御仕えいたします、領主様
ギャルルルルルッ! ヒャビルルルルルッ!!
声なのか音なのかわからない、電流がスパークするような音にも聞こえる鳴き声がこだまする。
そこは巨大な屋根と簡素な壁のみに包まれた風通しのよい倉庫のような場所だった。
等間隔に並んでいる石積みの長台。それに沿う形で並んでいる大型の輸送用とおぼしき荷台車は、地面にその車輪をつけて待機している。
何台かの前には、雷の魔鳥がさきほどの不可思議な泣き声をしきりに放っていた。
「あれは電力を内に貯め、調整している証拠だ。飛行時に強烈な放電を行い、己と後ろの台車を電磁膜で包む。それと大気中や周囲の地形に含まれる自然の電磁波と反応させ、調整を続けながら超速度へと加速してゆく……という仕組みだな」
ものめずらしそうに見回しているイフスに説明しながら歩く魔王。
数あるホームの内の一つ、その脇の階段を登った先で、サンダーバードの世話をしている魔族の男がいた。
「んお? おお、これはこれは、おひさしゅうございやす、ま―――っとと、一応は名は伏しておくとしやしょうかね、えーと……マのダンナ」
「お前のそういうところは昔から気に入っているよシッポ。城の者は堅すぎていかん、お前の爪垢でも飲ませてやりたいくらいだ」
シッポと呼ばれた魔族は、ゲラゲラと品悪く笑う。その態度にイフスは少し顔をしかめた。
「ハッハッハ、まーこっちは一線を退いた身ですからねぇ。もう10万年くらいになはなるかねー、爵位を全て返還して、城を出たのはよぉ?」
シッポはかつて、別の名で魔王配下の大貴族の一角を担っていた男だ。そうとは知らないイフスからすれば、今の彼はただの品に乏しいオッサン魔族にしか見えないだろう。
ピチピチのサイズがあってないシャツは汚いビール腹を隠せてないし、常時酔っ払っているかのような目つきは女性達を嫌悪させ、近づかせないであろういやらしさを感じさせる。ボロボロのキャップはここの他の職員もつけている制帽と同じもののようだが、原形はかろうじてわかる程度。
お世辞にも見た目の印象が良いとはいえない風貌である。
「そっちのメイドかい、地上に乗せてくのは?」
「ああ、名はルオウ=イフス。……ま、ちょっとワケありでな。地上への転勤処理まではよかったが、普通の方法では “ 連中 ” に目を付けられかねんからな」
「(? ワケあり……? やはり魔王様は、ただお外へ遊びに出かけたかったわけではなかったのですね、さすがです。ですが……)」
連中、とは一体なんの事なのだろうか?
その言葉が出た途端、シッポのゆるんだおっさん顔がこの上なく真面目で、顔だけを見ればイフスですら一瞬ドキンとしてしまうほどの凛々しさへと変わっている。
少なくともいい者達ではないらしいが、彼女に思い当たるものはなかった。
「……なるほどなぁ。“ 奴 ” の忘れ形見の新種ってのはお嬢ちゃんの事か。地上へやるのもその辺込み込みなんだろ、どうせ?」
「さすがだな。まだまだ現役でいけたんじゃないのかシッポ? その気遣いとカンどころの良さは、今の臣下達では誰も持っていない貴重な素養だ。こんな部署の署長では宝の持ち腐れだろう」
「お褒めの言葉ありがとうごぜぇやす、とは言っとくけどな、辞めていまさらだろ? それにだ、こないだご隠居の御大から聞いた話じゃあ、なかなか悪くねぇのが頭角現してきてるらしいじゃねぇか? 割りと本気で妻にしたいくらいだっつってたが……えーと、なんつったかな? まだガキらしいが獣人系の中流貴族でー」
「まさにその娘にこのイフスを遣るところなのだ。確かにあ奴の口利きで彼女に父の爵位の返還および新たな領地を与えたが……。なるほど、彼女を動かしたのではなく、隠居のエロジジイの方が彼女に動かされていたワケだ」
「アトワルト侯は凄い御方だったのですね」
御大とやらが誰の事なのかはわからないが、魔王とシッポの会話からは相当な大貴族である、もしくはあった者であると理解できる。そんな人物を利用するなどそれこそ簡単な話ではないはずだ。
「そうそう、アトワルト! たしかそんな名だったなぁ。なるほどねぇ……将来の直属の部下くらいには考えておいて損はないんじゃあないですかね、ダンナ?」
「それはこれからの実績次第だろう。優秀なだけで相応のポジションにはつけられんし、周囲も納得しないからな。それに方向性もある。デキに関わらず、誰しも最適な役目や器というものがあるだろう」
「ま、そうなんですけどね。……なんだったら、嫁さんにしちまうとかもアリなんじゃあないかね、ハッハッハ」
魔王は冗談もほどほどにしとけよと愛想笑いを浮かべているが、魔界の頂点であり自分達の神とも呼べるような御方の妻という地位は、決して軽いものではない。
彼らの話が冗談だとはわかっていても、イフスの中でアトワルト侯の株はおおいにあがっていった。
「なんならお前がもらうかシッポ? はからってやらんこともないぞ?」
「ご冗談。そんな事したら御大に妬まれちまいますって。……加えてかわりに復帰しろっつーんでしょう? まったく、浅はかですぜダンナ?」
無論、魔王とて本気で言ってるのではないのはわかっている。彼らは会話そのものを楽しんでいるのだ。
『充電が終わったぞ、シッポ。私と2番ホーム、それと6番ホームはいつでも出られる』
魔鳥の言葉にシッポは片手を振って応える。
「おーぅ、了解っ。そんじゃま、サンダーバードの準備が整ったようだし……おい嬢ちゃん。忘れ物ないか確かめたら荷台に乗りな。地上までは1日ちょいかかるから、今の内に荷台で食うメシでも飲みモンでも買い足しとけよ。……ああ、花も摘んどけ? 客車じゃねーからトイレなんてぜーたくなモンはついてねーぜ、ガッハッハ!」
「ではイフスよ。これでお別れだ。私は城の者への土産でも買ってゆるりと帰城する」
「かしこまりました。今まで本当にお世話になりました魔王様。新たな主を頂いてもこのイフス、魔王様の下で働かせていただいた、これまで経歴に恥じぬよう勤めて参ります」
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10分の後、サンダーバードが嘶くと、ゆっくりと前へと進みはじめる。
プラットホームが遠くなってゆく。魔王が手をふって見送るのを荷台より身を乗り出して確認し、イフスは深く礼をした。
荷台には2000トンほどの荷箱が積まれている。
それでもイフス一人ならこのままここで生活ができそうなほど、広々としたスペースが余っていた。
3階建てのシンプルな箱形状の荷台の一番上、眺める景色が流れていく。本当の御姿はついぞ一度も見たことはないが、御仕えしてきた主の姿はどんどん遠ざかって、やがてプラットホームも過ぎて見えなくなった。
巨大な荷台と数千トンを軽々と引くのはたった1羽のサンダーバード。
進行方向に目を向けると放電のはじまった羽ばたきの先で、倉庫の出口が開いていくのが見えた。金属製の折りたたみ式の扉が、下から上に向かって開いていく。
扉が開ききったと同時に、サンダーバードは一気に加速しはじめ、イフスの髪が名残惜しそうに後方へと流れて、限りなく水平に近いラインを描きながら中空に靡いた。
その跡にはイフスの髪からこぼれたような雫の煌めきと、サンダーバードの電流の軌跡が残る。
彼女を乗せた荷車は地上への道を超高速で飛び上がり、暗き魔界の空の彼方へと消えていった。
――――5日後。地上のアトワルト領南部、領主の館。
館の一室でミミは右往左往していた。領主として就任しての最初の仕事は他でもない、自分が暮らす館の片付けだった。
「ふー、この箱は廃棄して。えーと、この服は……うん、いらないっと」
この地の前任の領主は非常に温厚で心優しい壮年の犬獣亜人族であったという。
政治的に優れていたというわけではないが、野心も持たず誰にでも優しい人畜無害な人物であり、まさに発展乏しい片田舎の領主には最適だったようだ。
「あの本棚の本は……うーん、ゴチャゴチャしてるなぁ。区分けして、捨てるものは捨てないとダメかぁ。近くの町に古書屋さんとか、は……ないよねぇ、多分」
現在のこの地の治世面での状況は、残されていた多くの資料からある程度は把握している。
文化レベルはかなり低く、一番発展している領地の中央付近に存在する町シュクリアですら500ほどの家屋と、鳴かず飛ばずな個人商店が4、5件だけ。古宿はかろうじて数件ありはするが訪れる旅人も少なく、商業力は目を覆いたくなるありさまらしい。
「それで最後は、部下による領主暗殺っていうんだから……これはまたおさめ甲斐のあるところだよねっと……ふぅ!」
せっかく新調したドレスは随所にシワが増え、埃汚れが目立つ。せっかくの綺麗な肌も薄埃が付着してくすんでしまっているが、格好や身だしなみに気をとられている暇はない。
なにせこの館にはミミ一人しかいない。前任の領主が部下に殺された事で館に勤めていた使用人達はすべて捕縛か解雇されている。
それから2年ほどの間、館は放置されっぱなしであった。ミミがやってきた時には呼び鈴は壊れて鳴らず、玄関ロビーへと入っていくと、落ちて砕けた無残なシャンデリアだけが彼女を出迎えてくれるという有様だ。
どの部屋もうっすらと埃が体積し、窓ガラスは外側は雨の水滴の跡が、内側は埃が湿気で張り付いた汚れに覆われているなど、燦々たる状態だった。
「廊下といくつかの部屋を最低限掃除したのはいいけれど、このペースじゃ館を整えるだけでもう10日はかかりそ―――」
げんなりしかけた表情が急に引き締まる。真剣な瞳の輝きをたたえ、長い耳をピクつかせだした。
ミミはワラビットである。基本的な能力では他種族に劣る部分は多いが、聴力では負けない種族である。
そんな彼女が捉えた音―――丘の道を上がってくる足音だ。
「一人……、歩幅は小さめ…女性かな。領民の誰かがさっそく何か言いに来た? とにかく出迎える準備はしないと」
「やっと着きました。こちらで会っていると思うのですが……」
イフスは周囲を見回し、そして持っていた荷物を一端地面に置いた。中から地図を取り出し、周辺と見比べ、他に目当ての建物らしきものがない事を確認する。
「間違いなさそうですね。すぅ~…はぁ~…よし、では―――あら?」
玄関の呼び鈴を鳴らそうとしたが、何も音がしない。何度か試してみるものの、やはりかすかな音すら鳴りはしなかった。
「壊れているのでしょうか? ……やはり間違えたのかもしれませんが、しかし」
あらためて周囲に目をむける。小高い丘の上。見通しは非常によく、振り返ればこの地の多くが見てとれる絶景が広がっている。
しかし何度確認してみても、丘の上にある家屋らしきものはこの一軒のみ。しかし誰も住まなくなって久しいような雰囲気の建物を見上げて首をかしげた。
「……他に丘があるのでしょうか。ですが道はこの地図の通りに来たはずですし、どこかで分岐が…? 一度戻ってみたほうがよいかもしれませ―――」
イフスが踵を返しかけたその時、
ギシ…ギィィイイ……
軋み音をたてながら、背の高い両開きの扉の片方が開き、中から可愛らしいウサギ耳がピョコリと覗く。
続けて出てきた少女の、見覚えのある顔を見てイフスは安堵した。やたら薄汚れてはいるが、確かにあのアトワルト侯だ。
「ごめんなさいね、はぁはぁ、家人が誰もおりませんの。まだいろいろと準備の最中で―――あら? 貴女は確か……」
「ご無沙汰しております、アトワルト侯。私はルオウ=イフスと申します。魔王様の御下命により、本日よりアトワルト侯の下僕としてこちらに赴任いたしました。着任が遅れました事、深くお詫び申し上げます」
深々と頭を下げる仕草。
ミミは即座に、魔王が彼女を自分にくれた理由の一つを理解する。
貴族社会において、対人の際の仕草や立ち居振る舞い、口上から僅かな口調の違いまで、さまざまなところから相手の情報を見通す力が求められる。
勿論、魔界における万を数える貴族達全てがそうした能力に長けている者ばかりではないが、若くして父の跡を継ぐためには、貴族としての力も他の者達に負けてはいられなかった。世話になっていた隠居の大貴族の教えを、ミミはきっちりと我が物として身につけていた。
「ん。お疲れー、そんな堅苦しい挨拶はいらないから、ほら中はいって。長旅で疲れたでしょ? お風呂はまだ用意できてないけど、どこか休める場所を整えるから」
気さくな言葉使いでイフスに接する。
丁寧な口調はこれも貴族として幼い頃からの教育のたまものだ。しかしそれは、ミミにとっては初対面や警戒すべき相手を前にして自然と出る癖のようなものである。
イフスがメイドとして頑なな立場と態度を取る性格である事、そして魔王様はそんな彼女から堅さをほぐす意味でも、新天地での任を負わせた事から、意識して丁寧な言葉遣いを抑制する。
その口調の変化に目をぱちくりさせたイフスだが、館の主であり、この地の領主であり、そしてこれからの自分の主である彼女に御仕えする身として、失礼なきよう従うべきであると己に言い聞かせる。
そして彼女はもう一度軽く頭を下げてから、ミミに続いて館の中へと入っていった。
その僅か5分後には、館の窓が次々とその透明感を取り戻していき、廊下を滑るように磨いていくイフスの姿があった。
こうして領主ミミ=オプス=アトワルトとその使用人ルオウ=イフスは、この地へと着任した。
ここから彼女達の新たな日々がはじまる。
しかし、時は刻一刻と迫っていた。
何千万年か何億年か、あまりに長きに渡る時の中で、何百何千とぶつかりあってきた神と魔王の戦い―――神魔大戦。
その神話級の戦争が次に勃発するまでおよそ3年と迫った春先の一日。ミミとイフスは、館の汚れと戦っていた。
<神話級大戦の後日譚―ウサミミ少女の就任日―・完>
最後まで読んでくださりありがとうございます。
「神話級大戦の後日譚―ウサミミ少女の就任日―」はこれで完結です。
よろしければ感想等、お待ちしてます。
この後は、3年後の神魔大戦を経た後のお話、
本編である「神話級大戦の後日譚―ウサミミ領主の受難―」へと続きます。
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