03:エレイナという魔術師。
《アルステルダム中心部 総督府 13:35》
「おめでとう。貴官は今日付けで第七訓練小隊に配属されるわ」
エレイナはにっこりと笑う。
「はあ? 」
「だから、君は、これから、第七訓練小隊に、入るの。わかった? 」
エレイナはまるで幼児に説明するように、わざとらしくゆっくりと話した。
その舐めきった口調にイラッとしたが、声を荒らげるのをぐっと堪えた。
おそらくエレイナは空斗が苛つくと分かってそう言ったのだろう。
ここでむきになればそれこそエレイナの思うつぼだ。
「そんないきなり聞かされても困るんだが」
「あら?辞令ってのはいつでも急なものよ?」
「────」
どこまでも正論だった。
これ以上は墓穴掘ることになる────空斗は押し黙った。
「さ、往生際の悪いヒメミヤ候補生はほっといて。自己紹介してもらいましょうか。じゃあシャロン候補生から」
「わかりました────リリー・シャロンです。どうかよろしくお願いしますね」
リリーはそう言って敬礼する。
アッシュグレーのネコ毛
彼女の優しさと淑やかさを象徴していた。
「サラ・クラークです」
そう言ったのは長い黒髪とややつり目ぎみの瞳が印象的な少女だ。
空斗は厳格そうな人だ、と感じた。
「カリン・ツェルフェンです!!」
そう元気に言ったのは────。
「カリン!?」
「うぇ、ソラト!?」
お互い顔を見合わせた。
空斗はもう訓練小隊の入隊資格をとっているが、カリンが資格をとるのはまだあと一年はかかるはずだ。
「エレイナ。どういうことだ?」
「飛び級よ飛び級。ツェルフェン候補生の他に適任者居なかったしね」
「はあ────」
知り合いと同じ部隊に入れて安心したが、同時に面倒くささも感じた。
何故カリンが適任者なのか、そして強引に小隊入りさせる必要はあったのか。
そこが気にならない空斗ではなかったが、とりあえず黙っておくことにした。
あまり此処に長く留まりたくなかったからだ。
「じゃあ、次は私ね────」
視線が彼女に集まる。
「私はクリスティーナ・シュトリーゲル。階級は大尉。この訓練小隊の隊長よ。あなたたちの直接の上司で教官ね」
クリスティーナは空斗達を見据えた。
その目には優しさと厳しさが宿っている。
軍人の目だ。
「ほら、ヒメミヤ候補生。君で最後だよ?」
エレイナが急かす。
「ソラト・ヒメミヤ。よろしく」
「ねぇもうちょっと愛想良くできないの?」
エレイナは呆れたように肩をすくめた。
「努力する」
「仕方ないわね────分かったわ。じゃあ今日はこれで。詳しいことはまた後で話すわ。解散!!」
敬礼をしてから、ぞろぞろと部屋から出ていく。
空斗もそれに続こうとしたのだが────。
「ヒメミヤ候補生はちょっと待って」
エレイナに呼び止められた。
《アルステルダム中心部 エレイナの屋敷 寝室 14:03》
エレイナ・ノーフォール元帥。
彼女は史上最年少でアテネ最強クラスの魔術師の証である「七元帥」に列せられた人物だ。
「鬼神」と呼ばれるほどの輝かしい戦績とその美しい容姿で、才色兼備の才媛として多くの人々から人気を集めている。
そんなエレイナの寝室で、空斗は────。
「─────で、俺はなんでお前の部屋を片付けているわけ?」
空斗は床に散らばっている書類の海を整理しながら言う。
「そりゃ、私は君の身元保証人で後見人で保護者だからね。保護してる間はとことんこき使うわよ」
エレイナはサイドアップに結われた黒髪を揺らす。
彼女の黒い瞳が悪戯っぽい光を放っていた。
「だからって部屋の整理ぐらい自分でしろよ」
「いやよ。私片付け苦手だし。誰が君の身元を保証してると思ってるの。もし保証をやめたら、君は即奴隷だよ?」
「はいはい、やりますよやればいいんだろ」
この部屋はかなり散らかっている。
床に大量の書類や本が散乱しているのだ。
それはもう足の踏み場もないほどに。
それを一つ一つ、分類してゆく。
もちろん楽しい作業ではない。
空斗は掃除が好きになれるような人種ではない。
いくらエレイナに恩と弱みがあるといっても、やはり苛立ちは募っていく。
空斗はそれをなんとか抑えていたのだが、ついに限界を迎えてしまった。
「────」
ある書類を退かすと、黒い下着が出てきた。
しかも多分使用済みの。
「エレイナ、これはどうしたらいいんだ?」
空斗は叫びたく自分を必死に押さえていた。
「あー、うん。後で使用人に渡しといてー」
「あのな!!」
「ん?どうしたの?」
「無防備すぎるだろ!!下着だぞ!!それを男に片付けさせてどうするんだよ」
「べつにいいじゃん。私そんなの気にしないし。ソラトって意外と初なんだ」
ふふーんと彼女は不敵そうに、そして悪戯っぽく笑った。
しかし、しかしだ。
そこではないのだ。
「あのな、お前に男に下着を見せて悦ぶ趣味があったと俺は気にはしない。性癖は個人の自由だ。何をオカズにエンジョイしてもなにも咎めはしない」
「君なにげ失礼だね!!」
エレイナはむすっとしているが、スルーして言葉を続ける。
「つまり何を言いたいかとと言うと────」
「言うと?」
空斗は大きく息を吸う。
そう、まるで大きく飛翔する前に助走するあの大鷲のごとく────。
「────下着ぐらい自分で片付けてくれ!!」
空斗のこの叫びは辺り一面に轟き、ご近所さんたちに「聞きました?元帥は自分の下着を片付けていないんですって」と噂になったと、後の歴史書に記されたとか記されなかったとか記されなかったとか。
空斗が部屋をなんとか整理し終わると、おもむろにエレイナが切り出した。
「で、本題だけど」
彼女は空斗のおかげで綺麗になった机に腰掛けて言う。
「おい、まさかまた雑用押し付ける気じゃないだろうな」
「いやいや、そうじゃないよ」
「じゃあなんだよ」
「君、そんな訓練小隊に入るのが厭?」
「どうしてそう思う?」
「今日、辞令渡したときずっとむすっとしてたじゃん」
────訓練小隊。
空斗たち魔術師は、一人で歩兵一個中隊程度の戦力を持っているとされている。
そのため魔術師は「中隊(もしくはそれ以上)そのものと、その指揮官」とみなされる。
歩兵一個中隊の指揮官には、士官が当てられることになっているので、魔術師は士官待遇とされてい。
つまり魔術師が軍に入ろうと思ったら士官学校に入らなければならない。
そして士官学校で基本的な知識と基礎体力を十分に身につけてから、訓練小隊に配属され、より高度で実践的な訓練をするのだ。
訓練小隊に入るということは、即ち士官学校を卒業することとほとんど同義だ。
そのため士官候補生は死にもの狂いで勉強し、必死に訓練しに入ろうとする。
訓練小隊に一度配属されれば、あとはエリート街道まっしぐらだからだ。
しかし、それにも関わらず空斗は────。
「厭だね。まっぴらごめんだ」
「どうして?」
「俺はそもそも軍人になんかにはなりたくない」
「軍人の私に向かって「軍人なんか」ってねー」
「エレイナが」
空斗は一度言葉を切る。
少年はエレイナの目をみて言った。
「エレイナが、この世界にきて行き倒れていた俺を拾って、しかも保護してくれたのは感謝してもしきれないぐらいだ。だが、どうしても軍人は────」
「困ったわ」
エレイナは肩を落としてため息をつく。
「君のステータス読み上げましょうか?」
彼女はそういって机の棚から書類を取り出す。
「総魔力量:EX、瞬間魔力放出量:EX、魔力回復力:EX ────。ほんと化け物。君のために既存の最高ランク「A」の上にさらに上位の「EX」をわざわざ用意したんだから」
総魔力量とは、魔術師が体内に貯蓄できる魔力の量だ。
総魔力量が多いほど、魔術を多く行使できる。
瞬間魔力放出量とは、一度の魔術で使える魔力の多さだ。
これが多いほど強力な魔力が使える。
分かりやすく言うと、銃器の口径の大きさのようなものだ。
銃器は口径が小さくなると使える火薬も少なくなり、威力が小さくなる。
どんなに銃弾(総魔力量)が多くても口径(瞬間魔力放出量)が小さいと、どんなに銃弾をばらまいても効果がない。
魔力回復力とは、消費した魔力の回復する早さだ。
「それだけじゃないわ。君の魔術、砲滅魔術。これも化け物級ね」
「魔力とはねつまり腕のようなものよ。たしかに素手で殴るだけでそこそこの威力はあるね。でもやっぱり道具を使ったほうが効率はいい」
「魔力で道具をつかむ、これが魔術よ。だから魔術師は銃火器なり剣なり、人によっては窒素やら電子やらを使う、操るのよ」
エレイナは懐から拳銃型の魔術師の杖をとりだす。
すると机の上にあった4つの拳銃が宙に浮き、くるくると穏やかにエレイナの周りを旋回した。
「私だって総魔力量・瞬間放出魔力量ともにAランクだけど、それでも単純な魔力放出だけなら拳銃程度の威力しかないわ。全力でやってもね」
そう言ってエレイナはぴょん、と机から降りた。
「だからついさっき言ったけれど、魔術師は私のように銃火器やらなんやらを使うわけ」
「そこまでしてもなお、戦闘艦艇を沈めることが出来るかどうかなの。それがどう?君ときたら魔力を放出するだけで戦艦を余裕で轟沈できるのよ?ふざけてるの?腕の比喩をもう一度使えば、素手で殴るだけでクレーターご出来るようなものよ」
「解った、それは解ったが────で、なにがいいたいんだ?」
今まで大人しくエレイナの話を聞いていた空斗だが、ついにしびれを切らして会話を急かした。
「つまりね。君みたいな優秀な人材を腐らしとくほど、アテネもアルステルダムも余裕がないの」
「それはわかるけど─────」
「君が軍人になりたくないのは分かるよ。だれだって殺されたくないし、殺したくもない。でもね、今の情勢で戦力が無くて困ることは大いにあるけれど、ありすぎて困ることはないわ」
「────」
「もちろん、私達のほうからも譲歩はするわ。任期5年。5年だけ従軍して貰えれば、あとは自由よ」
「分かった。5年だ。任期延長なんてみろ、クーデター起こすからな」
「おお怖い怖い────そうそう」
「なんだ?」
「訓練小隊に入ったから、曹長待遇から准尉待遇になったから。昇進褒賞金、口座に振り込んどくねー」
「ふーん」
「あれ、反応うすーい。5000クローナだよ?高級奴隷一人買えるよ?」
「金にはそこまで興味ない。最低限暮らしていければ問題ない。宿舎もあるし」
「ほんと無欲ね─────。分かったわ。もう帰っていいわよ」
「じゃあ、俺はこれで」
「うん、ばいばーい」
ふふん─────とエレイナは悪戯っぽく笑った。
《アルステルダム郊外 アルステルダム士官学校 正門前 15:30》
「なんだあれ」
空斗がエレイナから解放されて、士官学校の敷地にある宿舎に戻っていると、その士官学校の正門にやたら豪華な馬車が止まっていた。
(ていうかこの馬車、何処かで見たことあるし)
少年が近づいていくと、馬車の中から人が出てきた。
「おお!!ヒメミヤさん!!待っておりましたぞ!!」
「ハウエルさん────」
ハウエルはソフィアの所有者で、シルクハットが印象的な、50代くらいのいかにも紳士然とした男性だ。
「今お時間よろしいですかな?」
「ええ、まぁ」
「なら是非、娘アンナを助けて頂いたお礼をさせていただきたい」
「いえ、そんな────」
空斗が戸惑っていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。
「ソラト?」
振り向くと、金髪の女の子。
「カリン────」
「誰そのおじさん。知り合い?」
「そのお嬢さんはヒメミヤさんのお知り合いですか?」
「え?え?あ、うんそうだけど」
空斗はカリンとハウエル両方に話しかけられて混乱する。
「ふむ、ならそのお嬢さんもお連れしましょう、ほら、乗ってください!!」
「あ、はい」
混乱しているうちに押しきられた空斗。
「え?いいの?わーい!!─────でこの人だれ?」
とりあえず喜んでおいたカリン。
「ふむ。娘はどうやらヒメミヤさんを気に入られたようですからな。娘がよろこびますぞ」
嬉しそうなハウエル。
そんな3人をのせて、馬車は走る────。
なんかあまり話が進まなかったですね。
・アテネ
アルステルダムの属するイオニア同盟の盟主。
その強力な空軍力を背景に最近力を伸ばしている。
法の下の平等を標語とし、共和制を絶対視している。
そのため王政をとる都市国家には容赦しない。
奴隷制が存在し、人口の3分の2は奴隷である。
ちなみに奴隷の人権は存在しなく、奴隷から解放するには多額の奴隷解放税を払う必要がある。