決断
透と桜たちのたまり場である喫茶店「裏庭」は、南町田駅前に広がるショッピングモール「ラズベリーモール」の外れに位置している。
休日には多くの家族連れやカップルで賑わうモールだが、裏庭のある一帯は店名が表すように人通りの少ないエリアで、別荘地のように静かで穏やかな空気が漂っている。
戦後間もない頃に開業した純喫茶である裏庭は、そのエリアの象徴のような店だった。
落ち着きを最重要視するオーナーの意向で店内は一日中最低限の照明しか灯っておらず、BGMもピアノソロやギターソロの質素なものばかり、そして欧州各国から集められた個性的なアンティークの数々。
客を選ぶことは間違いがないが、しかし同じ波長の人間のみで構成された居心地の良い空間というのもまた喫茶店の存在意義。かくして裏庭は姉妹の秘め事にはうってつけと認められ、桜たちの「花園」となったわけである。花園とは、つまり縄張りのこと。ここなら他の派閥の生徒が来ることもなく、安心して内密な話をすることができるが、しかし静かであるがゆえに、沈黙に陥った時の気まずさは一般的チェーン店の比ではない。
「えっと……真面目に答えてくれないか?」
恐る恐る透は尋ねた。
栗夢の「出家」に関して、桜には相当の「負い目」がある。
実の姉妹といっても全く違和感を覚えないほどの仲良し従姉妹だったあのふたりが決裂したのだから、よほどのことがあったのだ。だから桜にしてみれば、言いたくないことは両手の指では足りないくらいだろう。
つまり今の「世界一可愛い」発言はそれをはぐらかすための方便と透は考えたのだが、しかし桜はそれをあっさりと否定した。
「? ……私は大真面目よ」
効果音をつけるとしたら、絶対に「キリッ!」しかないだろうという顔で透を見つめ返す桜。透が「ええ~」と困り果てたところで、できる妹であるくるみが助け舟を出してくれた。
「あ、あのね、七導師には各々役割があるの。教主、経営、健康、精神、医療、芸術、愛玩をそれぞれ担当する者が、全能術師、錬金術師、体術師、精神掌握術師、医術師、芸術師、浄化術師と呼ばれていて、浄化術師はいわば教団のマスコット的な存在。栗夢ちゃんはフランス人の血を引いていてお人形みたいな見た目だから抜擢されたんじゃないかな。ADPは人形を偶像崇拝する宗教だからマスコットの重要性はとりわけ高くて、名目上は教主に次ぐ教団のナンバー2みたいだよ」
カンペなどを全く見ることなくすらりと言いあげてみせたくるみ。秀才の巣窟である白桃女学園で学年トップの成績というのは本当だったのかと透は驚いた。
「お兄ちゃん……何か失礼なこと考えてない?」
「そ、そんなわけないだろ。くるみはすごいなぁって思ってたんだ。将来、有能な秘書としてバリバリ働いてる姿が目に浮かぶよ」
心の奥まで見透かすような妹からのジト目に思わずお世辞を盛って返した透だったが、しかしくるみ的には不満なようで一層機嫌を損ねてしまった。
「秘書なんて考えてないし! わたし、弁護士志望だから! 自分の手で誰かを助けられる大人になりたいの! ……でも」
言いたいことを言いきると、ちらりと透の方を見てぽつりとつぶやく。
「お兄ちゃんの秘書だったら、なってあげてもいいかも」
「あ、ああ、ありがとな」
今度は桜がバカップルならぬバカ兄妹から置いてけぼりを食らう番だった。
頬を引きつらせた彼女は、それでもお姉さまの意地で笑みだけは保ったまま妹とその兄をたしなめた。
「ふたりの兄妹愛は良く分かったから、話を先に進めましょうね?」
キレ者揃いといっても、しかしまだ中高生。脱線しかけた話を軌道に持ち上げ、元の場所からやり直す。
「しかし、普通の女の子がいきなり一国一城のお姫様とはね。こんなリアルシンデレラストーリーがあるもんなんだな」
「透さん、栗夢は普通なんかじゃないわ。あの可愛さだもの。むしろ今まで何もなかったのがそもそもおかしいのよ」
あー、けんかの原因はこの辺かと透は推量した。
一応、桜は派閥の妹たちのことは平等に可愛がっていると主張している。くるみたちに聞いても同じことを言うだろう。先程の「世界一可愛い」にしたって、それは栗夢に限ったことではなく派閥メンバーみんなのことなので何も問題はない。というのが派閥メンバーの共通認識だろう。
だが、透から見れば、栗夢に対する愛情だけは明らかに一線を画している。みんなが世界一なら、栗夢は宇宙一。みんなが宇宙一なら、栗夢は殿堂入り。栗夢は常に、他者より数段高くに置かれている。ように見える。
もし自分が栗夢の立場だったら、相当鬱陶しいだろうな~と透は思ってしまう。
「透さん、私のことシスコンだと思ってるでしょうけど、貴方も人のことは言えないからね。それと、私にとってシスコンは最上級の誉め言葉だから」
「二人とも、揃いも揃って千里眼でも持ってるのか……まぁそれは置いといて。もう一つ、十宗使徒が実際に事を起こす可能性についてだけど」
「それは間違いないわ。砦家の特殊部隊に探らせていたのだけれど、どの教団でも大なり小なりその兆候を確認できたそうよ」
特殊部隊。
「えっと、一応聞くけど、特殊部隊ってのは、その、FBIみたいなものか?」
「砦家は大きな家だからね、必然的に敵が多くて。表沙汰にできない問題を処理するための部署があるのよ。砦家私設諜報隊・叢雲。今回の緋斗潟村行きには、彼らにも一緒に来てもらうわ」
(私設諜報隊ときたか……)
知り合いの宗教団体幹部就任、従妹への溺愛宣言、そして今度は特殊部隊。
もう何が来ても驚かないなと透は思ったが、しかしこの超絶お嬢様のことだ。いくら身構えていようが、それを易々と飛び越えるレベルのものを出してきそうな気もした。今更ながら、そんな人物と向かい合ってお茶をしている自分が信じられなくなってくる。
しかし、それはそっくりそのまま頼もしさであることに他ならない。自分たちだけで緋斗潟村に乗り込むのだと思っていた透は、一気に視界が開けたような気がした。
「というか、そんなプロフェッショナルがいるなら、全部彼らに任せればいいんじゃないか? 確かに栗夢は大切な仲間だ。危機に陥っているなら助けたいと思う。けど、そのために俺たちが身の丈を超えた危険を冒すというのは、本末転倒じゃないのか? 今回のケースはいつもみたいなちょっとした謎解きとはワケが違う。命懸けだ。正直言って、足手まといにはなっても、役に立てる自信なんかないぞ」
推理作家の父を持つ透は、自らも少年探偵の真似事をやっていたりする。しかし探偵とはいっても、失せ物探しやイタズラの犯人特定など、その程度だ。体力や運動神経にしても並みの上程度でしかなく、もしテロリストと相対することになっても、くるみたちを守り切れるとはとても思えない。
犯罪者を捕らえるのは警察、テロリストを制圧するのは軍隊。
相応の敵との戦いには、然るべき実力を備えた者が臨むものなのだ。
透にも、桜の気持ちは分かる。けんか別れした従妹・栗夢が思いがけない形で危機に陥ってしまい、居ても立っても居られず透に助力を求めてきた。
しかし、やはりこれは、警察なり軍隊なりの専門家に任せるべき案件ではないのか。
自前で特殊部隊まで持っているのなら、尚のこと。
「それじゃ、だめなのよ……」
そんな透の正論に、桜は感情論で反駁する。
「私が自分で行かなきゃだめなの。私が栗夢を見つけて、ちゃんと謝って、差し出した手を握り返してもらわないと……そうじゃないと、もう二度と栗夢に会えない。根拠なんて何もないけど、そんな気がしてならないの」
学園三位の派閥のリーダーである桜が駄々っ子のようにぐずる姿を目の当たりにして、透は彼女がどれほど追いつめられているのかを悟った。それこそ、栗夢の救出に失敗してしまったら、責任を雪ぐため自ら命を絶ちかねないほどに。
再び溢れ出た涙が、一滴、また一滴とカップに零れ落ちる。
だが、涙はそれ以上流れなかった。
こんなところで泣いている暇はない。泣くのは栗夢と再会し、再び心を通わせたその時だと言わんばかりに。
「お願い透さん。私と一緒に来て。貴方の力が必要なの」
桜は立ち上がって、深々と頭を下げた。
長い黒髪が透の目の前でさらりと流れる。
「わたしからもお願いします」
くるみも桜に倣い、立ち上がり頭を下げる。
こちらはツインテールがぴょこんと揺れただけだった。
「もしわたしが栗夢ちゃんの立場だったら、お兄ちゃんは絶対来てくれるよね? 会いたくても会えない辛さ、お兄ちゃんなら分かるでしょ? お願いお兄ちゃん……お姉さまと栗夢ちゃんを助けて!」
透たち以外に客のいない店内が、哀愁漂うギターの音色で満たされていく。
儚く切ないその音色は、透の目の前に季節外れのセーターを着た栗夢の姿を浮かび上がらせた。
恋人同士のようにキッチンで身を寄せ合い、おにいさまができたと喜んだ顔が透の胸に迫る。
もしくるみが栗夢の立場だったら……やはり自分自身で動くだろうなと透は考える。
とてもじっとなんかしていられない。誰を敵に回しても、如何なる手段に訴えてでも、絶対にくるみを救い出す。
その過程で、桜に助けを請うこともあるかもしれない。その時、もし断られたら……
どんな気分だろう。桜を、恨むだろうか……
透はひとつ大きく息を吐き、そして敢えて突き放すように言った。
「成功確率はどのくらいだ?」
ぴくっ、と桜が反応するのが分かった。しかし透は構わず続ける。命を賭けるのだから、嘘も誤魔化しも許さない。確率ではない。桜が現状をありのまま伝えてくれるかを、透は見極めたかった。
「勝利条件は二つだな。一つは、ADPから栗夢を奪い、俺たちの庇護下に置く。その後のことは、その時考えればいい。もう一つは、脅威である十宗使徒の全滅。叢雲の戦力にもよるが、現実的なのは前者だろうな。この二つの達成確率を、それぞれ教えてくれ」
桜、くるみが顔を上げる。
くるみは困ったように桜の方を見つめている。その桜は、思案するように一度目を閉じたが、やがて心を決めた瞳で透を見返し、口を開いた。
「透さん、貴方を信頼しているからこそ、嘘偽りのない数字を言うわ……」
薄暗い裏庭の、その更に片隅で、少女の口から二つの数字が語られた。




