逆襲のチケット
17
目にした光景から受けたショックで、美闇の足はふらついた。
何とか持ちこたえはしたが、しかし、思考が追いつかない。今目の前で起こっている現実のあまりの残酷さに、彼女の脳は動作不良を引き起こしていた。
いつ目覚めるとも知れない眠りにつく少女と、そのクラスメイトたち。
事情を知らない者が見れば、見舞いに来た心優しい友人たちと、彼女らに想われ、愛されている少女という風に見えるだろう。
しかしもちろん、そんなはずがない。
今目の前にいる小娘どもがしてきたことを、美闇は全て知っているのだから。
「……何してるの」
蚊の鳴くような、消え入りそうな声だった。
それは恐らく「意味のある音」としては少女たちに届いていない。だが、美闇の表情には怨嗟の色が濃密に浮かんでおり、それにより少女たちは自分らに向けられている圧倒的な敵意を察知した。
否、最初から分かっていた。
彼女たちもまた、知っていたからだ。病室の扉を開けた女が福島こゆりと極めて親密な関係にあり、そして自分たちがしてきたことを知っているということを。
「こゆりに何してるのかって聞いてるのよ!」
動揺から脱した美闇の怒声が病室を震撼させた。
この病室は一人部屋なので他の入院患者に差し障りはないが、しかし例え相部屋で他の入院患者がいたとしても美闇は雷のような言葉の槍を少女らに投げつけていただろう。
こいつらが、こゆりを心配して見舞いに来ただけなんてありえない。きっと、耳元で脅しの言葉を囁いたり、髪の毛を引っ張ったりしていたに決まっている。そんな奴らをこれ以上こゆりの傍にいさせてたまるか……
「は? 見てわかんないの?」
八人の中で、唯一ベッドに腰かけている少女が侮蔑をあからさまに嘲笑した。
他の少女たちもその言葉を合図にして、一斉に意地の悪い表情になる。腰かけた少女はそれを確認すると、追い打ちをかけるように続けた。
「お見舞いよ。オ・ミ・マ・イ。親友なんだから当然じゃない。ねぇ、みんな?」
彼女が同意を求めるように視線を巡らせると、周りの少女たちはまるで操り人形のように頷いたり、賛同の言葉を口にする。ベッドに腰掛けるボス格の少女は集まった支持を美闇に向ける悪意に変換すると、あからさまな挑発の言葉を投げつけた。
「それにしても、やっぱりカルトって怖ぁい。まるで悪魔でも見たような言い方して、完全に敵認定よね~あたし、傷ついちゃった~」
へらへらと笑いながらも、視線だけは相手を射抜くほどに鋭い。誰にでもできるものではない、生来の捕食者気質を持つものだけが成しえるデフォルトの威圧。それは、美闇の中のトラウマを思い切り揺さぶった。封印された記憶の扉がこじ開けられ、忌まわしき天敵の姿が浮かぶ。
常に大人数の取り巻きを侍らせ、女王気取りで君臨。
単語を一文字一文字区切って強調する言い方。
認めるのは非常に不愉快だが、その他大勢とは明らかに一線を画した美貌。
かつて廃人寸前まで自分をズタボロにした悪女、陵眠の影が、目の前で不遜な笑みを浮かべる少女の全身にはっきりと浮かんでいた。
それもそのはず、この少女の名は陵愛。陵眠の妹なのだから。
(まさか、こんな形でトラウマと対峙することになるなんてね……つーか)
いくら引きこもり気味でコミュニケーションに難ありの美闇でも、普通は一回り以上年下の相手に気圧されたりはしない。だが、それがかつて自分を苦しめた相手の身内となれば話は変わってくる。雰囲気、話し方、見た目が似ていることはもちろん、自分にとって不利な情報を共有しているかもしれないという恐れが不安を煽り立てる。
本当なら、陵という名字を見ることさえ嫌だった。
けれど、そうした痛みを甘んじて受けてでも、美闇は立ち向かわなければならなかった。
「傷ついた、って何?」
内からせりあがってくる悪寒と、相手から向けられる悪意を撥ね退ける。
美闇はキレていた。
「その程度で傷ついたとか……ふざけてんの?」
「はぁ? ふざけてないし。つーか、そっちがさっきの暴言を謝るのが先じゃない?」
「ふざけんなって言ってんのよ! クソガキ!」
キレていた。完全にキレていた。人生二十五年分の鬱憤は全てこの瞬間に爆発させるために蓄積されていたといっても過言ではないくらいにブチギレていた。
「私はあんたたちがこゆりにしてきたこと、全部知ってるのよ! ホンット、ここがクソガキに激甘な国で良かったわよね? 大人なら発覚した時点で人生終了レベルの悪行をここまで積み重ねて、なのに『更生の余地』だの『改心の兆候』だの弁護してくれるおめでたい連中に守られて、何のお咎めも受けないばかりか剰えこっちが悪者にされて、もうホント、マジでやってられないっつの!」
胸につかえていたもの、心の奥底にわだかまっていたものが、堰を切ったように溢れ出してくる。鬱憤や鬱屈が濁流となり、もはや美闇本人にも止めることはできない。
「けどね、小賢しいあんたたちのことだから、『あたしたちは法律に守られてるから何やってもヘーキ』なんて思ってるんでしょうけど、大人を、世の中を、あんましナメない方がいいわよ。例え法が裁かなくても、親や教師が罰を与えなくても、それであんたたちのしたことがなかったことにはならない! あんたたちに傷つけられた人たちは、ずっと忘れないわ。あんたたちがどれだけ卑劣で、卑怯で、反吐の出る存在だったかということをね」
美闇の渾身の非難を、しかし少女たちはへらへら笑いながら、もしくは見下すような表情で受け取り拒否した。少女たちは美闇の言葉など、カラスがカーカー鳴いているという程度にしか思っていない。
(このゲス共が……だから嫌なのよ、この手の群れてる連中は!)
人の間と書いて人間。特に子供の内は、集団こそが世界だったりする。それは裏を返せば、集団から弾かれた者は世界に存在しない者ということ。顧慮する必要のない、無条件に自分たちより劣っている者ということ。
故に彼女たちは、美闇の怒りを受け付けもしないばかりか、軽蔑と悪態を返して寄越す。
「でも、こゆりがこうなったのはあんたのせいなんだけど?」
「……は? 何それ?」
「そりゃあたしたちも、ちょっとはこゆりにいじわるとかしたわよ。けど、それはこゆりを思ってのこと。だってあの子、小学生のうちからカルトにどっぷりなのよ? 目を覚ましてあげるのが友達ってものでしょ?」
美闇の瞳に映る愛の表情からは、その真意は分からない。今言ったことは後付けの理由に過ぎないのかもしれないし、もしかすると本当にそんな思いを抱いていたのかもしれない。
しかしどちらであったとしても、美闇が愛たちを許さないことに変わりはない。例えこゆりが人類を滅亡に導くウイルスを保有していたとしても、美闇は彼女を守ろうとしただろうから。
美闇が反論に入る前に、畳みかけるように取り巻きたちの糾弾がシャワーのように降りかかる。
「そうよそうよ! わたしたち、こゆりに何度も言ったんだから! カルト宗教なんかと関わっちゃだめだよって。不幸になっちゃうよって」
「けどあの子、聞かないんだもん。せっかくウチらが親切に忠告してやってるのに、マジ自己中だよね」
「だから、お仕置きするしかないじゃん! 改心してもらわないと、カンユーされてセンノーされちゃう子が出るかもしれないし!」
「つまり、これは仕方ない犠牲だったってことだよ」
「いや、尊い犠牲、じゃない? これで学校をカルトから守れたんだからさ」
「そうそう、校長先生もよくがんばりましたって……」
愛が「馬鹿」と舌打ちして、その少女は自分が口を滑らせたことを悟った。
雨あられの糾弾が、波が引くように静まる。
美闇は一瞬、その言葉が意味するところが分からなかったが、数秒ののち頭を殴られたように脳が揺れるのを感じた。
(ああ、なるほどね……校長が黒幕だったってわけ……)
美闇は、自分たちが嫌われ者とかマイノリティですらなく、この社会にとって駆除されるべき害虫に過ぎないということを知った。学校ぐるみの攻撃を一身に食らいぼろぼろにされたこゆりは、追いかけ回される「迷惑な虫」そのものではないか。
職員室もPTAも地域も、きっとみんなグルだ。
どれだけ真相究明や加害者の処分を訴えても、暖簾に腕押しで当たり前だ。目の前の相手こそが犯人で、そしてこれは理想の展開なのだから。
何が大人を、世の中を、ナメない方がいい、だ。
何も分かっていなかったのは美闇の方だった。
最初から、勝ち目なんかなかった。どうあがいても、負けるように仕組まれていた。いつかは潰れる、時間の問題でしかなかった。
それを必死になって訴えて、訴えて、訴えて。
(何やってたんだろう、私……まるで水槽の中で鋏を振り回しているザリガニね……)
「ま、これは別に知られてもいっか。どーせ知ったところで何もできやしないし」
愛が前髪をいじりながらつまらなそうに零す。
実際、彼女の言う通りだ。校長がいじめを指示していたとなると、通常であれば週刊誌のトップやワイドショーのメインテーマを一か月くらい独占できそうな話題だが、しかしそれは被害者が「一般人」だったらの話。元第四種団体の関係者が絡む事件など、誰も取り上げはしない。興味を抱く者は少なくないだろうが、「記事」という形になることはない。
それが、社会から抹殺された者たちの現実なのだった。
どうかしましたかー、と看護師が扉を開けて現れる。あれだけ騒いでいたのだから、登場が遅いくらいだが、しかしこれも日陰者の扱い。
できればカルトになど関わりたくはない。とはいえ病院内で問題が起きても困るので、渋々様子を見に来たというわけだ。
そんな看護師を手玉に取るように、愛は従順な子供の仮面を被って応対する。
「大丈夫で~す。えへへ、ちょっと盛り上がっちゃっただけなんです~。だよね、みんな?」
愛の呼びかけに、手下たちはよくしつけられた犬のように頷き笑みを返す。
看護師は愛たちと美闇を見比べたが、特に追及してくることはせず、「もう遅いですから、今日はこれくらいにしませんか?」と帰宅を促してきた。面倒事は御免だと、はっきり顔に書いてある。
「そうだね~」「そうしよっか~」と少女たちは素直に帰り支度を始めた。手早く用意を済ませると、一人、また一人と美闇の横をすり抜け病室を後にしてゆく。
最後まで残ったのは愛だった。彼女は美闇に見せつけるように、こゆりの耳元で何やら優しく囁き、そして悠然と立ち去ろうとした。その刹那。
美闇は精神力を総動員して、天敵の妹に啖呵を切った。
「こゆりは、私が守るから。私の命を、全存在を賭けて、守り抜いてみせる」
愛に喧嘩を売れば、もしかすると眠が出てくるかもしれない。そうなれば、高校時代のあの悪夢の再来、もしかするとそれ以上の苦痛が待っているかもしれない。
だが、それが何だ。
こゆりを失う痛みに比べれば、何よりもこゆりが受けた痛みを考えれば、ここで戦わなければ生きている意味がないとすら思えた。それに、あの時だって、美闇は他人のために眠に挑んだのだった。何のことはない。暮地美闇は、「一方的な暴力」がこの世で一番嫌いなのだった。
啖呵を切られた愛は、最初何を言われたのか分からずぽかんとしていたが、やがて、意地悪くにやりと笑った。強者を自負する者は、先制攻撃と同じくらい、返り討ちというものも好む。先攻めでも後攻めでも、相手を蹂躙できればそれでいい。
故に彼女は、美闇の懐にするりと入り込むと、地獄の使者のようにこう告げてみせた。
「じゃあ奪ってあげる。お・は・か・ちゃん?」
18
病院からの帰り道。先程の威勢はどこへやら、美闇の表情は冴えなかった。
宣戦布告をしたものの、現実問題どうやってこゆりを守ればいいのか、美闇に妙案が生まれたわけではなかった。むしろ、当初の想定よりもかなり状況は悪いといえた。
愛は美闇のことを「お墓ちゃん」と呼んだ。これは高校時代に、眠が美闇を呼ぶときに使っていた仇名で、言うまでもなく、「暮地」と「墓地」の空目を茶化したものだ。
偶々愛が眠と同じ仇名を思い付いただけかもしれないが、しかし美闇は陵姉妹の間で自分の情報が共有されていると確信していた。いじめをする者にとって、攻撃対象はオモチャ。面白いオモチャの話を姉妹間ですることは充分ありうるし、それに陵姉妹が姉と妹共にあのような人格を有していることを考えれば共有していない可能性などほとんどなさそうに思えた。
だとすると、ここで最悪の仮説が立つ。
先程の病室でのやりとりで、こゆりいじめの黒幕が校長であることが判明した。
だが、校長の背後に、更なる黒幕がいるとしたら。
校長、職員室、PTA、地域。こゆりを取り巻くすべての大人を意のままに操り、惨劇を引き起こした者がいるとしたら。
その正体は、陵眠以外に考えられないと美闇は思う。
美闇をいたぶりたい眠の願望と、こゆりをスケープゴートにしたい愛の願望、そして厄介な存在であるネクロドルーグを排除したい学校と地域の願望。それらが一つとなり、濁った土石流となって、美闇たちに襲い掛かってきたのだ。
この状況をひっくり返すには、中途半端な方法では駄目だ。
敵の親玉である眠を、どうにかして潰す。牽引役であるトップがいなくなれば、まとまりを欠いた集団は勝手に瓦解していくだろう。
だが、どうやってそれを実行するかだ。
陵眠が第二種団体の幹部であるということは、美闇も知っている。恐らく、一般人はおろか、その団体の信徒ですら容易には近づけないだろう。
倒すべき相手がはっきりしているのに、その方法が見つからない。やり場のない悔しさを抱えて、美闇は自宅であるネクロドルーグ本部へと帰宅した。
居間に信徒が集まっている。
教団のトップである文月を囲むように、一般信徒が四人。便箋を持った文月が、周りの四人に聞かせるように内容を読み上げている。皆神妙な顔だ。
引き寄せられるように美闇は信徒たちの輪に近づいていった。文月は美闇に気付いたが、そのまま音読を続けていく。文章はもう、締めに差し掛かっているようだった。そして美闇が輪に加わった時、その一節が、文月の口から発せられた。
「忌むべき破壊者であるアンジュ・デ・ポームに制裁を、天誅を、神罰を。そして何よりも、死を!」
神はいる。
美闇は確信した。正直、神の存在など半信半疑だったが、しかしこのタイミングで都合よく蜘蛛の糸が垂れ下がってくるなど、超常的な力が働いているとしか思えない。
いや、そんなことはどうでもいい。
陵眠を叩く手段が見つかった。こゆりを救う見通しが立った。
文月から、この手紙が依代人形を名乗る者からのテロのお誘いであると説明された美闇は、疑問も感想も差し置いて真っ先にこう言った。
「私がなるわ。代表に」
これまで負けっぱなしの人生だった。
自分が勝てる日なんて、永遠に来ないと思っていた。
しかしこの瞬間から、過去の柵は一切問題にしない。これまでの全ては、この戦いで勝利を収めるための下準備、糧だったのだから。




