第八話
アースィたちに向き直る。
照明器具を持ってこなかったことが悔やまれた。周辺の岩壁に月光が遮られ、ここは闇が濃い。彼女らの姿はうっすらとしかわからない。
大声を出すこともはばかられ、バサロは小走りに彼らの元に近づく。
明かりが灯る。隊員たちが照明を点けたのだ。
闇を払う輝きにまぶしさを感じ、バサロは手でひさしを作る。
目が慣れてくると、隊員たちの現状が把握できた。
立っているのは四人だけ。他は腕や腹、足を押さえながらへたりこんでいる。
どうやら這々の体でここまで戻ってきたところで追っ手に捕まったようだ。
バサロはどう声をかければよいか迷った。隊員たちが揃って自分を凝視していることに気付いたのだ。
皆、「信じられない」という顔をしている。
アースィと目が合った。我に返った彼女が何か言おうと口を開いたとき、潜入隊の隊長が前に出た。普段任務を共にすることがない人間だったから、名前は覚えていない。
「止まれ。貴様、どうしてここにいる」
いきなりの高圧的な態度にバサロの身体と心が固まる。
どうして? 決まってるじゃないか。情けないお前等を助けに来たんだよ。
そう口にすることはできなかった。口の周りの筋肉が強ばって動かない。
「本当にバサロか? いや、怪しいな。武器は持っていないだろうな。両手を挙げてみせろ」
バサロはしばらく黙っていたが、やがて言われたとおりにした。
照明と夜闇が解け合う狭間で、バサロの表情は完全に消えていた。
アースィが眉をしかめている。いつものバサロなら憎まれ口のひとつやふたつ飛ばすだろうと思っているのかもしれない。
「ひとつ確認させろ。先ほどの聖霊機械、乗っていたのはお前か」
隊長の問いかけに無言を貫く。
「お前が聖霊機械を駆るというなら、これ以上の同行は許されないぞ。どうなんだ」
それでも一言も応えないバサロに隊長は舌打ちする。
他の隊員たちは、何か奇妙な異物を見るような目になっていた。突然の出来事だったためか、それとも絶望的な状況から一転したためか。いずれにせよ、バサロをバサロと見ていないことは痛いほど伝わってきた。
「……撤退だ」
隊長が言った。部下に向かって指示を出す。
「動ける者は負傷者を運べ。船まで後退する。急げ。次の襲撃が来る」
彼はバサロを見ていなかった。
アースィはバサロと隊長を交互に見る。すると「早く動け」と彼女に叱責が飛んだ。
隊員たちがそれぞれ行動を始めてから、隊長はバサロに向き直った。バサロは両腕を下ろす。しばらく視線を合わせた。
隊長が口を開く。
「協力には感謝する。だがここから先は互いに干渉しない方がいいだろう。こちらは手負いとは言え、人数で勝っている」
俺がお前等を襲うとでも思っているのか。
「我々は諦めたわけではない。命ある限り、戦いは続く」
「隊長、急ぎましょう」
隊員のひとりが駆け寄る。彼は焦った様子でこう言った。
「せっかく助かったのに、あんな得体の知れない奴と関わり合いになりたくありません」
――その言葉はバサロの心を締め上げるには十分だった。たとえ死地から抜け出して気が緩んだために思わず漏らしたものであっても。
バサロは口元を引き上げた。どうせなら徹底的に戸惑うがいい。
「さっさと行け。ここは俺が守ってやるぞ」
バサロの言葉に隊長が目を剥く。その顔を見るのは爽快で、切なかった。
「あんたらにしてみればありがたい話だろ。ん?」
「改めて感謝する」
隊長が踵を返す。照明が小さく絞られ、隊員たちがひとり、またひとりと闇に消えていく。
負傷した隊員に肩を貸し、最後までその場に残っていたアースィがバサロに叫んだ。
「いい!? そこにいなさいよ。勝手にどっかに行ったら許さないからね!」
今度はバサロが面食らう。アースィはよろめきながらも早足に仲間の後を追った。
周囲に静寂が訪れる。
耳が痛くなるほどの静けさだった。
暗闇に目が慣れるまで、バサロはその場に立ったままでいた。頭の内部が死んだ肉の塊になったかのように重く、何も考えられない。
少し強めの風が吹いて、バサロは瞬きする。深呼吸を一度。それから両手を上に伸ばした。脱力すると口から熱い息がこぼれた。
「戻れなくなっちまったなあ」
自分でも驚くほど力ない声が出た。
拠点から無断で抜け出し、装備を鉄屑に変え、ラウティスの一隊と戦りあった。これをサニア・ドゥリダの幹部が知ったらどう思うだろう。慌てるだろうか。無視するだろうか。
無視するかもしれない。あの隊員たちの様子を見る限り。
もしかしたらグラディスが最後にかけてきた言葉を、隊員たちは聞いていたのかもしれない。そうだとすると、バサロを得体の知れない者扱いするのは当然だ。
そう、あれは当然の言葉なのだ。
バサロという人間を知っている者からすれば、確たる理由もなく、苦労をして、命を懸けて人を助けるなどバサロがするはずがないと、そう思っているのだから。
救うだけ無駄だった。一歩踏み出すだけ無駄だった――そんな思いが湧いてくる。胸に溢れた痛みは、どういうわけかとても馴染みがあるものに思えた。
空を見ると、月が第一階層の岸壁に三分の二ほど隠れていた。
ラウティスの象徴である塔がだいぶ近くに感じられる。
これからどうしようかと思った。このままここで野垂れ死ぬのも、しっくりこなかった。
「おい、聞こえてるかシャウル」
バサロの声に反応して胸元の聖霊石が発光する。やがて人の形を取り、裸身のシャウルが姿を現す。
「なんでしょう」
そう言って傍らに立った聖霊に、バサロは肩をすくめた。
「別にわざわざ人間形態にならなくても良かったんだぞ。聖霊石のままでも会話はできるだろ」
「この姿の方が良いと判断しました。大事な相談事に石の姿は相応しくありません」
そうか、とバサロはうなずく。
「シャウル、お前ラウティスの街のことは知ってるか」
シャウルは小首を傾げる。
「私は目覚めて間もないので、街のことはよく知りません」
「てことは、何か。お前も俺と同じで昔の記憶がないのか」
「記憶がない、というのは語弊があります」
さして不快に思った様子もなく、彼女は言った。
「ですがあなたのことは知っています。私はあなたに逢うためにここまで来たのです」
どうして俺のことを知っているのか。何のためにここにいるのか。
バサロは尋ねようとしたが、やめた。内心で笑う。シャウルについて聞けば聞くほど自分に跳ね返ってくると思ったからだ。
自分が何者かもわからない奴が、「何のためにここにいるのか」なんて質問をすること自体が滑稽ではないか。
シャウルが街の方に顔を向けた。視線の先には第五階層にそびえる光の塔があった。
「街の人間には私のことが知られているかもしれません。戦闘形態のまま脇目も振らず走ってきましたから」
「人の姿になってここまで来るという発想はなかったのか」
「機動性には代えられません」
はっきり言う奴だ。正体不明だが、少なくとも裏表はないのだろう。十分だ。
バサロもシャウルにならって光の塔を見る。空間に溶けていく曖昧で穏やかな輝きを見つめるうち、街に出るのもいいかもしれないと思った。
せめて、一歩踏み出したことだけは無駄にしたくない。