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01:その出会いは必然か偶然か。

 


《アルステルダム郊外 アルステルダム士官学校演習グラウンド 14:20》




 少年・姫宮空斗(ひめみやそらと)は走っていた。


 グラウンド特有の乾いた砂ぼこりの無機質な匂いを、酸素を補給するために不本意に吸い込む。


 急激な温度変化の為に、喉の毛細血管が出血して口に血の味が広がる。


 喘ぐように息をして、空気が喉を通り過ぎる度に微かな傷みを感じた。


 ふくらはぎの筋肉が次第に熱を帯びて、力が入らなくなってくる。

 

 軍服と軍用靴(コンバットブーツ)と小銃の重みによる疲労は、空斗から現実世界へのリアリティを奪っている。


 その結果、空斗が認識している世界は口内の血の味と喉の痛みだけだった。


 しかし、それでも疲労を意識するわけにはいかなかった。


 意識してしまえば最後、猛烈な疲労感と虚無感に襲われ膝をつくことになってしまうからだ。


 だから意識をリズムに向ける。


 1、2、1、2、という周りの掛け声に会わせて足を前に出すことだけに意識を集中させるのだ。


 しかし疲労した体でそんな集中が持続するはずもなく、教官が居る白いテントの横を通り過ぎると、

 

 ──今で何周目?


 なんて空斗はおぼろげな頭で過去の記憶を辿ってしまう。


 しかし16周目からは数えることを放棄したことを思いだし、また走行に意識を向かわせた。


 滝のように出る汗が額を伝い、目に入る。


 が、両手は小銃で塞がっているためどんなに目が痛くても何もすることは出来ない。


 そしてその痛みすらも知覚出来なくなった頃、ケイ教官の凛々しく厳しい声が野戦演習グラウンドに響いた。


「被装備走行訓練、止めッ!!」


 空斗の回りで、あちこちから安堵と解放感と疲労感にまみれた溜め息がこぼれた。


 そこに達成感はない。


 所々咳も聞こえる。


 空斗も咳をしながらゆっくりと息を整えていった。




 どさっ、という音が隣で聞こえた。


 見ると、疲労のためだろう、隣で訓練生が倒れていた。


 ぜいぜいと荒くもがくように呼吸して、目をこれでもかというほど見開いている。


 典型的な過酷な訓練に耐えきれなかった訓練生の図だ。


 空斗は軽く同情した。


 ケイ教官の訓練は寮に戻り、訓練の反省を書くことも含まれる。


 それまでに倒れた者はケイ教官からの「血の涙が出るほどありがたいご褒美」に授かれるのだ。


 訓練生は今夜は寝かせて貰えないだろう。


 しかし所詮は他人事、と空斗は切り捨てその訓練生を無視することにした。


 次の瞬間、空斗の頭の中からはその訓練生の記憶は消え去っていた。






 空斗は小銃を倉庫に返し、筋肉疲労で思うように動かない足をどうにか働かせて寮舎に戻っていた。  


 今日の教官はいつにも増して厳しかったな、と小さく呟いた。


 明日は座学で本当に良かった。


 疲れた脚を存分に休まさなければ、正直もたない。


 すると、後ろからどたどたと足音が聞こえた。


「ソラト!!」


「──カリン」


 振り向くと、向日葵のような笑顔を浮かべた少女がいた。 


 健康的な少し日焼けした肌。


 小柄でモデル体型ではないが、しかしそれゆえにバランスか取れた肢体。


 小さな唇、可愛らしい鼻梁、そして曇りのない瞳。


 癖のある金色の髪で、先端のほうがカリンの性格を表すように跳ね返っている。


「ちょっと手伝って欲しいとことがあるんだけどっ」


 カリンその金色の先端をぴょこぴょこと揺らしながら言った。


「あのさ、俺は訓練終わったばっかりで疲れてるんだが」

 

 空斗は溜め息混じりに答える。


 乳酸菌が脚の筋肉を溶かし、それによってできた熱がじんわりと疲労を訴えてくる。


「そこをなんとかっ。ね?私とソラトの関係じゃない!!」


「断る。俺とカリンはただの訓練生同士だろ?」


「ぬわー!!私傷ついたよ!!泣いちゃうよ!!」


「ちっともそうは見えねぇよ!!」


 ずきずきする。


 頭が痛くなってきた。


 思わず眉間を押さえる。


 空斗は面倒くさくなって早足にカリンから去ろうとする。


 が、


「おーねーがーいーだーよーっ。私しってるよっ、ソラトはこんなに困ってる私をほっておけない人だってねっ」


 と、カリンは脚にしがみついてきた。



 しっかり両腕を脚に絡みつかせて体重を乗せているため、なかなか振り払うことが出来ない。


「残念ながら俺は聖人君子ではないんでねっ。つーか邪魔!!」


 振りほどくのを断念した空斗は、カリンを引きずりながら寮舎に戻ろうとする。


 ただでさえ筋肉疲労をおこしているのにカリンという負荷までかかってしまい、空斗は精神的にも肉体的にも挫けそうだった。


「ねぇ、お願い、ね?」

 

 うるうる。


 カリンは上目使いに見つめてくる。


 カリンの瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。


「うっ」


 空斗は思わず後ろめたさを覚えてしまう。


 それほどまでにカリンの上目使いにほ破壊力があった。


 その上涙まで見せられて、空斗は完全に挫けてしまった。


「はぁ──。わかったよ!!付き合えばいいんだろ、付き合えば!!」


 つい口調が少しだけきつくなってしまったが、もうこれは不可抗力だろう。


 ここで神経を削るような押し問答を繰り広げるより、カリンの用事に付き合ったほうがマシだろう、なんて空斗は諦めた。


「え?いいのっ!?やったぁソラト愛してる!!」


 カリンは顔をぱぁっと輝かせて、兎のようにぴょこぴょこ跳びはねた。


「ああ。ただし条件が一つある」


「なに?」


「俺は疲れているんだ、重労働は無しだ」


「それは大丈夫だよっ。ただの荷物運び。それもちょっとだけの量」


「まぁ、なら手伝ってやらんでもない」


 このままカリンを引き摺るのに比べたら、荷物運びのほうがマシだろう──空斗はそう楽観していた。


 空斗は元気にステップするカリンの後を追った。


 この後にさらなる地獄が待っていると知らずに──。




《アルステルダム郊外 サンマルク通り 15:38》




 アルステルダム。


 それが空斗が今ここにいる都市国家の名前だ。


 そのアムステルダムの郊外、セリーヌ湖の(ほとり)にある商業区のど真ん中、サンマルク通りというところがある。


 富裕層向けの高級ブティックから見るからに怪しい護符を扱う屋台まで様々な店があり、通りは活気の良い店員たちの喧騒で満ちている。


 セリーヌ湖の瑞々しい薫りを抱いた風が通りの活気に吹き抜ける。


 そんなサンマルク通りで、空斗は激しく後悔していた。


「重い──」


 空斗の両腕には大量の食材が入った袋がある。


 トマトやキャベツ、チーズからハムまで入っていて袋はかなりの量になっている。


 どっしりとした食材の重みが両腕に噛みついてくる。


「話が違う!!何が『ちょっとの量だ』これが!!」


「え?これくらい少ない少ない。こだごた言わずに、ほら、次は八百屋さんだよ!!」


 カリンはぴょこぴょこと歩いていた脚を止め、振り向いて言った。


 カリンは空斗のより早足で、遥か前方を歩いている。


 空斗と同じだけの荷物を持っているのに関わらず、よくそんな元気があるなと呆れた。


 そんなことを思っていたら、気がつけばカリンとかなり離れて見失ってしまった。


 慌てて重い脚を引きずる。


 やっとの思いでカリンのいる八百屋にたどり着くと、カリンと店主が賑やかに話していた。


 店主はゴツい50代くらいの中年男性で、分厚い胸板に太い上腕二頭筋、禿げた頭に鉢巻きといかにもな人物だ。


 そんな店主がちみっこいカリンと和やかに話しているのは、なにか変な愛嬌と親しみやすさがあった。


「ソラトおっそーい」


 遅れてやってきた空斗に気がついたカリンは口を尖らす。


「いや、お前の歩きが速すぎるんだよ」


 まだ疲労が残っている空斗は肩で息をしながら答えた。



「そんな悪いこと言うのはこの足かな?うりうりっ」


 カリンはそんなことを言いながら空斗の脚を蹴る。


「ぬおおおお!!そこはっ、筋肉痛が!!ていうか脚関係ねぇ!?」


 脚が蹴られるたびに耐え難い激痛が走った。


 空斗は悶絶し、つい両手を離して地面に倒れたくなるが、食材を落とすわけにもいかず、必死に立っている。


 カリンはそんな無抵抗な空斗に容赦なく蹴りをプレゼントし続ける。


 うりうり、げしげし、ぬおおおお。


 そんな地獄の連鎖が続いた。


「──悪い、俺が悪かったってば」


 息を切らして白旗をあげる。


 空斗は決して苛められると悦ぶ体質ではないから、早々に降参をしてしまう。


 しかし空斗の頬は怒りでひきつっている。


 理不尽な暴力に屈した自分が少し嫌いになりそうな空斗だった。


「わかればいいんだよ、わかれば」

 

 ふんぞり返って偉そうに言うカリン。


 少年の堪忍袋は限界に近づいていた。


「そうそうおっちゃん、この人が空斗」

 

「ほぉう、こいつが嬢ちゃんのアレかい?彼氏かい?」


 店主がニマニマしながら小指をたて、空斗を見た。


 うげ、と空斗は身構える。


 中年特有の、明け透けな好奇心は空斗は苦手だし、なにより相手が相手だ。


 こんながさつなカリンが恋人?冗談じゃない。たのむ、否定してくれよ──空斗はそんな気持ちをこめてカリンに視線をやる。


 しかし非情にもカリンはぽっと頬を染めて、


「そーなのよ。私とカレはそれはもぅ甘々でいちゃいちゃで──」


 もじもじぐねぐね。


「違うわ!!」


 全力で否定する。


──買い物に付き合ってからずっとこんな感じで、カリンに振り回されっぱなしだ。


 おかげで精神的にも肉体的にもボロボロだ。


「で、何買うんだ?」


 こんな買い物という名の苦行から一刻も早く逃れるたかった空斗は、会話を有意義な方へと誘導した。


「ん、ジャガイモ30個」


「はぁ!?」


 カリンはなんてことないように答える。

 が、これ以上荷物の重量が増えると思えばぞっとした。


「だって食堂のお姉さんに晩御飯の食材の買い出し頼まれたじゃん。寮生全部で45人だよ?これくらい要るよ」


 カリンはむっと眉を寄せる。


 まるで大人ぶってる小学生の学級委員長みたいだ、なんて本人が聞いたら怒り狂いそうなことを思った。


 学級委員長がカリンに分かるかどうかは別として。


「それは分かってるんだけどさ」


 分かってても分かりたくないというか、認めたくないというか。


「ならほら、さっさと持つ!!はいこれ半分ね」


 そんな内心を見越したのか、カリンは腰に手をあててキッと眉を寄せる。


「り、了解」


 ちっとも了解してなさそうに空斗は答えた。


 勢いと気迫に押されてしまった。








「それでねー、その時にリリーが──」


「わーそーなんだおもしろーい」


「私、昔ね──」


「まじうけるー」


「ちょっと空斗聞いてるの!?」


「ほんまそれー」 


「ていっ☆」


「いだぁ!!脚が、脚があああああああ」


 脚に激痛が走った。


 業を煮やしたカリンが空斗の脚を蹴ったのだ。 


「なにすんだよっ」


 空斗は思わず涙目になりながら、抗議する。


 今日の脚のダメージは半端ない気がする。 


 帰ったら脚を(いたわ)らないといけない、と密かに危機感を募らせる。


「ソラトが話を聞かないから悪いんでしょっ」


「だって俺疲れてるし」


「そんなこと言う悪い足は──」


「ごめんなさいごめんなさいっ」


 空斗はみっともなく恥も外聞も放りだした。

 

 もう脚へのダメージはごめんだ。


 なにか大切なモノが壊れそうな空斗だった。


「よしよし。それでよし」


 カリンはそんな空斗の心境を知ってか知らずか得意気に胸をはる。


 イラっとした。


 空斗はそんなカリンを見てさすがに一矢報わなければ、と口を開く。


 とうとう少年の堪忍袋は限界を迎えたのだ。


「お前なぁ──。っと」


 しかし最後まで言いきることは出来なかった。


 不意に衝撃が空斗を襲ったからだ。


 驚いて前を見る。


 道路に女の子が倒れていた。


 ぶつかった──空斗はすぐに悟る。

  

「すいません、大丈夫ですか?」


 咄嗟に手を差し出す。


「え、ええ。大丈夫です」


 その少女は空斗の手を掴み、立ち上がった。


「すいません、よそ見をしちゃってました」


 そういって少女は恥ずかしそうにはにかんだ。


「──っ」


 空斗はその少女の笑顔を見て愕然とした。


 蜂蜜色の美しい髪、長い睫毛、すっと通った高い鼻。


 

 鳶色の瞳には気高い意思が宿り、唇は少女の優美さを象徴していた。


 しかし、細い首には似合わない無骨な黒い首輪──奴隷の(あかし)──がつけられていた。

 

 しかし空斗が愕然としたのは、そんな少女の美しさではない。


 その照れたようなはにかみが『彼女』に──。


「あっ」


 そんな空斗の思いをかき消すように、少女は声を上げた。


「リンゴが──」


 見ると地面にリンゴが散らばっていた。


 ぶつかった衝撃で落としたのだろう。


「はい、これ」


 空斗は申し訳なくなって一つ拾って手渡した。

 

 すると帰ってきた言葉は意外なものだった。


「いいです」


「え?」

           

「拾わなくってもいいって言ってるんですっ」


 そう言って少女は腰に手を当て、目を吊り上げる。


 しかし可愛らしくぷりぷりされても、大して迫力も説得力もなく空斗はただ困惑するだけだった。


「い、いや、だって俺とぶつかったから──」


「これを運ぶのは、私に与えられた仕事です。だからリンゴ運ぶのも、落としたリンゴも拾うのも、私が独りですることです」


 むちゃくちゃだ──空斗は全身が脱力するのを感じた。


 どうやらこいつはかなり頭が固いようだ──そんなことを思ってる内に、少女は全て拾い終わったようだ。


「じゃあ、私はこれで。お気持ちだけはありがたく受け取ります」


「あ、ああ。気を付けて」


 少女は気にしたふうもなくすたすたと去った。


「なんだったあいつ」


 空斗は終始豆鉄砲を食らったように呆気にとられたままだった。


「なんなのあいつっ。空斗がせっかく拾ってあげたのにっ」


 カリンはそんな空斗とは対称的にぷりぷりと憤っていた。


 そんな二人の頭上の空は、一面に塗りたくられたような茜色に染まっていた。



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