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「超ラッキー。いいタイミングで運転手見つけちゃったね」

「お前ら、ありえない。俺は昨日、日本に帰ってきたばかりなんだぞ」

 慎一郎がハンドルを握りながら不満げに言う。その隣の助手席では、望がニコニコしながら慎一郎を見上げている。

 こんなに嬉しそうな望の顔を見るのは久しぶりだ……私はなんとも言いようのない、幸せな気持ちに包まれていた。


 私たちを乗せた車は高速を走り抜け、あっという間に目的地に着いた。望が「海を見たい」と言ったので、とりあえず近場の伊豆を目指したのだ。

「もちろん慎一郎も泊まっていくでしょ?」

「僕と一緒に露天風呂入ろうよ」

 海沿いの駐車場で車から降りた望が、慎一郎の腕に絡みつく。

「バカ言うなよ。俺は忙しいんだ」

「え? 帰っちゃうの?」

「お前ら俺のことを、ニートかなんかと勘違いしてるな? 俺にだって仕事はあるんだよ。のん気にお前らと、温泉つかってるヒマはないの!」

 慎一郎の言葉に、望が黙ってうつむいた。私も当然、慎一郎は私たちと一緒に行動するものだと思っていたから、その言葉は少なからずショックだった。

 だけど次の瞬間、一番ショックを受けたのは慎一郎だったかもしれない。

 望が彼の目の前で、声をしゃくりあげて泣き出したからだ。


「望……」

 私は望に駆け寄りそっと背中をなでる。

 この子がこんなに悲しそうに泣いたのは、初めてのような気がする。どんなに嫌なことがあったって、決して涙を見せなかったこの子が……。

「慎一郎……本当に……行っちゃうの?」

 望が声を詰まらせながら、やっとの思いでつぶやく。

「ああ……」

「また僕たちに会いに……来てくれるよね?」

「もちろんだよ」

 慎一郎は望の前にしゃがみこみ、そっと頭をなでると、黙って私の顔を見上げた。

 私はその時、どんな表情をしていただろう。望と同じように、慎一郎にすがりつくような目をしていただろうか……いやたぶん違う。

 私はいつもみたいに気の強い目つきで、慎一郎のことを見つめていたんだと思う。

 やがて泣きじゃくる望を残して、慎一郎は車に乗り込んだ。そしてエンジンをかけバックすると、呆然と立ち尽くす私たちの前から去っていく。


 静まり返った駐車場に、波の音が聞こえてきた。私は、ランドセルを背負っていた頃の自分を、ふと思い出す。

 あの頃の私もこうだった。強がってばかりで、素直になれなくて、慎一郎からわざと顔をそむけた。

 本当は――本当は一番大切な人だって、わかっていたのに。

 そして今、慎一郎は望にとっても、必要不可欠な存在なのかもしれない。


「男風呂どうだった?」

「すっごく広くて、海がよく見えたよ」

 お風呂あがりの望が頬をリンゴ色に染めながら、私に笑いかける。私は望のはだけた浴衣を直してやると、手をつないで宿の廊下を歩いた。

「ねえ、のどかわいちゃった。ジュース買っていい?」

 望が販売機の前で立ち止まる。

「いいよ。私はビール」

「いいな、大人はビールが飲めて」

「飲みたいの?」

 私がお金を入れながら望の顔を覗き込む。望は少し考えて「ううん、やっぱりジュースがいい」と笑った。

 私たちは部屋に戻り、窓辺で海を眺めながら、オレンジジュースとビールで乾杯した。

 開け放した窓から潮風が吹き込み、風呂あがりのほてった体をほどよく冷ましてゆく。

「お母さんとここに来て、よかったな……」

 望が私の前で、ポツリとつぶやいた。

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