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ウェルフイストリア  作者: 和成ソウイチ
1.夢の少女
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第一話

 水のようなうねりに、縛られる。

 嵐となった力の奔流が、仰向けの自分を、七色の石を、目の前の少女を、世界を、縛っている。

 身動きが取れない。

 少女は、その長く蒼い髪を奔流にさらし、両の足を大地に強く押し当て、こちらを見つめている。薄灰色の瞳に浮かぶのは決意だ。

 少女の右手が天へとかざされる。奔流の向きが変わる。


 これで決めて――どこからか声がする。


 少女の手に集められた奔流は、巨大な鎚となる。人間ひとり、簡単に肉塊に変えられるはずだ。振り下ろされれば命はない。

 命? ()()()()()

 少女の口が大きく開かれ、そこからのぞく舌先が細かく震える。何かを叫んでいるのだ。だが何も聞こえない。身動きが取れない。


 全てを還す。そして人間たちを根絶やしにするの――また、声がする。


 身動きが取れない。さあ、と声がする。少女の手が、鎚が、振り下ろされる。

 身動きが――




 寝具をはね除け、バサロは飛び起きた。下着が首元から胸にかけて汗でじっとりと湿っている。寝癖で乱れた黒髪をなで、顔を拭った手は、微かに震えていた。

「また、あの夢かよ」

 ため息とともにつぶやく。心音が落ち着いてくると、彼は盛大に舌打ちした。

「クソったれ。何回俺を殺せば気が済むんだ、あの女……!」

 苛立ちを隠すことなく、バサロは寝具を拳で叩く。二段になった寝具はぎしぎしと悲鳴を上げ、すぐ下で眠っていた男が「おい、うるさいぞ」と迷惑そうに言った。


 バサロは謝罪することなく、寝具から降りた。

 床はむき出しの岩場に麻布を敷いただけで、素足で立つとお世辞にも気持ちいいとは言えない。

 男臭い寝室を出て、廊下に据えられた灯りを頼りに『地上』を目指す。

 岩場を掘って作られた住処は、慣れた者でなければすぐに息切れしてしまうほど悪路の連続だ。細身で背丈も高いとは言えず、ともすれば女と間違われてしまうバサロではあるが、この程度の歩きで根を上げるようなヤワな鍛え方はしていない。

 年齢的にはもう十分、大人の仲間入りをしていいのだ。自分は十七歳――の、はずなのだから。

「ちっ……。あの夢を見た夜はいつもこうだ。イライラする。今更記憶がないことがなんだってんだ、クソが」

 誰にともなく吐く悪態。自分でもどうにもならない感情が、悪夢で沸騰した頭をさらにかき乱す。


 バサロは記憶喪失だった。

 記憶の始まりは二年前。どこか薄暗いところに訳もわからず拘束されていたときからだ。その後逃げ出し、反体制組織『サニア・ドゥリダ』に拾われて以来、バサロは組織の一員として生きている。


 頬に風を感じるようになる。松明の数が減り、かわりに月明かりが通路内を照らす。地上だ。

 見張りをしていた長身の女に見咎められる。

「バサロ。こんな時間に何ほっつき歩いてるの。さっさと寝床に戻んなさい」

「いいだろ別に。外の空気が吸いたいだけだ。気になるなら俺を見張っていればいい」

「そういうことじゃなくてね。あ、こら」

 横を通り抜ける。地上の夜空は、通路内の闇とは比べものにならない透明感を持っていた。

 バサロの背に見張り女の声が投げつけられる。

聖霊機械(ウェル・イド)を見たらせいぜい情けない声を上げなさい。もっとも、またあの街に戻りたいってんなら止めも助けもしないけどね」

「無駄口叩いてないで仕事したらどうだ」

「そんなだから聖霊(ウェルフ)に嫌われるのよ。本当、生意気」

 バサロは応えない。すぐに沈黙が辺りを支配した。見張りは、バサロを無視して己の職務に専念し始めた。


 肺の中の濁った空気を吐き出す。ちょうど良く夜風が吹いて、額に残っていた汗を取り払っていく。

 手近の岩に腰掛けると、バサロは眼下に広がる『巨大な窪地』に目を向けた。

 直径約十五万セラピス(三キロメートル)、深さ約三万セラピス(六〇〇メートル)もの大きさで、ほぼ真円の形をしている。斜面は五段に渡って平らに成形されている。一見すると窪地の底に続く巨大な階段のようだ。

 その平らな面の一つ一つに人が住み、田畑が作られ、あるいは緑が植えられている。

 巨大な窪地の中が、ひとつの街として機能しているのだ。

 聖霊の街ラウティス。この場所で今、およそ八〇〇〇の人間が寝息を立てている。

 底に行くほど常夜灯の光が強い。最も深い場所には深夜であっても薄く輝く塔がそびえ、見る者の目を惹いた。

 見れば見るほどおかしな街だ、とバサロは思う。

 生まれた時からこの地に住んでいる――例えばさっきの見張り女のような――人間からすれば当たり前の光景なのだろうが、過去を忘れ、たった二年の記憶しかないバサロには、ラウティスはとても奇妙に映る。

 窪地の外は見渡す限りの荒野。川も、木々も、道も、街の外には広がっていかない。閉じた世界だ。

 しかも年に一度、どこからともなく押し寄せる洪水にさらされる。完璧と言われる防御手段のおかげで何事もなく街は存続しているが、やはり、何かがおかしいとバサロは思う。


 もっとも、その疑問を口にしたところで耳を傾ける者など誰もいないだろう。

 バサロはどうでもいいと思い込むことにしていた。街も、人も、聖霊も。

 何か思ったところでバサロの『今』が良くなることなどないのだから。

 それが空しい現実逃避であることは、当のバサロ本人が一番よくわかっている。

 それでも。

「全部、夢の女のせいだ」

 バサロは行き場のない苛立ちを募らせ続けるのだ。




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