赤紫の華
「色シリーズ」十一日目「赤紫の華」を加筆・修正した短編版です。
霧深い山々に囲まれた、天然の要塞を持つ天月村。
この村には開村時から行われている謎の掟があった。
「7年に一度、赤紫の花を璃劫様に備えなければならない」
この村の初代村長:山中善哉は、戦の難を逃れようとした農民や、逃散した荘園労働者、戦乱の世に飽いて出家したものや敗走した野武士などを連れて山奥のこの地に降り立った際に、この土地の守護神であり、万物の祖として崇め奉られる璃劫と呼ばれる存在に「赤紫の花」を供えると約束した。
その見返りとして、璃劫は村に繁栄と安全を齎す。
この話自体は村人ならば誰もが知っており、実際7年に一度「赤紫祭」が行われている。
しかし、何が「赤紫の花」なのか、璃劫とは何者なのか、それを知っているのは先祖代々村長を輩出している山中家の当主と、村の祭祀全般を司る守裡家の巫女だけだった。
厘燕八年の凍月、村の会合で来年「赤紫祭」が行われることが決定した。
村人たちは祭りの準備を分担し、来年の春、つまりは厘燕九年の桜月に向けて各方面での準備を始めた。
そんな中、山中家の現在の当主、山中良哉と、守裡家の主巫女、守裡無刀が秘密裏に対談していた。
「・・・して、今回の「赤紫の花」は、誰に決まったんだね?無刀」
山中良哉が、右手に羅板(呪具の一種)、左手に晶杖(呪具の一種)を持つ若い女性、守裡無刀に話しかける。
「・・・言わずともぬしには分かっておろうに。・・・ぬしの三女、璃子じゃ」
そんな様子の良哉に、ため息を吐きながら返す無刀。
良哉微かに痛みを堪えるような表情になりはしたが、それもすぐに消え、
「・・・分かった。璃子に伝えてくるよ」
そう言って座を去ろうとした。
「・・・ちょっと待て。私がそれしきのことで呼び出すとでも?」
無刀の言葉に振り向く。
「・・・てっきり祭と「赤紫の花」のことだけだと思っていたのだが」
そして良哉は再び座に胡坐をかく。
「それくらいならば書状で送るはずじゃ」
無刀の言葉に、それもそうか、と思い直す良哉。
「・・・無槍が帰ってくるらしい」
「!!」
その言葉に、良哉は驚きを隠せない。
「・・・7年前に儂が追放処分を下した筈だが」
ぽつりと呟く良哉に、羅板を晶杖で叩きながら無刀が言った。
「・・・来年の桃月にここに帰ってくると卜に出た」
その言葉に焦りの色を隠せない良哉。
「・・・桃月って・・・桜月の前の月ではないか!!」
なまじ無刀の卜が当たると知っている良哉なだけあって、焦りは本格的なものとなっていた。
無刀は無槍の姉で、年齢こそ若いものの、その実力はどの年配の巫女にも劣らず、他村の戦乱から嵐や台風がいつ来るか、飢饉の前触れなどまでを尽く予想し、村人からも山中家からも全幅の信頼を寄せられているのである。
彼女がそう言ったのだ、無槍が帰ってくるのは間違いない。
そんな考えに至り、良哉は口を開いた。
「・・・妨害する手立ては、無いのか」
無槍の実の姉に向かって言う言葉ではなかったが、良哉には四の五の言っていられる余裕はなかった。
7年前、前の「赤紫祭」において、「赤紫の花」に選ばれたのは、守裡家の末女、守裡無矢だった。
「赤紫祭」では、「赤紫の花」として、山中家の末女と守裡家の十歳を過ぎた末女が交互に選ばれる。
そのため、山中家も守裡家もたくさんの子を為し、また親類縁者も多く存在する。
選ばれた「赤紫の花」は璃劫の嫁となり、璃劫の脱皮の手伝いをさせられる。
・・・・・・その過程で「赤紫の花」は死ぬことになるが。
7年前、無槍は自分の妹:無矢が見殺しにされるのを是としなかった。
無槍の姉に勝るとも劣らない呪力と、祭に妨害が入ることを恐れた良哉は、彼を天月村から永久追放することを決定した。
「・・・帰郷を妨害する手立てはないが、葬り去る手はあるぞ」
ゆるりと笑む無刀の姿に、相談を持ちかけた良哉が怯む。
「・・・「赤紫祭」で、無槍を「赤紫の花」に同行させるのじゃ」
璃劫は天月村の北、月影山に住んでいる。
「赤紫祭」の最後に、「赤紫の花」は月影山に一人で登る。
それで祭は終了、ということになるのである。
「・・・・・・璃劫様は男を嫌っておるからのう。きっと無槍は八つ裂きにされるはずじゃ」
実の姉であるにもかかわらず、えげつないことを考え抜く無刀に、身震いした良哉ではあったが、その案を実行することにした。
* * * * * *
厘燕九年、桃月。
無刀の卜通り、無槍は帰ってきた。
7年前追放処分を下した時は14歳で、背も低く声も変わる途中だったが、7年経った今、無槍は長身の美丈夫として村に帰ってきた。7年も経てば人は変わるのである。
尤も、人を食ったような性格と、人を超越した何者かのような雰囲気はまったく変わっていなかったが。
「・・・私を追放処分したのではありませんでしたか?村長」
帰ってくるなり、いきなり山中邸を訪れた無槍に、山中家の者全員が驚いていたが、山中良哉は驚くことなく彼を出迎えた。
「会合で帰郷を認めるか否かを発議した結果、賛成が多数を占めたのだ。・・・まあ、守裡無刀の推薦もあったことだしな」
何でもないように振る舞う良哉を、無槍は何か裏があるのだろうと思い、見ていた。
「・・・まあ、祭が終わればまた村を出ていきますがね」
* * * * * *
「・・・というわけで、来月の祭で無槍、「赤紫の花」に同伴して月影山に登ってくれ」
実の姉:無刀の話を熱心に聞いていた無槍が、口を開く。
「・・・前の祭では、そんなことは無かったはずですが・・・」
「・・・山中良哉の頼みでな」
無刀は普段話すときは年配の巫師のようになってはいるが、今は実弟の無槍と二人だけだったので、年相応の話し方に変わっていた。
「分かっているとは思うが、「赤紫の花」は山中家の末女である璃子だ」
璃子は、今年19になる美しい女性で、7年前まではよく無槍や無刀、無矢と一緒に遊んでいた良い友人であった。
璃子には年の近い兄弟姉妹が居らず、また村人からも山中家のお嬢様と言うことで敬遠されがちであったため、年の近い無槍や無刀、無矢が数少ない友人であった。
「・・・姉さん」
無槍の呼びかけに、うん、と頷く無刀。
「・・・・・・璃子は絶対、俺が救います」
「・・・もう無矢のような思いをする人間を増やさないためにも、ね」
これを持っていきな、と無刀は一振りの刀を無槍に渡した。
「・・・私が特別の呪力を込めた魔武具の逸品だ。きっと璃劫の肚に届くはず」
青い刀身の美しい刀を受け取った無槍は、深々と頭を下げた。
「・・・ありがとうございます」
「礼は「赤紫祭」後に聞くよ」
* * * * * *
「赤紫祭」当日。
村人の家の戸口には赤紫色の花弁を模した色紙が貼られ、村の中心にある広場には美しく着飾った年頃の娘たちが踊りを披露していた。
村長の決定で7年前に追放された無槍は、最初は村人から避けられがちではあったものの、村長から祭の締めを任されているということと、姉である無刀の口添えもあって、少なくとも挨拶や世間話程度は出来るようになっていた。
何より、村の外の様子を知っているということから、少なからず興味を持たれていたようだ。
昼間、「赤紫祭」では村人の踊りや歌、演奏などが璃劫に奉納され、日没とともに、赤紫色の花弁が村の畦道全てに敷き詰められる。
真夜中になると、篝火が焚かれ、「赤紫の花」である璃子が、無槍と共に月影山に登って行った。
「・・・これで、良かったのだろうな」
良哉が隣に立って二人を見送る無刀にぼそりと呟く。
「ああ、勿論じゃ」
* * * * * *
月影山は、真夜中ということもあって、幽玄を通り越して不気味であった。
山路ということもあって歩きにくいが、無槍は難なく璃子の手を取って歩いていく。
二人の目的地は山の中腹にある洞窟の中の祠であった。
本来ならば、「赤紫の花」が一人で祈りの言葉を唱えていると、いつの間にか璃劫が出てくる。
しかし、今回は勝手が違う。
一時間以上かけて中腹まで登り、洞窟の中に入ると、手順通り璃子は祈りの言葉を唱え始めた。
その間、無槍は一言二言呟き、何かの結界を張っていた。
暫くすると、何かが地を這いずる様な音が洞窟内に響き、璃子の前にその何者かが姿を現した。
「・・・璃劫様?」
璃子の声に呼応するようにして、重低音が響く。
「・・・如何にも。して、其方の名は何と言う?」
「私は――――――――――」
璃子が言いかけた途端、
「私は、貴方を滅ぼしに来ました」
無槍の声が洞窟内に響く。
途端、祠に満ちるのは人ならざる者の持つ殺気。
「・・・そうか。守裡家の者が裏切ったのだな」
璃劫が怒気を孕み、毒牙を剥き出しにして無槍に襲い掛かる。
無槍は璃子を結界の中に避難させると、姉の無刀から預かった刀を手に取り、一息に璃劫の腸を斬り裂いた。
「――――――――――!!」
璃子の声にならない悲鳴が響く。
それと同時に璃劫の絶命の叫びが聞こえる。
そんなものにはお構いなく、無槍は璃劫の肚の中に手を入れると、赤紫色の玉を取り出した。
* * * * * *
その頃、天月村では。
月影山の方角が急に光り輝きだしたことに、良哉が驚いていた。
「!!・・・無刀、あれは成功したのか、それとも失敗したのか!!」
焦りと心配で慌てている良哉。
無刀はそれには答えずに、静かに良哉を刀で刺した。
「!!な、なぜ・・・・・・」
刀で刺されたことによる驚きと痛みで顔を歪める良哉。
「・・・もう、こんな因習を終わらせたくなったのじゃ」
無槍と無矢のためにも、な
そう呟くと、無刀は刀の血振りをして、山中家に入って行った。
* * * * * *
夜が明けると、月影山から璃子と無槍の二人が帰ってきた。
「・・・姉さん、「赤紫の華」、取ってきました」
「・・・ご苦労であった」
無槍が璃劫の肚から取ってきた赤紫色の宝玉を無刀に渡す。
「これで、村の繁栄は約束されるだろうし、もう因習に悩まされることは無い。・・・あとは、日取りを選んで璃劫を鎮めるための祠を作れば問題ないな」
「そうですね」
守裡姉弟が二人して頷く中、璃子がおずおずと切りだす。
「あの・・・助けていただいて、ありがとうございました」
華奢な手足を折りたたみ、可愛らしくお辞儀をする璃子に、
「ふふ・・・私は当然のことをしたまでよ。・・・今までできなかった分の罪滅ぼしも含めて、な」
まあ、それで許されるわけではないが。
そう言って皮肉めいた笑みを浮かべる無刀。
「俺も、君を助けたかっただけだから、気にしなくていいよ」
無槍はそう言って微笑んだ。
厘燕十年、天月村は外界との接触を持つようになったと歴史書には記されている。
赤紫の花=生贄
赤紫の華=璃劫が持っていた宝玉。