死神は遅れて現れる
21
「十秒も待つだなんて」
それは、扉に意識を向けていた忌島たちの背後に、幽霊のように現れた。
「見かけによらず、随分とまぁ呑気でやんすねぇ? ヤンキーの兄ちゃんよ」
まさに今、扉を破壊しようとしていた忌島の腕が、見えない糸に縫い付けられたかのようにぴたりと止まる。
忌島だけではない。奥州も、宝生も、玉那覇も、皆余命を告げられた末期患者か、もしくは死刑を告げられた被告人のような苦渋をその表情に滲ませていた。
現れるべきではない者が現れた。誰もがそれを瞬時に悟っていた。
「十秒、あんたらが突っ立っている間に、あっしは全てを終わらせることもできた」
忌島たちの背後に立つのは、一人の老人。
白髪ばかりになった頭に、つぎはぎだらけの和服。感情を読み取れない細い目。葉っぱをくわえて腕を組む立ち姿は江戸時代から時間跳躍してきたかのようだったが、しかし江戸時代の人間が現代人と邂逅して、こんなに落ち着き払っているはずがない。
老人は幻でも白昼夢でもない。目的を持ってここへ赴いた、この時代を生きる人間だ。
「あんたらね……そんな体たらくで、本当に敵さんをやっつけられるとお思いですかい?」
発せられる言葉を構成する音の一つ一つが、亡者の呻きのようだった。
もしくは呪いの言葉か。
恐ろしいまでに生気の乏しい、枯れ木のような、抜け殻のような老人。裏社会で生きてきた奥州たちでさえ、こんな人間が存在していていいのかと自身の正気を疑った。
「てめぇ、いつからそこに……」
馬鹿ゆえに、頭がからっぽであるがゆえに、いち早く気を取り戻した忌島が老人を睨み付ける。それに続いて奥州たちも態勢を立て直す。
「さぁて、いつからでやんしょ? ついさっきかもしれやせんし、もしかすると最初からずっとあんたらを見ていたのかもしれやせんねぇ……けどね」
化物たちの射殺すような視線を同時に受けながら、しかし老人は朗読でもするかのように穏やかに語る。
「そんなことはどうだっていいでしょうよ。あんたらは隙だらけで、いつでも殺せる。あっしのようなあの世に片足突っ込んだ老いぼれでさえね……今のあんたらにあるのは、この事実だけだ」
ひっひっひと老人は笑う。風に吹かれるしゃれこうべのように。
「いつでも殺せる、だ?」
剃刀を突きつけるような緊張が走る。忌島の怒気が、老人の不気味を押し返した。しかし老人は変わらず何事もないように微笑みを絶やさない。
「ええ、そうでやんすよ」
「それでいいんだな……てめぇの最期の言葉は!」
言い終わらない内に忌島は飛びかかる。その顔は、しかし愉悦に歪んでいた。突如出現した得体の知れない人物から挑発されるという怒りは暴れる理由に変換され、そして体が動いた瞬間には快楽が全身を支配していた。
奥州たちは動かない。ただ観察している。忌島が勝とうが老人が勝とうがどちらでも構わない。どう転んでも、己の利につなげるだけである。
しかし。
空気を震撼させる轟音が、全ての行動と思考を中断させた。
さすがの忌島も攻撃を止め、状況把握に努める。
「何が起こった! さてはてめぇの連れだな?」
「いや、音はかなり離れた場所から聞こえた。方角は南東……緋斗潟トンネルか!」
「ご名答」
言葉とは裏腹に、ようやく気付いたかという嘲りの色を露骨に浮かべる老人。
「緋斗潟トンネルが落ちやした。この緋斗潟村と外界を繋ぐ、たったひとつの出入り口がね。山越えしてくるようなあんたらはともかく、これで一般人は村から出ることも、村に入ることもできやせん」
老人は葉っぱを吐き捨て、そして宣言した。
「これを号砲として、楽園は地獄へと姿を変えるってわけです……ああ、申し遅れやしたね、あっしは虚無教代表の標無鏡一と申しやす。短い間でやんすが、これも何かの縁、ひとつ仲良くやりやしょうや」
言葉の後には、苦虫を噛み潰したような沈黙だけが残された。
誰も握手を求めたり、挨拶を返したりはしない。朱に交われば赤くなる。下手に虚無教と関われば、自らも虚無に呑み込まれてしまう。虚無教の信者とは言うなれば、奈落へと転落する穴が意志をもって移動しているようなものなのだ。
22
「まぁ、色々ありましたが……」
建物の内部と周辺を一通り調べた後、一同は遊戯室に戻った。異常の報告はなし。標無以外の人間は現状建物内部におらず、逃走した形跡もないため、先程の爆弾は標無が投げ込んだものとして間違いないという結論で一致した。虚偽の報告をした者がいなければ、だが。
「これでようやく、十宗使徒が全員揃いましたね。何よりです」
皆先程と同じ椅子にかけ、利根川の司会で会議が再開される。
標無は椅子にはかけず、入口脇で壁に背を預けている。この方が楽なんですよ、ということだった。
「何が何よりなものか」
奥州の憮然とした声が、場を激しく揺らす。
押し殺した怒りが響きに滲んでいた。
「こいつを加えることに俺は反対する。爆弾を投げ込むなど、悪ふざけの域を超えている。この場で息の根を止めるべきだ」
「同意だな。不穏分子は指揮系統を乱す。速やかな排除が最適解だ」
奥州と宝生は計画から標無の除外、つまりこの場での処刑を訴えた。
「まぁ、さすがにやり過ぎよねぇ~」
「俺に殺らせろ! さっきからムカついて仕方ねぇんだよ!」
玉那覇と忌島も同調。会議は完全に中座となり、標無の弾劾裁判の様相を呈していた。
命を賭けた計画に不確定要素を混入させるわけにはいかない。当然の成り行きだ。
(やっぱり、殺しちゃうんだ……)
端の席で、美闇は動揺と緊張を悟られまいと息を潜めていた。
彼女は人の死の瞬間に立ち会ったことはない。それが殺害ともなれば尚のこと。
今目の前で人一人が命を絶たれようとしている。その場面は遠からず訪れ、そして自分はその光景を目にすることになる。吐いたりしちゃわないかしらと美闇は懸念した。これ以上情けないところを晒せば、自分も計画から外されかねない。外されるとは、もちろん死を意味している。
そんな美闇の不安を他所に、標無はというと相も変わらずへらへらと笑っていた。
「おやおや、いきなり追い込まれちまった」
奥州、宝生、玉那覇、忌島の「排除」票で0-4。
九人での多数決で標無の処遇を決定するとしたら、言葉通り彼はいきなり土俵際だ。
美闇、つぐら、徒花、利根川、そして御人形様の誰か一人でも排除に票を投じれば、その瞬間に標無の人生は終わる。
単身十宗使徒に喧嘩を売り、相手に殺気を向けられても平然としているこの老人は確かに只者ではないと美闇は考えるが、しかしこの状況からは逃げきれないだろうとも思う。
それなのに。
(こいつ、何なの? この状況が分かってないわけじゃないでしょ? あと一人でもあんたを排除するって誰かが言えば、それで終わりなのよ? 冗談とか恫喝じゃない。こいつらの「殺す」は正真正銘命を奪うっていう宣告。それにただ殺すだけじゃなくて、拷問したりするかもしれない。うう、考えただけで気分悪くなってきた……なのに、何で、そんなに平然としていられるわけ?)
目の前に座る徒花が口を開きかけた。ああ、これで決まってしまう。遂に目の前で殺人の瞬間を見ることになるんだと美闇は覚悟したが、しかし徒花の発言は彼女の予想外のものだった。
「俺は構わないよ」
一寸の遠慮もなく、さらりと言ってのけた。ぎょっとする宝生たちに全く頓着せず、徒花は淡々と語る。
「俺『業者』だから。教団の人間じゃないから別に標的に私怨とかないし、特に誰狙ってるとかないんだよね。強いて言えばトップの六芒星が一番難易度高くて面白そうかなって思ってたけど、リーダーの獲物だっていうなら他でいいよ。というか特定の相手狙わずに遊撃要因した方が楽しいかな。ってわけなんで、じいさん一人いようがいまいが正直どうでもいいんだよね」
唖然とするギャラリーなど全く意に介さず、言いたい事だけ言っていく徒花。
ここの連中は、コミュニケーションってものを取る気が無いのねと美闇は確信した。コミュニケーションという言葉をやたらと連発する奴も嫌いだったが、しかしはなから放棄している奴というのも相当面倒臭い。というか関わりたくない。こんなシチュエーションでさえなかったら。
「それに……いや、いいや。とにかく俺はじいさんの加入に異議なーし」
徒花の唯我独尊によって、完全に場の流れは変わってしまった。誰も徒花を責めたり、説得しようとしたりしない。徒花が「業者」であり、自分たちと同じ想いを共有していないからということもあったが、一番は語った内容が表している純粋な「強さ」ゆえだ。
奥州たちは、到底理解の及ばない存在である標無を恐れた。計画が失敗し、自らも命を落とすかもしれないという可能性を無視できなかった。それは尋常の思考であれば無理からぬことであるし、責められることでもない。
だが、徒花は標無を恐れなかった。計画の成否はともかく、自分が寝首をかかれるなど微塵も思ってはいない。それが奥州たちにはない「強さ」であることを、どうして否定できよう。
ここで徒花の意見に異を唱えることは、自分たちの弱さを、劣等を認めることに等しく、ゆえに誰もが口をつぐんだのだ。
そんな彼らに追い打ちをかけるように。
「私も特に異存はありませんね」
利根川も穏やかな口調で表明した。
「標無さんの実力がこの程度だとは思っていませんが、少なくとも先程の騒ぎを脅威と感じるなら、そんな認識の者に作戦の遂行などままなりませんからね。手元の資料によると、アンジュ・デ・ポームが抱える戦闘部隊には我々と同程度の者が少なくとも四名ほどいるようです。特に注意すべきなのは『自動人形』と呼ばれる凄腕のボディガード、聞いたことがある方もいるんじゃないですか?」
「マジ? あいつ今ここにいんの?」
ローテンションだった徒花が急に食いついてきた。会話の内容を除けば、年相応の子供にしか見えない。
「別に隠してないから言っちゃうけど、あいつは俺が唯一殺し損ねた相手なんだ。まぁ出会ったら逃げた方がいいね。逃げられたらだけど。よし決めた、俺は自動人形とやるよ」
(オッケー)
美闇は内心ガッツポーズを決めた。戦闘部隊の存在は正直かなりショックだったが、しかしこれで御人形様、忌島、徒花の標的が決まった。あとの六人と被らなければ自分は陵を狙える。紛糾し、混沌する会議の末席で、着実に目的へ近づいている事実に美闇は高揚を感じていた。彼女もまた、確実に朱に染まり出していた。




