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ウェルフイストリア  作者: 和成ソウイチ
3.大洪水
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第二十一話

 巨大な水の塊が地面に叩き付けられ、周囲が洪水の青で覆われるまで一瞬だった。

 水路を流されるときとは比べものにならない衝撃が襲いかかってくる。

 平衡感覚を失ったバサロは、せめて傍らのアースィが離れないようにと強く彼女の身体を抱きしめた。


 そのとき、急に水の流れが収まった。冷たい感触が遠ざかっていく。

 目を開けると、そこは聖霊機械の操縦席だった。

「お待たせしました」

 石版が明滅し、シャウルの声がする。


 バサロの腕の中でアースィも目を覚ます。バサロの顔が至近距離にあることに、まず彼女は騒いだ。

「えっと。ここは、どこ?」

「シャウルの中だ。聖霊機械の操縦席だよ」

「怪我はありませんか。アースィ」

 アースィは目を丸くして辺りを見回した。自分の身体がバサロの膝の上に横座りになり、彼の腕の中にすっぽりと収まっていることに気付いて、狼狽える。


 大人しくなったアースィを抱えたまま、バサロはシャウルに告げた。

「ルナティとウールはどこだ」

「捜索……発見。ここから北東方向に二〇〇〇セラピス(四〇メートル)。第五階層の端、避難壕の入口です」

 さすがに冷静な二人だ。

「急げ。彼らを回収して浮上だ」

「了解」

 シャウルが駆ける。だが水中ではいつもの挙動ができない。バサロはもどかしい思いだった。


 もっと速く。もっと力強く。

 ひたすらそう念じていると、次第にシャウルの動きが自分のものと思えるようになってくる。その感覚がより鮮明になればなるほど、機体はより滑らかに、力強く動いた。


 やがてルナティたちの姿が見えてきた。いまや水底となってしまった大地で二人は肩を寄せ合っていた。

 彼らの前には一枚の扉がある。避難壕の入口だ。二人は力を合わせてそれを開けようとしているが、扉はびくともしなかった。

「ルナティ、ウール」

 シャウルが呼びかけると二人は振り向いた。

 右手にルナティを、左手にウールを乗せると、シャウルは大地を蹴って水面へと向かった。

 画面端でルナティとウールが指にしがみついて身を固めている。

「耐えてくれよ、二人とも」


 無限に思える時間の後、ようやく水面にたどり着いた。

 水しぶきを上げ、水中から飛び出す。

 着地する。そこは第一階層だった。

 ルナティとウールを慎重に降ろすと、シャウルは聖霊機械の形態を解いた。バサロとアースィが二人の元に駆け寄る。

「大丈夫か」

「何とか、な」

 激しく咳き込みながらもルナティが応える。ウールもその横でうなずいていた。

 アースィが姉に抱きつく。「よかったよ……姉さん」と涙ぐむ妹を、ルナティは優しく抱き返した。


 辺りには他にも命からがら這い上がってきた人々が座り込んでいる。数は二〇人ほど。まだほとんどの人々が水の中にいる状態だ。

 その事実を認識したとき、バサロは自然に「助けよう」と思った。

「アースィ、ルナティを頼む。ウールもそこで休んでてくれ。俺はまだ沈んでる連中を助けてくる。――シャウル」

「了解。行きましょう」

 シャウルが再び聖霊機械に変化する。

 操縦席に収まったバサロはすぐさま水中に飛び込んだ。


 水の流れは止まっている。透き通った水で画面が覆われる中、人々を示す赤い印が表示される。

「さっきより水の色が薄くなってないか」

「肯定です。これはただの水ではありません。聖霊の力が通っています」

 ラウティスの人々が必死に水面へ向かって泳いでいる。あれだけの質量の水をかぶったにもかかわらず、五体満足に身体を動かしている人間が大半だった。

 よく見れば、泳ぐ人々の口から水泡が出ていない。

「この水の中では呼吸が可能のようですね。水圧もさほどではないようです」

「だからと言って安心できない。下の方から拾い上げるぞ」

 バサロは下層に残された人々の救出に向かう。


 第四階層にはまだ多くの人々が浮かんでいた。皆、一様に恐怖と戸惑いの表情で動けないでいる。

 そうか。ここの住人は泳げない人間が多数派なんだ。

「シャウル」

「――皆さん。落ち着いてください。我々が地表まで送ります。身体につかまってください」

 バサロの意を受けてシャウルが呼びかける。

 水の抵抗にもがきながら、我先にと人々が殺到してくる。

 いかにシャウルが聖霊機械でも一度に運べるのは数十人だ。運びきれない者たちに「必ず戻ってくる」と言い聞かせ、バサロは大地を蹴る。

 第三階層、第二階層と登っていき、第一階層に繋がる緩やかな坂の上で救助者を降ろす。ここからなら歩いて水面に出られる。

 そして再び深く潜る。


 探索し、落ち着かせ、拾い上げて、運ぶ。降ろしたらまた潜り、探索し――

 ひたすら同じ作業を繰り返すうち、バサロは不思議な感覚にとらわれた。

 座る感触が消えていく。画面を見ているという感覚がおぼろげになっていく。自分と操縦席との境がなくなり、限りなくひとつになっていく。


 シャウルがバサロになり、バサロがシャウルになるという、感覚。

 何か重たいものが、軋みを上げて動いていくという、感覚。


 シャウルの動きにも変化が現れていた。

 これまで地面を蹴ることで浮力を得ていたものが、強く想うだけで機体が浮き上がっていく。まるで水に運ばれているように滑らかに、水面に向かう。

 機体につかまっていた人々を地表へ解放する。彼らは大地を踏みしめると、信じられないもの見る目でバサロの方を振り返る。


 バサロを呼ぶ声がした。アースィが手を振っているのが見えた。

「避難したんじゃないのか」

「何言ってんのよ。バサロとシャウルが頑張ってるのに、私たちだけ安全な場所で落ち着いていられますか。――拾い上げた人たちはみんな無事だよ。今、姉さんの部隊の人と一緒に手当てしてる」

 アースィは近況を報告してくれた。

「それから、姉さんは仲間を連れて街に出てる。バサロが潜っている間に一人でも多く救助できるようにって」

「なるほど。『あれ』ですか」

 シャウルに促され、水没した街の方を見る。


 水面上にいくつもの白い船が浮かんでいた。バサロはその形状に見覚えがあった。

「あれは、サニア・ドゥリダの救命艇か」

「ウールさんが説得してくれたの。サニア・ドゥリダの幹部とね。組織の方も、もともとこういう事態には備えていたみたい。バサロが飛び込んですぐに、向こうから船を出してくれたから。私、ちょっと見直しちゃった」

 バサロは画面を拡大した。救命艇に乗った人々――そこにはサニア・ドゥリダの者もそうでない者もいた――が命綱を付けて水の中に飛び込んでいた。無事に救助された人を乗せた船は陸地に移動し、すぐさま別の船がその後継に入る。

 そこに、ラウティスもサニア・ドゥリダもなかった。


「やる気が増してきましたね」

 口元を引き上げるバサロに向かって、シャウルが言う。

 再び水中に身を躍らせようとしたとき、アースィが引き留める。

「ちょっとは休んでいきなさいよ。ずっと動きっぱなしじゃない」

「現段階じゃ、俺とシャウルで運ぶのが一番効率がいいんだ。それに、まだルミギを救出できてない」

「わかってるわよ。でも私はね、あんたの心配をしてるの。さっきだって」

 不意に、アースィが声を詰まらせる。

「水の中からもう二度と浮かんでこないんじゃないかと、すごく怖かったんだから」

「アースィ……」

「とにかく。あんた一人だけじゃないんだから、こっち来て休憩しなさい。後の作業は皆に任せ――」

 声が途切れる。


 一瞬だった。

 涙目でバサロに説教をしていたアースィの身体を、何者かが絡め取る。

『水の触手』だと理解したときには、すでにアースィは広大な湖の中に引きずり込まれた後だった。



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