現れてもおかしくない時間だ。
いけるかもしれない。透の胸に、微かな希望が灯り始めた。鬼頭と陵には連帯や協調というものが一切感じられない。陵がどんな自白手段を持っているにせよ、その気になればまだまだ粘れるのではと透は思い始めていた。
そんな透の目の前で陵はひとつ息を吐くと、向き直って言った。
「んじゃまー仕方ないですねー。透くん、ちょっと手ーだして」
「は?」
透が言葉の意図を測る前に、陵は自分からさっと手を取ってしまった。
そんなシチュエーションではないというのに、一瞬どきりとしてしまう。
「……」
「な、何だよ。手相占いでもしようってのか?」
「……あ、いや、そうじゃないよ。さて質問です。透くん、あなたは栗夢ちゃんをどこに隠しましたか?」
「俺の答えは変わらない。そんな子は来ていない。以上だ」
発信機を仕込まれていた上、衣類まで見つかってしまったのだから、これはもはや言い訳にもなっていない。けど、それがどうした。自分に今できること、つまり時間を稼ぐことに透は全力を賭した。
(来るなら来い……ここは、絶対に通さない)
そんな彼の決意を木っ端微塵に粉砕するように、陵は微笑んで言った。
「分かりましたー。栗夢ちゃんは、透くんの部屋にいますね?」




