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ウェルフイストリア  作者: 和成ソウイチ
2.聖霊の街ラウティス
14/24

第十四話

 アースィがバサロの裾を引く。

「よく話がつかめなかったところもあるけど、とにかく私たち、ここにいてもいいんだよね。ここに私たちで住むってことだよね」

 すがるような瞳でバサロを見つめる。バサロは目を開いた。

「そうなるな」とだけ言ってうなずいた。

 するとアースィは嬉しそうに、しかしどこか不安そうに唇に力を入れた。


 外から陽が差す。散らかった家の中が、急に広く感じられた。

「バサロ。少し外します」

「どうした」

「アースィの身体を清める必要があります」

 シャウルがアースィの肩に手を置く。アースィは短く呻き、自らの服の袖に鼻を近づけた。

 顔を赤らめ、怒ったようにアースィが言う。

「のぞかないでよ」

「のぞかねえよ」

「どちらでも問題ありません」

「問題あるってば! 何言ってんのよシャウル」

「……? 本当に問題ないと思うのですが。一緒に住むのであれば」

「こ、心構えに問題があるの」

 外に出て行くアースィたちを見送り、バサロは室内に戻った。ウールが眠っていた書斎と思しき部屋に入る。


 机の上に置かれた本を手に取り、所在なく頁をめくる。難解すぎてさっぱりわからなかった。ウールが学園にいたことは本当なんだなと思う。

 本の表紙に目を向ける。『近世聖霊史概論』という表題が読み取れた。裏表紙には朱字で『×』が描かれている。確か昔、発禁処分になった書籍に付けられた印のはずだ。

 そういえば俺、サニア・ドゥリダにいたころ本なんか読んだっけ。

 ……なんで発禁の印を知ってるんだ。


「記憶が、少しずつ蘇ってきてる?」


 昨晩のシャウルの話からすれば、彼女とともに戦えば戦うほど記憶を取り戻す。その兆しがすでに現れてきているということなのか。

 バサロは本を机の上に戻した。


 全てを還す。そして人間たちを根絶やしにするの――


 唐突に夢の台詞が脳裏を駆け巡った。

 本の題字をなぞりながら考える。聖霊……聖霊……。

 俺は今までシャウルが夢の女ではないかと疑っていた。あまりにも容姿が似ていたから。

 だが夢の女の声はシャウルと違う。そうだ。喋り方も微妙に違うじゃないか。

 だったら夢の女は、あの声の主は誰なんだ。

「待て。待てよ。違う、違う違う。思い出して、よく考えろ」

 決意の瞳で光の鎚を振りかざす女。ありったけの意志と力を込めていることは表情からわかる。大口を開けて、獣のような叫び声を――


 叫び声を上げていたか?

 人間を根絶やしにすると喋っていたか?


「……夢の中で俺を殺す女と、俺に語りかける女は……別人?」

 題字をなぞっていた手を額に当てる。驚くほど火照っていた。


 バサロは再び『近世聖霊史概論』を手に取ると、今度はゆっくりと文字を追い始めた。何か手がかりになる情報があるのではないかと一心不乱に頁をめくる。

 だが、所詮は思いつきに過ぎなかった。いくら読んでも求める情報は見つからなかった。


 身体を洗い終わって戻ってきたアースィに肩を叩かれて、ようやく我に返る。

「ちょっと。どうしちゃったのよ。さっきから呼んでも返事しないし」

「ああ、いや。何でもない」

「バサロが本を読みふけるなんて珍しいじゃない。どんな本か見せてみなさいよ。って、うわ重! なにこれ!?」

 本の重量に細腕を震わせながら頁をめくるアースィ。一、二枚めくったところでさらに表情が怪訝に染まった。

「この本、昔の文字で書かれてない? ところどころ読めない部分があるんだけど。あんたさ、本当に読んでたの。これ」

「別に、ただめくってただけだよ」

「もう、やめてよね。読み始めたら止まらなくなる呪いでもかかってたらどうすんのよ。さっきのバサロ、まさにそんな感じだったよ」

 叱責とも気遣いとも取れることを言いながら、アースィが本を机の上に置く。


 バサロは立ち上がった。背中や尻が痛くなっていた。

「アースィ。そろそろあのことを伝えましょう」

「あ、うん……そうだね」

 シャウルの言葉に神妙にうなずくアースィ。バサロが眉をひそめると、彼女たちは居間に行こうと言った。

 囲炉裏を囲み、三人で座る。

「で。あのことって何だよ。アースィ」

 尋ねると、アースィは身を縮めていた。気の強い普段の彼女からすると珍しい姿だ。

「さっき、シャウルと水浴びをしていたときに話をしたんだけどね。私、バサロにずっと内緒にしてたことがあるの」

「内緒? まさか組織から密命を受けているとか」

「違う、そうじゃなくて。あのね、落ち着いて聞いて」

 アースィは一度深呼吸した。


「私、聖霊なの。聖霊が、私の身体に宿っているの」

「……は?」


 間抜けに口を開ける。上目遣いに見つめてくる幼馴染みを、バサロは笑った。

「なに冗談言ってんだよ。まったく、驚くじゃないか」

「冗談でも嘘でもない。私は、聖霊なのよ」

「正確に言えば、アースィは聖霊の力で生きているということです」

 シャウルが言った。アースィが言葉を継ぐ。


「十年前にも、私は命に関わる大怪我をしたの。サニア・ドゥリダではもう治療の手立てがなくて。そんなときに父さんと知り合いだったラウティスの人が私を助けてくれた。聖霊石を身体に埋め込んでね。石と聖霊の力で私は助かった」

「だが、サニア・ドゥリダの人間は聖霊が使えないはず」

「もちろん私にだって適性はなかった。でも私を助けてくれた人はそれができた。どういう技術かはいまだにわからないのだけれど。使った聖霊石も特別なものだって。以来、私の身体は常に聖霊の加護が及ぶようになった」

 アースィは腹に手をやった。服が破れた箇所からわずかに焼けた肌がのぞいている。傷は綺麗に消えていた。

「このお腹の怪我でも平気だったのは聖霊のおかげ。もっとも、私は聖霊に生かされているようなものだから、身体が丈夫なこと以外は特別な力は何も持ってない。だから仲間にも知られなかったんだけど」

「だけどそれならどうして、アースィはサニア・ドゥリダで活動を続けてたんだ。お前にとってラウティスは敵じゃなく、むしろ命を救ってくれた恩人だろ」

「その人と父さんとの間の約束だったのよ。私の命を聖霊の力で救う代わりに組織に残ること。それから聖霊に適性があった姉さんをその人が引き取ること」

「お前、姉がいたのか」

「十年連絡を取ってないから、いまどこで何をしているかわからなかったんだけどね」

 アースィは曖昧に笑った。


「詳しくは聞かされなかったし、父さんは死んじゃったから知る術はないんだけど……私を助けてくれた人は、ラウティスでは肩身の狭い思いをしていたみたい。まあ、反体制組織の父さんと交流があったぐらいだもの。姉さんを引き取ったのは、戦える人間をひとりでも多く手元に置いておきたいってことじゃないかなって、私は思ってる。ラウティス中央が馬鹿なことをやってて、私の恩人が辛い思いをしているのなら、私がサニア・ドゥリダに残って活動する理由になるし。何より『実は聖霊でした』なんて言って仲間に許されるわけないものね」

 アースィがバサロを見る。また、あのすがるような瞳をしていた。

「そういう意味じゃあ、私とバサロは似た者同士かもね。だから……気になって仕方ないのかな」

 バサロは首を左右に振った。大きく、深く呼吸をして気持ちを落ち着ける。


 アースィは体内に聖霊石を埋め込んでいる。

 大怪我をしても無事で快復も早かったのはそのため。

 そして、彼女には十年前に生き別れになった姉がいる。


 ひとつ、確認しないといけない大事な点があった。

「アースィ。さっきお前、姉について『いまどこで何をしているのかわからなかった』って言ってたよな。過去形ってことは」

「うん。それが今から話す本題」

 幼馴染みは居住まいを正し、隣に座る聖霊少女と顔を見合わせた。

 シャウルが口を開く。

「私がアースィの聖霊石に干渉して、その力を引き上げました。その結果、彼女の姉と連絡を取ることができたのです」

「姉さんの名前はルナティ。今はウルティマ聖霊学園に教官として働いてるそうよ。それでね、姉さんがバサロやシャウルと一緒に私を迎えたいって言ってくれているの」

「なんだって!?」

「姉さんが住んでいるのは第五階層。ラウティスで最も平穏で整備された区画。少なくともここよりはずっと暮らしやすいはず」

 アースィは一度、言葉を切った。


「ねえバサロ。一緒に姉さんのところへ行こう。それで他の子たちに混じって学園に通うの。姉さんの話だと私たちの年齢だとまだ学生でも大丈夫なんだって。住むところに食べるもの、それから安全も保障される」

「……それは」

「信用できない? でも、バサロはもう『聖霊なし』じゃない。私だってこういう状況になったから隠す必要もなくなったし。姉さんのところにいても不自然じゃないよ。ラウティスは受け入れてくれるよ」

 バサロが口をつぐむ。アースィが不安そうに尋ねる。

「もしかして、他の聖霊が苦手だからためらってる? 確かに第五階層はラウティスで最も聖霊の力が強く働いている場所のはずだけど、でも!」

「すまん、アースィ」


 アースィが表情を強ばらせる。バサロは息を吐き、言った。

「今一度にいろんなことがわかって正直混乱しているんだ。少し考えさせてくれ」

「それは、駄目なの」

「何かまずいことでもあるのか」

「……姉さんが、必ず今日中に学園に来いって。洪水祭が行われる今なら怪しまれずに紛れ込める。姉さんと落ち合うことができれば後は大丈夫だから。逆に時間が経てば経つほど合流が難しくなるって言ってた」

「アースィはその話を信じているんだな」

「だって! 家族だもの。離ればなれになってたけど、姉さんと話ができて私、すごく嬉しかったし」

 本当じゃなければ涙なんて流れないよ、と彼女は言った。

「ねえバサロ。お願いだから一緒に行こう。ねえ!?」


 バサロは虚空を見つめた。

 立ち上がる。居間の戸口に向かう。

「少し頭を冷やしてくる」

「すぐ戻ってくる?」

「……わからん。だからアースィ、お前は先に姉さんのところへ行ってろよ。一刻も早く姉に逢いたいだろ?」

「そんな、バサロ――」

「必ず追いつく。約束する」

 背を向けたまま静かに告げる。

 部屋の中に沈黙が降りた。


 やがてアースィが泣き笑いの声を出す。

「バサロがそんなこと言うなんて珍しいね。初めてじゃないかな。あは。雨でも降りそう」

「一度はアースィの言ったこと守っただろ」

 振り返って口元を緩める。

 アースィは笑いかけ、すぐに表情を引き締めた。

「いい? 夕方までだからね。それまでに来ないと無理矢理攫いに行くわよ!」

「ああ、わかった」

「約束よ。信じてるから」

 バサロは右手を軽く挙げて応えた。廊下に出るとき、「必要な情報はシャウルに伝えるから」とアースィが言ってきた。


 二階に上がり、いまだ埃が舞う寝台に寝転がる。しばらくすると家の扉が開く音が微かに聞こえてきた。アースィが出発したのだろう。

 身体の力を抜く。先ほどから心臓が痛いほど鼓動しているのだ。

 廊下を上がってくる人の気配がした。規則正しい足音の間隔がいかにも彼女らしかった。

 戸口にシャウルが現れると、バサロは身体を起こした。

「ようシャウル。お前、アースィが聖霊を宿していたこと、本当は知ってただろ」

「はい」

 シャウルはためらいなくうなずいた。

「やっぱりか。今から思えば、そういう言動してたものな。お前」

「それが聞きたくてこの部屋に逃げ込んだわけではないでしょう」

 表情を変えず、聖霊少女は言う。


 しばらくシャウルを見つめていたバサロは言った。

「俺は今すぐにでもここを発ち、アースィと合流すべきだと思っている」

「けれどそうすることによって失われた記憶が蘇っていくことを、あなたは怖れている」

 シャウルが応える。

 それは自分自身との対話だった。


「記憶が蘇ろうと関係ない。俺は新しい生活を送りたい」

「この二年間の自分を捨てて一歩を踏み出す勇気が、あなたにはない」

「アースィの信頼を裏切るわけにはいかない」

「信じることを信じていなかったあなたが、いきなり変わることはできない」

「不安や恐怖を乗り越える力は、俺の中にきっとあるはずだ」

「そんな力はまやかしだと考えてきたあなたがいる」

「俺は、未来へと進む」

「あなたは、過去を怖れ引きずられている」


 シャウルが長い息を吐いた。

「もうよろしいですか」

「ああ。おかげで俺の駄目な部分もよくわかってきたよ。何がしたいのかってこともな」

 バサロが膝を叩いた。

「よし。行こう。結論はもう出てたんだ」

 笑う。すっきりとした表情だった。


 信じろと言った自分に、嘘をつかない。

 アースィが信じた者を、自分も信じる。

 自分の中にある不安を誤魔化さない。

 そして行動するのだ。


 ああそうか。

 きっと昔の俺は、こんなふうに単純直情で開き直りの早い馬鹿野郎だったんだろうな。


「そうと決まればさっさと追いかけるぞ。『信じろ』って言った責任、取らなきゃな」

「了解」



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