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ウェルフイストリア  作者: 和成ソウイチ
4.聖霊たちの軌跡(ウェルフイストリア)
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第二十三話

 ――それはかつて確実に存在した事実。歴史。軌跡。


 次元流還(ウェルフーメ)。聖霊たちを元の世界に還す試みが、五〇年前に行われた。

 強大な力で聖霊石という枷を破壊し、人間の世界から聖霊を押し流すという途方もない構想だった。

 そのために編み出された聖霊術は、まさに力の嵐。七色の聖霊石を、聖霊術の行使者を、そして人間の世界を、その力によって縛りつけた。


 術が行使されるとき、その場には少年と少女の二人がいた。

 少女のように可憐な容姿をした少年は、その長く蒼い髪を奔流にさらし、両の足を大地に強く押し当て、術の対象である聖霊石を見つめていた。薄灰色の瞳に強い決意を浮かべて。


 少年の傍らにたたずむ少女が凜然と告げた。

「これで決めて。私が作り上げた(レウリ)は完璧だわ。必ず次元流還は起こる。そうすれば聖霊たちは解放される。今日、全てを還す。そして人間たちを根絶やしにするの」

 少年はうなずき、右手を天にかざす。辺りに吹き荒れていた聖霊術の奔流が少年の掌に収束し、巨大な光の鎚を形作った。

 少年の視線の先にあるのはうずたかく積み上げられた聖霊石の山。すべて人間たちから強奪したものだった。このひとつひとつに聖霊が宿っていた。『人間に捕らわれ使役された哀れな同胞たち』と少女が呼ぶ聖霊が。


 光の鎚(レウリ)を振りかぶった。発動すれば聖霊はあるべき場所に還り、周囲一帯の人間たちは瞬時に蒸発する――そのように少女は少年に伝えていた。

 止める者は誰もいなかった。

「さあ。やりなさい」

 少女の声とともに少年が鎚を振り下ろし、再び激しい力の奔流が巻き起こって、そして――術は、失敗した。

 同胞を解放するためとはいえ人間全てを犠牲にする覚悟が、少年には足りなかったのだ。

 次元流還は起こらず、聖霊たちはさらに強く聖霊石に縛られ、街は壊滅し、少年と少女はレウリの余波を身体に浴びた。


 少年にとっても、少女にとっても、それは悪夢だった。

 少女は怒り、弱っていた少年を力で封じ込めた。

 二人がそれぞれ元の状態に戻るまで、何年もの時間がかかった。



 少年の名はバサロ、少女の名はエナといった。





 浮力に逆らい、バサロとシャウルはゆっくりと下降していく。

 第五階層の下には、水で満たされた大空洞が広がっていた。

 バサロは前髪を指先でこする。わずかに視界に入った髪の色は、シャウルと同じ蒼だった。瞳も変わっている。

 これが、聖霊として生きていた自分の本来の姿なのだということをバサロは思い出していた。黒髪の少年は、バサロという存在がまだ人間だった頃の姿なのだ。

 どちらも紛れもなく、自分だ。


 大空洞は広く、深い。底に近づくにつれ、複数の人影が見えてくる。

 奔流に巻き込まれ大空洞まで沈んできた、住人の遺体だった。

 バサロは操縦席で胸を押さえる。締め付けられるように痛んだ。

 記憶を取り戻したとはいえ、いや、取り戻したからこそ感じる痛み。

 あのときの自分は聖霊たちを助けようという一心だった。エナもそんなバサロの心意気を支持し、バサロに禁断の術を授けた。だがそれが失敗に終わると、掌を返してバサロを冷遇し始めた。五〇年の長きにわたって。

 サニア・ドゥリダと決別したあの日と同じなのだ。

 救うだけ無駄だった――そう思い知らされたときの痛みなのだ。


「大丈夫ですか」

 シャウルが聞いてくる。バサロは大きく息をついた。

 痛みを拒絶するのではなく、身体の、心の一部として受け入れていく。

 ただ痛がっていただけでは何も変わらないから。

「僕――いや、俺たちにできることをやり遂げよう。アースィやルミギを助けて、この状況を脱するんだ」

「はい。それからバサロ、私は言い直す必要はないと思います」

 シャウルの石版の穏やかに光る。

「自分の呼び名です。人間だった頃のあなたは、自分のことを『僕』と呼んでいました」

 バサロは微笑んだ。


 半人半聖――それがバサロだ。

 ウールよりも遙か昔に聖霊とひとつになった人間。限りなく聖霊に近い存在。

 常人離れした膂力も。身体の頑丈さも。聖霊との相性の悪さも。

 そしてシャウルという聖霊の存在を生み出したのも。

 すべて自分が聖霊としての力を持っているがゆえだった。


 バサロは表情を引き締める。

 感じるのだ。ここに――

 バサロが記憶を失った元凶がいる。

 アースィやルミギを攫ったのも、おそらく彼女の仕業。

 こんな大掛かりな仕掛けを用意する目的はひとつしか考えられない。

 彼女――エナは、夢の続きを再現しようとしているのだ。


 ――その通りよ。


 声が、した。

 夢の中で響いたものと、まったく同じ声。

 顔を向ける。いた。水で満たされた大空洞の壁際に浮かぶ形で、『彼女』の姿があった。

 黒い貫頭衣に黒の髪留め、白い肌に金色の長い髪。背丈はバサロよりもだいぶ低い。年の頃は一四、五歳といったところか。作り物めいた愛らしさを持つ少女――


「エナ」

 バサロはつぶやく。

 ラウティスの支配者。表には一切姿を現さず、存在が謎に包まれていた女が、このような年端もいかぬ少女の姿をしていたとは、誰も思わなかっただろう。

 しかしバサロは彼女を知っていた。よく知っていた。

 五〇年前から知っているのだ。

 彼女こそラウティスの聖霊たちを束ねる上位聖霊なのだ。


 ――久しぶりね、バサロ。その様子だと記憶は無事取り戻したのかしら。

 どこか子どもっぽい仕草でエナがたずねてくる。バサロは答えなかった。

 ――でも、残念ね。再会を喜んでいる暇はないの。用件だけ言うから、うなずきなさい。

 一転、高圧的な態度になる。彼女は、あのときから、こういう存在だった。

 ――バサロ。それから彼の絞りかすである聖霊よ。私に手を貸しなさい。五〇年前になしえなかった術を完成させるのよ。

「断る」「右に同じく」

 バサロとシャウルは静かに告げた。

 エナの表情が引きつる。

 ――なぜ? あのときあなたは、喜んで協力してくれたじゃないの。聖霊を、あるべき次元へと還す。それになぜ抗うの。

「確かにあのときは君の理想に共感した。そのために君から力を授かり、そして術を発動させた。だが、その結果がどうなったか、君もよく知っているはずだ」


 バサロは言った。

「アースィは。ルミギはどこだ」

 エナが視線を巡らせる。大空洞の一画に光の塊があった。アースィとルミギが、バサロとシャウルを心配そうに見ていた。

 二人が無事であることに胸をなで下ろす。

 ――人間に与する輩など放っておけばいい。それとも、この五〇年であなたも変わってしまったのかしら。

「君が変わらないなら、僕の考えも変わらない」

 ――そう。やっぱりあなたは五〇年前も今も、私のことを裏切り続けるのね。わかったわ。


 エナがそう言った途端、バサロはシャウルの機体ともども壁面に押しつけられた。

 大空洞を満たす水が、意思を持ってバサロたちを押し潰しにきたのだ。

 ――この水は私が生みだした聖霊力の塊。そして、私の悲願を達成するための鍵よ。あなたはそこで見ていなさい。他人に任せることなく、今度は私自身の力で成し遂げてみせるわ。そのための五〇年だもの。


「なにを」

 バサロは気付いた。

 陥没した天井から突き出したオリゴン塔が、まばゆく光り輝いてる。聖霊の水から力を吸い取り、強大な術を発動させようとしていた。

 これは、レウリだ。

 五〇年前、バサロが失敗した術を、エナはオリゴン塔を使うことで再び発動させようとしているのだ。

 発動すれば――石に閉じ込められた聖霊ごと、ラウティスが吹き飛ぶ。

 皆、確実に死ぬ。


 バサロはシャウルとともに水に抗おうと力を込める。しかし、水圧は強くなるばかりだった。身体が壁面にめり込んでいく。身動きが、取れない。

 エナが口角を上げて嗤った。


 そのときだ。バサロの名を呼ぶ声があった。

 拘束されていたアースィが声を張り上げ、バサロを叱咤していた。彼女は真っ直ぐバサロを見つめている。このような状況に置かれても、必死になってバサロとシャウルを励まそうとしている。

 さらに。

 空洞の底にうずたかく積み上がっていた石――聖霊石が発光し始めた。その七色の光は、オリゴン塔の輝きを押し返す。まるでエナに抗議するように。


 ――あなたたち、どうして。

 エナがうろたえた声を出した。

 封印された聖霊たちは、その力を持ってバサロとシャウルを解放する。

 ――どうして。私はあなたたちを元の世界に還すために、虐げていた人間たちを滅ぼすためにこの五〇年間存在し続けていたのに。

 聖霊石が明滅する。彼らの『意思』はエナにも伝わっているだろう。バサロとシャウルはそれを人の言葉として、彼女にぶつけた。

「彼らは、君のようには思っていなかった」

「人間たちを根絶やしにすることも、この街を消滅させることも拒んでいます。なぜなら、彼らにとってこの五〇年の人間の歩みは意味あるものであり、見守っていく価値のある光景だったからです」

 エナの表情が歪む。


 攻撃可能です、とシャウルが伝えてきた。バサロもうなずく。

 アースィの激励、かつての聖霊たちの支え。それらがバサロとシャウルに限界以上の力を引き出していた。

 エナが声にならない叫び声を響かせる。

 オリゴン塔に蓄えられていた術の力が彼女の元へと集められる。

 バサロは身構えた。彼女は、レウリの力も使って最後の一撃を放とうとしている。

 バサロごと人間を滅ぼうとしているのだ。

 バサロは信じた。自分を支えてくれた力、守りたいと思う意思の力を。


 これが最後。

 バサロは右手を握りしめた。シャウルの機体がまったく同じ動きをした。

 自らの身体に巡る力を確かめた。シャウルの右手に聖霊の力が圧縮されていく。五〇年前よりも強固で、どんなものでも貫き通す輝き――


 心の奥底に淀む不安を打ち消すように歯を食いしばる。

 不安――これだけ大きな力がぶつかれば、たとえエナを討ち果たすことができたとしても、皆は、この街は無事で済まないかもしれない。アースィが、ルナティが、ウールが。ラウティスの全ての人々が。

 そしてルミギが――


「駄目だっ、止めろ!」

 バサロは瞠目し、叫ぶ。


 視界に、両手を広げるルミギの姿が映っていた。


 彼はバサロとエナの間に浮かんでいた。

 聖霊力の勢いは、バサロもエナも、もう止めがたいところにあった。

 意思の力を総動員しても変わらない。

 ――止まれ!


 驚くべきことに。

 エナもまた、力の流れを押しとどめようと全力を込めていた。

 ルミギのために。


 しかし。

 聖霊と人間の支えを受けた力と、五〇年もの年月をかけて蓄えられた力。莫大な量の力がルミギを中心とした一点に集中した。


 世界が光に包まれた。




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