第五話
バサロが向かったのは、ラウティスに繋がる水路のひとつだった。アースィたちが使用した水路と比べずいぶんと細い自然水脈である。今は使われておらず、水路の両端は鉄格子が設置されている。
バサロは鉄格子を素手でこじ開ける。常人離れした筋力が役に立った。
「確かこの辺りに。……あった」
松明を頼りに室内を探し、一人乗りの小型艇を見つけ出す。資材不足だった十数年前に作られたものだった。
他にもこの部屋には死蔵された物品が多く収納されていた。空間の多くを取っているのは、使い勝手が悪くて未使用のまま放置されることになった何艘もの救命艇だ。
死蔵品の中に、見覚えのあるものがあった。部屋の入り口付近に無造作に置かれたそれは、バサロが愛用している武器ガルディガだった。
どうやら組織はバサロを長期間、戦闘任務から外すつもりのようだ。そうでなければ現役で使われているバサロの武器をこのような場所に放置したりはしない。
小型艇の固定を取り外した後、バサロはガルディガを手に取った。
大人一人分の重量は優に超える。これを装備したまま小型艇に乗るなど、自殺行為以外の何物でもない。バサロは、武器という安心が欲しかった。
バサロは慣れた手つきでガルディガを身につけた。
空いた手で小型艇を持ち上げる。武器と比べれば軽いものだ。小さな水路に浮かべると、艇は水の流れを受けて頼りなく揺れる。
大丈夫、という確信があった。
たとえこの頼りない乗り物がダメになったとしても、生身でたどり着いてみせる。
「とうとう俺も狂ったか」
自嘲する。なかなか爽快な気分だった。
武器と一緒に身体をねじ込むと、小型艇は大きく沈み込んだ。急いで索を切り、全身を小型艇の中に収める。
流れに乗って小型艇は緩やかに進み始める。
部屋を抜け、暗闇に包まれた地下水路に入ると、速度が急激に増した。
小型艇はあくまで『箱』だ。自走式ではない。目的の場所にたどり着くためには細かな操作技術と、勘と、潜望鏡からの景色が頼りだ。改めて自殺行為である。
艇がやや右に傾いた。操縦桿を動かしても、ガルディガごと身体の位置をずらしても、艇の均衡は戻らない。
手に冷たい感触がした。浸水しているのだ。
直後、激しい衝撃が艇全体を襲う。平衡感覚を失ったバサロが見たのは、艇体を突き破り眼前まで迫った岩だった。
壁面への激突。小型艇はバサロを乗せたまま、さらに二度激突を繰り返し、ついに水中で分解した。
押し寄せる水が生き物のようにうねってバサロを取り囲み、そのまま水の世界へと引きずり込む。
不快感が足先まで駆け抜けた。命の危険よりも、まず夢の出来事を思い出した。
ガルディガの重量でバサロの身体は沈降していく。どちらが上で、どちらが下か、正しく理解できた。
両足が水底につく。動きが制限される中、バサロは水路の左端に取り付いた。
頭上で水が波打つ音が聞こえる。どこかに光源があるのだろう。広範囲に差し込む光が水底の複雑な地形を露わにしていた。
バサロは岸壁にしがみつくようにして水面へ上がった。
目から上だけを水上に出し、辺りを探る。
光源は月明かりだった。水路は地上に繋がっていたのだ。
周囲に人影がないことを確認し、水からあがる。
慎重に負傷の度合いを確認する。幸いどこも折れたり砕けたりしていない。出血もなく、意識もはっきりしている。
ただ、目がおかしい。
靄がかかったように視界が白い。かと思うとすぐに元の色彩を取り戻す。しばらくその繰り返しが続いた。
何度も目をこする。眼球全体が白く染まったんじゃないかとさえ思えた。
ようやく視界が落ち着く。安堵の息を吐いたバサロは、ふと全身を硬直させた。
耳が風切り音を拾った。何かが猛烈な勢いで近づいてくる。
どこから。上から。
月光が遮られる。直後大地が揺れ、『それ』が近距離に着地した。
濡れたバサロの身体に細かな砂埃が張り付く。
バサロは顔を拭い、目の前に現れた『それ』を見た。体高が三〇〇セラピスはある。逆光で姿形が輪郭でしか確認できない。頭があり、腕があり、胴体から二本の足があって、人の形をとっていることがわかる。
バサロは確信した。それも致命的な点を二つ。口元を歪める。
こいつは新型の聖霊機械だ。
自分は完璧に後れを取った。
バサロはガルディガを構える。
距離からして、いつ聖霊機械の腕が振り下ろされてもおかしくない。
ずぶ濡れの身体に冷汗を滲ませながらバサロは考える。
この新型をどのようにして攻撃するか。弱点が今までと同じとは限らない。ガルディガが効く保証もない。だが大人しくやられるつもりはないぞ。もしこいつがアースィたちを襲った奴なら、この手でぶっ潰したい。どこかないか、攻撃できるところが。ちくしょう。このデカブツめ。
聖霊機械が光を発する。反射的にガルディガで防御したバサロは、今度こそ命の危険を感じた。光量が多い。目を閉じても瞼の裏で閃光が瞬く。何をする気だ。何を――
光が収まっていく。衝撃は来ない。
理由はわからないが、先制攻撃を受けずにすんだ。これは好機だ。
武器を構え直したバサロは、しかし、攻撃に移ることができなかった。
まるで拘束されたように、身動きが取れない。
「な、んだ。これは」
先ほどまで聖霊機械があった場所に、聖霊機械『だったもの』が立っていた。
白い肌。
胸の膨らみ。
癖のついた青い長髪。
薄灰色の瞳。
少女――としか言いようのないカタチが、バサロからほんの数歩先の距離に佇んでいる。
残光が、まるで光の霧でできた絹服のように少女を包んでいる。
「誰だ。お前は」
バサロはかすれた声で言葉をひり出す。
聖霊機械が、少女に変身した――
混乱した頭で必死に目の前の現象を考える。
聖霊は姿を変え、聖霊機械になる。それは事実だ。けれど聖霊機械から人間に化けるなんて聞いたことがない。
それも本物と見紛うばかりの姿を取るとは。
あの白い肌や、癖のついた青い長髪や、薄灰色の瞳なんてまるで人間だ。
それこそ、夢に出てくるあの女そのものじゃないか……!
目尻や頬の筋肉を動かすことなく、少女が口を開く。
「おはようございます」
バサロは一歩後退した。
「お前……まさか。いや、そんなはずは」
「あなたはバサロです。私はシャウルです」
答えているようで、答えになっていない返事。シャウルはバサロの言葉が耳に入っていないかのように――あるいは初めから全てを知っているかのように、変わらぬ調子で「よろしいですか」と問う。
「……こっちに来るな」
バサロはガルディガの攻撃口をシャウルに向ける。
「貴様の名前なんぞ知るか。貴様は聖霊機械だろ。そうやって相手を油断させるつもりだろうが、騙されるものか。アースィたちは貴様がやったのか。どうなんだ」
強い言葉をぶつける。だが内心は激しく動揺していた。
なぜこいつは俺の名前を知ってやがる。
いや。それよりも。もっと重要で重大なのは。
こいつの姿は、何度も夢に出てきたあの女と一緒だ。偶然なのか。どうなんだ。
シャウルと名乗った少女は、警戒心を露わにするバサロに向かって右手を差し出した。まるで握手を求めるように。
薄灰色の瞳でバサロを見つめ、彼女は一歩踏み出してきた。
「来るな」
再度警告してもシャウルは歩みを止めない。
バサロはガルディガを腰溜めに構えた。起動させる。微かな振動とともに、一撃を打ち込むための力が溜まっていく。
「行動を開始しますか」
シャウルが言う。
「救援活動の継続は可能です」
「わけのわからないことを言ってないで、質問に答えろ。貴様は俺の何を知っている?」
「あらゆることを」
いつの間にか指先が届くほどの距離になっている。
目の前の現実と夢の光景が重なった。
光の鎚で潰される瞬間が、自分を見つめる眼差しが、殺される刹那の恐怖が、蘇った。
バサロは大声を上げ、ガルディガの出力を最大に引き上げた。身体に染み込ませた動きでシャウルの鳩尾に金属杭を打ち込む。
右腕から胸、腹、腰、足に衝撃が伝播する。硬い岩の大地に亀裂が走り、粉塵が浮く。遅れてやってくる痺れと痛み。
聖霊機械に一撃を与えたとき以上の反動だ。
人間相手で、この感触は決してあり得ない。
身体を折り曲げたシャウルは薄灰色の目を大きく見開き、再び光に包まれる。布のように滑らかだった光は逆巻く旋風となって螺旋を描き、上空で細かく砕けて夜空に溶け込んでいく。
かつん、と乾いた音がした。
地面に聖霊石が転がっていた。
他の聖霊機械と同じだ。痛手が限界を超えると聖霊機械は聖霊石に戻る。
足腰が笑う。片膝を突き、バサロは荒っぽく空気をむさぼる。
腕に猛烈な熱を感じて我に返る。ガルディガから蒸気が上がっていた。バサロは異常発熱したガルディガを右腕から引き抜いた。服の上から腕をなでると火傷の痛みが走った。
ガルディガは機能停止していた。小型艇が木っ端微塵になったとき、すでに相当な痛手を受けていたのかも知れない。シャウルへの攻撃で生じた負荷に耐えられなくなったのだ。
聖霊石を拾う。特徴的な七色の輝きが月光に照らされ浮かび上がる。特に鮮やかなのが橙色だった。それは、聖霊石の中でも最上級の品質であることを示していた。
目の前の危険は去ったはずなのに早鐘を打つ心臓がなかなか静まらない。混乱から立ち直るどころか動揺がさらに深まっていく。
夢に出てきた女とうり二つの少女。
彼女は聖霊機械、聖霊なのか。それとも特殊な人間なのか。
そもそもシャウルは夢の女なのか。そうだとしたらなぜ今、この場所に現れたのか。
聞きたいことは山のようにある。しかし石となったシャウルは喋らない。
街の方から小さく鐘の音が聞こえてきた。聞き覚えがある。以前、敵の聖霊騎士団とやりあっていたときに響いた音色だ。おそらく警報音。
そうだ。シャウルを退けたと言って安心はできない。
武器はすでに鉄屑も同然。小型艇も水路の藻屑と消えた。残ったのはシャウルの聖霊石だけ。
「冗談じゃねえ」
バサロは聖霊石を懐に納めると、地上を水路沿いに走り始めた。