02:その少女の名前は。
「はい空斗、あーん」
「彼女」はスプーンを差し出した。
「はぁ?そんなバカップルみたいなこと出来るかっ」
「もー空斗ったら」
幸せそうに「彼女」は微笑む。
「照れちゃって可愛い」
くすくす、と「彼女」は口に手を当てて笑う。
「うるさい」
空斗は気はずかしくなって、ついぶっきらぼうな物言いになってしまう。
二人は土手に座っていた。
涼しい爽やかな風が一陣、緑をはらんで吹き抜ける。
「彼女」の肩口で綺麗に切り揃えられたセミロングが風にさらさらと揺れる。
「ほら、要らないの?なんとこの限定生産のアイス、納豆キムチ羊羮味なのよ?」
「彼女」は何故か得意げに胸を張り、納豆キムチ羊羮味アイスを高らかに掲げる。
「いや、要らないって」
黄土色のなかに所々キムチと赤色が混ざっていて、見るからに不味そうを美味しそうに頬張る「彼女」。
「前から思ってたけど、お前味覚音痴なんじゃないか?」
「うわなにそれひどっ」
「焼肉味のケーキとかプリン味のいかの天ぷらとかを美味しい美味しいって」
「美味しかったじゃない、あれ。それにキャラメル味のすき焼きだって!!」
「食べる危険物だったじゃねえか!!」
あの数々の得体の知れない料理(?)の殺人的な味を思い出すとこみ上げてくるものがある。
感動とか感謝とか綺麗なものじゃなくて、胃の中身的なものが。
「ひっどーい。人の好物を危険物とか」
「危ないいものを危ないと言って何が悪い」
「もう知らないわ。このアイスもあげないんだから」
「彼女」はぷいっとむくれて飛び出した。
「ちょ、待てって。ていうかアイスは別に欲しくないから!!」
「ふーんだ」
「彼女」は一気に土手をかけあがり、あっという間に横断歩道にに出る。
その時。
空斗の脳裏に妙な感触が走る。
まるで脊髄に焼けた鉄の棒を差し込まれたような衝撃がはしる。
どこかでこの風景を見たことがある──。
そうだ、「彼女」はこの後──。
少年は強烈な既視感に襲われていた。
吐き気がするほどの焦燥と、沸き立つような恐怖が彼を焚き付ける。
空斗は「彼女」を止めるべく叫ぼうとする。
「──っ。──っ!!」
しかしどんなに叫んでも何故か喉に声が引っ掛かってしまう。
「──っ!!」
空斗が苦戦しているあいだに、「彼女」は今まさに横断歩道を渡ろうとしていた。
「──、──っ」
そして。
車のクラクションが響きわたって──。
《アルステルダム郊外 駐屯軍第四宿舎 05:00》
「────っ」
一瞬で姫宮空斗の意識は覚醒した。
衝撃に身を任せて勢いよく上半身を起こす。
動機が激しく体内に響いている。
動機に合わせて視界が歪む。
覚醒したはずの意識が朦朧とする。
空斗は思わず喉を掴んだ。
何故だか上手く呼吸ができない。
喉が、空斗の思うように動かないのだ。
酸欠のせいで視界が徐々に狭くなってゆく。
無理矢理肺を動かして、強引に呼吸をする。
喉を強く掴んでしまったために爪が食い込んで、細い血の川が喉を伝う。
汗が目に染みて痛い。
──ようやく「発作」が落ち着き、ベットに倒れ混む。
ふと時計を見ると、起床時間7時までに後1時間ほどあった。
怠い体を部屋の備え付けのシャワールームまで引き摺る。
服を脱ぎすてて蛇口をひねった。
冷水を頭から被る。
冷水が喉の傷に染みるが仕方ない。
────まだこの時間は寮のボイラー室が稼働していないため、冷水しか出ないのだ。
けれどもそのおかけで朦朧とした意識はクリアになった。
「ちっ」
舌打ち。
自分の「発作」が治っていなかったことが腹立たしい。
壁を殴りつけたい気分だったが、起床時間前に要らぬ騒音を立てるのは憚られる。
かわりにこれでもかと言うほど歯を食い縛った。
起床ラッパが鳴り響くまで、空斗は冷水を浴び続けた──。
《アムステルダム郊外 アムステルダム士官学校座学室 09:26》
士官学校では、なにも軍事訓練だけを行うのではない。
ただの軍事教練施設では無いのだ。
そもそも士官というものは階級は少尉以上の軍人を指し、中隊長以上の部隊の指揮官を士官を以て当てるとされている。
また、士官というものは将官という軍そのものを動かす軍人をも指す。
そんな士官を育成するための施設が士官学校であり、士官学校に入学することが軍のエリートコースに進むための唯一にして最低限の条件だ。
士官学校とは分かりやすく言うとエリート軍人養成所、といったところだ。
だから士官学校では部隊、さらには軍全体そのものを率いるための知識を詰め込まれる。
例えば、防衛学、国防論、軍事史、戦略学、作戦学等を幅広く学ぶ。
しかし学生達が学ぶのはそれだけではない。
士官は単に部下を率いる上官としての顔だけでなく、時として様々な任務により国外に出向き、そこである種の外交官のような振舞いを求められることがある。
それゆえに軍を担う者にはそれに相応しい教養が必要なのである。
そんなわけで少年空斗は教養課程の一つ、史学の講義を受けていた──。
「革命歴八年、2代目アテネ人民党総裁、ヘンリー前国家首席の指導のもと、独立した服属都市の影響力の回復に乗り出した──」
学生達は皆真剣な顔で講義に聞き入っている。
それは彼らが厳しい選抜試験を勝ち抜いてきた真面目で優秀な人材であるということあるだろう。
しかしそれだけではない。
半年に一度定期考査があり、その定期考査で決められた点数以下を取ってしまうと即退学、というシビアな制度がある。
そしてその定期考査に当然のごとく史学も含まれるため、学生達はこれほどまでに真剣に講義に望んでいる。
「ヘンリーは服属都市らの独立を許したが、その代わり全ての王政、身分制を廃し、アテネと友好条約を結ばせ、イオニア同盟に参加することを義務付けた。そして服属都市らに駐屯軍を派遣してアテネの影響下に置いた──」
しかし窓際に座る空斗はそんなまわりに反してぼーっとしている。
彼女の夢を見るなんて何時ぶりだろうか────空斗はそんなことを考えながら窓の外を見ていた。
どうして今更、と苛立ち混じりの疑問をいだいたが原因は明白だった。
あの奴隷の少女──昨日サンマルク通りで会った蜂蜜色の髪の少女だ。
あの照れたようななにかんだ笑顔が、どうしようもなく「彼女」に似ていたのだ。
そんなことぐらいで────。
空斗は自分の弱さを攻めた。
ちゃんと、「彼女」のことは記憶の奥深くに封じ込めていたはずだ。
「彼女」なんてさも居なかったように振舞い、記憶に強固な封印をかけているのだ。
そんな封印がたった一人の少女のせいでぐらついている。
空斗はそれが許せなかった。
「ヘンリー前国家主席はそうやって服属都市から堕落した王政を払拭し、民主主義を広めたのだ──っと」
教鞭をとっていた教官が1度講義を止め、生徒たちに向き合う。
「──ヒメミヤ候補生!!」
「はっ」
空斗は名前を呼ばれて起立し、条件反射で直立不動の体勢を取る。
「貴様、私の講義中に何をぼーっとしていた?」
「──申し訳ありません」
周りの学生達はそんな空斗を見てクスクスと嗤 う。
空斗は恥ずかしくなって俯く。
教官は嗤う学生達を一瞥して黙らせると、幾分か柔らかくなった調子で空斗に言う。
「お前が「事情」のせいで定期考査も免除されて後は訓練小隊入りを待つだけなのは解る。しかしだからと言って講義を怠慢してもいいことではないだろう?」
「──はい」
「お前も栄えあるアテネ軍人となる人間なんだ。その自覚を持って臨め。解ったのなら座れ!!」
「はい」
空斗はそう言って座った。
それをみた教官は満足したのだろう、講義を再開した。
「では、続きを──」
周りの生徒達はチラチラと好奇と嘲笑の視線を無遠慮に投げつけてくる。
空斗はそれら全てを無視したが、視線は講義の終了を告げるチャイムが鳴るまで止まなかった──。
《アルステルダム郊外 アルステルダム士官学校 廊下 11:32》
空斗は次の講義のために移動していると、なにやら騒がしい足音が聞こえた。
振り向くと、カリンが此方にむかって走っていた。
「よっソラト」
カリンは手をあげ、元気に挨拶する。
小さい口から可愛らしい八重歯が見えていた。
「よう──」
空斗はそんなカリンの明るさに当てられてげんなりする。
しかしカリンはそんな空斗の様子などお構い無しに下から覗きこんでくる。
「なんだよ、元気ないじゃん。まさかさっきの気にしてんの?」
「確かに恥ずかしかったが──別にそこまで気にしてねえよ」
空斗はどうもカリンのことが苦手だ。
──カリンの持ち前の明るさで、こちらが言外に張っているバリアなど気にもせず図々しく人の領域に踏みいってくる。
そのくせ何故かそんなカリンのことが憎めないのだから、よけいたちが悪い。
「ふーん」
カリンは興味を失ったのかおなざりな返答をよこす。
猫みたいだな──なんてそんなカリンを見て思っていると、
「ヒメミヤ候補生」
後ろから呼びかけられた。
振り向くと一人の女性が立っていた。
────空斗達の教官、ナタリー・ケイ教官だ。
腰まで届く美しい光沢の金髪。
長い手足にグラマーな肢体。
整った顔につり目がちな目がアクセントを効かしてきた。
「ケイ教官!!」
空斗は咄嗟に敬礼をしそうになるが、
「ああ、いいよ下ろして」
と、ナタリーは面倒くさそうにひらひらと手を軽くふる。
「聞いたぞ?ソラト候補生。貴様たるんでるらしいな」
こんなところまで広まっているのか──空斗はそう言うのをぐっとこらえた。
ふと横を見ると、カリンが此方を見てニヤニヤしていた。
少し睨んでやった。
「もう反省してますよ」
「そうか?ならいい」
「ところで、用件は何ですか?まさか俺の失態を注意しに来た訳ではないですよね?」
「ああ、そうだったな。忘れていたよ」
「しっかりして下さいよ──」
「すまんすまん。用件はな、エレイナがお前を呼んでいたぞ?」
「え!?エレイナってもしかしてエレイナ・ノーフォール元帥!?」
カリンはそう言ってからしまったというふうに口を押さえる。
カリンは青い顔で不安そうにしている。
教官とはつまり上官であり、そんな上官の会話に口を挟むのは重大な規律違反だからだ。
しかしナタリーはそんなカリンを見て苦笑する。
「な?意外だろう?このソラト候補生があの元帥と知り合いなんだから」
怒られるのを覚悟していただろうカリンは、想像と現実との落差に唖然としていた。
空斗はそんなカリンとは対称的にかなり焦っていた。
「そんな大切なことは早く言って下さいよ!!」
「すまんすまん。だから忘れていたんだって」
「ほんとしっかりして下さい」
「ではソラト候補生。貴様に辞令を与える」
ナタリーの顔つきが変わる。
先程までのやる気のない雰囲気から一変し、訓練時のような厳しさを纏っている。
それはまるで研ぎ澄まされたナイフのようだった。
空斗もそれに釣られて思わず直立不動の体勢を取った。
「貴様は直ちにエレイナ・ノーフォール元帥の元へ総督府に行き、辞令書を貰いに行け。解ったな?」
「はっ。了解しました」
ナタリーはそんな空斗を見て相好を崩した。
「なるべく急げよ、少年────」
ナタリーは手をヒラヒラと振り、去っていった。
ナタリーの背中が見えなくなったころ、カリンが口を開いた。
「ソラト──」
「なんだよ」
「よくあのケイ教官にあんな口聞けたわね!?ケイ教官のあだ名は知ってる?鬼教官よ鬼教官!!」
「ああ、お前知らないのか──」
「何をよ」
「あの人、訓練の時以外はかなりゆるーいんだぜ?」
《アルステルダム郊外 サンマルク通り 12:05》
エレイナが居るのはアルステルダム中心部だ。
郊外にある士官学校から中心部にいくには、このサンマルク通りを通ることになる。
此処は相変わらず活気に満ちている。
客引きたちの声、値切り交渉の声、店主と楽しそうに歓談する声。
しかもお昼時ということもあって、屋台も沢山出ている。
ある男は妻や子供と肉を挟んだ麺麭を楽しそうに食べ、非番の衛兵は軍服姿で仲間と一緒に麦酒を飲み交わしている。
ある若い男はこの往来であろうことか恋人と食べさせあっていて、男の仲間らしき人達から野次を喰らっている。
そんなアルステルダムで一番明るいと言われる空間、サンマルク通りで空斗は独り、暗い顔をしていた。
(嫌な予感がする)
少年は昨日このサンマルク通りで散々な目に遭ったのだ。
一つ目はカリンに振り回されたこと。
二つ目はあの奴隷の少女に出会ったことだ。
二度あることは三度ある、ではないが何か悪い予感を感じる空斗だった。
(まっ、そんなわけないか)
少年は急な悪寒に見舞われながらも、自分のとりとめのない妄想じみた考えを一蹴した。
しかし少年は忘れていた──『悪い予感ほどよく当たる』ということを。
空斗が楽観に落ち着いて呑気に歩いていた時、それが起こった。
急にガタン!!と何かが倒れる音が路地裏の方からした。
驚いて音のしたほうに目を向ける空斗。
見ると、狭い路地裏に1人の少女が3人の男に囲まれていた。
少年は一瞬ただの喧嘩かと思ったが、すぐ彼らの雰囲気が尋常ではないことに気づいた。
しかし────。
しかし、正直言うと、面倒なことには関わりたくなかった。
辞令書を早く貰わなければならない、ということもあったがそれより人とこれ以上あまり関わりたくなかった。
そんな訳でそっとその場を離れようとしたら──。
目があった。
「ちっ」
面倒くささより義務感が上まった瞬間だった。
甘いな、自分でも思う。
しかしここで去れば悪い後味だけが残るだけだろう。
(お前のためじゃねえからな!!)
そう言い訳しながら路地裏に突入した。
「おいコラ!!」
「あ?」
3人の男が振り向く。
ガリガリなのがいち1人、太くてガタイのいいのが1人、チビが1人。
典型的なトリオだ。
そして典型的なヤンキーだった。
しかも弱そうな。
「何してるンだよ」
空斗は問いかける。
「お前には関係ねぇだろ首突っ込むなや」
「ぼっちゃんはさっさとお家にかえンな」
「そうだそうだ!!」
「だからお前らなにしてンの?」
「あ?知るかよ」
「ぼっちやんはさっさと学校に戻りな」
「そうだそうだ!!」
「チッ」
────結局答えは聞けなかったが、大方の予想はついていた。
誘拐、恐喝、強盗、そして暴行────。
そのうちのどれが正解かは解らないが、そんなものは関係ない。
どちらにせよ見過ごせないのは変わらない。
「おい、今すぐそいつから離れろ。今すぐだ」
空斗の挑発じみた台詞に、男たちは分かりやすく反応した。
「ああ?舐めてンのかテメェ」
「しかたねぇ、ぼっちゃんにはちょっと痛い目にあってもりわないとなあ!?」
怒りで顔を真っ赤にして飛びかかってくる。
「──っうらぁ!!」
まず最初に、細身の男が長い脚を活かした回し蹴りを放って。
狙いは上段、空斗の顎だろう。
空斗はこの距離、速さでは防御は出来ないと瞬時に判断し、咄嗟に屈む。
────蹴りが頭上を過ぎる。
かがんだことで出来たバネを利用して一気にアッパーを繰り出す。
蹴りを避けられたことに驚いたのだろう、男の間抜けな顔に拳をくれてやった。
「────っ」
男は脳震盪を起こして倒れる。
そんな細身の男の末路を見た肥満体の男は激昂して襲いかかっててくる。
「野郎よくも!!」
男が、腕を大きく振りかぶる。
男の手にはナイフ。
空斗は一瞬ドキリとするが、男が隙だらけと気づくと冷静に対処した。
まず、迫り来る腕を払った。
それによって体幹が無防備になり、右のボディーブローを放ち、間髪いれずに左のも放った。
「ぐあっ」
男がよろけ、体を「く」の時に折る。
顎が前にでる。
「ふんっ」
遠慮なくその無防備な顎に回し蹴りをお見舞いする。
男は白目を向いて気絶した。
「お前は?」
空斗は最後の1人に向かって言った。
男は青ざめて顔で、視点も定まっていない。
逃げるのか、それとも攻めるのか──。
(まあ逃げたら後ろから仕留めるしこっちに来たら返り討ちだけどな)
しかしそれは空斗の慢心だった。
男は引くでもなく攻めるでもなく──懐から拳銃を出す。
「馬鹿かテメェ!?」
空斗は思わず叫んだ。
銃器の保持は軍人か警察官にしか許可されていない。
一般人の銃器の保持は法律で固く禁じられている。
もし一般人が銃器を取り出せば、その場て警察官に射殺されても文句は言えない。
それぐらい一般人が銃を持つというのは自殺行為なのだ。
男が銃口を空斗に向ける。
この近距離だ、まず外さないだろう。
「チッ──」
(撃たれる前に「放」たないと)
空斗は左腕の袖を捲る。
手首の銀の腕輪が顕になる。
魔術師の杖────空斗達『魔術師』唯一にして至高の武器だ。
精製する魔力を最小限にして、狙いを定める。
何も考えずに放てばここら一帯が文字通り廃墟になってしまう。
男の指が引き金に触れる────。
(今!!)
手のひらに熱を感じる。
その熱が際限なく高まり、自分を解放しろと言うように荒れ狂う。
空斗はそれに従った。
────ここまで、僅か0.2秒。
「はあああ!!」
空斗の鬨の声と共に、熱が迸る。
熱線が向かう先は、男の足元。
────爆音。
「────っ」
空斗は両耳に手をあててしゃがみこむ。
爆音と衝撃が去ったあと辺りを確認した。
小さなクレーターが出来ていた。
想定外のことに、威力を上手く殺すことが出来なかった。
殺してしまったかも──空斗の脳裏に焦燥が蝕む。
空斗は急いで男のいた方を見る。
見ると、クレーターから少し離れたところに男が倒れていた。
近づいて脈を看てみると幸いなことに正常だった。
「よかった──」
ほっ、と空斗は安堵のため息をつく。
いくら正当防衛だとしても、魔術師が魔術によって殺害したとなると色々と面倒くさいことになる。
しかしそんなことよりも、「人を殺さずにすんだ」ということを純粋に喜んだ。
他の二人も探しだして確認すると、彼らも無事だった。
さてこの男たちをどうするか────そんなこと考えていると、後ろから声がした。
「あ、あのっありがとうございました!!」
振り向くと────。
「あ、お前昨日の!!」
振り向いた先にいたのは、先日ここサンマルク通りで出会った奴隷の少女だった。
つぅ、と背中に嫌な汗が流れる。
無意識の海に沈めてた感情が意識の表象に浮かんできそうになるのを、手を固く握りしめて堪える。
(やっぱりこいつ苦手だ)
どうしてもこの少女を見ると「彼女」のことを連想してしまう。
「昨日は、その、すみませんでした。折角私なんかに御慈悲をかけていただいたのに──」
そんな空斗の苦手意識なんて知りもしない少女は、再び空斗に声をかけた。
「いや、気にしないで」
「御慈悲」と言ったのは昨日の林檎を拾おうとしたことだろう。
たったそれだけのことを「御慈悲」なんて言われても困るし、なにより自分の好意を拒まれたところでそんなに憤りを感じなかつわた。
その程度の理不尽、ケイ教官のしごきに比べたら大したことはない。
「いえそういう訳には────」
「────あの!!」
人影が少女の後ろの物陰から出てきた。
少女の言葉を遮ったのは、10才くらいの少女だった。
彼女の碧眼には子供特有の輝きが十二分にあった。
ツインテールに綺麗に結われたブロンドの紙と、奴隷の少女とは対照的か沢山フリルのついたピンクの服。
人目で金持ちとわかる、そんな少女だ。
「お兄さん、助けていただいてありがとうございました。私、ここまでさらわれて本当に怖かったんです」
そう言って少女は泣き出した。
こんな小さな子にとっては大の大人3人にこんな路地裏まで拐われて、そのうえ囲まれたのだから相当怖かったのだろう。
しかし、空斗にはなにか引っ掛かった。
(「私」ここまで拐われて、か)
まるで奴隷など視野に入ってないような言い方だ。
勿論、それはあくまで空斗個人の感想だが。
それは置いとくとして、空斗には目の前に大きな問題があった。
(結果的に)助けた女の子が泣きじゃくっているのだ。
空斗は小さな女の子の相手の仕方、それも泣いている子の扱い方なんてわかるはずもないのだが、それでも何とかしなければならない。
少年は奴隷の少女に助けを求めて目配せをしたが、少女もただ狼狽えているだけだ。
もうどうしようか──と途方に暮れていると、背後から慌ただしい物音が聞こえた。
「アンナ!!アンナ!!無事だったのか」
身なりの良い、いかにも紳士然とした男が、数人のボディーガードを連れて空斗達のいる路地裏にやってきたのだ。
50才くらいの男性で、穏和そうな雰囲気を身に纏っていた。
「お父様!!」
女の子──アンナと呼ばれた少女は男に向かって飛び付き、そして強く抱き締めた。
男はひとしきりアンナと抱き合ったあと、空斗のほうを向く。
「どうやら娘がお世話になったようで──」
「いえ、そんな」
「そうよ!!このお兄さんが怖いおじさん達をやっつけてくれたのよっ」
アンナはそう言って倒れている男3人を指差す。
「その制服──。お聞きしますが軍の方でしょうか?」
「ええ、まあ。といっても候補生なんですがね」
空斗は自分の制服──というか軍服を見る。
黒を基調としたデザインに、黒の詰襟、銀のボタンにベレー帽とブーツ。
そして胸には士官候補生の証である候補生徽章が付けられている。
「なるほど、通りで凛々しい方であるわけだ」
男はそう空斗ににこやかに言ったあと、奴隷の少女に言う。
「────ソフィア」
「はいっ」
奴隷の少女──ソフィアの肩がビクッと震えた。
「どうしてお前が付いていながらアンナを危険な目に逢わせたんだ?」
「──そ、それは、そのすみません」
「謝ってンじゃねぇぞコラ!!」
男はそう言って持っていたステッキを振り上げ────。
────ソフィアのわき腹に叩きつけた。
「うぐっ」
ソフィアは喘ぎ声と共にしゃがみこむ。
「お前はいつもいつもヘマばかりして!!この役立たずが!!」
男はさっきまでの穏和さをかなぐり捨てたように、粗野に、凶暴な口調でソフィアを責め立てる。
そしてステッキで執拗に、執拗に、執拗に殴り付ける。
目立たないお腹や背中、わき腹を中心に殴り付ける。
自分か連れる奴隷を醜い痣だらけにする訳にはいかないからだ。
「うぐっ、ごめんなさっ、ひいっ、許して下さい───」
ソフィアは涙と涎で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ただひたすらに謝り続けた。
アンナも、ボディーガード達も、そんなソフィアを見て表情一つ動かさない。
犬を躾るように、奴隷に折檻するのは彼らにとって当たり前なことだ。
これが、ここでの奴隷の扱い方だ────。
「────すみません!!」
空斗は男に声をかける。
「ん?なんでしょう?」
折檻の手を止めて空斗のほうに振り向く。
折檻から解放されたソフィアは力なく地面に倒れこんだ。
「俺はそろそろ用事を済ませたいのですが」
「貴方には何かお礼をしたいのですが──」
「すみません。人を待たせてるんです」
「分かりました。おい!!この方を送って差し上げろ!!」
「そんな、悪いですよ」
「貴方は娘の恩人です。どうか私の好意を受け取って下さい」
「──分かりました。ではご好意に甘えて」
空斗とアンナとその父で馬車に乗り込んだ。
「それで、行き先はどこですか?」
「総督府です」
「分かりました。──総督府に向かえ!!」
馬車が走り出した。
《アルステルダム中心部 総督府前 13:29》
「さあ、着きましたよ」
男は空斗に向かって言った。
「どうもありがとうございました。送って下さって」
「いえいえ。──そうだ、貴方の名前を聞くのを忘れていました。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ええ。姫宮です。空斗・姫宮」
「私はハウエル・ロイドです。よろしく、ヒメミヤさん」
「よろしく、ロイドさん」
「私は中心部の住宅街にすんでいます。よければ何時でも遊びに来て下さい。今日のお礼をします」
「分かりました。いつか必ず」
「では、私はこれにて」
空斗はハウエルと握手をして別れた。
「あ、あのっ。ソラトさん」
「──ソフィア」
「ありがとうございました。その、ご主人様のお叱りを止めて下さって」
「おい────」
ソフィアはそう言うだけ言って直ぐにその場から走り去った。
「チッ。ばれたか」
ロイドの折檻は見てて気持ち悪かったから、無理矢理会話して終わらせた。
なるべくばれないようにしたんだが────。
空斗は早足に総督府に向かった。
《アルステルダム中心部 総督府 人事教務室 13:35》
「ヒメミヤです」
空斗はエレイナのいる部屋のドアをノックする。
「入りなさい」
部屋の中からエレイナの声がした。
「失礼します────え?」
入ると、なぜか空斗とエレイナの他に4人いた。
「おめでとう。貴官は今日付けで第七訓練小隊に配属されるわ」
エレイナがにっこりと笑う。
まるで悪魔が取引きを持ちかける時のような笑顔だ。
「はあ?」
空斗の間抜けな悲鳴が辺りに響いた────。
どうも、ソフィアの折檻シーンを書いてたら軽くテンション上がっしした雪月花ですwwww
お巡りさん私です!!
今回はわりと説明文か多目でしたがいかがだったでしょうか?
しばらく説明回がつづくのですがどうかお付き合い下さいww
いきなりですが、今回からこの後書きで設定とか晒していきたいと思ってます。
本文中で全部説明するわけにもいかないしww
ってことで第一段。
・アルステルダム
空斗たちがいる都市。
大陸にある数ある都市国家の一つ。
アテネを盟主とするイオニア同盟に列席している。
レアメタルの鉱山があり水源が豊富ということもあるが、なにより3つの勢力圏と接していることもあり、地政学的に超重要な土地。
そのためアテネは大規模な駐屯軍を派遣し、アルステルダムを実行支配している。
空斗たちはこの駐屯軍に所属している。