メイドが魔王に呼ばれた日
魔界は果てしなく広大だ。
細かくわければ億に届くともいわれる数の種族が、魔王の下でそれぞれに繁栄を築いている。それでも利用されている土地は魔界全土の5分の1程度にとどまっている。
そんな広い魔界にあって、その全てを統括している者―――魔王。その居城もまた万単位の者達が行き交う大都市規模の巨城であった。
――――魔王の居城。クローゼットルーム。
「イフス、こちらを3番クローゼットに直して!」
「はい!!」
「レクレーン! それは4番ではなく7番よ!!」
「申し訳ありませんッ!!」
メイド達が忙しなく動き回っているのは、何も特別なイベントごとがあるからではない。これがこの場の日常的な仕事風景である。
彼女達に指示を飛ばしているのはこのクローゼットルーム専任の先輩メイドだ。ゴツゴツした自らの体表面の凹凸をもろともせず、器用にメイド服を着こなしている妙齢のファフナーは、そのドラゴン系種族のいかつい姿に似合わず、優しくも厳しい瞳の輝きをもって、かわいい後輩達を厳しく指導していた。
「はあ、はぁ、本当にすごい数……。一体何着あるんだろ…ねぇ、デュファ?」
「魔王様はよく御姿を変えられるからね。それに対応するために無限に近い量だって噂よ? シーナン」
ズラリと並んでいるクローゼットの先に目をやってみても、果てが見えないほど広い部屋だ。本当に無限という事はないだろうが、とにかくすさまじく多いのは間違いない。
「女性モノもあるのは、そういうお姿になられる時みあるって事なのかしら?」
「でしょうねー。あ、これカワイイー。そっちのもいい感じじゃない?」
仕事の最中だというのに精人族と猫獣人族は良さげな衣装を見つけて、つい盛り上がってしまった。
…後ろに迫る影にも気づかずに。
「んっん!! 仕事中ですよ二人とも。口ではなく、手を動かしなさい!」
「「あ! も、申し訳ありませんっ」」
本人にその気はないのだろうが、叱責の言葉と共にその口から今にも炎が吐き出されそうな迫力を受けて、デュファとシーナンは慌てて作業に戻る。
見た目が二足歩行の黒いドラゴンがメイド服を着ているような上司である。怒らせなくとも彼女の叱る様が怖くて、他のメイド達までその身を萎縮させていた。
「よいですか皆さん。この部屋に収められているクロースは全て魔王様の身を飾るものです。いかなる服がいつ御入用となるか、すべては魔王様の御心ひとつ。日頃よりの作業を怠る事は決して許されません。いついかなる御下命にも応える事、それが我々仕えし者の存在意義であると心得るように」
「「「ハイッ!!!」」」
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「ふー……やっと休憩かー。相変わらずクライクス衣長は人使い荒いよね」
マーメイド族の同僚はいかにも疲れたとばかりに両脚を伸ばして椅子に腰掛ける。
本来その下半身は魚の尾であり、陸上での行動に適してはいない種族だが、変幻能力を用いて二足歩行の下半身に形態を変えている。その分、もともと二足歩行の種族と比べると疲労がどうしてもかさんでしまうのだろう。かなりみっともない格好と表情で脱力していた。
「聞こえてしまいますよウーネリー? クライクス衣長も私達のためを思われて、ご指導なされているのですから」
イフスはクスクス笑いながらも、陰口が本人に聞こえていないかを確かめつつ、自分も椅子に腰掛ける。
「イフスは次はどこ? 私はゴミ出しと客間の清掃ー」
「私は魔王様のお側付きです」
しかし彼女の答えにウーネリーは驚愕し、思わず座る姿勢を正した。
「ええ?! だって昨日側付き務め終えたばかりじゃん、なんでっ??」
魔王城のメイド達は基本、一部署にて専任される事はない。
ある程度メイド歴が長く、さまざまな部署での豊富な経験と能力を有した者が、先ほどのクライクス衣長のように後進を指示指導する立場として専任配備されたりはするが、通常は様々な部署をローテーションで巡り、あらゆる経験を積み重ね、メイドとしてより優秀に研ぎ澄まされてゆくのが彼女達であり、イフスの配置ローテーションは異例だった。
「ええ。確かに3日側付きを務め、本日付けでこちらにシフトしたのですが、さきほどまたお呼びだとの連絡がきまして」
普段からイフスが魔王様の側付きを担当する期間は他のメイド達に比べても長い。
メイド達担当のローテーションは、魔王自らが決めているためこうした偏りは珍しくは無いのだが、それにしても一箇所にこれほど長く担当させられる事はめったにない珍しい事であった。
「魔王様、よっぽどイフスの事気に入ったんじゃないのー? もしかしてそのまま娶られて後宮入りとか? キャーッ♪♪」
「それはどうでしょうか? ……確かにかつて閨に御呼ばれした事はありましたが愛妾として、という事ではありませんでしたし」
するとそれは聞き捨てならないとばかりに同僚が椅子から飛び出して擦り寄ってきた。
並の貴族レベルの権力者ならば、自分が雇用しているメイドを寝室に呼ぶ事はよくある話だ。しかし相手があの魔王様となればその価値と意味はまるで違ってくる。
それこそ子の一人も身篭れば、これ以上ない最高の玉の輿に乗れるのだから、メイド達にとってはもっとも身近でもっとも難易度の高いシンデレラドリームの可能性がすぐ傍に転がっているようなもの。
「どういう事、どういう事!? 魔王様とヤ……ヤったのイフス!?!」
「はい純潔を失いました、もう結構前の話ですが。ただ…」
「キャーキャー!! ちょっとみんな!! イフスが魔王様に閨に呼ばれてたって!!!」
どよめきが起こる。たとえ最高級の品格を求められる職場でも、やはりこのテの話は女達の興味を惹きつけて止まない。そこらでくつろいでいた休憩中のメイド達がイフスを取り囲むように一斉に寄って来る、瞬間移動でもしたのかと見まごうほどの速さで。
「あの、いえ……そういう事ではなく」
「ねーねー、魔王様のアレってどんな感じなの!? やっぱすごく魔王的とか!??」
「何回戦くらいやったの!? 10回? 30回? 魔王様だからやっぱり底なしの精力よね!!」
「ですから、そういう感じではなくですね…」
しかし同僚達は完全に興奮しきっていて、イフスの話を聞かぬまま勝手に話を膨らませていった。実際は、イフスにとってそんなロマンチックな一夜ではなかったのだが……
彼女、ルオウ=イフスは、何万という多種多様な種族が存在する魔界にあってもたった一人しか存在しない新生の種族、ハーフエレメンタリオである。
その稀有さから保護という意味もあって、かなり幼い頃に魔王のメイドとして取り立てられた彼女だが、その生態には不明な点も多かった。
魔王が彼女を自分の閨に呼んだのは、まさにその生態の調査のためであった。行為こそ行いはしたものの、あくまでイフスの心身への影響や実際の生殖能力などを調べるためであり、とりあずは他の様々な種族と同じように生を歩めるという事実が判明しているだけで、より詳細な事はまだまだ不明瞭な事ばかりであった。
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「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
廊下で他のメイドとすれ違っても普通に挨拶を交わすし、仕事も同じようにこなしている。自分が特別な生まれである自覚はなく、当たり前の日々を過ごしているからこそ、余計に気になってしまう。
「(魔王様に普段のローテーション以外で呼ばれるのは、やっぱり怖いですね……)」
もしかすると、自身の事で重大な何かが判明したのかもしれない。それが悪い事でないという保障はない。それこそ実は物凄く短命であと数日の命である事がわかった、などと言われるのではないか? など悪い方向に勘ぐってしまい、魔王様の私室へと向かうイフスの足取りは重かった。
「よく来たな、ルオウ=イフス。今日呼び出したのは他でもない、ある事をお前に頼みたくてな」
会うたびに姿が違う魔王様は、今は小さな子供のような形状を取っていた。しかし周囲で控えている他のメイドや近衛兵の顔に緩みはなく、ピリっとした空気が室内を満たしている。
「頼み…ですか? そのような事をおっしゃらずとも、ご命令をいただければいかようにも―――」
メイドとして恐れ多いと下げようとした頭を、魔王は人指し指で弾くような仕草を持って抑制する。
イフスが立っている場所までおよそ5m。見えない何かが彼女の下がりかけた頭を戻し、姿勢を正させた。
「いや、頼みだ。これは命令ではない―――要するに、お前に拒否する権利がある話だという事だ」
いかに身分階級がなされ、貴族社会がなりたっている魔界といえど、低位に身を置く者に一切の個人の権利が認められていないなどという奴隷的な上下関係は今時まかり通らない。
だが主従の関係においては基本、主の言葉は絶対であり、従者はそれに拒絶や異を唱える事は許されない。
にも関わらず拒否権を認めるというのだから、一体どんな“頼み”だというのか? イフスは緊張から冷や汗を一滴流す。
「非常に急な話で悪いが、本日付けで魔王城での勤めを終え、明後日より地上へと赴任する新任領主のもとで働いてほしいのだ」
「?! それは……異動、いえ左遷という事でしょうか?」
何か問題を起こしただろうか? 魔王様の不興を買うような事をしてしまったのだろうか? 普通のメイドであれば真っ先にそう考えるだろう。しかし、わざわざ魔王様ご自身が自分を引き取り、メイドに仕立てたという経緯を持つイフスは、そんな不安を覚えはしなかった。
それに、それでは純然たる人事異動の “ 命令 ” になるのではないのだろうか?
「まぁ、結果としては左遷となんら変わらない話だな、確かに。ただ、実のところこの話は別になくてもいいものでな。その新任領主に従者を付け与える必要性はまるでないのだが」
「??? 申し訳ありません。その、御話の内容をいまいち理解しきれないのですが……」
必要がないのであれば、最初から不要な話ではないのか? なぜ単なるメイドの一人に過ぎない自分に選択を促すような事をする必要があるのか? イフスは理解に苦しむ。
「通常、新しい領主を任じたとてそのほとんどが貴族である者達だ。任地に赴くにあたり人手が必要であれば自らの側用人なり新たに雇ったものなりを連れてゆくだけ。こちらからわざわざ従者となる者を用意し、あてがうなどという事はまずない」
その新任領主とのやり取りでも思い出したのだろうか。魔王はまぶたを閉じ、口元に微笑を浮かべた。
「しかし、それは領主となる者の視点での話だ。今回の “ 頼み ” はイフス、お前の将来を考えた上で、地上にて勤めるのは良い経験になるであろうという考えに基づいている」
それがとってつけた理由である事をイフスは悟っていた。
本当は別の理由があるのだろうが、自分には話せない事なのだろう。そしてそれを聞き出す権利が自分にはない事も理解している彼女は、下手な疑いを捨てて素直に魔王の言葉を受け止めた。
「私のような者のためにそのようなご配慮を……恐縮です」
今度こそイフスはメイド服のロングスカートの端をつまみ、恭しく礼をする。
だが彼女の視界の外で魔王は少し困ったような笑みを浮かべた。
「……お前は優秀だ、その才覚も実力も申し分ない。しかしその特異な生まれのせいもあってか、周囲の者にも少々 “ 堅さ ” が目立つ。だからこそこの城で缶詰になっているよりは、若いうちより様々な経験を重ねてもらいたい」
イフスが面をあげると、そこにはさきほどまでいた子供の姿はなく、かわりに黒きオーラがかろうじて人型をなしているようなほとばしりが座していた。
対話の間もちょくちょく御姿を変えるのは、この魔界最高指導者たる御方の趣味だと理解しているが、はじめてみるその御姿にイフスは驚愕を覚える。だが、失礼にあたると思い己の表情が破顔しそうになるのを彼女は堪えた。
「やれやれ、そういうところがな……まぁよい。とりあえずその書類に目を通せ、新任領主についての情報が記してある。返事は明日で構わん、今日のこの後のお前の仕事はすべてキャンセルしておく故、落ち着いて考えよ、仕えるにふさわしい相手であるかどうかを。お前自身の意志でもって選ぶのだ」