第十二話
ウールに案内された部屋は、居間と違って殺風景なところだった。もうずいぶんと人が足を踏み入れていないことが、あちこちに溜まった埃でわかる。この部屋も聖霊石の灯りは使わず、火を入れた角灯で明かりを採っている。
上着と靴を脱いだバサロは、寝台に腰掛けて額を押さえた。
「……やっぱり一緒の部屋に来やがって」
「当然です」
シャウルが応える。彼女は敷布の埃を落としていた。
「眠るときは聖霊石に戻るんだぞ」
「私は一緒の寝床でも問題ありませんが。特に睡眠を取る必要もありませんので、あなたを見守り続けることが可能です」
「お前、俺が嫌がっているとわかってて言っているだろ」
睨みつけるとシャウルの表情が少しだけ緩んだように見えた。
このところ、徐々にだが彼女の雰囲気に変化が起きていると感じる。
最初の頃の事務的で無機質な会話から、相手に合わせて人間らしい反応をする余裕が出てきている。
「それはあなたが変わりつつあるからです」
バサロの内心を読み取り、シャウルが言う。バサロはもういちいち取り合わないことにした。
「ところで、アースィの容態についてどう思う。もう安心だと思うか」
畳んだ敷布を寝台に置き、シャウルはうなずく。
「問題ないでしょう」
「そうか。一時はどうなるかと思ったが、とりあえず一息つけるな。あの傷だとしばらく寝たきりになるだろうから、その間をどうやり過ごすか、また考えないといけない」
「重ねて言いますが、問題ないでしょう」
「その楽観さが今は羨ましいぜ」
息を吐く。窓は瓦礫で半分ほど塞がっているため、なかなか埃が外に出て行かない。バサロは空咳をした。
「あなたの体調はどうなのですか」
珍しくシャウルから気遣いの言葉がかけられる。バサロの隣に腰掛け、薄灰色の瞳で見つめてきた。バサロは意外に思った。
「お前なら何でもお見通しだと思っていたよ」
「心配ぐらいしても構わないでしょう」
バサロは右手を握り、また開いた。
「頑丈だからな。大丈夫だ」
「食料は必要ですか」
「そりゃあ、ないとこっちも飢え死にだが……ウールがああいう状況なら無理は言えないだろ。幸い、死ぬほど腹が減ってるわけじゃない」
「そうですか」
シャウルは視線を外した。部屋の中にひとつだけ置かれた木製の椅子を見る。
「これからどうしますか」
「アースィの傷が癒えるまではここから動けないだろうな。ほとぼりも冷ます必要があるし」
「その先はどうしますか」
「正直、考えてない。ただウールの話は気になってる」
「そうですか。そうですよね」
自らに言い聞かせるようにシャウルが言う。珍しい。
バサロはシャウルを見た。彼女は変わらず椅子を見続けている。
バサロは寝台に仰向けになった。シャウルは立ち上がり、椅子に腰掛ける。もたれかかった椅子がきしみが上がる。
「ところでよ」
バサロは言った。
「アースィのこともあってずっと聞けずにいた。シャウル、お前はどうしてあのときに俺の前に現れたんだ。俺がサニア・ドゥリダから抜け出すのをずっと待っていたのか」
「いいえ。私は目覚めてからすぐにあなたの元に向かいました」
「どこで目覚めたんだ」
「ラウティス第五階層です」
バサロは上半身を起こした。シャウルの薄灰色の瞳を見据える。
「ただ、目覚めたばかりの私はあなたに逢うことを最優先にしていました。そのために聖霊騎士団の追跡を受けることになったのは失敗でした。申し訳ありません」
シャウルがわずかに頭を下げる。
つまり、シャウルが脇目も振らずバサロの元へ駆けつけようとしたために聖霊騎士団が動き、アースィたちの隊と遭遇したということか。
「何で最初に言わなかったんだ」
責める気持ちはなかった。ゆっくりと問いかける。
「あのときのあなたが、あなたに関わるあらゆる真実を知りたくないと思っていたからです」
シャウルは答えた。
「それは今でも変わっていません。今この時を生きるだけであれば、あなたにとっても、私にとっても、過去は不必要なものです」
「忘れたままのほうが良いってことか」
「『忘れたままでいたいと思っている』と言うべきです」
バサロは衝撃を受けた。
今まで、記憶がないことを引け目に感じていた。だが一度でも、失った記憶を取り戻したいと強く願ったことがあるだろうか。
「記憶は、取り戻せます」
静かにシャウルは告げた。
「今、この場で私が過去の事実を告げなくても、あなたはいずれすべてを思い出すでしょう。私とともにいる限り」
再び椅子から立ち上がり、シャウルはバサロの前でひざまずいた。白い手をバサロの膝に置く。
「私はバサロ。バサロは私です。私に搭乗し、聖霊の力を行使し続けることが、記憶の扉を開ける鍵になります。しかし、私は迷っています。あなたが記憶を取り戻すべきかどうか。そして私の迷いは、あなたの心の奥底に存在する迷いでもあるのです」
聖霊少女の視線を受け止め、バサロは言った。
「お前、やっぱり変わったな。俺も、この街に来て変わったのだろうか」
「保証します。以前のあなたなら、ウールのことを信じてはいなかったでしょう。そして私も、あなたを信じてこうして語りかけることはなかったでしょう。信じる心は、あなたが本来持っていた特性なのです」
しかし、とシャウルは続ける。
「まさにその気質ゆえに、あなたは記憶を失った。仮に今のまま記憶を取り戻したとしたら、あなたは再び苦しむことになります」
シャウルの身体が光に包まれる。聖霊石に変化する兆しだった。
「心に留めてください。あなたが聖霊の力のみに固執するならば、それは過去の悲劇を繰り返す引き金になるのだと」
ひときわ強くシャウルが発光し、バサロは顔を向ける。
室内が元の明るさを取り戻したとき、バサロの手の中には聖霊石が静かに収まっていた。
その七色の輝きを見つめ、思いを巡らせる。
これは警鐘だ。
シャウルの口を借りて、俺の心の奥底が注意を促したのだ。
お前、このままじゃ駄目になるぞ――と。
バサロはシャウルの聖霊石を首に掛け、寝台に横になった。敷布をかぶり目を閉じる。
身体は疲れているはずなのに、眠気はなかなかやってこなかった。




