【外伝】break heart
「食器洗い終わるから、拭いてくれ」
最後の1枚の皿に着いた泡を落としながら俺は言った。が、返事がない。
振り返って見てみると、ソファーで静かになっている女子高生が1人。
寝てやがるな。
一瞬起こそうかと思ったが、皿拭きは寝ているのをわざわざ起こしてまでしてもらうような事ではない。てか、そんな図々しいことはしたくない。
結局、片付けは全部自分でやった。母親がメシの時間に帰ってこないことが別に珍しいことではないため、皿洗いもよくするし、メシだって作る。気づけば家事全般出来るようになっていた。
椅子に腰を掛け、俺は楓の方を見た。
まず考えないといけないのは、こいつをこれからどうするかだ。起こすか、このままにしておくか。ウチには誰も帰ってこないからソファーで寝てもらっても俺は構わないが、楓自身が異性の家で寝たという事実をどう捉えるかがわからない。こいつはガサツで気が強い奴だが、一応女子だから気にすることは気にするだろう。そう考えると、起こした方がいい気がする。
しかし、ここでまた問題が発覚する。こいつの寝起きだ。
睡眠というものは人間の三大欲求の1つであり、人生の3分の1とも言われている。人生の3分の1を削ってでも人は寝るのだから、睡眠欲とはえげつないほど強いものであることがわかるであろう。それを邪魔するという行為は、非常に悍ましいことだ。
1度、休日で母親に頼まれて姉貴を起こした時、起こした姉貴に蹴られたことがあった。もし楓が姉貴と同じタイプの人間だったら危ない。姉貴に蹴られたのも十分痛かったが、楓にいたっては現役の陸上部だ。短距離走で鍛えられた脚が繰り出す蹴りは想像を絶する。起きて直ぐは意識が朦朧とするから躊躇も何もしないであろう。楓の早起きは得意じゃないところを考えると、寝起きは良くないと推測できる。
考えれば考えるほど答えが出てくる。これでは埒があかない。
「楓、起きろ」
俺は、7割の恐怖と3割の勇気で楓の肩を揺さぶった。
「んん〜〜?」
喉を鳴らしたような返事が返ってきた。
だけだった。
「オイ」
俺はもう1度、楓の肩を先ほどより強く揺さぶった。
すると、楓はソファーの背もたれから背中を切り離した。心なしか、眉間にしわが寄っているように見える。
しばらく無言のままソファーに座り込む少女、その目は、開いていない。
そしてすぐ、楓の身体が後ろに傾いた。おそらく意識が飛んだのだろう。背中が背もたれに当たる前に、俺は楓の肩を持ち背筋を伸ばした先ほどの状態に戻した。
声をかけようにも、かければその瞬間脚が飛んできそうなので、楓の身体が起きることを選択するまで待つしかない。俺は楓の前で跪き、相変わらず目を閉じたまま座っている人間を見る。
ふと、テレビに目をやった。野球は試合はもう終わり、勝ったチームのピッチャーがヒーローインタビューを受けているところだった。試合を観ていなかったから、インタビューの内容も、ピッチャーの笑顔の理由も全くわからない。ただニカニカしてる人間を見ても、面白くない。
チャンネルを変えようと、リモコンのあるところ、つまり楓の横を見た時、大変なことが目に入った。
楓が、こちらに向けて倒れ込んできていた。
何故前に、と考える暇はなかった。
肩を持つのには時間が足りず、俺は身体で楓の身体を受け止めた。
気がつけば、俺は楓と抱き合うような形になっていた。ここに来る前に風呂に入っていたからかどうかはわからないが、楓からいい匂いがした。女子はいい匂いがすると聞いたことがあったが、それを自分の身を以て知ることになるとは思ってもいなかった。髪からは、シャンプーの匂いが俺の顔を目掛けて飛んでくる。そしてもう1つ、俺の鎖骨辺りに当たる、
何か柔らかいモノ。
俺は顔から火が出るかと思った。楓はすやすやと寝息を立てて寝ているが、俺は全力で走った後のような心拍数になっている。心臓の音で、楓を起こしてしまいそうなくらいだった。
とりあえず冷静になり、俺は楓をソファーに寝かせた。楓は完全に寝ていたが、もはや気にしなかった。落ち着かないとしか言いようがない。もう、寝よう。
楓に薄手の毛布を掛け、俺は自分の部屋から布団を持ってきた。楓が先に起きた時、困ると思ったので『起きたら起こして』と紙に書いてテーブルの上に置いておいた。
電気を消し、布団の中に入る。
布団に入って3時間ほど、眠りに就くことが出来なかった。




