それは、燐光の消入りと共に
19
御人形様から与えられた十秒の間、美闇はただじっと蝋燭の炎を見つめていた。
儚く揺れる炎の中に、こゆりや文月、陵愛の姿が浮かんでは消えた。
十秒が経過し、異議を唱えた者はなし。この場にいる八人全員が、御人形様のしもべとなることを受け入れた。
(さぁ、いよいよ始まるわ……)
美闇はひとつ小さく息を吐き、視線の先を蝋燭から机の上の日本人形に移した。
ここに辿り着くという第一段階はクリア。次は、陵眠の「討伐権」を手にする。
失敗は許されない。美闇は自らの手で陵を抹殺するためにここまで来た。それができないとなれば、彼女には戦う理由がなくなってしまう。
(大丈夫、私は本気を出せばできる子なのよ! 実績だってちゃんとあるし! 日本最高峰の名門・白桃女学園の入学試験だってパスしたんだから! あの生き馬の目を抜く生存競争を考えれば、こんな変人集団ごとき、問題じゃないわっ!)
「では、全員が条件を承諾。その上で作戦に参加ということでよろしいのじゃな。協力に感謝するぞ」
人形から発せられる声は口調こそ優しげだが、しかしスピーカーの向こうの相手は美闇たちの生殺与奪を握っている。その人物が作動のスイッチを押せば美闇たちの手首に装着されているリングから毒針が差し込まれ、「反逆者」を死に至らしめる。
それだけの強権を有していながら、御人形様は美闇たちと目線を合わせて語り掛けてくる。一つ一つ、段階を踏んで、確かめるように。何人かはその意図を推し量ろうとしていたが、しかしその途中で利根川が再び進行を開始した。
「はい。それでは時間になりましたので、会議を始めるとしましょうか」
その言葉と同時に、窓に打ち付けてある板の隙間から差し込んだ夕日が、まるでスポットライトを当てたように日本人形を照らした。
紅の燐光を浴びた人形の頬にうっすらと赤みが差す。まるで、会議の開始を合図として人形に命が宿ったかのようだった。
その姿に、居並ぶ者たちは宗派を超えて神々しさを覚えたが、その一方で神秘の光景などには目もくれない者もいた。
「ねぇ、まだ来てないのが一人いるけど、そいつの扱いはどうなるの?」
パーカーの少年が、左斜め前の空席を目で示して問う。
その名は徒花千呪。
千年以上続く暗殺者の家系、「徒花家」の末裔であり、十宗使徒で唯一当該教団の信者でない「外注」の代表者だった。
徒花に代表者としてテロに参加することを依頼したのは世界浄化教。
世界から暴力をなくし、差別をなくし、貧困をなくし、その果てに理想世界を実現させることを使命とする清く正しい平和の使者。というのが建前だが、その実態は「世界一融通の利かない連中」だった。
彼らは清く正しい世界を追い求めるあまり、「欲望の具現物」一切を敵視し出した。
口にする食物は穀物と野菜のみで、肉や化学調味料、動物から採取したものは一切摂ってはならない。
見たり読んだりしていい表現物は学術書と教団の発行物のみ。教団は新聞も発行しており、信者はそれを読んで社会の動向を把握する。
その他、一切の娯楽を禁じ、拷問といっていいレベルの禁欲生活を送っていた。
だが、それがある段階に達した時に彼らは一つの矛盾に直面する。
世界から穢れを除去するためには、誰よりも自分たち自身がそれらと関わらなければならない。しかしそれでは無菌生活を送ることができない。
穢れから逃げれば世界は浄化されず、世界を浄化しようとすれば穢れにまみれてしまう。
悩み抜いた末彼らが辿り着いた結論は、世界の浄化活動を外注することだった。
先の宗教浄化においても、世界浄化教は数千人規模の戦闘員を雇い入れ、彼らを前線に駆り出して政府に立ち向かった。結果、殺害した新日本軍兵士の数と、逆に新日本軍兵士に殺害された戦闘員の数の双方で、世界浄化教は生贄十宗トップの座に輝いた。
そして今回も当然、自らの手を汚さない彼らは、外部の人間を刺客として送り込んできた。どこから金が出ているのか、サラリーマンの生涯賃金に匹敵する依頼料を取ると言われる徒花家の人間を。
千呪は見た目中学生くらい。この集まりではつぐらの次に年少に見えるが、しかしその華奢な体躯に凝縮された殺しの技術や身体能力は間違いなく化物レベルであるはずだ。
「来てないのって、虚無教だよね。俺さー、実は結構楽しみにしてたんだよね。虚無教の代表者、どんな壊れた奴が来るのかってさ」
大胆不敵、という言葉がぴったりよく似合う千呪の笑みに、美闇は思わず内心で「そういうアンタも充分壊れてるけどね」とつっこみを入れてしまった。
パーカーのフードを目深にかぶり、表情を隠すように前髪を垂らしている千呪は、一見するとネットやゲームまみれの今どきの中学生のように見える。しかし僅かに覗く瞳の中心は全てを飲み込むブラックホールのようにどこまでも真っ黒で、闇を結晶化したかのようなその黒点は有無を言わせず見る者に死を想起させる。
美闇に人間の程度を正確に見抜くスキルなどはないが、今目の前で薄ら笑いを浮かべている少年がこの世界の暗部の、それも相当奥深くに生息している化物であるということは本能的に察知した。
しかしそれ以上に恐ろしいのは虚無教だ。
それはそもそも宗教というくくりに当てはめていいのかも分からない。
何せ虚無教の教典ときたら、一昔前のカセットタイプのゲームソフトに付属している取扱説明書くらいの分量しかなく、その上書かれているのは「虚無を実践せよ」「虚無と同化せよ」など抽象的なことばかり。
当然十人中九人は呆れて投げ捨てるが、それでも一人くらいは考察と推察の末に何らかの意味を見出し、手探りで教義を実践していこうとする。しかしその過程で更に十人中九人が無気力症候群に陥る。それは無理もない話で、「何もしない」というのは実は極めて難しいことなのだ。
そんな哲学にも似た命題を完遂し、一種の悟りの境地に達した百人に一人の奇人こそが、虚無教の信徒というわけだ。そんな連中の代表者というのだから、もはや宇宙人や妖怪であったとしても美闇は驚かないし、むしろその方が自然であるとさえいえる。
(そんなのに会いたいだなんて、アンタ絶対おかしいから! ただでさえ猫娘に熊男に宇宙警備隊にオカマに日本人形って相当カオスな状況なのに、駄目押しで人外までやってこられたら作戦の前に気がおかしくなっちゃう)
肯定的な者、否定的な者、それぞれの意見が飛び交う中、御人形様は淡々と告げた。
「どのような事情があろうと、行程は全て予め定めた時間通りに進めてゆくぞ。童はこの計画の立案者兼責任者として、標的である七導師全員の抹殺をここに約束する。その代わり、主らにも相当の要求をするからの。繰り返すぞ。どのような事情があろうと、今から決定する各々の役割を、確実に時間内に必達するのじゃ。しくじった者は置いてゆく。死ぬ気でついてまいれ。よいな?」
(うわぁ……スパルタ進学塾というか、ブラック企業というか……いや、これは自己啓発セミナーかしら? いずれにせよ、カルトっぽくなってきたじゃない)
可愛い声で発せられた超体育会系な宣言に、しかし美闇は尻込みするどころか気分が高まってくるのを感じた。
結果の保証。成果の担保。
そういった分かりやすいエサを鼻先にぶら下げられると途端にやる気に火が点く今どきの若者なのだ。四捨五入するとアラサーだなどと言ってはいけない。
「はっ、随分強気な台詞吐くじゃねーか。そっちこそ、信用できるンだろォな? その自慢の計画とやらはよォ?」
紫ジャージのヤンキーが遠慮も敬意もまるで感じられない挑発を飛ばす。
後ろで一つに縛った真っ黒い長髪が印象的な彼は忌島瞬毅。完全超厄寺の代表として広島からやってきた。
完全超厄寺は元々勧善懲悪寺という名称だった。教団幹部及び信徒のほとんどは社会貢献活動に熱心に取り組む善良な人々だったが、しかし独自の格闘技である「螺旋大蛇拳」の道場が力を持て余した連中の巣窟となり、やがて彼らはクーデターにより教団の管理運営を掌握。反武闘派の幹部や信徒を追い出し、教団名も変更して現在に至っている。
そんな連中の代表者である忌島は、狩りの時間が待ちきれない猟犬のような表情で日本人形にガンを飛ばしているが、しかし御人形様は物怖じ一つせず淡々と告げた。
「童の計画は絶対じゃ。必ず七導師を葬る。彼らの死はもはや決定事項と言ってよい」
「計画のあらましなら僕も見ましたが、十分命を賭けるに値するものだと思いますよ」
利根川がすかさず神輿を担ぐ。
「確かに地の利だったり、人数の上で相手が盤石なのは間違いがない。傍から見れば僕らなんて、蟻地獄に飛び込む蟻のようなものだろうね。けど、純粋な『力』ではこちらが断然上だ。この十人、いや今は九人だったか……この少数精鋭で迅速且つ確実に、瞬きの間も与えずにターゲットを制圧する。七導師なんて言ってるけど、奴らは利権や野心が絡んで実際はてんでばらばらだ。連携など皆無な連中が相手なら、電撃作戦ほど有効なものはない。虚をつき、指揮系統を混乱させれば、呆気なく墜ちるよ」
「だといいがな……」
自信満々の利根川に対し、奥州は難しい顔で未だ半信半疑の様子だ。
無理もない。たった十人で数百人に戦いを挑むのだ。その上こちらは存在自体が重罪の非合法団体で増援などあるはずもなく、翻って相手は政府、警察、新日本軍に助けを求めることができる。
いかにこちらが精鋭集団といっても、戦いの舞台は敵本拠地。奥州は死を覚悟してこの地に赴いているのだ。反対に徒花や忌島などは自身の敗北など万に一つもあり得ないとばかりの不遜ぶりを見せつけている。
(力だの精鋭だの……ハードル上げないでよ。私、陵を殺すためなら何だってやるけど、バトル要員にはなれないんだからね! つーか、電撃作戦なのは分かったけど、それでも十分くらいは嬲る時間もらうから!)
板の隙間から差し込む夕暮れの光が、より一層燃え上がった。まさに太陽が山の稜線に沈み込むその刹那なのだろう。瞑想にも似た静寂が八人(と一体)のいる遊戯室を包む。
「では、まずは軽く自己紹介から始めましょうか」
幻想に支配されかけた時間を、利根川が再び動かした。
「虚無教の代表者が来ていませんが、御人形様が今ほど申された通り、この計画は時間厳守です。絶対の遂行を保証する代わりに、遅れた方は遠慮なく置き去りにします。そして計画は既に始まっていますので、これより進行を開始します」
(はぁぁ~、やっぱり避けて通れないのね……)
端っこの席に座る美闇は、誰に気付かれることもなく小さくなった。
自己紹介。人見知りで口下手な寡黙ガールである美闇にとって苦手の最たるものだ。
(せめて漆黒の伝道者バージョンでやれればまだいいけど、けどこの熊男たちに素の私知られちゃったし、今更って感じよね……あうあ~どうしたものか)
「ああ、是非そうしてくれ。あんたもそうだが、見た目じゃどこの所属か分からない奴もいるからな。名前、性別、年齢、所属……」
「性別」を殊更強調した奥州だが、玉那覇は素知らぬ顔でスルー。
それを奥州がスルーし返し、言葉を続けていく。
「あとは得意とする攻撃方法や特殊能力ってところか」
「どいつを狙うか、もな」
奥州が列挙した自己紹介の項目に、忌島が付け足しをする。
彼は美闇がこの部屋に入ってからというもの、常にせわしなく身体を動かしている。
この中では一番わかりやすいタイプ、つまりバカなのねと美闇は忌島を見下したが、しかしもちろん彼がそのような人物を演じているという可能性もある。
「先に言っとくぜ。青空爽は俺が殺る。手ー出すんじゃねーぞ」
その宣言の瞬間、忌島の顔からは軽薄を絵に描いたようなへらへら笑いは消え去り、狂犬の如き獰猛さが威圧となって一同に襲い掛かった。
しかしそこは闇の住人たちなので、「へぇ」とか「なるほどね~」といった反応ばかりだった。美闇だけは(こ、好都合だわ……競合相手が減って)とガクブルだったが。
青空爽。六芒星悠夜や陵眠と同じ七導師の一人だ。
七導師についても、もちろん美闇は予習をしてきている。青空は現役のトップアスリートで、七人の中では抜群の身体能力を有している。美闇としては最も当たりたくない相手だった。そもそも陵以外と戦うつもりなどこれっぽっちもないのだが。
「まぁ、誰が誰を狙うかという割り振りに関しては、自己紹介の後に話し合いましょう。標的を決めている人、いない人がいるでしょうから、まずは希望を聞き、その上で適性や相性、配置バランス、作戦の全体図等を考慮してこちらで決めさせていただきます。我々のトップは御人形様。その決定は絶対。……ですからね?」
この田舎ヤンキーは気に入らないことがあれば後先考えず暴れ出すに違いないと決めつけていた美闇は、そんな彼の殺気や威圧などどこ吹く風の利根川に憧れにも似た感嘆を抱いた。
(あんなに穏やかそうな見た目なのに……一体どういう精神構造をしていればあんなヤンキーに毅然とした態度を取れるのかしら。もしかして、心が壊れてるとか? 例えば、娘を失ったショックで精神面の痛覚を失ったとか)
美闇の危惧をよそに、忌島は怒り狂ったりはしなかった。
代わりに、挑むような視線を利根川に照準し、涼しい顔で言ってのけた。
「構わねーぜ。兄貴……青空を殺れるのは俺だけだ。バランスも全体図も関係ねぇ、結論はそれしかねぇんだからよ」
体重を背もたれに預け、組んだ両足を机の上に投げ出す忌島。
唯我独尊。媚びず、へつらわず、阿らず。それが彼の生き様ということらしい。それが素であれば、だが……
「ではまぁ、先程奥州さんが言った項目に加えて、狙っている相手がいればその名前と、あとは今回の作戦への志望動機や意気込みなどを差し支えない範囲で……」
その瞬間、蝋燭の火を吹き消したように夕焼けの光が消え、部屋が薄闇に包まれた。
夕日が、山の向こうに完全に沈んだのだ。
それと同時に、ごとり、という音が不気味に響き渡った。
何かが床に転がった。その数は一つ、二つ……三つほど。
ボーリング玉くらいの、球体だった。夜目など効かない美闇にもそれが分かったのは、その球体から紐が伸びていて、その先端で火花がはじけていたからだった。
それはもう、どこからどう見ても、見間違いようなどあるはずもなく、
爆弾だった。




