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危険宗教規制法案



 1



 その日を境に、日本という国から信教の自由は消えた。



 20XX(回生かいせい二)年4月9日。東京・国会議事堂周辺。


 立錐の余地もないほどに一帯を埋め尽くす50万の群衆。

とある法案の採決当日。この国を根本から変えてしまいかねない土壇場に、未来を憂う人々が全国各地からここに集結していた。


 ほとんどが法案に反対する人々だ。

彼らの張り上げる声の数と音量、そして気迫は賛成派を圧倒し、場の主導権はおろか、支配権さえも掌握していた。賛成派は隅に追いやられ、何もできないでいる。


 だが、蛇に睨まれた蛙のような状況にも関わらず、上空から見れば米粒ほどの陣地しか持たない賛成派の面々には焦燥も不安も、怒りさえなかった。

それも道理。反対派の大群衆が取り囲む国会議事堂、その内部の趨勢は場外のそれとは真逆だったのだから。


 法案を作成・提出し成立に向けて猛進するのは、太平洋戦争終結以降一度も下野することなく政権に鎮座し続けている与党、民族党。

この参議院で彼らが有している議席はおよそ2/3。既に法案を通過させた衆議院でも過半数を占めている。

もはや法案の成立は時間の問題だった。


 しかし、だからこそ50万もの人々はここに集った。

この法案によって自分たちは「犯罪者」になるかもしれない。

もしくは「過激派」か、はたまた「テロリスト」か。

いずれにせよ、一度反社会勢力の烙印を押されてしまえば、もう日の当たる場所を歩くことはできない。


 直接人を傷つけたわけではなく、言論によって他者に損害を与えたわけではなく、それに類することを企図しているわけでもない。


 ただ、信じているだけ。


 それに基づいて生きているだけ。


 彼らのほとんどは自分と異なる考えを持つ他者を尊重し、そうした人々が集まって形成する社会の秩序を重んじ、何より、世界の平和を願いながら生きている。それはこれからも変わることがないだろう。

しかし、全体の名誉を毀損せしめるのは、いつだってその「ほとんど」から外れた者たち、つまり「極一部」の「先鋭化」した「アウトロー」たちだった。


 昨年、自らの目的や理想のために手段を選ばない者たちによって、取り返しのつかない惨事が起きた。

今回の法案はそれが発端となり作成・提出されたものだった。


 その事件の名は、ラススヴィエーツク事件。


 そして法案の名は、危険宗教規制法。という。



 2



 事件が起きたのは20XX(回生元)年2月14日。


 長く続いた瑞秋ずいしゅうという元号が終わりをつげ、回生の世が幕を開けて一か月。

次第に社会に明るさが戻り始め、心機一転、新たな元号の下、次なる時代を始めていこうとしていたこの国を、いきなりの致命傷が襲った。


 日本人テログループがロシアで同時多発テロを発生させたのだ。


 惨劇に見舞われたのは極東ロシアの街、ラススヴィエーツクだった。

ソ連解体に伴い、少なくない宇宙開発施設をウクライナやカザフスタンに持っていかれたロシアにとって急務であった新拠点の確立。ラススヴィエーツクは、そんな重責を負ったロシアの最重要地域だった。


 人口わずか3万人、モスクワから遠く離れた日本海沿岸の小さな町に過ぎなかったラススヴィエーツクは、宇宙産業の集積地となるべく開発が進められ、たった十数年で大きくその姿を変えた。

郊外には人工衛星やスペースシャトルの打ち上げのための施設が作られ、常時5000人ほどのロシア人が職務に就いていた。また職員及びその家族の居住用として大規模な団地や住宅街が整備され、中心市街地の賑わいは極東の二大都市であるウラジオストクやハバロフスクに匹敵するものだった。

来るべき宇宙時代に一番近い街。ラススヴィエーツクはロシアの希望だった。


 しかし、それを快く思わない者たちがいた。

宇宙を不可侵の聖域と信じて疑わない新興宗教団体があったのだ。

表裏一体。光あるところ闇がある。

誰かにとっての希望は、別の誰かにとって許し難い冒涜だったのだ。


 危うい程に真っ直ぐな心を怒りと憎しみでどす黒く染めた信者たちは、迷うことなく聖戦に身を投じた。選ばれし10人の殉教者がタンクローリーを駆り、同時刻に一斉にラススヴィエーツク各地で建物に突っ込んだのだ。

6台は宇宙開発施設に、1台は住宅街に、3台は繁華街に突っ込み、それぞれ大爆発した。

10人の殉教者は171人の罪なき人々を黄泉への道連れとし、残された教団幹部は高らかに犯行声明をあげた。


「神秘の聖域である宇宙空間を醜い人の欲望で汚すことは、許されない」


 そして、この行いがいかに正当なものであるのかも。


「我々は宇宙の意思より、神聖にて不可侵なる宇宙空間の守護を託されし者である。全人類に次ぐ。今後一切宇宙空間への侵入を企ててはならない。もしこの警告を無視し実行に移そうとする者があれば、再び宇宙の意思が神罰を下すであろう」



 言うまでもなく、ロシアは激怒した。

その日のうちに「あらゆる力を総動員して、国家の敵を地上から抹殺する」という大統領の声明が出され、翌朝日が昇らない内から徹底的な残党狩りが始まり、三日後には掃討作戦の範囲は国外にまで拡大していた。


 本気のロシアの前に、教団はなすすべなく嬲り尽くされた。

文明社会そのものに牙を剥く暴挙を擁護する者などおらず、物資の補給を絶たれた教団は虎の縄張りに投げ込まれた鶏のように八つ裂きにされるのを待つのみだった。


 しかし、事態は教団への報復だけでは終わらなかった。

家族や友人を奪われ、街を破壊され、希望を絶望に変えられた人々の大衆感情は激流となり、教団とは無関係の日本人にまで攻撃の手が及び始めたのである。

更に中国人やその他のアジア人、果ては有色人種全体が迫害の対象となった。

殉教者たちの撒いた種火が、極東地域全体を覆う憎しみの業火になろうとしていた。


 憎悪が人々を支配していた。

人々も進んで支配されていた。

そうでもしなければ、耐えがたい喪失感に押し潰されてしまいそうだった。

反日デモや排外デモが集団の暴行・略奪へと変わり、日本企業の現地支店が放火されるという事件まで起き、事態は日本政府がロシアへの渡航自粛と現地邦人の引き上げを勧告するという段階まで進んだ。


 近年、複数回の首脳会談を重ねて築き上げられてきた両国の友好な関係はたった数日のうちに国交断絶危機、更には戦争の一歩手前という惨状にまで崩壊した。

事件現場から、また複数の教団施設から新日本軍から流れてきたとみられる武器や物資が多数発見され、日本政府がテロに関与したと疑われたのだ。また、逮捕もしくは殺害された信者の中には政府や新日本軍の関係者と深い関係を持つ者もおり、日本は窮地に追い込まれた。


 起死回生どころか、絶体絶命。

第二次日露戦争は、ロシア大統領が行動開始の合図を出しさえすれば現実のものとなっていた。

瑞秋末期に自衛隊が新日本軍となって戦力が大幅に増強されたとはいえ、軍事大国であるロシアとの間には歴然とした差がある上、この緊張の原因が原因であるだけに同盟国のほとんどが開戦後の援助を拒んだ。

このまま戦争となれば、最悪の場合日本という国の滅亡さえありえた。たった10人の愚かな行動のせいで。


 この国家存亡の危機は、関係各所の奮闘によりどうにか回避された。半世紀以上かけて培われた民族党の外交スキルが窮地を救ったといえる。だが、これはあくまで戦争という最悪の結末を回避しただけであり、その先には長く険しい茨の道が待ち受けていた。 

戦争を回避したことに安堵している暇などない。政府が真っ先に着手したのは、国家が二度とこのような危機に陥ることがないよう、徹底的な予防策を打つということだった。



 3



 事件発生から一年を費やし、諸外国に睨まれながら日本政府が不眠不休で作り上げた血と汗の結晶、それこそが危険宗教規制法なのだった。


 この法案が施行されれば、国内外でテロを起こすような団体は存在すら許されなくなる。

もう二度と同じ惨禍を繰り返しませんという宣言の裏付けになる上、他ならぬ日本国内の安全向上にも寄与する。反対する理由などどこにもない。それどころか反対する者はテロリストを庇う犯罪者予備軍だという風潮さえ広がり、法案の早期成立を求める署名は1000万筆を越えた。


 しかし、インターネットなどで法案を危険視する声も上がっていた。

日本人が海外でテロを起こしたことを心から反省し、二度と同じ惨禍を繰り返さないために国内における宗教環境を健全化する。それ自体は、非の打ちどころのない、誰の目にも正しい理念だ。


 だが、崇高な理念が掲げられているからといって、それを実現するための方策が見合うものであるとは限らない。むしろ、聞こえの良い目的があるからこそ、私欲や野望のために相乗りしようと目論む輩が現れるものだ。

そして気が付けば、燦然と翻る錦の御旗の陰には利権まみれの搾取者と強権を振りかざす支配者が巣食っているというお約束。

果たしてこの法案も、そうなってしまった。


 危険宗教規制法が施行されると、国内に存在する全ての宗教団体が「反社会的でない適正な団体であるか」を審査される。審査するのは政府が設置する有識者委員会だが、ここに癌細胞が発生した。


 民族党の所属議員の大半は穏健保守だったが、一部に先鋭的なネオナチグループがおり、彼らの推薦する人物が有識者委員会に入り込んでいた。厄介なことに、先の騒動の渦中で彼らが発した粛清だの排除だのという勇ましい言葉が諸外国に受け、それが外交関係悪化を食い止めたという経緯があった。彼らはその実績を振りかざし、有識者委員会の実質的な決定権を獲得してしまったのだ。


 審査によって、対象の教団は第一種から第四種に分類される。

第一種が最も安全とされ、逆に第四種に指定された教団は解体処分となる。偶像や教典の単純所持も禁止され、「信者でいること自体が犯罪」とされてしまうのだ。

そんな生殺与奪の権利を、ネオナチが握っている。宗教団体の信者たちや、規制のあり方に疑問を抱いた者たちは街頭での呼びかけやインターネットでの発信など、各自のやり方で法案の危険性を訴えた。これは権力の暴走だと。


 だが、戦争の引き金になるような大事件が発生して間もない世の中で、そんな彼らの訴えが一般大衆に受け入れられるはずもなかった。法案は衆議院を通過し、参議院本会議へ。


 そして運命の日、20XX(回生二)年4月9日が訪れた。

後に「血の桜祭り」と呼ばれ、数年にわたる内戦の幕開けとなる忌まわしき一日が。

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