第十話
第三階層の外縁を走る。バサロはこの近辺に下層に繋がる通路があると踏んでいた。でなければ潜入隊と都合良く遭遇できるはずがない。
バサロとシャウルは、より人の多い第四階層を目指すことにした。
しばらく走ると、下層へ続く緩やかな斜面を見つけた。
道幅は狭く、右へ左へ何度も折れ曲がっている。とうてい聖霊機械が通れるようなところではない。
斜面の半ば、絶壁に突き出すように小屋が建てられている。隣接して小さな鐘楼も見える。監視小屋なのかもしれない。
バサロは足音を殺し、慎重に近づく。灯りは点いていない。物音もしない。不在なのだろうか。
通路に面した窓から中を覗く。
寝台二つがようやく収まるような狭い空間で、男が一人うつ伏せに倒れていた。
背中がわずかに上下している。死んではいない。だが睡眠を取っているにしては妙だ。床に直に突っ伏している。まるで誰かに背後から襲われたような。
バサロは潜入隊の存在を思い出した。ラウティスに潜入する際、この見張り男に通報されないよう昏倒させた可能性がある。
男が身じろぎした。上体を起こす。
「やばい」
バサロは浮遊寝台を押して急いで斜面を降りる。
小屋に明かりがつく。慌ただしい足音が聞こえてきた。
見張り男は鐘楼に取り付いて、拳大の石を手に鐘を叩く。
鐘の音にしては耳の奥が痛くなるような高音が広がっていく。眉根を寄せるバサロにシャウルが教えた。
「聖霊術の応用のようです。より遠くまで音を飛ばす工夫でしょう」
「ちくしょう。もちっと寝てやがれってんだ」
悪態をつき、走る速度を上げる。
第四階層の地表まであと二五〇セラピス(五メートル)ほどに迫ったとき、シャウルが「飛びましょう」と言ってきた。
下から近づく照明が見える。
「二人。新手です」
「捕まえて薬があるところを吐かせたいところだがな」
「やめてください」
「わかってるよ」
バサロは浮遊寝台を空中に押し出す。同時に自分も斜面を蹴る。
浮遊寝台は地面に触れる前に柔らかく浮き上がり、落下の勢いを殺した。バサロも寝台にしがみつくことで、音もなく着地する。
「左へ。そちらから今までと違う聖霊の気配を感じます」
「大人しい奴か?」
「私に類似していると思ってください」
「それはかなりの賭だな」
崖沿いに歩道が走っている。聖霊石を使った街灯も設置されていたが、ほとんどが機能を停止していた。
やがて道は街の中心方向へと緩やかに曲がっていく。地面はひどく荒れていて、バサロは何度か足を取られた。
廃れた印象は先に進むにつれて強くなっていく。
民家が立ち並ぶ区画に出た。歩道の両脇に隙間なく並ぶ建物は、多くが半壊、もしくは全壊していた。その中には集合住宅や娼館といった比較的大きな建物も含まれていた。
「完全に廃墟だな。こんな場所がラウティスにあったとは」
第四階層は他の階層と比べて人口が多いし面積も広い。この一帯は、サニア・ドゥリダでもまだ十分に情報を把握できていない場所なのだろう。
潜伏にはうってつけだが、この有様では肝心の治療手段が見つかるかどうかはかなり怪しい。
一度立ち止まり、アースィの額の汗を拭ってやる。
風はそんなに強くないのに、建物のあちこちから笛のような音がする。
「シャウル。目的の場所はどのあたりだ」
「この区画内ですが、もうしばらく移動の必要があります。バサロ」
「何だ。……もしかして嫌な報告か?」
「ご明察です。上空から敵」
頭上から風切り音が降りてくる。
直後、近くの民家に大きな固まりが落下した。
バサロはうなった。聖霊機械だ。
頭のない旧型とはいえ、今一番会いたくない奴だった。
「何だって上から降ってくる!?」
「倒壊した家屋を飛び越えたのでしょう。それほどまでして会いに来るなんて、好かれていますね」
「それは皮肉か? お前ならこれが好かれているのか嫌われているのかぐらいわかるだろ」
小声でやりとりする。
幸い敵の聖霊機械は一機で、しかもこちらに背を向けている。
バサロは寝台を引き、半壊した民家の中に隠れた。
瓦礫が室内にまで押し寄せていて居住空間の体をなしていなかったが、身を潜めるには好都合だった。
物陰から敵をうかがう。聖霊機械は明後日の方向を向いたままだ。
「人間と聖霊の間で意志疎通に齟齬が生じているようです」
「まともに訓練しているのか疑わしいくらいだな」
敵ながらグラディスが気の毒になってくる。これほど他の奴らと練度が違うなら普段の任務にも支障が出ているに違いない。
今は相手の未熟さを願うばかりだ。バサロは信じてもいない神に軽く祈った。
次の瞬間、敵がこちらを振り返り、持っていた短剣を投げつけてきた。
「くそ、バレた!」
踵を返し、廃屋の奥に向かって走る。
短剣は建物の二階部分を直撃し、大量の瓦礫が生まれた。崩れた天井や壁が一階部分を押し潰す。
バサロはアースィの上に覆い被さる。
激しい崩落音がした。鼓膜が悲鳴を上げ身体の感覚が麻痺する。
バサロは衝撃と痛みを覚悟した。
しかし、それらはいつまで経ってもやってこない。
やがて崩落が収まる。
轟音の余韻を残す聴覚が、聖霊機械の足音を捉える。近い。一回、二回と瓦礫を踏みしめる音と振動にバサロは全身を固くする。呼吸も止め、敵が去るのを固唾を呑んで待った。
聖霊機械が立ち止まる。
バサロの内心で様々な不安が去来する。
崩落で姿が露わになったんじゃないか。すでにこちらを捕捉したんじゃないか。ええい、なぜ敵は動かない。どういう状況なのかわからない。
「バサロ、今が好機です」
シャウルの声に顔を上げる。周囲は月明かりが遮られ真っ暗になっていた。
「崩落によって敵はこちらを見失っています。この隙に離脱を」
「離脱ったって、どこへ」
「正面方向に通路。急いでください。再び崩落が始まります」
ぎょっとして辺りを見る。倒れた複数の石柱がバサロのすぐ近くまで迫っていた。石柱同士が絶妙に組み合わさって最後の崩落を防いでいたのだ。
奇跡か、と思った瞬間、石柱の一本が折れた。
積み上がっていた瓦礫が襲いかかってくる。
崩落音は長く続かなかった。
音が止んでしばらくして、聖霊機械が動き出した。ゆっくりとした歩調で、足音が遠ざかっていく。
やがて聞こえなくなった。立ち去ったのだ。
間一髪で通路に逃げ込んでいたバサロは、今度こそ安堵の息を吐いた。アースィの身体に外傷がないことを確かめる。
「おまえも無事か、シャウル」
「問題ありません。やはり敵聖霊機械は十分な能力を発揮できない状態だったようです。幸いでした」
「例の聖霊の気配は?」
「さらに近くになっています。正面方向」
顔を上げる。逃げ込んだ通路はさらに奥へと続いていた。寝台も何とか通れるほどの幅がある。
バサロは浮遊寝台を引いて通路の奥に進む。あちこちで瓦礫が流入し、家具類が倒れているため、通路は凹凸が激しかった。
建物と建物のわずかな隙間から降り注ぐ月光が通路を点々と照らす。
どうやらここはいくつかの建物を貫く共用路のようだ。
周囲を、特に頭上を警戒しながら進む。
やがて通路を抜ける。そこはもう屋内なのか屋外なのか判断がつかないほど荒れ果てていた。まともに形を保っている建築物がない。強いて言えば廃墟の集合体がひとつの建物となっている。
手探りで進んでいくと、前方に灯りが見えてきた。
唯一と言っていいほど形を残した民家が、瓦礫の山に隠れるように建っていた。二階建ての石造りで、どこも崩れている様子はない。
「ここに聖霊がいます」
シャウルが言う。バサロはうなずくと、彼女をその場に残して民家に近づく。
小さく水が流れる音が聞こえてきた。瓦礫の間に水路が通っているのだ。脇には水瓶も置かれている。
外壁に背を預ける。歪んだ木板を窓に無理矢理はめ込んでいるため、隙間から灯りが漏れている。
バサロは窓から中をうかがう。部屋の中央に囲炉裏があり、薪には火が点いていた。
聖霊の力ではなく自然の火を使っているということは、ここには人が住んでいるということだ。この時間でも火を焚いているのだから、住人はまだ起きていると考えた方がいい。
だが、肝心の人の姿は見あたらない。
いきなり背中を叩かれ、バサロは飛び上がりそうになった。
目を瞠りながら振り返ると、人の形に戻ったシャウルがアースィを抱えて立っていた。以前と違い、土色の野暮ったい貫頭衣を着ている。あれも自分で作り出したのか。
彼女は玄関を示す。
「建物の構造に問題はないようです。どうぞ中へ」
「問題はそこじゃないだろ。誰かいるのは確実なんだぞ。もう少し様子を見た方がいい」
シャウルは首を傾げた。
「様子を見ても結論は変わりませんが」
そうかもしれない。
バサロが言葉に詰まった隙にシャウルは玄関を開けて中に入った。まるで自分の住処のような気安さだ。
周囲を警戒しながらバサロが後に続く。その様子を見たシャウルは立ち止まって何事か考え始める。
「おい、今度は何だよ」
「いえ。意気地なしという意味をもっと深化させた表現はなかったものかと思案しています」
「そんなことを真面目に考えるな」
こつんとシャウルの頭を軽く叩く。シャウルは瞬きした。
廃墟と化していた他の建物と違い、床は板張りだった。シャウルに『足音を殺す』という意識は皆無らしく、遠慮なく床をきしませている。バサロは腹を決めた。
廊下の突き当たりにある部屋の前にたどり着く。シャウルはアースィをバサロに預けた。
先頭のシャウルが扉を開け、中に入る。
彼女の背中越しに見る室内は漆黒に包まれていた。窓の類が一切ないらしい。
シャウルが室内を歩くたびに書類の山が崩れる音が響く。
やがて燭台を見つけ、彼女は火を灯す。室内が明るくなったことを確かめてバサロも部屋に入る。
予想以上に散らかっていた。床では至る所で紙束が雪崩を起こし、机の上は瓶やら筆記用具やら本やらで埋め尽くされている。壁は一角をのぞき全て棚となっていて、書物や硝子容器が無秩序に並んでいる。
入り口からすぐ左手に薄汚れた寝台があった。アースィをそこに寝かせる。
一息つくと紙と薬品の匂いが容赦なく鼻を襲った。
「勝手に侵入しといてなんだが、すごい部屋だな。一体どんな奴が暮らしているんだ」
「バサロ。こちらが薬品棚のようです」
すでにいくつも棚を物色していたシャウルが報告する。
シャウルが示した棚の中には小瓶や手袋、布類が詰め込まれていた。バサロは瓶の表示をひとつひとつ確認し、やがて目当ての薬品を見つけた。サニア・ドゥリダにいたときよく使っていた傷薬である。
「自分で怪我の手当をしてたことがこんなところで役立つなんてな。しかし、ずいぶん古そうだぞこれ。使えるのか」
「私なら飲めばわかります」
「飲……まあ、頼む」
瓶を手渡すと、シャウルはすいと口に付ける。まるで酒でも味わうように口の中で液体を転がし、飲み込むなりすぐにうなずく。
「問題ありません」
「本当に問題ないんだな?」
「問題があった方が良いですか?」
「いや、すまん。助かった」
バサロは引き続き棚を漁った。
「当て布はこいつを使うとして。包帯の類はどこだ」
「ほ、包帯なら……し、下の棚の右上に、あ、あるよ」
「そうか。そいつは気づかなか――」
振り返る。戸口に男がひとり立っていた。




