第四話
通路を歩きながら肩を回し、わずかに感じていた張りを取る。
大量の荷物を運んだ後だが、思ったほど疲れはなかった。
急遽任務が変更になったバサロは、ラティオの身の回りの世話を言いつけられた。もっぱら、彼女の持ち物の整理と運搬である。
普通の人間ならまず尻込みする量を、バサロは夜までかかって一人で運び終えた。ラティオは、仕事とは言え無茶を聞いてくれたバサロにとても感謝していた。
あなたもホントは皆と一緒に戦いたいんでしょうけど、ごめんね。我慢してね――ラティオの申し訳なさそうな顔を思い出すたびに首がかゆくなる。
サニア・ドゥリダの仲間たちのために、などとお題目を立てて勇猛果敢に敵地に赴くなどバサロの性に合わない。むしろ黙々と作業に打ち込んでいた方が余計なことを考えなくて済む。ラティオの礼はこそばゆいだけだ。
分かれ道に出る。左手の道に足を向け、ふと右手の道の方を見る。
右の道を行けば、アースィたちが任務のために使った水路に出る。
バサロは髪を掻き、無理矢理視線を正面に戻した。
自分は、幼馴染みの安否を心配するようなタマではない。もっと薄情で嫌な野郎なのだ。そうでなければ、ますます自分が何者なのかわからなくなる。
頭を切り換えようと、別の話題を考える。
さっきまで一緒にいたラティオの話を思い出した。これもバサロにとってはあまり面白くない話題である。
どうやら、ラウティスはずいぶんと惚けた人間が集まっているらしかった。
生活の様々な場面を聖霊に頼っているため、バサロに言わせれば軟弱で、暢気な者が多い。大洪水の前だというのにお祭りを開いているというのだから相当である。ラティオの客は彼女をまったく疑っておらず、非常に騙しやすい――ラティオは「話しやすい」とぼかしていたが――連中ばかりだ。
ラティオは街の印象を一言、「平和なところ」と表現した。バサロにとっては虫酸が走る話だった。
ラティオはバサロの名を口にした老人客についても話していた。
『何だかね、とても寂しそうなお爺ちゃんだったわ。本当はいけないことなんだけど、私、気の毒になっちゃって。つい長々とお話ししちゃった』
ラティオはその老人の名も聞いていた。
「ルミギ。中央を束ねる長老か。何だってあの爺が」
――二年前。バサロが拘束されていたとき、少しだけ顔を見せた老人も確かルミギという名だった。その後しばらくしてバサロは監獄から抜け出しているから、名前以上のことは知らない。
しかし、まさか娼館を利用する男だとは思わなかった。
彼がラティオと絡むところを思い浮かべ、落ち着かなくなる。
バサロは再び頭を掻いた。
「ダメだ。身体を動かして忘れよう」
歩き始めたそのとき。
水路に続く通路から足音が聞こえてきた。駆け足だ。複数。慌てているのか足並みは揃っていない。興奮気味の声も聞こえる。バサロは立ち止まり、聞き耳を立てた。
通信の途絶――という単語が聞こえてきて、息が詰まる。
振り返ると、ちょうど分かれ道のところに二人の男が差しかかるところだった。バサロの視線にも気付かず、言い争いにも似た相談を続けている。
通信中にいきなり途切れた。通信線が断たれたんだ。襲われたに違いない。その証拠に通信線が流れ着いてる。これは潜入隊からの伝言だ。
姿が見えなくなるまで、男たちは同じ話題について延々と喋り続けていた。
「通信線が断たれて、流れ着いた?」
意思疎通の要である通信線は、同時に隊員の無事を報せるものでもある。サニア・ドゥリダでは命綱も同然なのだ。遠方に赴く部隊ほど通信線の状態には神経を使う。
それが何者かによって断たれた。
遠方に出征した部隊は、いる。
まだアースィたちが帰還したという報告は聞いていない。
バサロは踵を返すと水路に向かう通路を走り出した。途中、向こうから走ってきた同僚をつかまえる。先日揉めた、あの見張り女だった。
「おい。何が起こったんだ」
見張り女が露骨に顔をしかめる。勢いよく手を払われた。
「離して。あんたには何の指示も出ていないでしょう」
そう言うなり走り去っていった。
払われて行き場をなくした手を見る。
続いてやってきた別の人間をつかまえ、問い質す。だが、同じような言葉を吐かれて拒絶された。
胸騒ぎがした。妙に身体が火照っている。息まで荒くなってきた。
新たにやってきた同僚を三度つかまえたとき、バサロは頭を下げた。その態度がよほど珍しかったのか、同僚は立ち止まって説明してくれた。
「ラウティスに潜入した隊と連絡が取れなくなった。どうやら敵の聖霊機械に襲われて壊滅したらしい」
バサロは立ちすくんだ。男が去った後も立ちすくんだ。
嘘だ、とつぶやく。
壊滅。
昨日、面と向かって話をしたばかりのアースィが、彼女が所属する隊が、壊滅。
冗談としか思えない。
確かにラウティス潜入任務は危険だ。確かに通信線の断絶は異常事態だ。
けれど、昨日の今日だろう。あいつは、いつも通りやると言っていたじゃないか。どうして、そこだけいつも通りじゃないんだ。
バサロは服の胸元を鷲づかんだ。
――まだ死んだわけじゃない。報告を待つべきだ。
――どうせいつかは死ぬ。他人のことなど気にするな。放っておけばいい。
冷静な判断と冷徹な割り切りがせめぎ合う。だがどちらもバサロの頭は認めなかった。
確かめなければ。
その気持ちは次第に大きくなり、ついには自分の中で唯一無二の使命のように思えてきた。
確かめなければ。
通路の奥に向かって走る。騒ぎは次第に大きくなり、人だかりも増えてきた。
水路の入り口が見えてくる。サニア・ドゥリダで一、二を争う大きさの空間には、夜だというのに多くの者が集まっている。皆、互いに顔を見合わせ言葉を交わしている。
バサロは同僚たちを押しのけて水路の前まで出ようとするが、密集した人の群れに阻まれ叶わない。
辺りを見回した。等間隔に並べられた照明器具で、球形の部屋の内部が隅々まで照らされている。
壁面にうまく取り付けば進めそうだ。
バサロは跳んだ。
岩場の突起に取り付き、まるで別の生き物のように音もなく移動して部屋の中央を俯瞰できる位置にたどり着く。
反響する水音が耳にうるさい。水路は五〇〇セラピス(一〇メートル)の幅に整備され、川のようだった。この場所を始め、サニア・ドゥリダにはラウティスに繋がる侵入用の地下水路が複数存在する。
水路の傍らに円陣ができている。その中心に通信線が巻き取られていた。
線の端がほつれて切れている。まるで強い力で引き千切られたようだった。円陣を作る面々は、皆厳しい表情だった。
あんなことができるのは聖霊機械しかいない。
アースィたちは強力な聖霊機械と遭遇し、今なお帰還できていないのだ。
バサロは入り口に戻る。しなやかに着地するなり走った。
分かれ道まで戻ったとき、ふと立ち止まる。再び自分の手を見た。震えていた。
「おい。どうしたっていうんだよ俺は。敵にやられちまうなんて珍しくないだろうが。やられて、還ってこないことなんて」
指先が、腕が、身体全体が震えていた。
「なんなんだよ、この震えはよ。人助け? この俺が? ハッ、冗談じゃないぜ」
壁に背を預ける。
このような事態になった以上、上の連中は必ず動く。状況を判断し、適切な計画の上にしかるべき人員を派遣するはずだ。
その中には当然、自分の名前は含まれないだろう。なぜなら厄介者だからだ。他人などどうでもよいと思っている愚かな奴だからだ。
腹が立ってきた。面白くない。
まるで「お前にはアースィを救えない」と言われているようで、面白くない。
そんなの誰が決めた。
誰が決めたんだ。
バサロは壁から背を離し、歩き出した。一歩踏み出すと同時に震えは止まった。
「待ってろよ。アースィ」
口から漏れた無意識のつぶやき。バサロは自分でも理解できない感情を抱えたまま、行動を開始した。