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王都警備隊・3  作者: 風羽洸海
溺れた靴職人
8/43

(1) 水辺の事故

リーファ19歳、盛夏の話。

やや残酷な内容がちょくちょく出てきます。描写は抑えていますが、苦手な方はご注意ください。



 「人は誰しも、望んだ通りの人間になるものだ」 と言う。


 ならば ただの言い訳だろうか


 「望んでこうなったわけじゃない」 と叫ぶのは――




     1


 王都シエナの東岸を抱くように流れるシャーディン河は、市民の生活に欠かせない存在だ。街に供給する水を上流から引き込んでいるほかにも、様々な物資が河を通じて運び込まれる。

 行き交う商船から離れて魚をすなどる小船もあれば、岸辺で水鳥を狩る者もいる。暑い盛りには大勢が涼を求めてやってくる――それは良いのだが、毎年必ず何件か水難事故が起こるのが問題だ。

「あーあ」

 リーファは葦の茂みに引っかかっている背中を見下ろし、げんなりとため息をついた。この蒸し暑いさなかに臭う死体を引き揚げ、じっくり検分して身元を割り出さなければならないのかと思うと、ため息も出ようというものだ。

 見つけてしまった己の目敏さを少々恨めしく思いながら、彼女は相棒を呼んだ。

「カナン、手ェ貸してくんねーかなー」

「何だ?……あぁー。ここんとこしばらく、出てなかったのになぁ。やれやれ。いくぞ、せえの……ぃよっと!」

 二番隊の先輩隊員カナン=スーザは慣れたもので、迷いもためらいもせず、死体を水から引き揚げた。草の上で仰向かせ、ふむと検分する。死んでいたのは中年の男で、あまり大柄な方ではない。衣服からして極端に貧乏でも、小金持ち以上でもないだろう。つまり、王都住民の大半と同じく、というわけだが。

「参ったな、こいつは身元の割り出しが難しいぞ。昨夜に落ちたってんじゃなさそうだが、あまり日にちは経ってないみたいだから、その点は救いだな」

「なんでそこまで判るんだい? わりかしきれいだから、大昔のもんじゃないってぐらいはオレにも見当がつくけど」

 リーファはきょとんとした。水死体を見慣れていない彼女でも、傷み具合からして新しいか古いかぐらいは判断できる。だが日数の見当まではさすがにつかない。

 訝るリーファに、カナンはひとつひとつ示しながら教えてくれた。

「目が真っ白になってるだろ。それから、腕のここんとことか、むき出しの所がこすれて皮が剥げてる。昨夜の内に溺れたんなら、ここまではならない。けど、髪の毛はほとんど無事に残ってる。引き揚げた時にもそんなに抜け落ちなかっただろ。だから、うーん……二、三日ってとこじゃないかなぁ」

「へぇー。そういうの、手引書とかあるのかい?」

 先輩の指摘箇所を観察しながらリーファが言うと、カナンは何とも言えない顔をして彼女を見下ろした。

「いいや、そんなもの無いよ。なんていうか、経験から学んだというか……おいリーファ、おまえ、よく平気だな」

 仮にも女だろう、と言いたげな口調に対し、リーファはしらっと応じる。

「平気なもんか。臭いし気持ち悪い。けど、こいつがいきなり起き上がってきたりしない限りは、別に怖かないよ」

 どだい、貧民街で育った彼女にしてみれば、死体など珍しくもなんともない。暴力沙汰で殺されたもの、飢えや病に倒れたものが、しょっちゅう目に付くところに転がっていた。冬場は凍死体もごろごろしていたものだ。まあ、水死体の不気味さは多少別格かも知れないが。

 リーファは遺体をざっと観察すると、腰を伸ばして立ち上がった。

「熟練隊員の勘、ってのも格好いいけど、そういうの、ちゃんと何かにまとめた方がいいと思うな。新入りがいちいち経験で学ぶまで待ってたら、追っつかないこともあるだろ。配置換えでよそから回ってくるってこともあるんだし。……で、これ、また広場の告知板に掲示を出すんだよな」

「ああ。担架を取って来る間、番をしていられるか?」

「大丈夫だよ」

 リーファは苦笑し、遺体運搬用の担架を取りに行くカナンを見送った。身元不明の遺体が見付かったら、ひとまず警備隊本部の地下にある氷室に安置するのだ。

 氷室はかつて尋問室を兼ねた留置所だったのだが、血腥い出来事が絶えなかったのと、軽犯罪者の増加とで新しい施設を建てた為、しばらくただの倉庫になっていた。そこを、せっかく魔術師がいるのだからと、国王が指示して保管所に改造させたのである。

「すぐに身内が見付かるといいけどなー」

 リーファは死体に話しかけ、腐臭に顔をしかめて風上へ回った。べったりまとわりつくような風だけでも不快なのに、それが臭うとなっては耐え難い。

 西方育ちの彼女にとって、湿度の高いこの国の夏はかなり堪える。川辺の木陰にいてさえ、たいして涼しくないとは、一体どこの煉獄だと言いたい。

 そんな季節でも、氷室のおかげで遺体をある程度までは保管しておけるようになった、そのことは大変な進歩だろう。だが人口の多いこの王都では、毎日のように行方不明者が出る。身元不明の遺体も、大半が簡単な記録だけを残して、名前も分からないまま埋葬されるのだ。

「氷室もいいけど、根本をなんとかしたいよなぁ」

 やれやれ。リーファは空を仰いだ。焼けつく陽射しの下、手で掴めそうなほど重く濡れた空気をかき分けて歩き回り、迷子や行き倒れの身内を捜すのも、警備隊員の仕事なのだ。その件数が減るだけでも、随分楽になるだろうに。

 広場の告知板に尋ね人や遺体情報の掲示を出すだけでなく、もっと効果的な方法はないものか。

 暑さに茹だった頭でとりとめもなく考えを巡らせている内に、カナンが戻ってきた。応援にもう一人連れてきてくれたのがありがたい。三人がかりで男の遺体を担架に載せ、えっちらおっちら本部まで運んで行った。


 中央広場に面したレンガ造りの警備隊本部には、隊長が常駐している。

(分かっちゃいるけどやっぱりこの面は見たくなかった……)

 赤ら顔と金髪の熊男、ディナル隊長は、リーファの上司にして義理の叔父でもある。彼女としては続柄に「天敵」という枠があってもいいんじゃないか、などと思い始めているのだが、まあ、そんな相手であるから当然、場の空気も和やかとはいかない。

 氷室に運び込まれた遺体を前に、カナンが特徴を口述し、リーファをそれを書き取る役を押し付けられる。下っ端なのでそれは仕方ないにしても、ディナルがあからさまに彼女の存在を無視しているのが、相変わらず腹立たしい。

「発見場所は」

 ディナルの質問にリーファが答えようとしたが、彼はわざわざ「カナン」と呼びかけてそれを遮る。仕方なくカナンがシャーディン川の船着場南端、等と述べ、リーファは奥歯を噛みしめてそれを記録した。せめてもと、自分で詳細を書き足しておく。

 続く質問も同様だった。

「傷は?」

「ざっと見たところ、ありませんね。所持品なし、着衣の乱れもなし。足を滑らせたか、酔っ払って落ちたか。死後三日前後と思われます」

 淡々とカナンが特徴を述べていく。リーファはそれを書き留めながら、ディナルにばれないように、改めて遺体を観察した。

(……あれ?)

 男の手を見た時、何か妙だという気がした。屈んでその正体を確かめようとしたが、

「そうだ隊長、リーファが面白い提案をしたんですが」

 カナンが予想外のことを言い出したもので、びっくりしてそちらに気を取られてしまった。何を言い出すのかと彼女が身を硬くしていると、カナンは二人の不仲を知っていながら、白々しくにこやかに続けた。

「水死体が死後どのぐらい経っているか、判別する方法を手引書みたいにまとめたらどうか、って言うんですよ。俺もいい考えだと思いますね。警備隊で作りませんか、そういうの」

(げえっっ!)

 リーファは内心悲鳴を上げて青ざめた。ディナルの反応が読めたからだ。

 案の定、隊長は一瞬で不機嫌になり、顔を赤黒くしてこちらを睨んだ。素人が知ったかぶりで余計なことを、とまず表情で罵倒する。口から出てきたのは怒声でこそなかったものの、煮えたぎる毒そのものだった。

「ほぉーぉ。それで、いちいち手引書を持ち歩いて、死体に出くわす度にそいつを一からめくって調べるのか。ぶざまな上に手間のかかることだな」

「…………」

 リーファは反論を飲み込んで耐えた。ディナルは口だけを笑いの形に歪め、さらに唸る。

「身をもって知れば済むことを、わざわざ、クソ忙しい仕事の合間に、阿呆のための覚書を作れ、だと? だ・れ・が、その仕事をするんだ、ええ? 大体、条件によって日数なんぞいくらでも前後するんだ、それを割り出すのに必死になって何になる。そんなことをしている間に、失踪届けを一枚でも調べるのが先だと思うが、どうやらお偉い先生の意見は違うようだな、んん?」

「出過ぎた提案をするつもりではありませんでした」

 リーファは相手の顔を見ず、天井の隅に視線を向けて応じた。

「ただ私は覚えが悪いので、自分用にそうした覚書があれば便利だと考えただけです。後学のため、私的な文書の形にしたいのですが、許可を頂けますか。もちろん勤務時間外に作成しますが、その場で要点を書き留めておきたいので」

「……ふん」

 ディナルは鼻を鳴らし、いまいましげにリーファと、持ち込まれたばかりの死体とを交互に睨み、聞こえよがしに舌打ちしてから答えた。

「走り書きぐらいなら良かろう。だが、仕事をそっちのけにする気配がわずかでもあれば、即刻、許可は取り消す。その上で減給処分にしてやるからな。カナン、しっかり監督しておけ。間違ってもこいつに乗せられるな」

「了解しました」

 カナンは真面目くさって敬礼し、それじゃ、とリーファを促して退散した。各班隊員の仕事はここまで。後は本部の隊員が掲示内容を作成し、届出があった不明者のリストと照合していくのだ。

 外に出ると、リーファとカナンは図らずも揃って盛大なため息をついた。顔を見合わせ、お互い辛い立場だよな、と同情のまなざしを交わす。

 少し歩いて話し声を聞かれる心配がなくなってから、カナンがうんと伸びをして言った。

「相変わらずだなぁ、隊長も。俺はおまえの考え、悪くないと思う。ほかの連中の目に留まって密告されない程度に、協力するよ。とりあえず思いつくことを書き出して、近い内に城の誰かに言付けておこう。詰所で渡して目立つのはまずいだろうからな」

「ありがとう、助かるよ」

 少なくとも一人は確かな味方がいる。この寛容な先輩には、入隊試験で出会って以来、励まされ助けられてばかりだ。リーファはありがたみを噛みしめながら、にこりと笑った。

 その日は更なる厄介事もなく、夕方に神殿の鐘が鳴らされると、リーファは夜勤の隊員に後を任せて城へ帰ることが出来た。

「ふいー、今日も暑かったなー」

 部屋に戻って私服に着替え、ほっと一息。臙脂(えんじ)色の制服は、夏用の布地とは言え、ぐっしょり汗を吸っている。彼女は洗濯物の籠にそれを放り込んで、ふと、他の隊員はどうしているのかなと考えた。自分は私費を払わずとも城の洗濯女中に頼めるが、同居家族のいない隊員は洗濯屋に出すのだろうか。節約のために自分で洗うとか?

 あまり突き詰めて考えると、ただでさえむさくるしい詰所が深刻に臭くなりそうだったので、リーファは頭を振ってその一件をどこぞに放り出した。

 夕食までに時間があったので、リーファは先に用事を片付けようと、国王の執務室へ向かった。急ぎ足、というよりは単に軽やかな足取りで、廊下を進み、絨毯の敷かれた階段を登る。この辺りは使用人の住む北側と違って、設計自体が広々している上に内装も洒落ていて居心地が良い。だがもちろん、彼女が自然と笑顔になるのはそれだけが理由ではなかった。

「よっ、お仕事中?」

 開け放たれた執務室の扉を軽く叩き、室内の二人に声をかける。黒髪の国王と金髪の秘書官が揃って振り向き、それぞれなりの笑顔を見せた。

「お帰り。こっちもそろそろ終わるところだよ」

 ロトが穏やかにうなずいたので、リーファはそれを許可のしるしと見て、とことこ執務机に近付いた。シンハは広げていた書類をひとまとめに束ね、隅になにやら書き込んでからロトに渡すと、盛大に伸びをした。

「やれやれ、やっと一区切りだな。おまえの方はどうだった?」

 くき、と首を鳴らして、夏草色の目をリーファに向ける。リーファはちょっと肩を竦めた。

「特にこれといって事件はなかったよ。身元不明の水死体だけ。夏場は多いから困るよなぁ」

「ああ……しかし、立ち入り禁止にも出来んからな。人目のある昼間ならともかく、夜間に落ちられたらお手上げだ」

 俺も涼みに行きたい、とシンハがぼやく。ロトは胡散臭げに彼を睨んでから、真面目に答えた。

「見回りにも限界がありますからね。あとは魔法頼みかもしれません」

「そうだな。今度セレムの奴に何か考えさせよう」

 シンハは魔法学院長の名前を出して、いとも簡単なことのように言う。リーファは、難題を押し付けられる銀髪の端正な学院長を思い浮かべて、にやにやした。ここに来るのが好きなのは、こうした問題解決の速さのためもある。一人であーうー唸っているだけの事でも、ここに持ち込めば何らかの形で進展するのだ。決して、そんなことが何になる、だの、時間の無駄だ、だのと言われはしない。

 そう考えたところで本部の熊オヤジが頭に浮かび、リーファはげんなりする。変化に気付いた二人が怪訝な顔をした。

「何かあったのかい」

「いや、ちょっと昼間のことを思い出しただけ。毎度お馴染み、隊長の厭味攻撃をくらってたんだよ。その関係なんだけどさ、ロト、余分の紙があったら貰えないかな」

「紙? 羊皮紙かい」

 きょとんとしたロトに、リーファはいきさつを説明した。走り書き用の屑紙なら自分でも調達できるが、きちんとまとめて本の形にしようと思ったら、丈夫で品質の良い羊皮紙が要る。それは流石に、リーファの給料でほいほい買えるものではない。

 話を聞いたシンハが興味津々に笑みを浮かべた。

「面白いことを考えたな。警備隊にも、そういった資料をまとめて管理する部署を作ったら、捜査が効率良く進むかも知れん。まあもっとも、今のところディナルがその価値を認めるとしたら、おまえを実務から外して閉じ込めておけるという点だけだろうがな」

「勘弁してくれよ」

 リーファが頭痛を堪えるようにうめくと、ロトがぽんと肩を叩いて慰めた。

「大丈夫、きっとすぐにディナル隊長もほかの隊員も、君の発案の価値に気付くよ。資料作成用の紙は僕が手配しておこう。完成したら写しを作って図書館にも収めておきたいからね」

「王立図書館の新しい蔵書にするため、か」シンハもうなずいた。「それがいいだろうな。俺から警備隊に資料室を作れと命じるよりは、実用性を納得させた上で自発的に動くよう仕向けた方が、後々問題が起こらずに済むだろう」

 支援する予算も今はないしな、とせちがらい一言を付け足して肩を竦める。リーファは思わず要らぬ一言をぽろりとこぼした。

「結構ビンボーなんだな、おまえ」

 ロトが失笑し、シンハが渋面で睨む。リーファは大袈裟に慌てて見せ、すたこら退散したのだった。


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