幾つになっても
『黙す人々』の後、年内の冬の話。
非番だから何か手伝うよ、とリーファが殊勝な申し出をしてきたのは、一段と厳しく冷え込んだ日のこと。なるほど少しでも暖かい部屋に居座るつもりだな、とロトは内心苦笑しつつ、書類整理の手伝いを頼んだ。
雑多な文書を分類して日付順に並べ直し、穴を開けて紐を通す。それだけの作業だが、他の重要な仕事に追われて細々したことを後回しにしていた分、結構な量が溜まっていた。
「そう言えばさ、ロト」
ぷす、と千枚通しで穴を開けながら、リーファがふと思い出した風情で、向かい合って座るロトに話しかけた。
「あんた、シンハの前……っていうか仕事中は『私』なのに、オレに話す時は『僕』って言うよな?」
「あ、うん。それが何か?」
ロトはぎくりと身を固くする。リーファは目をしばたいた。
「珍しいよな? 男だと普通『俺』だろ? セレムみたいにずっと『私』って奴もいるけど」
「……子供っぽいと、思うかい」
ロトは少し不安そうに、苦い声で問うた。慌ててリーファは首を振る。
「そうじゃねえよ! 別に、オレはいいと思うけど。お上品、いや、ええと違う、謙虚な感じがするからさ。『俺』ってやっぱり偉そうだし。オレが言うなって話だけど」
自分で突っ込みを入れ、リーファはおどけて肩を竦める。ロトがほっと笑みをこぼした。
「そう言って貰えて良かった。普段は特に意識しなくても『私』を使っているんだけどね。でも、安心するとつい……」
思わず正直なところを口にしてしまい、自分で驚いて言葉を飲み込む。赤面した彼の心情を、リーファはごく素直に解釈した。
「あはは、いいじゃんか、そのぐらい。オレ相手にまできっちりかっちりしてたら、肩凝ってしょうがねえだろ。けど、あんた、ずっと『僕』なのかい? 『俺』って言ってた時期もなしで?」
「ああ……うん。いや、少しはあったよ」
気持ちちょっぴりうなだれるロト。まあ、いつもの事だ。手を休めると、彼はふと過去をさまよう目になった。
「僕に姉がいるのは、前に言ったね。今でこそ落ち着いているけど、昔はかなりの……暴君だったんだ。その姉が、弟の僕が『俺』と言うのを嫌がったんだよ」
「弟の分際で生意気だ! って?」
リーファが笑って茶々を入れる。ロトは苦笑まじりにうなずいた。
「そう。……ただ僕も、同じ年頃の友達にからかわれていたから、それが嫌で、姉に反発してわざと『俺』を使ったんだ。その度に殴られてね。子供の頃の二、三歳の差は大きいから、ずっと僕が泣かされてたんだけど」
「ぶっっ」
思わず失笑したリーファに、ロトも一緒になって小さく笑う。だがその表情は、どこか寂しそうだった。あれ、とリーファが気付いて真顔になると、彼も笑いを消して、つぶやくように続けた。
「十二歳ぐらい……だったかな。流石にその頃には、僕と姉の差も縮まっていて、とうとう我慢できなくなった僕は、姉を殴り返したんだ。もちろんそれまでにも、取っ組み合いの喧嘩をしたことはあったけどね。でもそれはうんと小さい時の話で、その時の喧嘩は……だいぶ、性質が違った。……姉が、よろけて倒れて、ものすごく怯えた風に泣き出したんだ。びっくりしたよ」
「あー……」
情景が想像できて、リーファは曖昧な声を漏らした。ずっと年下の安全なチビ助だと思っていた弟が、自分より強くなりつつある。殴られた痛みに加えて、その事実がひどく衝撃だったのだろう。
「もしかして、お姉さん、男どもにいじめられてたんじゃないかい?」
「ご明察。後で父が僕を諭しながら、教えてくれたよ。あの年頃だからね、女の子に向き合う態度が作れずに、いじめる事しか出来ないのが大勢いたわけで……姉はそういう連中のせいで、僕らが想像もしないほど深く傷ついていたらしい。おまえはそういう馬鹿と同じにはなるな、と戒められたんだ。何より僕自身、姉の態度がかなり堪えていたから、それ以降はずっと『僕』で通して……、リー? なんだい、その顔」
気付くとリーファは両手で頬杖をつき、笑いを堪える顔つきでこちらをじっと見ている。それも、単に愉快というのでなく、なんと言うか……面白がるような、それでいてどこか甘ったるいような、不可解な笑いを。
ロトは流石に気味悪くなってたじろいだ。と、リーファがにんまり目尻を下げて一言。
「いやぁ……かぁわいいなぁ~、と思って」
「はあッ!?」
予想外の感想をぶつけられ、ロトは頓狂な声を上げる。次いで、瞬く間に耳まで真っ赤になった。
「か、かわっ……、って、君は、何を」
「いいよなー、ロトの姉さん、こーんな可愛い弟がいてさー。羨ましいぃ~」
「リー! からかわないでくれ!」
「えー。からかってねえよー、真面目、真面目」
「だったらなお悪い!! 僕は君より五つ年上で、男で、上級近衛兵なんだぞ!? 君に、か、かわっ……可愛がられる立場じゃない!!」
「堅いこと言うなよ。別に、馬鹿にしてるわけじゃねえんだから。男でも可愛げって大事だぜ? どっかの王様みたく、ひねくれて可愛げの欠片もないよりは、よっぽどいいよ」
「大きなお世話だ」
突然割り込んだ声に、二人はびっくりして戸口を振り返る。話に夢中で全く気付いていなかったが、いつの間にか、黒髪の国王陛下が開けっ放しの扉に軽くもたれ、呆れ顔をしていた。
「何を熱心に議論しているのかと思えば、まったく……。遊んでいるのなら、大事な秘書官を返してくれ」
「遊んでねえし、独り占めもしてねえよ」
心外な、とリーファは抗議の声を上げ、ほら仕事してるだろ、とばかり書類を振って見せる。だがシンハは眉を上げただけで、すげなくそれを却下した。ロトは助かったようながっかりしたような、複雑な気分で立ち上がる。
「分かりました、陛下の執務室に参りましょう。リー、手伝ってくれてありがとう。あとはまた時間を見つけて僕がやるから、そのまま置いといてくれるかい」
「え、もういいのか?……そっか。じゃあ仕方ないや、厨房にでも行ってあったけえ場所探してくる」
リーファは名残惜しげにしつつも、すぐに次の狙いを定めて動き出した。持っていた書類を片付け、じゃっ、と手を上げてそそくさと急ぎ足に出て行く。それを見送ったロトは、がくりと頭を垂れた。
なんだ、やっぱり本当に暖を取りに来ただけか……。
思わずため息がこぼれた。と、落ちたままの頭に、ぽんと手が載せられる。久しぶりに、それはもう数年ぶりに、くしゃりと頭を撫でられて。
「……陛下まで、可愛いだとか言い出さないで下さいよ……」
余計に沈んだロトの声に、シンハは咳払いで返事をごまかしたのだった。
(終)
以上でリーファが20歳の年の話はおしまいです。
お付き合い下さり、ありがとうございました。
21歳の話には長編があり人物模様も大きく変化するので、4期に分けます。
楽しく読まれたなら一言なりともご感想をお聞かせ下さい。
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