地上という名の異世界へ
「そうだ、言い忘れるところでした。魔王様より伝言を預かっております。“1日遅れにはなるが、私に付いていた者を一人、現地就任の祝いの代わりに贈る” だそうです」
ミミは兵士に微笑み、軽く会釈を返す。
「わかりました。魔王様にはよろしくお伝えくださいませ」
犬獣人の彼はドキリとして顔を赤らめた。かなり多くの種族の美観からしても、ミミは美少女である。種族違いとはいえ同じ獣人系種族……比較的近い分、よりその容姿や笑顔が眩しく映るの当然だった。
「おい、仕事仕事っ!。あー…ではアトワルト様、そろそろ規定のお時間ですので転送門を起動させます。起動の時間は1分となっておりますが、何かお忘れ物はございませんか?」
ややひらけた広場に設営されたゲートは、起動と同時に大量の魔力を消耗する。なので起動担当の魔術兵士の安全を考慮し、ごく短い時間しか使えない。人と荷を一瞬で遠方の地へと運ぶ便利な魔道器具も、そのデメリットは決して軽いものではないのだ。
「大丈夫ですわ。手荷物はもとより少ない……というのもヘンでしょうか? フフッ」
領主になろうという者が荷物が少ないだなんて、と自嘲する微笑み。
今度は魔術兵士の方が顔を赤らめる。先ほど咎められた兵士がジト目で睨んでいるのに気づいて我に返ると、誤魔化すように咳払いを一つしてから両手を門の方に向け、魔法の光を放ちはじめた。
「で、ではまいります。起動が完了し、ゲートが完全に安定するのを待ってから扉をくぐってください。<一歩先は闇>」
魔法―――それは、魔力を一定量蓄積し、定義されたワードを唱える事で発動する術である。
原理的にいえば魔力を有する種族であれば、いかなる者でも習得できる事になるが、実は発動のための呪文の要件が非常に難しい。
極簡単な魔法を除き、ワードの定義は魔法を使用する者が個々で作らなければならない上に、自身の魔法に対するイメージに最もしっくりくるワードを選定しなければならない。
もし僅かでも自分の心の内の、魔法に対するイメージをあらわすものとしてそのワードが不適切だと、いわゆる言霊とよばれる発声と、魔法イメージがシンクロミスを起こして発動しなかったり、最悪だと魔力が暴走して重大な事故を起こしかねない。
「(トラベリング・ウォーカーズ……という事は、彼にとってゲートを開く魔法は、旅人を最も想起させられるものなんだ)」
まったく同じ魔法を二人の術者が使ったとしても唱えるワードはまるで異なる。それぞれがその魔法に対して抱く、もっとも最適なイメージに依存するからだ。
なので場合によっては魔法を唱えるワード次第で、思わぬ個人の一面を見抜かれたりする事もある。やたらいかついのに少女趣味的な可愛らしいワードを唱える者や、おとなしそうに見えて物騒極まりないワードを唱える者などがその一例だろう。
そしてさらに難しいのが、ワードを“2種類同時に発声”しなければならないという点だ。
基本、一つの魔法に対して二つの呪文を定義しなければならない。そして発声は心の声と実際の声で行う事になる。
なんだ、それなら対して難しくないじゃないか、と初めて魔法を習う者は等しくのたまう。だが実際に発声するワードはその者が最も適していると思う魔法イメージ、すなわち心の呪文であり、心の中で発声するワードはその逆、本来発すべき言葉の方なのだ。
メンタルとリアルを入れ替えて、それぞれのワードを完璧かつ同時に発声しなければならない。
慣れてしまえば簡単だが、最初の成功を見るまでには相当な年月を必要とする。
なので魔界においては、高度な魔法を1つでも用いる事のできる者は高い評価を受けやすく、魔法を用いる目的がなくとも、社会的ステータス目当てで修得に励んだりする者もいる。
「開きました、ではお気をつけて。転送は一瞬ではありますが、不測の事態が起こらない保障はありません、一度くぐったらそれまでとお思いください」
この魔術兵士は、その意味では生涯を通して社会に通じる武器を手に入れたといってよいだろう。
「みんな、がんばってるんだなぁ……」
「は? 何かおっしゃいましたか?」
「いえ、なんでもありませんの。では皆様、いってまいります。お見送りありがとうございました。兵士の方々もお役目ご苦労様でした」
ペコリとお辞儀をし、そして振り返る事なくゲートに踏み入った。長い耳が光の膜を通過したと同時に、背に浴びていたワラビットの人々の見送りの声がプツリと消える。
そして彼女の眼前に、魔界とはまるで違う世界が広がった。
―――魔王城より南方、魔白の森。
城へと続く道の途上を守るように広がる森を、十数人程度の兵士が走り回っていた。
「魔王様ー! どちらにいらっしゃるのですかー、魔王様ー!?」
「おい、こっちにはいなかったぞ。もしかして城に戻られたんじゃあ?」
「それはないだろう。同行中のメイドもいたんだ、それを放って戻られるような方じゃあない」
「ともかく何人か先回りして通達だ。森を抜けられたとてどこかで掴まえられるはずだ!」
兵士達はうなずき合うと散開し、行動を再開する。そして誰もいなくなるとすぐ近くの茂みがうごめき、草をかきわけて兵士とメイドが姿をあらわした。
「チッ、うまくまけたと思ったんだがな。どうやらこのまま兵士の格好をしていてもバレるか」
「……あの、魔王様? 私が1日遅れで地上に向かう理由はもしかして……」
「うむ、もちろんイフス、お前を送り届ける名目で城を抜け出すためだ」
イフスはあきれて声も出ない。自分が仕えていた魔界最高の神とも呼べる御方が、こんなにもお茶目な一面があらせられるなどこれまで思いもしていなかった。
彼女がはじめてみる御方の意外な一面に戸惑っている間にも、魔王は一兵士の姿から、旅マントを羽織った吸血鬼族の貴族のような容貌へと変わる。
「よし、次はこれで誤魔化すとしよう。しかし予定していたルートは兵どもにおさえられたか……仕方ない、少し遅れはするが別ルートをゆくとしよう」
自在に姿を変えられる彼である。魔王一人ならいかな包囲網もわけもなくすり抜けられるだろうが、イフスが同行している今はいかなる姿になろうとも兵士達の目はあざむけない。彼女が同行している人物イコール魔王様であると認識されてしまうのだから。
「申し訳ありません、私が御方の足を引っ張ってしまい…」
「何を言っている。今回はあくまでお前を地上へ送り届けるエスコートを口実に遊びに―――ゴホン、お前が無事地上に出られるよう計らうのがこの私の使命なのだからな、そう恐縮するな」
迷惑どころか楽しませてもらっている。普通のメイドならば今の魔王からそれくらいは感じ取るだろうが、イフスはやはり真面目に過ぎる傾向にあった。
「ともかくだ、私に気兼ねしなくてよろしい。お前に足りないものは、“適切な柔らかさ” と知れよ。では行くぞ」
道からはずれ、森の木々の間を抜けて歩き出す魔王。それに続くイフスは、なかなか言われた事を己の中で噛み砕けずにいた。
彼女自身は自分は普通にしているし、分相応にこなせていると思っている。至らぬ点があるというのならばぜひとも直したくはあるが、自分のどこがそうなのかがピンと来ないのだ。
「おっと、一応連絡を飛ばしておくか。<配達物は届け先を知っている>」
闇の空間が小さな爆発を起こして消える。一瞬しか見えなかったが、中空に浮かんだ魔力の文章が手紙へと具現化しながら闇へと吸い込まれていった。
情報伝達系か物質転送系の魔法だろうが見たことも聞いた事もない。かなり高度なレベルの魔法であろう事はイフスにも理解できる。
「連絡とおっしゃっていましたが、アトワルト侯にでしょうか?」
「あぁ。予定より少々遅れる、とな。しかし驚いたぞ。てっきり7:3ぐらいの確率で断ると思っていたのだがな」
普通に考えてメイド達からすれば、魔王に仕える以上のポストはこの世に存在しない。せっかくの側用人最高の職場から転げ落ちて、格の劣る者に仕えさせられるなど魔王城に勤めている9割がたのメイドは嫌がるだろう。
「偶然にもアトワルト侯と接触できる機会がございまして。御仕えするに不足のある方とは思えませんでした。それに、魔王様のお言葉もございましたし」
加えて助けていただいた恩もある。しかしその事は口にしない。
自分の居城内で貴族の男がメイドに手を出そうとしたなどと魔王が知ったなら一大事だ。ここで報告すれば事が大きくなり、ひいてはアトワルト侯にも迷惑が及ぶ可能性も高い。
そう思って余計を言わぬようイフスが口を閉ざしたタイミングとほぼ同時に、魔王は小首をひねった。
「? はて、何か言ったんだったか? …まぁいい、思うところがあったのならばそれもいいだろう」
「(魔王様ともあろう御方が、まさか本当に私の件を利用して外に遊びに出る口実作りを?)」
だが考えてみれば奇妙な話だ。地上に出るには転送門を使えばすぐだし、手続きこそあるとものの、移動自体は一瞬で済む。
事実、アトワルト侯は今頃ゲートを用いて地上に出ているはずである。
それがこれから仕えようとするメイドが主になる者より遅れて、わざわざ時間のかかるルートを行くというのはおかしい。
ゲートを用いずとも魔王様ならばその強大な力をもって、メイドの一人くらい地上に送る事はわけもない。過去にはこっそり地上に出かけられた事は何度もあるし、その際にはほとんど時間をかける事なく、居室から直接移動されている。
「(いえ遊びに出かけたいなどと、そんなはずは……きっと私の考えの及ばないような深い理由があるに違いありません)」
「(イフスを送り届けて地上行きの光速輸送貨物車に乗れるよう手はずをつけ、その後はクロスポートサイドを満喫……フッフッフ♪」
イフスの上位者に対する敬念もどこ吹く風。
魔王は歩きながら心の中で、遊びの計画を入念に立ていた。
少し小高い山の上、踏みしめる草の魔界のそれとは違う青々とした香りが、彼女の鼻孔をくすぐる。
「明るい……。それに心地いい風……。す~~…ぅ、…………、は~~…ぁ」
深呼吸をすると、彼女の周囲で風がまいた。もちろん偶然だが、そんなに強く吸い込んだつもりはないのにな、なんて冗談を思いながらクスクス笑う。
濃い紫のロングヘアーが何本か空に舞った。まだ残っていた冬毛が風に運ばれ、空の彼方へと跳んでいく。
白銀に近い輝きと紫の入り混じる夏毛が優しい風に抱かれると、彼女は人間種ならば耳があるであろう己の側頭部のあたりを片手で軽く抑え、丘から見える景色をあらためて眺めた。
「……あれは村かな。あっちの町は少しにぎやかそう。遠くに見えてるあの山脈がきっとグレートラインだから、……私の領地はあの北のちょっと地表が盛り上がってるとこの大きな森のあたりまでかな?」
よく晴れていてとても見晴らしがいい。転送門の到着座標と自分の領地の地理は事前に地図で把握はしている。だが薄っぺらい紙面と現実では印象も感動も、そして感じられる雰囲気も何もかもが違うものだ。
「うん、のどかだけれどいい所。ちゃんとやっていけそうっ」
念のために荷物を確認する。忘れ物はないはずだが、いまならまだ取りに帰る事は可能だ。そんな情けない事はしたくはないが。
「……忘れ物なしっ、服装も……うん、大丈夫。地図によると領主の館はここを下って西へ……えーと、この丘の上の印がそうだから……、徒歩でだいたい5時間くらい…かな?」
目的地を確かめて歩き出す。
ワラビット族の上位者用ドレスの、新調したばかりの衣類特有の匂いも風が運ぶ地上の香りが覆い尽くしてゆく。本当に心地がよくて、悪かった体調がどんどん回復していく気さえして彼女の足取りは軽い。
思わず寝転びたくなる短い青草が敷き詰められた緩やかな傾斜を降りてゆくと、申し訳程度に草を刈って土を露出させた道のようなものが見えてくる。
振り返るとすでに転送門の出口たる魔力の輝きは消えていた。
引き返す道は消え、行く道があらわれる。
彼女、ミミ=オプス=アトワルトの中で、新たな門出への気持ちはいっそう高まる。
作られてよりかなり長い間、誰の手も入っていないであろうその畦道へと、彼女は自信を持って力強く足を踏み入れた。