言葉じゃ勝てない(前)
19歳時の番外『歌』とその後日談の、さらに後日談・前後2ページ。
春の盛り、『花に託して』より後の話なので、以前に比べてリーファの心境もちょっぴり複雑です。
ロト君がんばるの巻。でもやっぱりシンハに邪魔されてるような。
柔らかい風が吹き、李の木から白い花びらが舞う。清々しい休日の朝に、リーファは庭でうんと伸びをした。
「あー、いい季節になったなー」
水が温み日差しが力を取り戻すと、冬の間に凍えていた心身が緩むようで、ほっとする。若葉が瑞々しく茂る今頃の季節は、レズリアが一番きれいに思えた。草も木も競って花を咲かせ、右も左も、色とりどりに華やいでいる。館の裏手という、あまり客に見せない場所であってもだ。
満足げにそれを見渡してから、ふとリーファは思い出した。
(そういや、暖かくなったら遊びに行こうってロトと約束してたっけ)
リーファの休日に合わせてロトが脱走しようか、などと笑っていたが、さて実際のところどうだろうか。遊ぶ暇などあるのだろうか。
(なくても作らせよう。あいつだって働きすぎだよな、うん)
国王付き秘書官拉致計画を密かに練りながら、リーファは軽い足取りで館に戻った。
と、予想外なことに、秘書官殿は国王の執務室ではなく自室にいた。しかも、ほとんど年がら年中、朝から晩まで制服姿であるのに、なんと私服で。そしてリーファの姿を認めるや、驚きに目を丸くしてから、これまた珍しく、うきうきした笑顔を見せたのである。
「ごめん、なんかオレ間違えた」
何をというわけではないが、色々と何かを。
回れ右したリーファを、ロトが慌てて呼び止めた。
「間違えたって、何を。じゃなくて、ちょっと待って、訊きたいことが」
「ん?」
リーファはくるりとその場で一回転して向き直る。踊るような仕草に、ロトがまたちょっと笑った。
「ええと、君が今の時間に私服だってことは、今日は非番ってことかな」
「あー、うん。オレも訊きたいんだけど、あんたが今の時間に私服だってことは、いきなりクビにされたのかい」
「まさか」ロトは目をみはり、それから苦笑した。「言いたい事は分かるけどね。陛下が今日は少し一人で考えたい事があるから、って、休みをくれたんだよ。それで……君は覚えてるかな、だいぶ前だけど、暖かくなったら……」
「遊びに行こう、って約束してたよな。うん。実はそれで、脱走のお誘いに来たんだけど、まさかあんたまで休みだとは思わなかったよ」
「僕も驚いたよ。ちょうど君に、予定を聞きに行こうと思っていたところだったから。君さえ良ければ、ちょっと街の外に出て釣りに付き合って貰えないかな」
「魚釣り? シャーディン河で?」
意外な提案にリーファは目をしばたいた。今までロトの口から、釣りが好きだとの話を聞いたこともなかったし、そもそも彼が仕事以外のことをしているところなど、想像もつかなかったのだ。
ロトはリーファの戸惑いを察して、うん、と穏やかにうなずいた。
「街のすぐ北に、小さな支流があってね。そこなら本職の漁師の邪魔をせずに、気楽に釣り糸を垂らせるんだ。街の人もあまり来ないから、秘書官の僕がぼんやりしていても、サボリだとか暇を出されたとか思われないし、城の内情についてあれこれ探りを入れられることもない。だからたまに気分転換に行くんだよ」
釣竿はただの建前だね、と補足してロトは苦笑した。どうやら獲物を釣り上げたことはないらしい。
「んー、オレはいいけど……でもロト、折角の貴重な休みなのに、ぼやっと過ごしていいのか? 街で遊んだり買い物したりとかしねーの?」
リーファはことんと首を傾げた。のんびり骨休めしたいというのも理解は出来るが、ロトは“なんにもしないでぼーっと”する事などない人間だと思っていたのだ。
案の定、ロトは肩を竦めて答えた。
「片付けたい買い物はいくつかあるし、折角の休みだから街の様子を見たいというのは、確かにあるんだけどね。陛下に言われたんだよ。休ませる為に休暇をやるんだから忙しく働くな、って。実際いつも、街に行けばあれこれ気になってしまって、結局“仕事”をしてしまう」
様々な店を回って物価の相場や流通の傾向を調べたり、生活に不便・不都合なことがないか観察したり、城まで上がってこない噂話の中に重要なことが隠れていないか聞き耳を立てたり。
「僕としては、それはそれで有意義な休日だと思うんだけどね。陛下は不満らしい。ただ、釣りなんかじゃ君が退屈だって言うなら、もうひとつ候補はあるんだ」
言って彼は一通の封書をひらりと取り出した。
「王立劇場の特等席。今の公演期間中、いつでも好きな時に使える特別の招待状なんだけど……、だろうね」
リーファがもげそうなほど激しく首を振ったので、ロトは苦笑した。王立劇場と言っても貴族ばかりが見に来るわけではなく、庶民が無料同然で見られる席もあって、必ずしも格式ばった場ではない。だが特等席での観劇となれば、相応の服装と作法が求められる。リーファにしてみれば、なんだって好き好んで非番に苦行をせねばならんのか、というところだ。
「釣りに行こう、釣りに。オレ、魚釣りやったことねーし」
「僕もまともに釣りの経験があるわけじゃないけどね」
笑いながらロトは、壁際に用意してあった簡単な道具一式を取ったのだった。
そんなわけでしばしの後、二人は街のすぐ北を流れる小川の岸辺に腰を下ろしていた。
「あんたが魚釣りってのも意外だけど、劇場ってのも予想しなかったなぁ」
竿の組み立てを見物しながらリーファが言うと、ロトはおどけた表情を見せた。
「僕が仕事以外の何をしていても驚かれそうだね。まあもっとも、劇場は趣味ってわけじゃないけど。あれは国王陛下かその代理人が、いつでも抜き打ち視察に来ていいですよ、っていうしるしなんだ。昔は舞台の内容についても、時の王や有力貴族に害となる内容が含まれていないか、厳しく規制されたこともあったから」
「ああ、なるほど」
リーファは納得してから、ふと不思議そうになって問うた。
「仕事以外の何をしてても、って言ったけど、あんただって最初から秘書官だったわけじゃないんだろ? 国王陛下の秘書官ってったら、結構なんつーか……もっと歳くった役人がなるもんじゃないかと思うんだけど。場合によっちゃ国王の代理人にもなるわけだし。シンハが王様になる前は、何やってたんだ?」
「うーん」
ロトは小首を傾げ、慣れた手つきで竿を振って、ぽちゃんと針を水に入れた。
「兵士だった、ってことになるのかな」
「……? そう言えば以前、司法学院を卒業見込みで軍に入った、とかなんとか聞いたっけ」
「うん。恥ずかしながら、僕は学院では問題児でね。不品行だったわけじゃないよ。ただ、教授を強引に論破したり、同期の学生をとことんやりこめたりするのを、楽しんでいたんだ。それで卒業後の就職先が決まらなくてね」
ロトは赤面ものの過去を白状し、苦笑した。学院の卒業生の就職率は極めて高いが、それも教授陣の斡旋によるところが大きい。誰もどこへも推薦してくれなければ、いかに学院卒であっても、なかなか困難である。とりわけ王都では。
「だから、ちょうどその頃に隣国との戦が始まって、国王軍の徴募が行われると、渡りに船と飛びついたんだ」
「へえー。なんか、意外とやんちゃだったんだなぁ」
「やんちゃと言うか、まあその、僕にも十代の時期はあったんだよ」
「あはは……で、そこでシンハに会ったわけだ」
「そういうこと」
レズリアは農業国である。
つまり国民の一番大切な仕事は農業であって、一般的には兵士として食べていけるものではない。王都と旧都で王族の警護を担う近衛隊と、直轄領の管理治安を担うわずかな国王軍を除けば、あとは各領主の私兵がいるだけだ。その私兵も、平時は剣より鍬を持っていることのほうが多い。
そんなわけで、隣国の侵略を受けて当時の国王が真っ先にしたのは、各地の領主とその兵を召集することであり、同時に、お膝元である王都でも国王軍の増強のため、志願・強制両方で兵を集めたのだ。
ロトが好都合と志願したのは、そうした臨時雇いの兵士で構成される軍だった。
「もちろん、隊長とか中隊長とか肩書きのある指揮官は、近衛隊か、従軍経験のある志願者が任命された。僕も最初は一兵卒として基礎訓練に放り込まれたんだけど、そこでも良くない癖を出してね」
「上官をやりこめたんだ?」
「やりこめる前に、脅迫か暴力で黙らされたよ。それでも懲りずに屁理屈をこねたり、理不尽な上官の痛いところを突いたりしてね。で、訓練の後で配属されたのが、そういう問題児ばかり寄せ集めた小隊で……その隊長が、シンハ様だったんだ」
ぶっ、とリーファはふきだし、遠慮なく笑った。
「さもありなん、だ。うわー、目に浮かぶ」
「どうかな。君が考えているのとは、少し違うかもよ。あの頃のシンハ様は……僕が十八だから、二十三かな、そのぐらいだ。今の君とあまり変わらない」
しかも王族と認められる前だったんだからね、と言い添えて、ロトは少し遠い目をした。
むっつりと無愛想で口数も少ないその隊長は、問題児ばかりを押し付けられて苦りきっているのが見え見えだった。
黒髪に緑の目という特異な容貌、加えて何もせずとも周囲をたじろがせる威圧感。さしもの問題児集団も、大人しくならざるを得なかった。怯んでいないのは、城下町でしょっちゅう一緒に遊んで育ったという、宿屋の息子オートスぐらいだ。その彼から、隊長さんは霞の賢者の養い子だと聞かされて、ロトは目を丸くした。
なんだってそんなお坊ちゃんが、こんなところに。
思わず口に出して言ったロトに、シンハはじろりと嫌そうな目をくれ、オートスは遠慮なくげらげら笑った。
そりゃあおまえ、問題児だからに決まってるだろう。
「実際、誰も彼も、規則や命令に素直に従わなかったり、自分で勝手に判断して動いてしまったりするのばかりでね。隊長でなきゃ抑えがきかなかっただろうなぁ」
ロトは懐かしそうに語った。ごく自然に『隊長』と口から出たことに、気付きもしない。
「それまで僕は誰を相手にしても萎縮したことなんかなかったのに、生まれて初めて、ああこれは格が違う、って実感したんだ。驚いたし、悔しかったよ。何か言ってやろうにも、いつもみたいに上手く喋れなくてね。議論でなら勝てる自信はあったんだけど」
「へえー、あんたでも最初は怖かったのか! っていうか、シンハの奴が無口で無愛想って……そりゃま、今でもあんまりべらべら喋る方じゃねーけど」
リーファは驚きに目を丸くしながら言い、そこでふと、口元に手を当てて考え込んだ。何か、とロトが続きを待っていると、彼女は一言。
「それって、人見知りしてたんじゃね?」
件の隊長さんが実はかなりの照れ屋であると知れたのは、初めて襲撃を受けた後のことだった。
主戦場から遠く離れた地方に派遣された為、戦闘があるとさえ思っていなかった隊員たちは狼狽したが、事前に察知したシンハが、ほとんどの敵を片付けた。その度外れた強さは、ロトをはじめ、幼馴染であるオートスまでが、思わず逃げ腰になったほどだ。
シンハは死体の所持品を検分して、短く言った。
つまらん事に巻き込んで、すまんな。
――後に分かったことだが、この時の襲撃者は現ラウロス公すなわち王弟ショウカを支援する貴族の差し金で放たれた刺客であり、戦にかこつけてシンハを亡き者にしようとしたのだった。
「でもその時は知らなかったからね。どういう意味ですか、って食い下がった。隊長は自分の正体を明かさないまま、それが隣国の兵士ではなくて、自分を狙った身内の仕業だとだけ説明したんだ」
「…………」
「その言い方があんまり冷めきっていて、自分が命を狙われたってのにどうでも良いみたいに聞こえたもんだから、僕の方が悔しくなってね」
ロトは当時を思い出し、照れ隠しに苦笑を浮かべた。
「身内に背後から刺されそうになったのに、つまらないも何もあるか、隊長の敵は僕らの敵だ、一緒に戦います、とかなんとか、勢い任せにまくし立てたんだよ。……なんだか君の台詞みたいだね」
「ぶッ! ちょ、オレそんなこと言ったことは……!」
「同じ状況なら、君も言いそうだけど」
「……言う、かなぁ……ああ、うー……言うかもしんねーけど、むしろ上手く言えなくて蹴り入れそうな気がする。どつき回すとか」
唸ったリーファに、ロトは朗らかな笑い声を立てた。
「それこそ、目に浮かぶよ。流石に僕は蹴りも拳も入れられなかったけどね。でもそれなら、あの人の反応も予想できるだろう?」
反抗的な部下から思いがけず率直に真情をぶつけられ、そうでなくとも口下手な隊長は、返す言葉もなく凝固した。
そうして、曰く言い難い顔をして、自分の表情をごまかすように、咳払いひとつ。
どうしたものかと思案するそぶりで死体を見下ろし、顔をそむける。ぎこちなく不自然にこわばった背中に、いたたまれなさが滲み出ていた。
その時初めてロトは、相手が実際は温かく柔らかな心の持ち主であることを知ったのだ。単にそれを正直に表すには、言葉に関して不器用なだけなのだ、と。




