第二十二話
水の触手はあちこちから生えていた。
恐慌をきたす人々を弄ぶかのようにのたうちまわり、避難していた彼らを次々と弾き飛ばす。
水上では救助に当たっていた騎士団やサニア・ドゥリダの船を襲い、破壊していた。
触手はシャウルの機体にも伸びる。四肢を拘束し、水の中に引きずり込もうとしていた。
「アースィ、アースィ!」
水の触手に抵抗しながら、バサロは幼馴染の名を呼び続けた。
水面は細波が立っていて、底の様子はわからない。
地上にいる人々、水上で救助作業を行う人々を、水は容赦なく襲っていく。
聖霊たちはオリゴン塔に吸収されてしまっていて、力を借りることができない。今の状況は、とても人の手だけでどうにかなるものではなかった。
バサロの心に激しい義憤が湧き上がった。
シャウルの機体が白く輝きを放つ。それは右手に集約していき、ある形を作った。
光でできた、巨大な鎚。
「邪魔を――」
腕を振り上げる。
「するなぁっ!」
振り下ろす。
光鎚が水面を打ち付けると、周辺の触手がすべて弾け飛んだ。
機体が自由を取り戻す。
バサロは飛んだ。一気に何千セラピスもの距離を跳躍し、着水する。
機体は水中に沈むことはなかった。
水の上に、聖霊機械が立っていた。
操縦席で、シャウルの石版が静かに瞬いた。
「これ以上動けば、間違いなくあなたの記憶の鍵を開けることになりますが」
「今更止めろとは言わないだろ?」
「ええ。ただの確認です」
シャウルがすぐそばで笑ったように感じた。
「かつてないほど強い力が横溢しています。今ならば暴走する水を速やかに沈静化できるでしょう。行きます、バサロ」
「おう。ここらの奴を一掃して、一刻も早くアースィを助けに行こう」
バサロとシャウルの身体を強烈な光が覆っていく。
バサロは静かに目を閉じた。そうしていても、周囲の光景は手に取るようにわかった。今、シャウルの感覚はバサロに伝わっている。
いや、伝わるという言葉は適切じゃない。
自分とシャウルは、別々でありながら、ひとつなのだ。
バサロは目を開けた。
眩しいほどに強く大きく成長した光鎚をバサロは渾身の力を込めて振り回す。
水の触手を吹き飛ばしていくたび、脳裏をよぎっていく光景。それは、この二年間バサロが何度も夢に見てきたものと似ているようで、違うもの。
頭と胸に疼痛が走る。
だがバサロは苦しいとは思わない。怖いとは思わない。
なぜなら、今のバサロには記憶よりも大切なことがあるから。
その確固たる自信が、蘇っていく情景を大らかに受け止めていく。
そして――
水の触手のすべてを駆逐し、シャウルと完全に一体化したと確信したとき、バサロは失われた記憶の全てを取り戻したのである。
水面が静けさを取り戻す。
操縦席の中で目を閉じていたバサロに、シャウルが語りかけた。
「思い出されたようですね」
「うん。全部ね」
うなずくバサロの口調は柔らかい。
「シャウルは僕、僕がシャウル。よく言ったもんだよ」
目を開ける。
シャウルが繰り返し言っていたとおり、彼女はバサロの分身だった。
文字通り、バサロの身体から分かたれた聖霊なのだ。
全て、思い出した。
夢のことも。
あのとき――夢の中でバサロを殺そうとしていた少女はシャウルではない。
少女ですらない。
あれは――バサロ自身。
かつて聖霊の力をふるって聖霊石を破壊しようとした、バサロ自身なのだ。
思い出したからこそ、このままにはしておけない。
この状況、この感じは、かつての悲劇の再来だ。
水上に立つバサロたちの元へ一隻の救命艇が近づいてくる。舳先にはルナティとウールの姿があった。
二人が無事であったことを素直に喜びながら、バサロは呼びかける。
「アースィを助けに行ってくる。二人は生き残った人たちをお願い」
「バサロ……君は」
「早く。ここから離れた方がいい。嫌な感じが――」
次の瞬間、再び水面がざわめいた。
それだけでなく、大地も振動している。
大きく揺れる救命艇にシャウルの手が伸びる。聖霊機械が船に触れた途端、白い光が船から陸地までを真っ直ぐに結ぶ。その道の上は、細波が完全に収まっていた。
シャウルの手が促すように救命艇を優しく押す。
地形を操る奇跡に救命艇の人々がどよめく中、バサロはシャウルを駆って踵を返す。
直後、激しい水流が発生する。オリゴン塔に向かって、すべての水が吸い寄せられているのだ。塔を囲うように巨大な渦ができる。
バサロは、第五階層に大穴が開いている様を見た。
救命艇は渦の影響を受けることなく静かに陸地を目指して進んでいる。それを確認すると、バサロは第五階層のさらに下層へ向けて激流の中に飛び込んだ。
「バサロッ。シャウルッ」
ルナティの叫びが空しく空に響いた。




