表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

「望は生クリームよりチョコレート派だよな」

 慎一郎がそう言ってケーキの箱を開ける。

「わぁ、でっかい」

「ほら、ろうそくももらってきたぞ。九本」

 テーブルに身を乗り出す望の前で、慎一郎がケーキにろうそくを立てる。

 そういえば、いつからこんなふうに三人で、望の誕生日を祝うようになったのだろう。

「香世子、火ちょうだい」

「うん」

 灰皿の横からライターを取って、慎一郎に渡す。慎一郎は煙草を吸わない。煙草なしでは何も書けない私とは大違いだ。

「誕生日の歌、歌おうか?」

「いいよ、そんなの。子供じゃないんだから」

「何言ってんだ。子供だよ、お前は」

 慎一郎がそう言って笑う。望もろうそくの炎で頬を染めながら、照れくさそうに笑っている。私はぼんやりと、そんなふたりの笑顔を見つめていた。


「望、これ」

 デリバリーのピザを食べたあと、ケーキをほおばる望に、私は封筒を差し出した。

「何かプレゼントとか考えたんだけど、思いつかないから……現金にした」

 望はフォークを手にしたまま、私の差し出す封筒を見ている。

「はは、現金ねぇ……香世子らしいけど、作家としては夢がなさすぎじゃない?」

「慎一郎は黙ってて」

 私はそう言って、望の手にお金の入った封筒を握らせた。そして見慣れた望の顔を、あらためてじっと見つめる。

 はっきりした二重の目。少し厚めの唇。望は最近、別れた男によく似てきた。

「望。あんた前に、『僕のお父さんはどこにいるの?』って聞いてきたよね?」

 そんな望に、私は語りかける。

「『お父さんは大阪にいる』って答えたら、『行ってみたい』ってあんた言ったね。だからこのお金で大阪に行ってもいいし、行きたくなかったら貯金しておいて、あとで何かに使えばいい」

 望は何も言わず、ただ封筒を見下ろしている。

 望が最近、自分の父親に興味を持ち始めたのはわかっていた。だけどそれは自然なこと。私にだって、同じような経験があるから。


「僕、お父さんには会わなくていいよ」

 やがて望がポツリと言った。

「別にお父さんに会いたいわけじゃないんだ。ただどこかに旅してみたいと思って……」

「旅?」

 私が聞き返す。

「うん。毎日毎日、家と学校往復してるだけじゃつまらなくて……どこか知らない所に、ひとりで行ってみたいな……なんて」

「いいんじゃない? あんたもう九歳なんだし。夏休みになったら、一人旅でもしてみれば?」

 すると今まで黙っていた慎一郎が口を開いた。


「望。お前、学校つまらないのか?」

 慎一郎の言葉に、望はぎこちなく顔をそむけた。私はゆっくりと、望から慎一郎へと視線を移す。

「一人旅するのは別に反対しないけど、嫌なことから逃げ出すだけじゃダメなんだぞ?」

「逃げ出すって……別に家出しようとか言ってるわけじゃないのに……」

 口をはさんだ私を無視して、慎一郎が続ける。

「望。お前学校で、いじめられたりしてるんじゃないのか?」

 望は黙ってうつむいた。そしてしばらくの沈黙の後、消えそうな声でつぶやいた。

「別に平気だよ……僕、何も悪いことしてないし……」

 そう言って望が立ち上がる。

「ちょっと待って。望!」

 呼び止める私から逃げるように、望はリビングから出て行った。私はため息をひとつついて、慎一郎のことを見る。


「どういうこと?」

「そういうこと」

 慎一郎が答える。

「さっきテーブルの上にあったあいつの教科書……お前見たことないの?」

「ないけど」

「落書きだらけじゃん。あれ絶対、クラスのガキ共にやられたんだよ」

 慎一郎はそう言って缶ビールを開けた。

「あの子がいじめられてるっていうの?」

「そう。お前母親だったら、そのくらい気づいてやれよな?」

 私は黙って、望の座っていた席を見る。食べかけのチョコレートケーキが、寂しげに皿の上に残ったままだ。

「でもあの子は平気だって言った。大丈夫よ。あの子なら」

 私の言葉に慎一郎が反論した。

「大丈夫なわけないだろ? あいつはお前に心配かけさせないように、そう言ってるだけだよ。望はもう九歳じゃなくて、まだ九歳なんだぞ?」

「なによ、偉そうなこと言わないで! あの子の父親でもないくせに」

 思わず私は言ってしまった。慎一郎に一番言いたくない言葉を、私はつい言ってしまった。

 慎一郎はすっと私から目をそらす。

 小さなテーブルを挟んだだけの私たちの距離が、なんだかとても遠く感じる。


「お母さん……」

 つぶやくような望の声。リビングを出て行った望が、いつの間にか戻ってきていた。

「これ、預かってて」

 望はゆっくりと私に近寄り、さっき渡した封筒を差し出す。

「僕、慎一郎の言うとおり、逃げようとしてた。でもやっぱりそれはやめるよ。だって僕、何も悪いことしてないんだもん」

 私は黙って封筒を受け取る。

「そのお金は、僕自身に決着がついたら使うよ。それまでお母さんが預かってて」

 望はいつもの大人びた顔でそう言うと、慎一郎を見てにっこり笑った。慎一郎は立ち上がって、望の体を高く抱き上げる。

「望ぃ。お前、重くなったなぁ? 片手で抱っこできるほど、ちっちゃかったくせに」

「だってもう九歳だよ? 赤ちゃんじゃないよ」

 望の言葉に、慎一郎がおかしそうに笑い出す。私はそんなふたりを見ながらふと考える。

 望に父親は必要だろうか……望は父親を必要としているのだろうか……。

「ねぇ、慎一郎。一緒にお風呂入ろうよ」

「ああ、いいよ」

「ついでに泊まっていっちゃえば? ねえ、お母さん?」

 望が私を見て笑う。私は何も言わずに、ほんの少しだけ微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ