【外伝】凧と蛸
俺は、書道室で優雅な放課後を過ごしていた。
むせ返るような墨汁の匂いに塗れながら、寝転ぶ。今日は枕を持参したのでいつも以上に快適だ。このまま寝てしまうかもしれないほど気持ちがいい。
そんな中、だんだんと足音が近づいてくることに俺は気付いた。書道室は4階建のこの校舎の4階にあり、さらに端っこにあるため、放課後人が通ることはほとんど無い。いや、無い、と言い切ってもいいかもしれない。とりあえず、俺は耳を澄ませた。
音からして、まず男子ではない。あんなとてとてと歩く男子がいたらそれはオネェか何かだ。気持ち悪い。
歩くリズムは、なんだか義心地ない感じ。
走るのに慣れていないような。このことから、楓じゃないことも推測できた。
ドアの前で足音が止まった。コンコンというノックよ音が聞こえ、開いたドアの先には、見覚えのない少女が立っていた。
「失礼します」
そう律儀に挨拶した少女は、1枚の紙のような物を持って、俺の前に小走りで来た。
「あの、南 悠介さんですよね?」
「そうですが・・・?」
「これ、お願いします!」
そう言うと、手に持っていた紙を渡してきた。
それは、入部届だった。
「・・・なんだこれ」
「入部届です!書道部に入りたくて、来ました」
俺は、よく理解ができていなかった。
まず、なんでこの娘は書道部の存在を知っているんだ。書道部は、俺が立ち上げた非公式に近い部だから、展示も勧誘もしていない。よって、部の存在を知る術はほとんど無いはずなのだが。
「つまり、入部希望ってことね」
「そうです」
「わかった。とりあえずあの椅子に座ってくれ」
考えていても仕方がないので、直接訊いてみることにする。彼女が座った向かい側に俺は座った。
「えーと、松下・・・」
下の名前の漢字が少し難しい。
「凧さん?」
「凪です!」
凪と名乗った少女は少し不満そうな顔をした。まぁ、名前をタコと間違えられては当然だろう。
「おっと失礼、松下 凪さんね」
「はい。タコって呼ばれたのは初めてです」
「タコでも可愛いと思うけどな〜」
「何言ってるんですか」
凪はますます不満そうな顔をした。
「じゃあ、まず初めに」
「はい」
「この部の存在をどうやって知った?」
「それはですね、先生に『書道部を創りたい』と言ったら『もうある』と言われたもので」
なるほど。
「それで、ここに来たと」
「そうです」
「へぇ・・・」
俺は彼女が書いた入部届をもう1度見た。それでわかったことが1つ。
この娘は、とてつもなく字が達筆だ。
女子高生が書いたとは思えない、まるで何かを極めたじじいが書いたような字で、名前が綺麗に書かれていた。
「君の手には、仙人でも住んでるのかな?」
「ハイ。今年で860歳になるウチの祖父が」
「・・・ノってくれてありがとう」
「驚かないで下さい。私、こんな性格ですから」
凪は笑顔で言った。
「南さんは、ここでどんなことをされているんですか?」
どうやら俺のターンは終わったらしい。
「そりゃ、字を書いたりいろいろと」
「なるほど」
凪は書道室を見回した。そして、あの存在に気付く。
「あれは・・・枕ですか?」
枕を見ながら、凪は呟いた。
「枕です」
「何故枕がここに」
「俺が家から持ってきました」
「それはいけませんねぇ・・・」
凪は目を細めて言った。
なんだが、怒られるような流れだ。これは、よろしくない。
「それで、俺はこの紙に何をすればいいのかな?」
強引だが話を戻した。
「名前の横に、サイン的なモノをしていただければいいです」
「わかった」
「わかった、ってことは、私を採用してくれるってことですね!?」
一体、何をプレッシャーに感じていたのか。
「まぁ、そういうことになるね」
「ありがとうごさいます!!」
凪は立ち上がって喜んでいた。
入社試験じゃあるまいし、何故そんなに喜ぶのか俺には理解できなかった。
「じゃあ、これをセンセーに渡してきな」
「はい!」
そう言って入部届を受け取った凪が、紙を見た瞬間目を見開いた。
「これって・・・、南さんの字ですか??」
俺のサインを指差して凪が言った。
「そうだけど」
「南さんの手には、誰が住んでるんですか?」
「君と同じくらいの女の子がいるよ」
「・・・それはちょっと引きます」
凪が呆れたような顔をして言った。
なんでだ。女子みたいな字って言いたかったんじゃないのか。
「戻ってきた時もう1度訊きますから面白い答えをよろしくお願いします」
「了解。タコちゃん」
そう言った時の怒って膨らませた彼女の顔は、俺にタコを想像させた。
勿論、いい意味で。




