支度のはじまりはお風呂から
この作品は連載中の拙作Web小説
「神話級大戦の後日譚―ウサミミ領主の受難―」の投稿をはじめるにあたり、その前語りにあたる外伝です。
時系列でいえば本編の、神魔大戦を挟んで過去(約5年前)にあたる内容のお話となっています。
本編の「神話級大戦の後日譚―ウサミミ領主の受難―」はコチラ↓
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―――魔界、ワラビット族の種族領土内、アトワルト家屋敷。
サァァァァァ……
シャワーの水が、長い髪から洗髪泡を洗い流す。
毛の生え変わりの次期、白い冬毛が抜けて長い耳の根元、白色が薄れて紫色へと変わっていく。
「ふ~、ちょっとスッキリしたかな」
フワリと靡かせた尻尾は、彼女の魅惑の尻丘のラインにも劣らない曲線美を中空に描いて靡いた。絹のように滑らかで、柔らかく透き通るような白さを有した尻尾は、クルクルと丸まってたちまち丸い球状の兎尾の形を取った。
「う~~んっ!!! …はぁっ、気持ちいいなぁ。…っとと、ちゃんと流しきっておかないと。いくら留守を頼んでるからって “こんなの” をお風呂場に残しとけないもんね。それそれー、早く流れていけ~」
排水溝付近にたまっている白濁の泡は、ミミの体から “ 洗い出した穢れ ” だ。
父の爵位継承にあたって世話になった大貴族が餞別にと昨晩これでもかとくれたモノだが、ミミは僅かも残す事なく綺麗サッパリ、最後まで粘っていた穢れの泡すらもシャワーの水で押して、完全に排出し浴室より追い出す。
「(このお屋敷もまたしばらく留守にするんだもんね……出来る限り綺麗にしておいて……、……次に帰ってくるのは一体いつになるんだろう?)」
派手過ぎない、色とりどりの色彩が施された大理石のタイル。湯気が充満しても浴室が視界不良にならぬよう、適度に湿気を吸収する魔法石が嵌め込まれている石像。
大の大人10人は同時に入浴可能な広さの中、ポツンと一人でシャワーを浴びている少女――――兎獣人のミミ。孤独な入浴中に郷里を…生家を離れる寂しさをヒシと感じていた。
外見のほとんどは人間種の女性と変わらぬ容姿。だが頭には長い兎耳が生え、お尻の割れ目の線が始まるところの直上に兎尻尾がついている。
もちろん作り物ではない。どちらもれっきとした本物だ。
「う~ん何年…ううん、何十年も帰ってこれないんだろうなぁ」
シャワーのヘッドに目をやる。水周り用ゆえ錆びないように金メッキを施され、表面には花のモチーフが浮き掘られていた。水を運ぶ柔管にもまるでバラの茨を思わせるデザインで金糸が縫い込まれている。
それはそれで豪華な造りだが、かといって物凄く高級というわけではない。兼ねてよりのこの家の財力を考えれば、この程度が限界だろうと弱小種族の中流貴族の悲哀を感じさせるような中途半端な中級品である。
「お父様……」
もう何年が経過しただろうか?
唯一の肉親たる父の死、爵位の剥奪と領土の召し上げ、そしてこのお屋敷にたった一人残され……
幼い頃を思い返す。
父が死んでから数年の間、たった一人でよくこの屋敷で暮らしていられたものだと自分自身に感心してしまう。
そして魔界の学園に通う決意を固め、長らく屋敷を空ける事になった前日も、こうしてシャワーを浴びて物思いにふけっていたなと、思い出の中の小さな自分が今の自分と同じ立ち位置に重なった。
「………。……お父様、ミミはこんなに大きくなりました。…せ、背はワラビット族の生まれ故、仕方ありませんが! とにかく、んんっ……ミミは無事、お父様の全てを継ぐ事ができました。アトワルト家の長として、領主として、明日から地上に賜りし新しい領地へと赴きます。どうか見守っていてください」
豊かに膨らんだ乳房を両腕に引っかけつつ己の両肩を抱く。
怖くないはずがない。肉親の死を乗り越え、そして学園を経てのこれまでの生の間に貴族として、領主として、ありとあらゆる知識と経験を培い、覚悟も意志も固めたつもりではあった。
しかし彼女はまだ283歳。人間族の年齢でいえば14~17歳程度の小娘だ。これからの先行きに不安を覚えないはずがない。
父が治めていた、魔界本土におけるアトワルト家旧領を賜れたなら、領民は自分や父をよく知っているので領土経営にこれほど不安はなかっただろう。
しかし残念ながら、アトワルト家を継ぐまでに費やした時間は決して短くはなく、旧領は既に他貴族の治世の下で繁栄を享受していた。
「地上かぁ……。確かに興味はあったけれど、まさか自分がその一部を治めにいく事になるなんてちょっと驚いたなぁ」
地上は開拓精神著しく、魔界側はそのほぼ半分に及ぶ領域を支配して無数に分割し、それぞれに領主たるものへと割り当てられて領地として治められている形がとられている。
その内の一角―――片田舎の小さな領地―――を、ミミはこのたび魔王様より賜っていた。
魔界に比べて文化・文明のレベルは低く、利便性を高める魔導器具や魔法設備の類も乏しい。領民は簡単な魔法もまともに使えない者がほとんどという。魔界本土の市街地に比べれば、はるかに原始的なつくりの町や村も多い。
魔界で育った彼女。領主としては若すぎる年頃で、しかも政治の経験もない新米貴族は、これからそんな土地へと赴く。
「いきなり反乱とか起こらなきゃいいけどね」
笑えない冗談だが、彼女は苦笑しつつもシャワーの根元にある宝玉に手をかざし、水を止めた。
柔らかく、美しい肢体のラインにそって流れ落ちる雫。身体に張り付く濡れた長い髪は、軽く頭を左右に振るうだけでふわりと舞って一定の空気を孕みつつ水気を切り、ある程度そのボリュームを取り戻す。
浴槽の上の横長な鏡が、浴室を後にしようと歩み出すワラビットの姿を捉える。その優れた凹凸を持った裸体を映して興奮したかのように、いまさらながらその表面を湯気で曇らせた。
一枚の肖像画が、絨毯の敷かれた廊下の途中に飾られている。ウサミミを生やした紳士と女性、そして二人の笑顔に見守られている幼い娘子の画だ。
「……」
母は、ミミが物心つく前に死んだ。父は貴族として、そして領主として忙しいながらも娘である彼女にしっかりと愛情を注いでくれた。
領地は失い、財産も父が万が一のためにと蓄えてくれていた分は、その大半がこれまでの生活費と学費に消えた。
残ったのはこの屋敷だけ……それでも彼女は両親を恨んだりはしない。がんばってくれていた事を知っているから。娘を大事に思ってくれていた事を、この画から感じ取る事ができたから。
彼女は何も言わずにただ画に向かって一礼をする。そして廊下の先にある父の、屋敷の主たる部屋へ訪れ、手にした鍵を差してゆっくりと取っ手を回した。
背の高いドアが百何年ぶりかに開く。久方ぶりに動いた丁番がキシリと短く、金属の擦れ合う音を立てたが、それ以外は特に問題なく扉は開く。
ドアが乗っていたおかげか、やたら綺麗な敷居板をまたいだところで、ミミは足を止めた。
「ここが……お父様の部屋」
父が死んでからも、彼女はその部屋に入室した事はなかった。鍵は持っていたが自分がアトワルト家の長となり、館の主になるまで自分で入室することを戒めてきたからだ。
もちろん他の誰もこの部屋へは立ち入らせてはいない。窓には鍵がかかり、カーテンも閉ざされている。
「不思議だなぁ、なんだかすごく綺麗な気がする」
誰も立ち入っていないのだから当然、掃除などの保守点検など行われてはいない。
にも関わらず、清涼たる空気が室内に満たされており、重厚で豪華な彫り物が施された木製家具の数々が、美しい魔木壇の黒色を湛え、ミミを歓迎するかのように煌めいていた。
「……すぅ~……はぁ~……っよし! この部屋の主は今日からこの私、ミミ=オプス=アトワルトっ!! みんなよろしくっ!!!!」
別に誰かがいるわけではない。が、部屋に存在する様々な調度品は勿論の事、部屋全体に内包されていた空気にさえも挨拶をするかのように、彼女は頭を下げる。
この部屋の主―――それはすなわち、このアトワルト家の屋敷の主であるという事であり、アトワルト家の主であるという事。
一糸まとわぬ全裸のまま、家長たる就任の挨拶を行うのは種族にもよるが、魔界の貴族社会では珍しくない―――自分に一切疚しい事はなく、主として相応しい者であるとの証明―――が、それでも全裸で挨拶された部屋が彼女に対して、なんだその格好はとクスリと微笑み返してきたような気がした。
「まー、明日から留守にするんだけどねっ、と」
そしてオチも忘れない。小さい頃は忙しい父に迷惑はかけまいと一人遊びする事も多かった。生きとし生ける者が誰もいなくとも、ミミは物言わぬ家長の部屋を相手どり、気恥ずかしさを覚える事なく堂々とした態度で語りかけていた。
まだ朝食を終えたばかりの頃合だというのに、屋敷に押し寄せたワラビット族のおばさん達に囲まれたミミは、苦笑いを浮かべて立ち尽くしていた。
「んーとぉ? 身長は…146。うん、まぁまぁですねミミ様。そっちはどう?」
「えーっとね、ミミちゃ……じゃないや、ミミ様。もうちょっと両腕あげてくれるー?」
他にもワラビット族の女性達が、忙しなくミミのまわりを行き来している。何人かがその裸体にメジャーを当てて、カラダの採寸をこと細かに計っては、持参した布なり古着なりに向かってあーでもないこーでもないと相談しあっている。
「うん、いい感じに実ってるわー。Bは85で、アンダーが…64よ」
「じゃあE+ね。ウェストの数字は?」
「51。ヒップはー………ちょっとミミちゃん、緊張しないで。尻尾丸めんと垂らして垂らして」
言われてミミは軽く呼吸をし、丸めていた尾を解いて流した。すぐにその尾を掴んで持ち上げられる感触がして、背筋をゾクゾクしたものが駆けのぼる。
「ん、88のいいお尻よ。こりゃ将来が楽しみだねぇ、ミミ様子沢山になりそうだわ、アッハッハ♪」
「うう……そこは、言わないでほしかったんだけどなぁ~…」
オッパイよりもお尻よりも、何よりも背が伸びてほしかった。ワラビット族は全体的にスケールダウンしたような小柄な者が多い。
しかし女性のシンボルたるバストやヒップは成長しやすく、もとよりスタイルのいい女性は多い傾向にある。とはいえ―――
「(特にお尻……なんでこんなに成長してくれちゃったんだか…はぁ)」
見た目に太ましく見えるわけではないから太ってるわけではないと理解しているし、おばさん達も褒めてくれはするものの、個人的にはやはり気になるカラダのポイントだ。しかも前に計った時よりも2cmも大きくなっている事実に彼女はガックリする。
「なーに落ち込んでんの。男はね、“ヤる前は乳、ヤった後はケツに付く”っなんて昔から言うんだよ? ミミちゃ…ミミ様は女としてまさに理想的って事なんだから、もっと喜んでいいんだよっ」
背中をパンッと叩かれ、上体が軽く前のめりになる。なんら抑えるもののないバストがたゆんだ。
確かにそれはミミも聞いた事がある。ワラビット族における理想の女性の体形を端的に現した一言だ。要するに、バストで引き寄せヒップで捕まえろというちょっと俗っぽい言葉で、酒飲みのオヤジさんが酔った席で女性にセクハラかます時に常用している。
「(……あれ、あんまりいい言葉じゃないんじゃないかな、もしかして?)」
ミミがそんな疑問を覚えている間にもカラダの寸法計りは進んだ。
アトワルト家を正式に継ぎ、地上領地を賜ってそこに領主として赴任する事になった事が知れ渡った途端、近隣のワラビットのおじさんおばさん達が押しかけてきた。
特におばさん達はミミへのお祝いの品として、地上で着るためのドレスを新調して贈りたいとまで言ってきた。その気持ちを汲み取って快く受けたまではいいものの―――
「(うん…私、完全にお人形さん状態だよねコレ……。ま…いっか、ヘタな事いっても面倒な事になりそうだし)」
まさしく着せ替え人形の気分である。採寸が終わったあとはどんな布地がいいか、どんな柄が似合うかなどと次々とカラダに当て布され、そのたびにおばさん達はキャッキャッと騒いでいた。
「(人望はあったんだなぁ。お父様……もしかしてお母様かな?)」
考えてみれば父が亡くなった後、出て行った使用人達は他種族の者ばかりだった気がする。なぜワラビット族から使用人を雇わなかったのかは今となってはわからない。
だが、両親の残した遺産は何もこの屋敷や財貨だけではないのだと思うと、胸の奥にジンと熱いものがこみ上げてきた。
魔王様への挨拶や出立のための準備なんかもまだ残っているのだけどなぁと思いながらも、ミミはしばらく彼女らに弄ばれる事を良しとし、とりあえずは諦めて大人しくされ放題になっていようと肩の力を抜いた。