第十八話
バサロ、シャウル、アースィ、そしてウール。四人はルナティとともに、第五階層にある住宅のひとつに住むことになった。
基本的に身一つでここまで来たバサロたちである。作業はもっぱらルナティの手伝いになった。シャウルは一足先に新居へ向かい、ルミギとともに準備している。
ルナティの宿舎は第五階層の南端だ。第四階層の学園中枢にはすぐに向かえる位置にある。
清廉な物言いのわりに物持ちのいいルナティの引っ越しは、思った以上に大変だった。
「ちょっと姉さん。こんなものまで必要なの?」
アースィが荷物のひとつを掲げながら、姉に苦情を言う。アースィが持っていたのは、大きなぬいぐるみだった。
「可愛いだろう」
「そりゃ可愛いけど」
アースィは渋々応じる。だが口元が緩みかけているのをバサロは見逃さなかった。
サニア・ドゥリダで洞窟暮らしをしてきた彼女にとって、こうした玩具は今まで縁がなかったものだ。口ではああ言っていても、内心は浮かれているのだ。やはり、姉妹で似ている。
バサロは言った。
「それにしても、こんな大がかりな作業だって言うのに、あんたの部下は誰一人として手伝いに来ないんだな」
「私が断ったんだ。私的な用事だし、連中も洪水祭で何かと忙しい。私はいずれ、騎士団を退団する身でもあるしな」
「姉さん、本当によかったの? 騎士団を辞めて」
「もともとルミギ様の身辺をお守りするために入ったものだから。今後は一緒に住めるとなれば、無理に騎士団に残る必要はない。そう心配そうな顔をするなアースィ。何も今日、明日辞めるわけじゃない。残された任務も引き継ぎも、まだ山のように残っている」
ルナティが苦笑を浮かべる。
新居にはバサロたちだけでなく、ルミギも一緒に暮らすことになっていた。
ルミギの長年の願いだったらしい。
バサロとルナティが話し込む横で、アースィがぬいぐるみを荷台に置く。
今回荷物を運ぶのに使ったのは、荷台の付いた移動浮遊機だ。シャウルの浮遊寝台と同じように宙に浮いて物を運ぶものだが、こちらは座席と荷台が前後に分かれた作りになっていた。日除けの屋根まである。
聖霊機械よりも比較的一般に普及しているものらしい。
本当に、ラウティスでは聖霊の力が生活に密着しているのだ。
バサロは移動浮遊機に敢えて乗らなかった。自分が触ると墜落したり暴走したりするんじゃないかと不安だったのだ。
「ねえねえバサロ。あんた本当に歩いていくの?」
「落ちたら困るだろ。そんなに速度は出ないみたいだし、目的地まで距離があるわけじゃない」
「それならば私が手を握っていようか。たとえ君が聖霊に悪影響を与えるのだとしても、私が一緒にいればそこまで変になることないだろう」
「ね、姉さん。それはちょっとやりすぎだよ。第一、手を握れば大丈夫なんてどこにも保証がないじゃない。天下の聖霊騎士団ともあろう人が、はしたない」
ウールが笑った。
「まさか君から『はしたない』っていう言葉が聞けるとは思わなかったな」
「もう。ウールさん、からかわないでください!」
「ふむ。ならば代わりにアースィ、お前がバサロの隣に座るか」
「え!? そ、それは」
「なんだ。嫌なのか」
「いや、嫌ってわけじゃないけど。ああもう、バサロ! あんたが変なことするから私がからかわれちゃったじゃない」
「俺のせいかよ」
「私は特にからかってるつもりはないんだけどな。至極真面目に婚約者と家族の交流を――」
「ああもう、早く出発出発!」
癇癪を起こすアースィに、その他の面々は顔を見合わせる。移動浮遊機に笑い声が溢れた。
こういうふうに気の置けない仲間たちと笑ったり騒いだりするのなんて初めてだ。
「何か、いいな」
ラウティスは今日も晴天だ。風は緩やかに花の香りを運んでくる。
移動浮遊機は速歩ほどの速さで移動する。
第五階層は、まさに『別世界』と呼ぶに相応しいところだった。
巨大な窪地の底とは思えないほど明るく、爽やか空気が流れ、立っているだけなのに力が湧いてくる。建造物の数は上の階層よりも少なく、その分、ひとつひとつが大きな建物となっている。
第五階層はラウティスで最も聖霊の力が強く働いている場所なのだという。光も風も水も聖霊の力によって生まれているのだ。
バサロは移動中も騒ぎ続けている仲間たちをちらりと見た。
こいつらがいれば、やっていける。たとえ聖霊に囲まれていても、怖れることはない。
歩道に沿って南へ向かう。やがて青い芝生の上に立つ白亜の建物が見えてきた。
建物の窓越しにルミギやシャウルの姿が見える。彼らは一足先にこの館に出向き、中の整理をしていたのだ。
到着したバサロたちも参加して、全員で引っ越しの作業に取りかかる。
一通り整理が済んだときには、すでに夕食時になっていた。
食堂で卓の前に座り、バサロは周囲を見回す。
新居は何もかもが大きく立派だった。六人どころか二十人が座っても収まる食卓なんて見たことがない。こうして腰を落ち着けてみて、改めてその凄さを感じ取った。
洞窟の中で暮らしていたことが遠い昔のように思える。
六人分の夕食を作るのはルナティとアースィだ。台所は食堂に隣接していて、姉妹二人、時折じゃれ合いながら楽しげに料理している様子がわかる。
ふと肩を叩かれる。ウールだった。
「まるで珍しい物を見る子どものようだよ」
「笑いながら言うなって。自分でもわかってるんだから。いまだに夢なんじゃないかとさえ思ってるよ」
「そうだね。私も君も、ちょっと前までは暗い場所に住んでいたから」
ウールが言う。
「でも、ここからが私の新しい始まりだ。第五階層の住人を説得できてこそ、ラウティスの歪んだ現状を正せるんだ。ルミギ様の力添えがあれば、きっと成し遂げられる」
ウールが顔を上げると、向かいに座るルミギが髭を動かした。
「ウール。例の親書、読ませてもらった。明日にも遣いを出しておく」
「ほ、本当ですか。ありがとうございます!」
「何だよ親書って」
バサロが尋ねると、ウールは「サニア・ドゥリダ宛てだよ」と答えた。
聖霊が使えないという理由だけでラウティスを追放された彼らは、ウールにとって協力すべき同志だ。親書は、ラウティスとサニア・ドゥリダの平和的な融合を提案する内容だと言う。
「人の繋がりは、必要じゃ」
ルミギは言った。深くうなずくウールの横で、バサロは微かな違和感を覚えた。
込められた想いが、ウールとどこか違うように思えたのだ。
バサロは席を立ち、窓際に近づいた。そこにひとりで立っている聖霊少女に声をかける。
「どうした、そんなところに突っ立って。もうすぐ夕飯ができるんだぜ。って、そういえばお前、食事は大丈夫なのか」
「食べても問題ありません。すぐに体内で消滅します。味覚も人並みに」
「そうか。せっかく食える身体なんだから、ちゃんと味わえよ。俺が言うのもアレだが、アースィの料理の腕はなかなかのモンだぞ」
「楽しみです」
いつもの通り平淡な口調だったが、横顔にはほんの少し笑みが浮かんでいた。
「バサロ。あなたはだいぶ変わりましたね。明るくなりました」
「そう言うお前も最初に会った頃と比べてずいぶん印象が変わってるぞ」
「あなたが変われば、私も変わるのです」
「お前は俺、俺はお前、だっけな」
窓の外を見る。第五階層の夕暮れは美しかった。窪地の底のために遮られる陽光の代わりに、各地に設置された聖霊石から幻想的な光が溢れている。
おそらく夜も美しいのだろう。
この二年間で、初めて気の休まる空間を手に入れたような気がした。
初めて自分をそのまま受け入れてくれる人々に囲まれたような気がした。
バサロは街の景色を見続ける。その姿をシャウルは静かに見守っていた。




